« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »

2005年8月14日 (日)

モー娘戦略その1

「北の大地」という言葉が一人歩きしている。

誰が言い出したのだろう。

この言葉のお蔭で、なにやら「北海道は素晴らしい」というイメージが出来ている。

美しい雄大な自然、すがすがしい空気、清涼な水・・といったプラスのイメージだ。

だから北の大地の贈り物である農産物も美味しくて身体に良いとなる。

実際には、冬の寒さが厳しかったり、雪解けのころは泥だらけできたないとか、狂牛病もあれば、品質管理が相対的に杜撰であるといったことは見えなくなってしまう。

だから、「ITものづくり工房」も捨てたものではなく、確かに「ラピッドプロトタイピング」の可能性を秘めているのだから、日本に、世界に、「札幌に頼めばユーザビリティを加味した組込み製品がスピーディに出来上がる」というブランディングをすれば良い。

ラピッドプロトタイピングは、実は、やればやるほど「ラピッド」になるのだ。

というのは、手がけた製品に関するデーターベースが出来るので、それをライブラリーにして、新しい製品開発の依頼が来ても、通信とのインターフェースは前に作ったこれを使おう、ソケットとのインターフェースはこれを使おうというように、全て一から開発するときよりもスピードが増すからだ。

「ITものづくり工房」が創業してまもなくは、このライブラリーがないので、人海戦術をとってでもラピッドをなんとかこなし、実績を積めば、自ずとラピッドになる。

問題は、実績づくりとブランディングだ。それには、強力な営業マンとマーケティング担当者が必要だ。そして、大企業の新製品開発の責任者に、「自社でやるよりも、札幌に頼んだほうが、良い提案が速く出てくるのでお得ですよ」と考え方を変えさせなければならない。まさに「つんく」の役割だ。

同じ女の子でも、いわゆる知的美人ではなく、ぽっちゃりとし野暮ったくて、どこにでもいそうな子供たちを売り出した。女の子のスターの概念を変えていった。

社内エリート集団よりも、札幌の田舎っぺのほうが味がありますよと耳元でささやき、その気にさせる。これがモー娘戦略その1だ。

う~ん、だが、これもコンセンサスを取るのが難しかもしれない。

というのは、サッポロバレーの社長さんたちは、北大出身の技術屋社長が多い。彼らは、あくまで知的美人に見られたいと思っている。サッポロバレーというのも、そういうニュアンスがこめられている。ホリエモンのほうが儲けたかもしれないが、あれは邪道で、我々は清く正しい道を行っているといった感じだ。ビットバレーは金儲けを目指しているが、我々は技術者集団であるという矜持があるのだ。

野暮ったいが愛嬌のあるモー娘は受けないかもしれない!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

誰が主体に

「モー娘」のような事業計画書を作ると豪語したばかりだが、もう一つ繰言。

知的クラスター創成事業は、大学などの研究機関と地元企業が共同で研究し、新しいシーズを生み出すとされており、札幌エリアでもそうなっている。

ところが、それぞれの研究に参加している企業というのは、大学の先生のビジョンを具体化するお手伝いをしているに過ぎない。

つまり、参加企業にとって、喉から欲しい研究成果ではないのだ。

だから、3つの基盤研究からそれぞれ特許など(研究成果)は出ても、それを使って開発ツールを商品化し儲けようとも思わないし、開発されたツールを使って受託仕事から提案仕事に体質を変えたいと思っているわけでもない。

3つの基盤研究の成果を引き継ぎ、札幌エリアのIT企業が「ラピッドプロトタイピング」をするためのプラットフォーム(ITものづくり工房と呼んでいる)を運営するのは誰なのだろうか。

これまで首脳陣は、地元企業を一歩高めるプラットフォームを作ってきたのだから、地元の大手企業(ほぼイコール参加企業なのだが)が出資した協同事業体を設立すれば良いと簡単に考えていたようだ。

