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2005年6月18日 (土)

一流デザイナー垂涎の布

日本の布地の開発・加工技術には、実に素晴らしいものがある。

名も無い織物業者の布地がパリで開催される生地の展示会などに出展されると、名だたるデザイナーや有名ブランドが感動し、こぞって購入する。

日本人は、その生地が日本の名も無い地方の織物業者が作っていることなど知らずに、さすがに一流デザイナーの作品は違うなどと関心している。

しかし、こうした織物業者は、商売的には厳しい状態に追い込まれている。一流デザイナーが求めるトップ商品は、数量が沢山出るものではないからだ。数量を稼げる仕事は、中国などに持っていかれてしまった。

バブルの時に設備投資をし、多額の負債を抱えているケースも多い。個人資産として過去の蓄えがあるので、それを吐き出しつつなんとか息をつないでいる状況だ。

社長は、たいがい朴訥で、人がよく、職人肌で、ああでもない、こうでもないと新しい織物の工夫を考えては試作している。

これらの織物業者は、これまで、企画を提案することはあっても、問屋や商社からの注文を受けて生産してきたため、自ら販売したことがない。社長とは言っても、いわば企画室長を兼ねた工場長であったのだ。

日本には、このような企業が沢山ある。

ハゲタカファンドでも良いから、こうした技術力のある工場を買収し、優れた経営手法で立ち直らせて欲しい。

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ワールドの新戦略

久しくファッション業界から離れていたので知らなかったのだが、ニットの大手ワールドが面白い商売をはじめていた。

ワールドは、これまで自社ブランド商品を扱う専門店(婦人服で3100ほど)を全国に持っていたが、消費者ニーズが多様化し、自社が開発した品揃えだけではこれらの店のニーズを十分満すことができなくなった。このため、2003年秋から、WRS(World Rep System)という卸売りビジネスをはじめた。

販売代理店契約を結んでWRSパートナーになると、ワールドが専門店向けに開催する展示会に出展することができる。代金の回収もワールドが行ってくれる。しかし、小売店との商売は、パートナー企業が責任を持つというものだ。

欧米では、昔からレップという販売代理店があるが、日本の場合商社や問屋など卸売りが中心であった。前者は、販売数量など実績に応じてメーカーからフィーを取るのに対し、後者は、メーカーから商品を仕入れて小売店に販売しマージンを得る。両者にどのような違いがあって、どうして日本ではフィービジネスが発達してこなかったのか未だに疑問なのだが。

欧米では、メーカーとして自立(企画し、素材を仕入れ、製品化)しているのに対し、日本では、メーカーといっても加工のみ担当する工場でしかなかった(企画は問屋が行う、素材を支給されることもある)からかもしれない。

若手のデザイナーやこれまで下請け加工業であったメーカーが自社ブランドを立上げた場合、販路を見出すのが一番のネックであるが、この仕組みを利用すれば、実力さえあれば(商品化~代金回収までの資金繰りは必要)、販路開拓の可能性が開ける。すでに複数のデザイナーや企業がパートナーとして販路開拓に成功しているようだ。

これはファッションの世界のことだが、技術系ベンチャーについても、こうしたレップのような仕組みがあって、優れた技術や製品の販路を開拓しやすくなると良いのだが。

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一品生産のネック

コンピュータとの連携により、一品生産が可能になったのだが、実はこれにはネックがある。

たとえば、前述の島精機のホールガーメントは素晴らしい機械だが、この機械に習熟し、デザイン画を編むためのソフトに翻訳するのが大変難しい。あるいは、デザイナーがこの機械の特徴を理解し、それを活かしきれるデザインを開発できるかという問題もある。

原理的には個別対応が可能であり、たとえば見本から選んでサイズを自分に合わせるとか、色や柄を変える程度なら簡単だ。しかし、本当の意味でオリジナルな商品を一品生産するには、ソフト開発に時間が掛かってしまう。パリコレに出すような作品ならソフト開発費を掛けられるが、一般の商品では、ある程度の量が捌けないとソフト代金を賄えない。

