前に、父の墓を探しに、実家の里見に行き、運よく墓を見つけることができたことを書きました。
当時は、梨の繁忙期だったこともあり(父の実家は、梨農家)、手紙が入れ違いとなり、その後、会えなくて残念だった、父の月命日の11月18日にでもいらっしゃいと丁寧なお手紙を頂戴し、行き違いを謝る電話もしたこともあり、11月18日に、もう一度、父の墓まいりに行ってきました。
高崎駅まで御嬢さんの小雪さんU味噌汁の冷めない距離に暮らしているとのこと)が運転して典子さんが出迎えてくれました。
お墓まで行くと、利吉さん(叔父の長男、私にとって父方の従兄にあたります)が、墓参りの用意をして待っていてくれました。こちらからも花を持って行ったのですが、花も飾ってあって、綺麗になっていました。線香をあげ、白いお団子を添え、私も一つ食べました。
本家のお墓にも参り、その後、近くの寿司屋でお料理をご馳走になりました。お寿司にうどんがついている定食に、さらにおしんこと天ぷらまでつけてくれて、お腹がいっぱいになりました。
そのあと、梨山に連れて行ってもらいました。随分と広くて、これを70代の二人で見ているというのだから、大変だろうと思います。昼間の作業用の家は、小屋というよりも、ここで住めるぐらいの立派なもので、たくさん賞状が飾られていて、梨の品質が良さそうです。お客さんから送られてきた、絵手紙や、絵画も飾ってありました。丹精込めて作っている、大切なナシ園であることが分かりました。
利吉さんは、どことなく、父に似ているのに、とても実直そうで、なんだか不思議な感じでした。
その後、実家の家に行き、仏壇で父の小さな位牌もあるのを拝み、お茶やみかんを頂きました。
帰りの車のなかで、典子さんがいろいろと父が亡くなるまでの話をしてくれました。
八王子の老人ホームではなく、病院だったそうで、高崎から遠いので、こちらの病院やホームに移したいと政治家にまでお願いしたそうですが、病院が離さなかったといいます。普通は、3ケ月で移動させられると言いますが、そういう制度がまだ始まる前だったのかもしれません。梨の忙しい時以外は、月2回くらい見舞いに行ってくれていたようです。
東京ー高崎は、新幹線を使わないと2時間くらいかかり、そこから八王子までまた1時間以上かかるので、大変だったと思います。
父の兄弟のおばさんたちがうるさいから、長男の嫁としてやらざるをえなかったのでしょうが、随分貧乏くじをひいたと思ったことでしょう。
どうして、従兄が叔父の面倒をみるのかと、高崎の裁判所に何度か呼ばれたとのことです。
最期の方は、スリッパを食べちゃうなど、ちょっと分からなくなってしまい、見舞いに行くのが怖かったとのことでした。
元気なうちは、父のことですから、看護婦さんなどに良い顔して楽しんでいたかもしれません。姉妹や利吉さん・典子さんらが見舞ってくれたのなら、少しは寂しさもまぎれたでしょう。
最期は、可愛そうな気もしますが、私も、最後は一人ですし、まぁ、人間そんなもんでしょう。
ともかく、利吉さん、典子さんには、感謝です。
最近のコメント