しかし、参加企業は、従来から関係のある先生から言われたし、地元に役立つのだからと言われて、気分的にはボランティアで研究を手伝ってきたに過ぎない。

それでも地元に役立つのだからと説き伏せて、協同事業体を作ったとしても、二つ問題がある。

一つは、協同事業体に出資したそれぞれの企業は、いろいろなところの仕事をしているので、新製品開発のヒントがライバルに流れかねないとして、プロトタイプづくりを委託したいと思う企業がいないことである。

二つは、協同事業体を誰が運営するのだろうという点だ(社長は誰か)。協同とは、誰も責任を取らないことなので、よほど強いリーダーでも来ない限り、雲散霧消しかねない。

そうかといって地元では、誰がどういうやつか互いに知りすぎており、誰がリーダーでもまとまらないだろう。おそらく、日産のゴーンさんのようなパワーで引っ張り、最初は怖がられても、実績をあげて回りを引き込んでいけるだけの経営のプロでなければ無理だろう。

だが、このITものづくり工房を誰が使うか見えない段階では、ゴーンさんでも引き受けるのをためらってしまうに違いない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

浦河へ

朝9時からちゃんと働くなんて何年ぶりのことだろう。シンクタンクに居たときも公然と遅刻していたから、10年以上、いや20年以上振りだ。だから、金曜日になると目が充血し、頭が働かなくなる。

そこで、今週はどこにも出かけず、身体を休めようと思ったのだが、朝起きたらすっごく良いお天気だったので、このまま家でPCに向かっていると悲しくなるように思い、急遽でかけることにした。

どこに行こうか迷ったけれど、前日仕事で小樽に行ったので、反対方向と思い、前から行きたかった浦河方面に行ってきた。

ネットで時刻表を見たら、バスに間に合いそうだったので、ともかく顔だけ洗って出かけた。バスターミナルで鮭のおにぎりを買って待っている間に食べた。知っている人が居ないとこういうときは気が楽だ。今日は、お盆休み前ということもあり、満席で、補助椅子となった。

普通でも3時間かかるのだが、道路が混んでいて、1時間半くらい余計にかかったので、着いたら3時になっていた。暑い日なので、食事をしておかないとと思い、近くのラーメン屋で冷やし中華を食べる。

浦河のバスターミナルには、何かしら観光地図のようなものがあるかと思ったら、何もない貧乏くさい待合室だ。そこで、ラーメン屋さんに、確か「優駿の里」というのがありますよねと聞いたら、タクシーを呼んでくれた。

タクシーが気を利かせて、右も左も牧場の道を通ってくれた。如何にも北海道という感じの風景だ。

優駿の里は第三セクターだが黒字とのこと。でも、広々とした牧場を見てきたせいか、ここに見世物として狭い場所にいる馬がなんだか可愛そうに思えたし、毛並みも余りきれいではないのでちょっとがっかり。

最初は、スケッチをしたいと思っていたのだが、時間もないのと、上記のような印象なので、結局天然温泉につかることにした。

天気が良いせいもあるが、苫小牧で高速道路を降りてから、海沿いに走る道路は景色がとても良い。ところどころに道路沿いにも、牧場がある。ちょうど牧草が刈り取られたあととのことで、芝生のようにきれいな緑の草原に馬が三々五々散歩している。

もっとも、道路の拡幅工事があったためらしく、シシャモで有名な鵡川-新冠-静内-三石-浦河とずっと立派な新築された家が続く。観光客としては、風情がないなと感じてしまう。

北海道では、函館から恵山までの道も海沿いで美しかった。恵山に行ったときも、今回も、数年前に行ったサンフランシスコからカーメルまでのバスツアーを思い出す。途中にシュワちゃんなど俳優や有名人が住む高級住宅地を通り、最終到着地がカーメルだ。ここは、クリントン・イーストウッドが市長をしたので有名だ。芸術家が住む町と言われており、しゃれたレストランや画廊などがたくさんある。