しかし、逆に量産できるとなった場合には、一枚編むのに時間がかかるので、複数台数持たないと間に合わない。

島精機は、機械メーカーなので、機械を売りその使い方の指導をするが、出来ることはそこまでである。その機械を活かしきれるかどうかは、それを購入したニットメーカーやデザイナーにかかってくる。

島精機は、機械代金が高いので、ニットメーカーに預け(無料で使わせ)、そこが試作・開発したソフトを得るという方法で使い方のノウハウを蓄積しているらしい。ノウハウが蓄積され、デザインをニット化するためのソフトがもっと汎用化すれば、個別対応のバリエーションも広がることになるだろう。

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女性の力

四国今治にはタオルメーカーが集中している。中国製品との競争が激化しており、自ら中国に進出している企業もいるが、一方、国内で消費者に近づくことで新たな道を模索している企業もいる。

森清タオルもそのひとつだ。これまでの取引先との摩擦もあるし、新しい事業がどのようになるか分からないこともあってのことと思われるが、とりあえず、子会社でタオルを使った子供向けやペット向けの最終製品を開発し、ネットや自社ショップを開設して販売をはじめた。

WEBを見ると、とても可愛らしい。

実は、子会社は、経営者の奥さんが手がけたのだが、WEBを見るといかにも女性がやっているらしい感性を感じる。女性経営者なので、デザイナーの持ち物などをちらっと見ただけで、あら可愛いとか、素敵だなどと消費者の視点からデザイナーのセンスを評価する目も持っている。そうしたなかから、新しい企画が誕生することもある。

ネットや自社ショップの販売数量は、従来の工場をまわすほど多くないと思われるが、こうしたビジネスをはじめてみると、タオルでこんなことができるなら、当社向けに何か企画提案してくれないかといったOEM(相手先ブランド)の仕事も入ってくるようになった。

また、他産地から講演に来てくれと呼ばれることが増え、他産地で商品化に使える面白い素材を発見することもあった。これまでは、日々の仕事に追われているので、他産地に出かけるなんて、たとえ隣の県でも全くなかったのだ。

こうして、今後日本で生き残っていくには、芽生えてきた方向で進むしかないと判断し、同社は、奥さんがやっていた子会社オルネットに吸収されるかたちで企業統合することになった。

タオル業界に限らないが、これまでは男性の経営者が工場を運営し、問屋も小売もキーマンは男性だった。タオルはギフトの需要が多く、結婚式や病気見舞いのお返しなど義理が多く、誠意のこもった購入のされ方もしてこなかった。

タオルを使う・購入する女性の心をくすぐる商品開発が生産現場でも流通現場でも生まれない仕組みだったのだ。オルネットが女性経営者によって発展してくれることは、女性としても応援したいし、一消費者としても楽しい市場が生まれることになるので嬉しい。

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一品生産

Once upon a time;正確な日付は忘れてしまったが、たぶん1990年頃、横浜で、あるイベントが行われた。

パリに居るデザイナーの田山淳朗さんがTVの向こうからデザインした数点の服を見せる。横浜会場のお客さんが気に入ったデザインを選ぶ。観客が約30分ほどトークショウを楽しんでいる間に、舞台の上で、島精機の編機、セーレンのインクジェットプリンター、アイシン精機のミシンを使って、特注のセーターや水着などが出来上がるというものである。

コンピュータや通信が発達すると、パリのデザイナーがデザインしたあなただけの衣服があっと言う間に出来上がる。それも絵空事や遠い将来のことではなく、そうしたことがもう可能になりつつある。・・ということを身体で理解してもらおうという試みであった。

イベントなので、少しインチキをしたが(たとえば、デザイン画をコンピュータのソフトに変換するには時間が掛かるので、もともと作成しておいたとか、30分ではさすがに無理など)、多くの人々にコンピュータや通信が自分達の身近な世界を大きく変えるらしいということを印象づけることができた。

