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2005年4月26日 (火)

自由時間の使い方2

先日私より5~10歳くらい年上の方々と会食する機会があった。

この方たちは皆年金生活者である。自由時間の使い方に苦労している身としては、どのような暮らし方なのかうかがってみた。

ある方は、歴史を勉強したいと自宅近くの大学に通い始めている。現在の中国の問題などを議論するなかにも、日ごろの勉強の成果がうかがえた。

aspara もう一人の方は、女房に先立たれた時に困らないようにと「男の料理教室」に通い、そこを卒業して、最近では「一流シェフが教える教室」に通っているとのことだ。体力を維持したいが心臓が弱いので探したところ「低い山に登る会」を見つけたとのことで、これも楽しんでいる。papurica

別の方は、英語が出来るので、国際交流協会の事業で、外国人と日本語で80分おしゃべりするというのをボランティアでやられている。日本で働くビジネスマンもいれば、来たばかりの学生もいる。これまで付き合ったこともないような国の人と話せるのが楽しいそうだ。単にその時間をすごすだけでなく、生活のアドバイスをしたり、自宅に呼んであげることもあるようだ。

この方は、俳句が趣味だが、最近では、英語で俳句を作ることもはじめ、世界大会にも出かけるとのこと。世界大会では、皆で旅行をし、即興で英語の俳句を作りあう計画だ。

もう一人の方は、従来から研究していた分野について、今でも、海外論文などを翻訳し、関tomato 連団体に提供しているとのこと。翻訳は自分にとって面白い仕事なのだそうだ。午前中は翻訳作業をするが、午後には、身体のために散歩をするようにしているとのこと。シルバーパスを使ってバスや都営地下鉄で遠くまで行き、そこから歩いて帰ってくるようにしている。これまでは忙しくて、東京を散歩することなどなかったが、面白い発見があると喜んでおられた。

私は、あと30年をどうやって生きようか当惑しているのだが、楽しみ方がいろいろあるのに驚いた。

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2005年4月25日 (月)

自由時間の使い方

自由時間が欲しくなってこの3月末に退職したのだが、いざ自由時間だけになってみると、その時間を有効に使うのは難しい。

pen 私自身は、まだ引退する気はなくて、もうひと花咲かせたいと思っている。ひと花咲かすといっても大げさなことではなく、残り少なくとも30年くらい生きなければならないので、その時間を充実した気持ちで過ごせるよう、自分らしいテーマを見つけたいと思っているのである。

私のこれまでの主な仕事は、「産業調査」と呼ばれるものなので、基本的には、この仕事に近いことをやりたいと思っている。昔は、業種別に、繊維産業、自動車産業などを手がけたのだが、何か違う切り口でやりたいと思っている。

そう思ってウェブを検索したり、本を読んでいるのだが、新しい考え方なども誕生しており、時間もあるのだから勉強しなければと心している。

ところが、本の字面を追うものの、頭にはぜんぜん入ってこない。そうすると、つい草むしりをはじめたり、掃除をしてしまう。家族は、ずい分働き者になったと目を丸くしているが、要は、勉強が嫌で逃げてしまっているのだ!

midori また、お天気が良いとつい買い物に出かけたり、昔なじみからお声がかかると飲み会に出かけてしまう。

せっかくの自由時間をもったいないと思い、今日も机に向かい、老眼鏡を掛けるのだけれど、やっぱり本に向かわず、このつぶやきブログを書いている!

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2005年4月17日 (日)