この街にペアで来て滞在してみたいというのが、私の夢だけれど・・。

バスツアーが予定より遅れてカーメルに着いたときには、もう暮れてしまい、ツアー時間も短かったのが残念だ。でも、一枚気に入った版画を買ってきて、東京で額に入れ、西東京市の私の部屋に飾ってある。

海岸の景色は、北海道も見劣りしないのに、どうして到着地がカーメルのようではないのだろうといつも考える。冬寒いからなのだろうか。シャレた別荘地で老夫婦?老恋人がお洒落をして歩くと似合うような素敵な街があったらどんなに格好良いだろうにと思う。

モントレー-カーメルと海岸沿いに走る道は、山を越えるとシリコンバレーだ。

シリコンバレーやハリウッドは、昔は不毛の砂漠のなかに出来た繁栄の街だ。北海道もそうならないかなぁ。北海道特区にして、起業したい外国人を呼び込んでもダメだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

モー娘に

私は、この知的クラスターの事業化担当なので、このブログに書いたような繰言を言ってはいけない。

このブログを文部科学省の担当官が読まないことを祈る。

しかし、8月1日から今までに資料を読んだり、いろいろとヒヤリングした段階での私の素直な感想だ。人に会うたびに感想が変るので、もう少し人と会ってみようと思う。

そのうえで、知的美人ではないが、愛嬌のあるモー娘のような事業化計画書を作成してやろうじゃないか、と思っている。

つんくのようなプロデューサーになれることを期待しつつ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

華々しさと現実性と

第三に、この知的クラスター創成事業は、「知的」というだけあって、国際的に競争力のある研究開発とか、新しいシーズを事業化といったことが意識されているが、ITの場合、それがなかなか難しいことだ。

それぞれの研究は、「ラピッドプロトタイピング」という面で、それぞれ貢献しているけれども、「画期的な発明」というわけではない。

また、外部に事業内容を説明する場合には、組込みの事例として「携帯電話」を取り上げることが多いけれど、これほど開発工数や部品点数が多い複雑な製品をサッポロバレーの企業が自らリスクを負って開発・提案するというのは無理が多いらしい。

確かに、札幌には、携帯電話の「ソフト+基盤」開発を手がけているところはかなり多いと聞く。しかしそれは、札幌エリアでは大手であり、かつ下請けとして受託しているのがほとんどである。多くのサッポロバレーの企業は、もっと部品点数の少ないものを手がけているらしい。

携帯電話は、キャリアブランドで売られ、キャリアごとにメーカーがほぼ固定化されているなかで、メーカーブランドで殴りこみをかけられるなら話は面白い。特に、まもなく番号ポータビリティが導入されるので、キャリアブランド以外のブランドが参入できる可能性もある。ソフトバンクなど新しいキャリアも増える予定だし、中国などアジアの国々で普及率が高まっているので、そちらを狙うことも考えられる。

しかし、現在ヒヤリングした範囲で考えると、体力的に無理そうだ。むしろ、上記のようなチャンスを得て、中国や韓国の企業が参入してくる可能性さえある。

つまり、サッポロバレーのIT企業が一歩進んで下請けから独自に製品開発・提案型に発展するとしても、その製品は、部品点数の小さなものになりそうだ。携帯電話にメーカーとして参入するほどの華々しい話にはなりそうにない。

ラピッドプロトタイピングは、確かに、地域のクラスターにとって一歩前進なのだが、国の補助金を大々的に受けた事業としては、①世界的に優れた研究成果、②大手企業がほっておかない、③大手企業の分野に殴りこみ・・といった華々しさが求められるらしく、そこにギャップがある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

論じるが具体化できない

第二に、ユーザビリティは、確かに重要な分野なのだが、大学の先生は、重要性を論じることはできても、具体的にユーザビリティ評価をやった経験がないことだ。

製品開発するにあたって、当初からユーザビリティを考えておけば、製品が出来てから使いにくいことが分かって作り直すということが減るため、「ラピッドプロトタイピング」になるとして、札幌地区では、これを重視している。