これまでは、ニット生地を編み立て、衣服の部品をカットして縫い合わせていたが、島精機の編機では、コンピュータでスタイルや絵柄を決めると、その通りに一品づつ編み立ててくれる。カットするとその分ムダが出るが、この方式だと糸をムダにしない。

セーレンのインクジェットプリンターも、コンピュータで色柄を決めるとそれが布地に染色される。それまでの染色方法に比べほとんど水を使わずに済む。

アイシン精機は、トヨタグループのミシンメーカーで、縫製工場にJITの指導をしてきた。従来の縫製工場では、大きなロットで部品ごとに生産していたため、在庫が多く、市場動向に対応しにくかったが、JITを導入し、一品流しをするので、在庫が少なく、市場にクイックレスポンスできる。

当時は、島精機の編機もまだ身頃や袖など部品ごとに編み立て、その後縫製していたが、昨今では、ホールガーメントと言ってまったく縫わずに一品生産できるまでになっている。また、インクジェットで布地を染色するのはセーレンぐらいだったが、今日では、インクジェットはかなり一般化してきた。これらは、糸のムダを省いたり、水を大量に使わないという点で、環境問題の観点からみても、望ましい方向の技術である。

このイベントをやった当時、一品生産には多くの人がまだ首をかしげていた。設備を使うので、量を捌かなかったらコスト的に成り立たないからだ。また、インクジェットでは深みが出ない、ホールガーメントではシルエットにしまりが無いなどなど質的な問題も指摘されていた。

しかし、それから10数年経って、今日、繊維産業が向っている方向は「オーダー」だらけである。オーダーカーテン、オーダー靴下、オーダー布団、オーダーユニフォームなどなど。夢物語ではなく、技術の方向性がかなり明確になってからでも、本格的な普及までには、こんなに時間が掛かるものなのだナァと感慨深い。

インターネットの普及で中間流通なしにダイレクトに消費者と結びつくことが一般化したこと、多くの機械がコンピュータ化され多様な色柄型を相対的に変化させやすくなったことが基盤にある。

また、安い中国製品が市場を席巻した今日、日本のメーカーが生きるには、消費者に直接結びついて、対話しながら、個人対応するしかなくなったという切羽詰まった状況が背景にある。

しかしながら、以前懸念されていたこと、つまり一品生産で採算に乗せるにはどうしたらよいか、ということは以前として課題だ。

従来は、大量生産していたものの、結局、未引取りや返品が生じていたので、結果として儲かっていなかった。おまけに中国製品との競争で単価も低下していた。オーダーならば、ムダな生産もなくなるし、在庫負担も少なくてすむ。また、個別対応ということで付加価値を高めることができるし、中間流通を省く分、メーカーの利幅が大きくなる。

現在、インターネットで「オーダー」と言っているのは、せいぜい靴下のロゴを変えたり、サッカーユニフォームの色柄を変えるくらいだが、なかには、医療用の靴下(専門医と協力し、病状に合わせて靴下の設計・着圧を変化させる)や体型に合わせた敷布団(大学の眠りについての研究成果を活用)など本格的なオーダーに取り組んでいるケースもある。

これらは、いちはやくこの分野で技術を確立し、業界スタンダードになることを目指している。個別対応のデータをどこよりも早く蓄積すれば、個別対応のトップ市場だけでなく、成果をある程度取り入れた標準品を開発してブランド化し、ある程度のマス市場を狙える可能性もあるからだ。

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2005年6月16日 (木)

女性専用車両2

痴漢被害が増え、通勤時間帯には、女性専用車両ができた。

私が高校の頃、中央線に女性専用車両が出来たが、化粧品やコロンのいろいろな匂いが混ざってむせ返るため乗るのを辞めた経験がある。今回は、乗換に不便なので、まだ利用していないがきっと同じだろう。

