浅草はワンダーランドだった
昨日浅草演芸ホールに行ってきた。
雨だと思っていたのだが幸い曇りで、待ち合わせまでに時間があったので、六区といわれる界わいを少し歩いた。とても不思議な空間だった。
まず、演芸ホールは寄席と色もの中心の東洋館がある。また、路を隔てて大衆演劇の大勝館がある。ここでは美形の橘大五郎の一座が掛かっていた。幟がひらめいているだけでもなんだか嬉しくなる。
路が整備されていて、人力車で周辺を回れるようになっているらしく、子供や外国人が喜んで乗っていた。外国人向けに車夫が英語で説明しながら走っていた。学生アルバイトなのだろうか。
さらに路地裏に行くと、土曜日で場外馬券を買う人が集まっていたこともあるのだろうが、昼間から屋台やら、店の外に縁台が出ていて、三々五々つまみを食べながらビールや酒を飲んでいる。向こうには、花やしきの乗り物も垣間見れる。
でも、決して怖いという感じではない。怒鳴っていたり、喧嘩していたり、いやらしい目で通行人を見るなど昔なら場末につきものの感じはない。耳に赤鉛筆で新聞を持ったおじさんだけではなく、アベックもいれば子供づれもいる。とっても明るく、ゆったりしていて、皆時間を楽しんでいる。
もんじゃ焼き屋やてんぷら屋、そば屋、喫茶店などなどが軒を連ねており、時間があったらゆっくり遊んでみたい感じだ。
このことろ、新丸ビル、六本木、汐留などなど、ガラス張りのこじゃれた新名所を一通り見てきたが、そこに二度行こうとは思わない。自分の居場所が無い感じだ。だが、この浅草六区はふらりと来ても、長居してよさそうだし、昔から来ていたようにどっかり座ってビールを飲んでも溶け込めそうだ。
・・でも、きっと、ここまで明朗にするには、地元商店街やそれぞれの店主などがとても苦労したに違いない。
浅草は幾度か来ているが、せいぜい雷門から浅草寺までで、あとは国際通りなどの表通りしか通っていなかった。六区がこんなに面白い空間とは知らなかった。
私は昔、落研メンバーで、落語は良く聴いていたが、寄席に来るのは何十年振りだ。私が落研の頃には、たしか浅草には寄席はなかった。すぐに座れるだろうと馬鹿にして入ったら、満員で二階席で立ち見であった。中入りで少し出ていったので、ようやく座れたが、まだまだ座れない人がいた。
以前は、色ものが入るのが嫌で、古典落語だけをじっくり聞きたいと、寄席よりも東横ホールなどのホール落語ばかり行っていた。私が落研の頃には、正蔵、円生、小さん、志ん生、文楽などが揃い踏みしていた。確か芝浜を得意とする三木助が亡くなったばかりのことだったと記憶する。
昨日の演者は、残念ながら一人も知らなかった。しかし、楽しかった。踊り、歌、紙切り、漫才、手品などの色ものが途中に入るのもむしろ飽きさせず面白かった。歳を取って許容範囲が広くなったのかもしれない。
皆有名になりたかったり、上手くなりたかったりしながらも、たぶんそうはなれずに、それでも淡々と粛々と日々演じてきたのだろう。師匠にならいながらも、自分なりの芸を磨いてきた。どの芸もプロであった。ここでプロというのは、力まずにちゃんと演じていたということ。
私は、今だ自分の芸を見つけ出していないのだけれど、ともかく精進、精進、また精進。
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コメント
はじめまして。
トラックバックさせていただきました。
私も浅草演芸ホールで立ち見でした。
それにしても、「正蔵、円生、小さん、志ん生、文楽などが揃い踏み」って凄いですね。
投稿: ii氏 | 2005年6月13日 (月) 00時45分