しかし、一口にユーザビリティといっても、自動車もあれば携帯電話もあるし、医療器械もある。もちろん開発にあたって、ユーザビリティを考える必要はあるが、それぞれについて評価項目も評価基準も異なる。被験者をどう集めるかも重要なことだ。

大手企業では、社内でこうしたことをやっているため、自動車メーカーなら自動車についての評価のポイントや尺度など、ノウハウが蓄積されているはずだ。

あるいは、ユーザビリティ評価を仕事としている企業の場合には、過去にさまざまな製品などの評価をしてきた実績からノウハウが蓄積されている。

あと1年半でこの研究プロジェクトを終えなければならないが、今ようやく、被験者をテストしている状況を記録するための道具の仕様書作成に取り掛かったところだ。テストを記録する道具が今年度中に完成したとして、さらに最初は、ある分野・ある製品に絞り込んだとして、評価リストと評価尺度を残り一年で作りきれるのだろうか。偏りの無い被験者を集められるのだろうか。

ところで、これのどこが先端的な研究なのだろうか。

事業を考えた場合、「ラピッドプロトタイピング」のため(製品開発のため)の事業ではなく、せいぜい、既存製品の事後評価(次の開発に対する提案)からやるしかないのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月13日 (土)

お客は誰か

札幌ITカロッツエリアでは、「ラピッドプロトタイピングシステム」を構築すべく、3つの基盤研究(①次世代組込みシステム開発環境の構築、②次世代デジタルスタイリングデザイン研究、③ユーザビリティ研究)を進めている。

その想いは、これまでは、大手の下請けで、組込みと呼ばれる「ソフト+基盤」づくりを行ってきたが、そうではなく、札幌IT企業が製品を開発し提案するようになりたいというものだ。そのために、ユーザビリティを考えたり、製品のデザインもし、試作品まで作れるようになろうというのだ。

ところがここにいろいろな問題がある。

まず第一には、サッポロバレーの人々が夢として上記のように語るのは良いとして、実際に、そう思っている企業がいるのかどうかが見えない。

現在下請けの仕事をしている企業は、近い将来仕事が中国に流れてしまうかもしれないという危機感を持ってはいるものの、だからといって自らリスクを取って製品を開発し、提案する体質に変えたいとは思っていない。

非常に優れたモジュールを作っている企業は、モジュールを自社ブランドで拡販したいとは思っているが、それを使って多様な分野向けに製品開発までしようとは思っていない。

まして、ソフト開発だけしている企業は、筐体まで進出しようとは思っていない。

つまり、8月1日から複数企業に訪問してみたのだが、この事業のお客が見えないのだ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月 7日 (日)

妙なプライド

この財団の仕事を請けるにあたって、「縛られるのが嫌で」と前に書いたが、これは正確ではない。

おそらく、妙なプライドなのだ。

「あの財団の人」とレッテルを貼られるのが嫌なのだ。

この財団は、地元の電力会社が中心になって出来たもので、役員には、北海道の大手企業、中堅企業、大学などが名前を連ねている。お金の構成は知らないが道庁や経済産業局などのお役所も絡んでおり、役所の事業の受け皿でもある。

だから、ある意味由緒正しい財団である。

また、私は雇われているとはいっても、文部科学省の産学連携事業の予算で臨時に雇われているに過ぎない。他の人は、基本的に役所や大手企業からの出向者である。

だから、この財団の人とか、あの事業の担当者と言われても、本来卑下すべき仕事ではない。

ただ、基本的に、財団というものが出向者の寄り集まりであり、皆親元があるので、組織体としての意思決定や機動力に劣るのは確かだ。また、私がかかわる事業がこれまで迷走を続けてきたという評判があるのも事実だ。

だから、財団というもののこの気持ち悪さに染まるのが嫌なのと、この迷走事業に係わることの恥ずかしさのようなものがある。前任者が欠陥車を作って販売してしまったために、後任の社長が誤らなければならないというようなイメージだ。