痴漢行為は許せないが、自意識過剰な女性も多い。満員電車では、後が女性か男性かなど分からないので、女性の私が鞄を動かしただけで、ふりむいて睨み付けられたり、肘鉄を食らうこともある。誰がおまえなんか触るかと思いながら、腹が立つのでわざと鞄を押し付けてやったりする。

きっと専用車を利用しているのは、自意識過剰で自分はいい女だと思っているが、痴漢も逃げたくなるような女性が多いに違いない。

だけど、ヘソを出し、太ももを出し、コロンをつけ、薄いブラウスを着て外出すること自体、フェロモンを出しつつウエルカムと言っているわけで、動物の行為としてはごく自然の成り行きである。被害にあいたくなかったら、専用車を用意するのではなく、イスラムの人のようにベールをかぶり、身体の線を見せない服を奨励すれば済むのにと思う。

梅雨時には傘を持ちあるように、通勤時にはベールを持ち歩けばよいのだ!

・・・こう思うのは、ババァのひがみなのだろうけど。

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女性専用車両

久しぶりに通勤時間帯に出かけたら、駅のアナウンスで一輌目は女性専用車となっておりますのでご理解をお願いしますといった内容が流れていた。

専用車両はだいたい一番前だったり後だったりするので、乗換に便利とは限らないから、朝の忙しい時間帯になかなか使いづらい面もある。

だが、痴漢されるのが嫌な女性は専用車両に乗るということになると、それ以外に乗っている女性はウエルカムと意思表示していると思われるのじゃないかと却って心配だ。

痴漢被害が増えているのでこうした車両が出来たのだが、身体障害者の私にとっては、障害者向け車両が出来てくれたほうが有り難い。シルバーシートがあるじゃないかと言われるかもしれないが、東京では、実質的な役割を果たしていない。

札幌に赴任したてのときには、どんなに混んでいても基本的にシルバーシートを開けているのに驚いたが、自分が身体障害者になってみると、これは助かる。

しかし、シルバーシートが出来たときには、嫌な制度だと思った。シルバーシートに座っていて、目の前に高齢者が現れたら席を譲るが、それ以外のシートだったら、平然と座っているようになってしまうからだ。高齢者や身体の不自由な人などが居たら、どの席にいても譲るのが民度の高さであり、それを教えることのほうが大切だと思ったのだ。

だが、実際にはその心があったとしても、人を見て席を譲るのは難しい。杖をついていたり、赤ちゃんを抱いていれば分かりやすいが、内蔵に問題がある人や私のように足が悪い程度では外からは分からないからだ。

そこで、シルバーシートは必要であると納得したのだが、満員電車では、始発駅ならともかく、そもそもシルバーシートまでたどり着けない。仮に辿り着いても、東京ではほどんど占拠されている。前述のように、見た目だけでは本当にこのシートを必要しているかどうかを判断できないため、どいてくれとは言えない。このため身体が不自由な場合、鈍行電車に乗ることになるが通勤時間帯には、急行の本数が多いので、普通なら30分のところ1時間も掛かってしまう。

身体が不自由ならもっと空いている時間帯に出かけろということかもしれないが、通院や仕事の関係でどうしてもその時間に出かける必要があることもある。

だから、本当は、女性専用車両よりも、シルバー車両を作って欲しい。

でも東京では、若者もサラリーマンもキャリアウーマンも皆くたびれ果てているので、シルバー車両を作ったら、皆その車両を使うようになってしまうかもしれない。

・・と、ここまで書いてきて、身体障害者手帳などを持つ人用の車両と座席指定車(追加料金)を用意すれば良いのだと思い至った。本当に困っている人の車両と疲れているので追加料金を払ってでも座りたい人の車両である。

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2005年6月12日 (日)