雑草って何だろう

春になって、草木の萌える季節だ。

ということは、雑草も生える。

自宅は、芝生の庭にしているので、芝が成長しやすいようにと草むしりをする。

でも、毎回途中から、迷ってしまう。何が雑草なのだろうと思うからだ。

というのは、小さいけれど、紫であったり、黄色であったり、それなりに一生懸命花を咲かせるからだ。

とくに、最近では、芝よりも雑草のほうが勝ってきているので、よけいそう思う。

そうかといって、生え放題にしておくと、大きく茂る草もあって、暑苦しい。道路側を草だらけにしておくと、ご近所に対しちょっと恥ずかしい。

そこで、お天気がよいと草むしりをはじめるのだけれど、毎回迷ってしまう。

雑草でなくても、良い花を咲かせるには剪定するくらいなのだから、切り捨てができない自分は、偉くなれないのだろうなぁと思う。

z008_41 今日も、結局、紫の小花を咲かせている草と、奥まったところのタンポポは、残してしまった。

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カラスは何時から嫌われ者になったのだろうか

子育ての時期といえば、カラスもそうらしい。

春には、カラスも朝から鳴いたり、屋根や庭木に止まっている。カラスが庭木のてっぺんに止まってあたりを睥睨していると、せっかく新緑の美しい季節なのに「不吉ねぇ」と言われる。

私の住む住宅街は、戦後中島飛行機から払い下げられ、そのまま居ついた人が住んでいるため高齢化が進んでいる。すでに、右隣の老夫婦が相次いで亡くなって、新しい家族が入居するために現在リフォーム中だし、お向かいでもおじいさんが亡くなった。

だから、カラスがやってくると、「今度は私の番かしら」などと私の母親やその友人たちが不気味がるのだ。

しかし、世界遺産に登録された熊野神社では、八咫(やた)カラスは神様のお使いだ(日本サッカー協会のマークも八咫烏でした!)。また、子供の頃に歌った童謡(「カラスの赤ちゃんなぜ泣くの」も「カラスなぜ鳴くの」も)では、カラスが鳴くのは子育てと結びついており、微笑ましい歌詞になっている。

何時から、カラスは嫌われ者になったのだろう。

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小鳥のおしゃべり

今ごろは、小鳥も子育ての時期と聞く。

毎朝5時頃になると、さまざまな小鳥たちがさえずる声で目が覚める。

image91 2階にある寝室のカーテンをそうっと開けると、ヒヨドリだろうか、一羽が屋根の上、もう一羽が新芽を出した沙羅の木に止まって、しゃべりあっている。気持ちよいので歌っているという感じではなく、向き合って、一羽がしゃべると次にもう一羽がしゃべるといった具合で、真剣にしゃべりあっているのだ。

これは、お父さんとお母さんなのだろうか、それとも、同じお父さん同士なのだろうか。

母 「お父さん、子供たちが大きくなってきたから、これまでよりもっと食べ物を探して下さいよ」

父 「ちゃんと朝から晩まで働いているじゃないか、もう限界だよ」

母 「そんなこと言ったって、私の食べる分まで割いているんだから」

父 「ダイエットしたいって言ってたんだからいいじゃないか」

      ・・とでも言っているくらい真剣にさえずりあっている。

聖フランチェスコやドリトル先生になったら面白いだろうが、うるさくってたまらないかもしれない。

(ヒヨドリの写真提供) http://yuuta60.mond.jp/

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2005年4月16日 (土)

私は誰

日本の戸籍は、漢字のみであり、読み方は問われない。私の苗字は「富沢」だが、父親が嫌いだったので、せめて読み方を変えようと、はじめてパスポートを使ったときに、「TOMISAWA」と「Z」ではなく「S」を使ってみた。そのうち、銀行口座でもフリガナをつけるように言われ「トミサワ」と濁らない読みになった。このため、ネットで「とみざわ」と検索すると、私は出てこない。

さらに最近では、ペイオフとかで、銀行などで身分証明を求められるようになった。実は、戸籍の名前は「木實」なのだが、これまでいろいろな書類でも「木実」という簡易文字で過ごしてきた。銀行口座名を変更すると、引き落としなどもあるので、おそらく保険とかカードとかも変更しなければならなくなるので面倒くさい。57年間も私は「木実」だったのだが、これから「木實」となる。ネット検索してみたら、前職を得るときに文部科学省に戸籍通りに提出したためそれのみヒットする。

意図してペンネームとか、芸名をつけたのならよいのだけど、実名がこうなると、なんだか私がバラバラになってしまったような気がする。名寄せとか、個人情報とか、面倒くさい世の中になったものだ。

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