このため、私は、どこにも所属していない「私」であって、たまたまこの仕事に携わっている。この仕事をしているのは、この仕事で給料をもらうためではなく、「地域イノベーション」についての事例研究をしているのだ・・と思いたいのだ。

仕事は、もちろん請けたことをちゃんとやるつもりだけれど、そのスタンスを上記のように保ちたいと思っているのだ。

財団の人も半分は私のこういうスタンスを歓迎しているようなところがある。つまり、余所者のセンセイがこの事業に取り組み、ナタをふるって欲しいと思っている。

私を呼び込んだ社長さんも、私のことを「センセイ」と呼ぶ。このほうが社員の○○さんよりも、使い勝手が良いらしい。

私も「センセイ」と呼ばれる馬鹿はなしと言われるので、なんだか座りが悪いが今はそうしている。時代劇のヤクザの親分の元に食客としている素浪人の用心棒のようだ。

問題は、この「私」という肩書きをどうしたらよいか決めかねていることだ。知人は「クリエーティブ・デザイナー」が良いなどと言うが、日本では絵描きや音楽プロデューサーのように思われる。日本語が良いのだが「用心棒」ほど腕た立つわけではないし・・・んんん・・困っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

人間が小さい

労働条件も詰めずに、仕事を引き受けてしまったのは自分なので、自分の浅はかさ、おっちょこちょいを憾むしかない。これはまぁ今にはじまったことではないのでしょうがない。

そのように自分を慰めていた折、産学連携事業の事業化を進めるにあたって、事業化調査をシンクタンクに依頼するよう言われ、過去の資料を見せられた。

すると、なんと、このHシンクタンクは、1年目に千数百万円ももらって受託調査をしているのだ!普通東京の大手シンクタンクでも、この手の調査なら、せいぜいその半分が相場だ。建築系や理系の場合には、相場が高いのだが、社会調査系だとそれでも多いくらいだ。

このHシンクタンクは、その後も引き続き多額の受託調査を得ている。要は、この財団では、誰も事業化のアイデアがないので、このシンクタンクにすがったようなのだ。確かに、さすがに一年目を経験し、毎年金額が落ちてきてはいるのだけれど。

確かに、これらの調査で流れや方向性はつけている。こうした指針がなければ、この事業は、もっと迷走していたかもしれない。しかし、一般的な調査に留まっており、現在進められている事業の事業化については何も具体的なことが描かれていない。

このため、急遽、新しく私のポジションを作り、雇ってくれたようなのだ。

しかし、今年も、このHシンクタンクに既に決められた予算枠があり、仕事を発注するようにとの指示である。え~っ、ここにまた発注するなら私にこの分委託してヨと思わず叫んでしまった。

私が担当者になったのだから、他のシンクタンクに委託したって良いでしょう!、委託しないで予算を浮かせたって良いでしょう!・・・とわめいてしまった。

少し落ち着いて考えれば、要は、私を月16日も縛りつけ、しかもこんなに安く働かせるなんて、馬鹿にしないでヨとあたりちらしているに過ぎない。まったく、嫁姑みたいなことをやってしまった。

私だって、数百万円もらうことになるけれど、この事業化をやりきれる自信なんてまったくないのだから。結局、砂をかけて逃げ出すことになるような気もする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

武士の商法

実は、この仕事の話があった時に、この財団(産学連携の窓口)の人になるのは、縛られるようで嫌だった。

そこで、やってもらいたい仕事があるなら、それを私なり、私の個人会社なりに受託して欲しいと言ったのだ。

私にこの仕事を持ってきたIT業界の社長さんは、私の事務能力の無さを知っていて、私が個人会社を作るのは大変だろうから、彼の会社の社員となり、そこがこの仕事を受託するというようにしましょうと言ってくれた。