浅草はワンダーランドだった

昨日浅草演芸ホールに行ってきた。

雨だと思っていたのだが幸い曇りで、待ち合わせまでに時間があったので、六区といわれる界わいを少し歩いた。とても不思議な空間だった。

まず、演芸ホールは寄席と色もの中心の東洋館がある。また、路を隔てて大衆演劇の大勝館がある。ここでは美形の橘大五郎の一座が掛かっていた。幟がひらめいているだけでもなんだか嬉しくなる。

路が整備されていて、人力車で周辺を回れるようになっているらしく、子供や外国人が喜んで乗っていた。外国人向けに車夫が英語で説明しながら走っていた。学生アルバイトなのだろうか。

さらに路地裏に行くと、土曜日で場外馬券を買う人が集まっていたこともあるのだろうが、昼間から屋台やら、店の外に縁台が出ていて、三々五々つまみを食べながらビールや酒を飲んでいる。向こうには、花やしきの乗り物も垣間見れる。

でも、決して怖いという感じではない。怒鳴っていたり、喧嘩していたり、いやらしい目で通行人を見るなど昔なら場末につきものの感じはない。耳に赤鉛筆で新聞を持ったおじさんだけではなく、アベックもいれば子供づれもいる。とっても明るく、ゆったりしていて、皆時間を楽しんでいる。

もんじゃ焼き屋やてんぷら屋、そば屋、喫茶店などなどが軒を連ねており、時間があったらゆっくり遊んでみたい感じだ。

このことろ、新丸ビル、六本木、汐留などなど、ガラス張りのこじゃれた新名所を一通り見てきたが、そこに二度行こうとは思わない。自分の居場所が無い感じだ。だが、この浅草六区はふらりと来ても、長居してよさそうだし、昔から来ていたようにどっかり座ってビールを飲んでも溶け込めそうだ。

・・でも、きっと、ここまで明朗にするには、地元商店街やそれぞれの店主などがとても苦労したに違いない。

浅草は幾度か来ているが、せいぜい雷門から浅草寺までで、あとは国際通りなどの表通りしか通っていなかった。六区がこんなに面白い空間とは知らなかった。

私は昔、落研メンバーで、落語は良く聴いていたが、寄席に来るのは何十年振りだ。私が落研の頃には、たしか浅草には寄席はなかった。すぐに座れるだろうと馬鹿にして入ったら、満員で二階席で立ち見であった。中入りで少し出ていったので、ようやく座れたが、まだまだ座れない人がいた。

以前は、色ものが入るのが嫌で、古典落語だけをじっくり聞きたいと、寄席よりも東横ホールなどのホール落語ばかり行っていた。私が落研の頃には、正蔵、円生、小さん、志ん生、文楽などが揃い踏みしていた。確か芝浜を得意とする三木助が亡くなったばかりのことだったと記憶する。

昨日の演者は、残念ながら一人も知らなかった。しかし、楽しかった。踊り、歌、紙切り、漫才、手品などの色ものが途中に入るのもむしろ飽きさせず面白かった。歳を取って許容範囲が広くなったのかもしれない。

皆有名になりたかったり、上手くなりたかったりしながらも、たぶんそうはなれずに、それでも淡々と粛々と日々演じてきたのだろう。師匠にならいながらも、自分なりの芸を磨いてきた。どの芸もプロであった。ここでプロというのは、力まずにちゃんと演じていたということ。

私は、今だ自分の芸を見つけ出していないのだけれど、ともかく精進、精進、また精進。

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繊維産業:窮鼠猫を噛んで欲しい

今日では、繊維産業が日本経済の要であったなどと言っても多くの人が不思議そうな顔をする。現在、糸換算した日本の繊維供給量の63%を輸入が占め、内需の83%が輸入になっているからだ。日本の繊維産業は輸出産業の花形で、貴重な外貨を稼ぎ、それによって原材料や機械を輸入して日本経済は発展してきたのだ。ちなみに、1951年(昭和26年)の輸出額をみると、繊維品が44%を占めていた。

juugyouinn しかし、日本経済が発展するなかで、相対的な競争力が低下し次第に規模が縮小してきた。図は、従業員数の推移を見たものだが、繊維産業は1960年代中頃をピークに減少の一途を辿り、それに代わってファッション産業の発展とともに成長した衣服その他の繊維製品も90年代中頃から減少している(クリックすると拡大)。