財団(この事業は道庁が管理)との間に入って交渉しますからとのことだった。

この話があったのは、2月頃で前職の大学を辞めると決めた後である。私自身もプータロウになるのは、少々怖かったこともあるし、産学連携という現場を見れるというのもちょっと魅力であった。

そこで交渉をお任せすることにした。

ところが、こういうスキームが始めてということもあり、道庁・財団の担当者同士のコミュニケーションが上手く行っていなかったこともあり、思いのほか難航だったようだ。

3月末には決まるだろうと、すぐまた戻るつもりで東京自宅に来ていたため、郵便転送もしていなかったり、暖房器具の設定も雪が残っているのを前提にしてきたため、いろいろとトラブルもあり大変だった。

年金や保険も彼の会社がやってくれるというのでそのままにしていたが、長引いているので、結局自分でやらなければならなかった。それなら、最初からそうしたのにと恨みも言いたくなった。

そのうち、プータロウの生活にすっかり慣れ、「地域」の視点なんてどうでもよくなった。東京では、友人がさまざまな勉強会を開催しており、暇なのであちこち顔を出すだけで沢山の刺激がある。札幌の約束があるので、必死に仕事を探さなかったが、友達の大学の手伝いくらいなら仕事がありそうだ。自分で企画し、出版を前提に本を書くこともやれそうだ。

そんな折、ようやく決まりましたとのことだった。間に入ってくれた方々は、相当苦労をしてくれたらしい。だから無碍に、もうや~めた!とは言いづらい。

しかしながら、間際になっても、仕事の条件というのが提示されない。

仕事の内容は概略分かったのだけれど、いったい幾らで受けて、どういう立場で仕事をするのかが見えないのだ。

今だに、本当の給与というは分からないのだけれど、暗黙に提示された金額は、ほぼ前職の半分だ。これは、私と同じ仕事を既にしている人の半額でもある。確かに、間に入ってくれた社長さんに、90歳と60歳の老女が二人で暮らすなら300万円もあればやっていける、だから大学を辞める(自由が欲しい)というような話をしたことがある。

これをまともに受けたのだろうか。それとも、札幌価格なのだろうか。

自由が欲しいということを受けて、私の労働条件は月の16日働けば良いというものだった。

そうか、月の半分だから、給料が他の人の半分なのか、それならしょうがないかと納得した。

ところが、これが馬鹿だった!

一月は30日か31日なので、月の半分だと思ったのだ。それがそうではなく、平日の16日だったのだ!月曜から金曜まで平日は週5日である。つまり、20日のうちの16日だった。やれやれ、これでは5分の4ではないか。

だったら、もっと給料上げてくれ!

むなしく叫んでも、もうしょうがない。あと8ケ月は、これで行くしかない。

間に入っていた社長さんにこの間問い合わせたところ、知らない振りをしたが、担当者に聞いたところ、最初から週4日ということで話を進めていたらしい。

まぁ、新しいスキームを入れるために、いろいろと譲歩したり、ご苦労されたのだろうけど、なんだか嵌められた感じだ。

この社長さんは、元、札幌地区では、トヨタのトップセールスマンだったというから、交渉ごとは得意なのだろう。私には、柔軟にやって下さいということであった(東京に居るのを上手く出張にするなど)。

武士は、融通が利かないので、こうしたことをやるのは良心の呵責に耐えられない。こんな私が、この産学連携事業の事業化担当というのだから笑ってしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新仕事2日目

今日は、いろいろな打合せもあり、道庁に挨拶に行き、ようやく仕事の概要が分かった。

仕事場は、札幌駅北口すぐのビルの8階なので、窓から山もうっすら見えるが都会なので大変便利だ。食べ物やも大きな本屋も電器屋も複数ある。映画館もある。郵便局も銀行もある。すぐ隣がコンビニだ。周りには、林しかなかった北広島の前の職場と比べると夢のようだ。

しかし、昨日、暇だし、せっかく都会だしと、昼に蕎麦を食べに行ったら、繁華街だけあって、サラリーマンだけでなく家族連れも合わさるので、ものすごく時間がかかることが分かった。そこで、これから、やはり隣のコンビニでおにぎり、サンドイッチを買うことにした。

ビルのなかの食堂ではなく、路地にあるひなびているが美味しい店がないかと思っているのだが、札幌のように区画がきれいになっている街では、なかなかそうした楽しみはなさそうだ。

それでも、これは5日目になる金曜日には、北口の裏側に、そこそこの手打ち蕎麦やと古い蔵をギャラリーとコーヒーショップにした店を見つけた。サボる場所が見つかったのでちょっとうれしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いよいよ新仕事

8月1日から、いよいよ札幌で新しい仕事に就く。

前職では、研究室に資料や本がたくさんあり、それをともかく札幌自宅にしまいこんだのだが、新しい仕事をしやすいようにと、札幌入りした二日間で、書棚の整理をした。

のろまなので、予想以上に時間がかかり、明日から仕事だからと思いつつ、夜中までかかってしまった。

初日から遅刻もなんだろうと思い、フラフラしながらも朝起きてちゃんと朝食も食べ、Tシャツだが、洗いさらしではなく、洗濯やに出したのを着てでかけた。

しかし、約2週間前に挨拶などはしていたこともあり、たんたんと時間が過ぎただけだった。いつもは月曜日朝に行われる打合せ会も、今日は、出張の人が多いため明日になり、所在無い一日であった。

たまたま集中講義の成績表の付け直し作業があったので、それを片付け、机を整理し、PCを使えるように設定し、以前もらっていた資料を読み直してほぼ終わってしまった。

なんだか拍子抜けしてしまった。

寝不足だし、5年ぶりにいわゆるお勤めをしたので身体はくたびれているのだけれど、気分的に落ち着かず、よせばよいのに、「バットマン・ビギンズ」の映画を見てしまった。

渡辺謙が悪者で出演しているとの宣伝文句だったので、どんなに活躍するのだろうと期待していたが、これも最初に出てくるだけで、後は変身?した白人が演じるので、つまらなかった。

これも拍子抜けしてしまった。

戻ってから軽い食事をしてすぐ寝ようと思ったのに、なんだか自分を取り戻さないと落ち着かなくて、「地域情報化研究会」での私の分担分について、知人にメールで問い合わせるという作業を延々とやってしまった。

朝方4時になってしらじらと明けてきてしまった。こりゃ大変と寝床に入る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

恵比寿駅のタクシー乗り場

合宿後、恵比寿駅から自宅に向かおうとした。

合宿中に大きな揺れがあり、東京地域に地震があったことは理解していたが、まさか山手線が止まっているとは思っていなかった。

このため、恵比寿の駅ビルで今晩のおかずを購入し、約1時間分の保冷財を入れてもらって山手線に乗り込んだものの、一向に動く気配がない。

合宿の荷物とおかずを購入してしまったため、細々動いている埼京線に乗り換えるのは躊躇われた。それでなくても、足元がおぼつかないのに、大荷物を持っているため、満員だったらどうしようもないからだ。

また、仮に新宿駅まで着いても、そこから西武新宿の駅まで歩ける自信がない。西武線が動いていないかもしれない。

そこで、タクシーを奮発することにして、駅に敷設の乗り場に並んだ。

そうそう、そういえば、その前に大変なことがあった。いつもは、SUICAがまさにスイスイ出入り出来るので気に入っていたのだが、いったん改札してしまうと、同じ駅ではSUICAで出られないのだ!こういう事態で混雑しているにもかかわらず、駅員の居るところでSUICAのメモリーを消去してもらわないと出られない。まずは、ここで並ばなければならなかった。

それでも、皆文句も言わずに並んでいたのだが、こういうときには、改札をオープンに出来ないものなのだろうか。今回は、たいした地震ではなかったのだが、それでも、これだけ大変だったのに、本当にひどい地震だったときにも改札から出れなかったら大変だ。