これほど見事に縮小したきた産業であるが、そのなかでも新しい開発が進められているのに驚く。

たとえば、丸和ニット(和歌山)では、「バランサ」という丸編とトリコットの特徴を併せ持ったニット生地を作る機械を開発した。この機械で作った生地は、ニットなのだが、ハサミで切ってもほどけない、普通のニットよりも形が安定しているなどの特徴がある。同社は、機械の特許は取らず、それを使った生地で世界市場に勝負をかけたいとしている。

このほかにも、写真や絵をスキャンし、多色糸を使ってあたかもその絵のようなタオルを織るソフトを開発した企業もある。インテリア用途を考えているようだ。

日本の繊維機械メーカーは優れているが、優れているからこそ、それが海外に輸出され、繊維品輸入が増えるという問題がある。同じ機械を使って、世界各国のデザイナーがそれぞれの創造力を発揮し、機械の可能性を広げるというのは素晴らしいことだ。しかし、一般には、低賃金を利用した単なる価格競争に陥ってしまう。

丸和ニットが機械を内製で工夫し、それを使った生地で勝負するというのは、新しい展開だ。日本の繊維企業が窮鼠猫を噛むというようになってくれたら面白い。

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2005年6月 5日 (日)

互酬:ホンダのインターナビ

知らない間に自動車の情報化(ITS)が進んでいるのに驚いた。

グリッド・コンピューティングは、使っていないPCをつないで、高性能コンピュータのように利用することで、インターネット時代の互酬関係らしいなぁと思っていました。

あるプロジェクトで、海底の詳細な地形図を作成するのに、自分の船だけでなく、他の船が得た海底の情報も提供しあえばより簡単に海底地形図を作成できるという話を聞いて、ふぅん、そういう方法もあるんだと思っていました。

そうしたら、既に、ホンダでは、ホンダの車の購入者がOKすれば、その車が通った地域の混雑情報を皆が提供し、そのデータを蓄積・分析してVICS(財団法人 道路交通情報通信システムセンター)が提供するよりもより詳しい混雑情報を提供してくれるサービス「インターナビ」がはじまっていた。

会員が携帯電話経由でカーナビに情報を得るときに、カーナビに蓄積されていた混雑情報がセンターに自動的にアップされる仕組みだ。会員数が増えれば増えるほど、蓄積されるデータが増え、有効な情報になる。

2002年10月からサービスを開始し、2005年3月末現在、会員数は20万人に達しているという。今後、ワイパーの動きから雨情報を得るなど、高度化していく予定だ。

自分の車がセンサーとなり、自分の携帯電話を使って情報を提供し、それによって自分もメリットを得るが他の人のメリットになる仕組みである。ホンダ車のユーザというある種の志向性を持っているユーザということもあるだろうが、これはちょっと驚きである。

ITSに関する講演会での話では、世界の標準化会議では、自動車自体を通信の中継局として、電波の届かないところを無くすことも考えられているらしい。

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外資系企業:ボーダフォン

日本の携帯電話のインターネット接続サービスは、「iモード」のように、それぞれの通信キャリアが囲い込みを図る形で発展してきた。このため、コンテンツ・プロバイダーは、それぞれのキャリアごとにコンテンツを作りなおす必要があるし、各社向けにコンテンツを翻訳するサービスを提供している企業も誕生している。

コンテンツ・プロバイダーは、それぞれの通信キャリアの新しい端末発売に向けて、その端末を最も有効に活かせるようなコンテンツを開発してきた。そのために、細かな仕様についての情報を得る必要がある。時には、コンテンツにあわせて、端末の仕様を工夫することもある。

そうした、通信キャリア、端末メーカー、コンテンツ・プロバイダーの密接な情報のやりとりのなかから、端末機能をフルに活用した最先端のコンテンツが生まれ、市場を拡大してきた。

ところが、ボーダフォンの場合には、世界企業であるため、端末の開発は、ドイツなど日本以外の場所にある研究所で行われている。その場合も、全社的な発想で、言い換えれば世界市場を見据えた発想で開発が行われる。

このため、特殊な日本市場のことを特に意識して考えないし、日本のボーダフォンは支社なので、開発に当る部分の情報を詳細には得ていない。そこで、コンテンツ・プロバイダーが問い合わせても、明瞭な答えが返ってこない。

こうしたことが続くと、コンテンツ・プロバイダーの方も、だんだんとボーダフォンを避けるようになる。新しいチャレンジングなコンテンツの開発は、ドコモやauと組もうということになってしまう。

そうなると、次第にボーダフォンの魅力が薄れ、利用者が離れていってしまうだろう。もちろん、日本のボーダフォン担当者は、そうしたことへの危機感があるが、それは世界企業のなかでは無視されがちだ。

欧州が携帯電話でデータ通信を活用しはじめたのは、日本よりも遅れたが、GMSという欧州規格が統一されていることもあり、通信キャリアごとの囲い込みにはなっていない。このため、特殊日本的な状況に注意を払う必要性は感じられないらしい。

確かに、通信のようにネットワークの経済性が働く分野において、囲い込み型よりは、オープン型のほうが良いと思う。しかしながら、日本のように贅沢な市場では、基本的な機能が提供されれば良いだけでなく、非常に趣味的で精緻なコンテンツの提供が求められるのも確かである。

おそらく、ボーダフォンは、こうした日本的な嗜好の利用者からは次第にそっぽを向かれることになるのだろう。もっとも、それはそれで良いことだ。我々利用者は、日本的なサービスとグローバルなサービスとを見比べて、選択する自由を得られることになる。

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ケータイ:定額制が利用スタイルを変えた

KDDIの第三世代携帯電話が1800万、ドコモのFOMAが1200万の契約者数となり、それぞれパケット定額制を導入している。これによって、携帯電話のインターネット接続サービス利用形態がずい分PCに似てきた。

日本の携帯電話は、いち早くインターネット接続サービス(iモードなど)を提供したが、それぞれの通信キャリアごとに囲い込み戦略がとられてきた。「公式サイト」は、「iメニュー」にリンクされているので利用者が選択しやすい、キャリアが課金代行をしてくれるなど優遇されてきた。

これに対し、通信キャリアに選ばれていないコンテンツの場合、「勝手サイト」と呼ばれており、どのようにして顧客を獲得するか、課金するかに頭を悩ませてきた。このため、総務省がメニューにヤフーなどの一般検索サイトも載せるようになど(メニューのオープン化)行政指導のようなことをしてきたという経緯がある。

ところが、最近のように、通信料金の定額制が普及しはじめると、利用者は料金を気にしなくて良いため、PCインターネットの利用と同様、ヤフーなど一般サイトから検索してお気に入りのコンテンツを探す行動を取り始めたようだ。ヤフーモバイルのページビューが急増しているらしい。

携帯電話は、第三世代携帯電話の導入が世界的に熱狂を巻き起こしたものの、電波オークションのバブル崩壊で勢いがなくなり、一方、PCインターネットのブロードバンド化が進んだため、面白いネタがなかった。

しかし、定額制の導入は、利用者の行動に少し変化をもたらしはじめている。

今後、番号ポータビリティ、地上波デジタル放送開始による1セグ放送、イーアクセスとヤフーの参入など、携帯電話がまた一つ大きく変化しそうだ。

携帯電話がPCやTVに近づくと、iメニューなど各通信キャリアに守られていた公式コンテンツ・プロバイダーは安泰でなくなる。選んでもらうための激しい競争や新しい開発が進むだろう。楽しみだ。

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