さて、当然のことながら、タクシー乗り場は長蛇の列であった。それでも、こういう事態なのだからとあきらめて待つことにした。

ところが、乗り場が改札口から少し奥まったところにあることもあって、人を降ろしたタクシーが、改札から出てきた人にすぐに乗られてしまうのだ。構内に乗り場があることはタクシーの運転手なら知っているはずだから、こちらに来てくれるだろうと待っているのだが、ざっと1~2割程度しか回ってこない。

道路が混雑していたり、お客が遠方まで乗るので、タクシーが駅に戻ってこないなら、まだ諦めもつく。しかし、やっと来たと思うとすぐに目の前で逃げられては、どうにも頭にくる。並んでいるのは、私のように荷物が多い人やあかちゃんを抱えているなど、抜け駆けができない人である。ルールを守っているほうが損をするのはどうにも腑に落ちない。

私がブツブツと「あれはないよなぁ」と言ってみたが、私の前後の人は誰も怒らない。私にうなずく人も居ないので、これにも驚いた。どうして怒らないのだろう。

タクシー近代化センターに電話をして怒りをぶちまけようと思ったが、電話番号が分からない。落し物はどこどこへと書いたポスターが貼ってはあるが、肝心の電話番号のところが磨り減って読み取れない。

誰かが私にうなずいてくれたら、近代化センターかせめて大手タクシー会社の電話番号を近くの電話ボックスで調べたいと思うのだが、誰も同意してくれそうにないので、なすすべもない。よっぽど駅前のおまわりさんに電話しようかと思ったが、呼んでも無駄だと思って辞めた。

そのうちどうにも、頭に来たので、荷物を列に置いたまま、抜け駆けした客を乗せたタクシーの窓を叩いて運転手に文句を言いに行った。なかには、分かっているらしく、すみませんという顔をする運転手もいたが、おばさん何言ってんだという運転手もいた。

我ながら少々恥ずかしいが、そういう私に誰も同意しないのも不思議だ。まぁ、田舎のおばさんがみっともないと思ったのだろうが。どうしてこんなにされて暴動にならないのだろう!

まぁ、運転手の身になってみれば、乗車拒否はできないので、乗せてきた客を降ろしてすぐに人が乗ってきたら断れないのかもしれない。しかし、ずらっとタクシー乗り場に人が並んでいるのだから、「お客さん、乗り場に並んで下さいよ」とどうしていえないのだろう。

あるいは、普段恵比寿に来たことのないタクシーがたまたま恵比寿に来たので、乗り場があるのを知らないのかもしれないが、普通山手線の駅ならあるのは常識だろう。

そのうち、私の前に並んでいた人が諦めたり、家族が車で迎えにきたり、ある電車が動きはじめたなどで居なくなり、ようやく私も乗れた。その運転手さん(ここだけさんをつける)は、お客を降ろしたあとすぐに回送にして、こちらに回ってきてくれたらしい。・・う~ん、これは普段だと乗車拒否でいけないのかもしれないが。

1時間半待ったことになる。

乗れてしまうと、怒りも収まってしまったのだが、忘れないようにと近代化センターや朝日新聞やらにWEBで投稿しておいた。もっとも、返事もないけれど。

その後、パットナムの「哲学する民主主義」を読んだ。

  • 市民的な州における集団生活は、自分以外の人々もたぶんルールを守ると思い込んでいる。自分以外の人間が人をだますに違いないと思っておれば、交通法規、税法、あるいは福祉に関するわずらわしい細則を守るのはばかげてみえる(おひとよし、寝取られ男)。
  • 市民度が低い州の住民は、市民的な州の革新に基づく自制・自則を欠いているので、イタリア人が「治安の保護者」と呼ぶもの、すなわち警察に頼らざるをえなくなる。というのは、彼らには、市民的な州でより効果的に働く集団互酬性という水平的な絆が欠けているからだ。連帯と自制・自則が存在しないところでは、ヒエラルヒ-と腕力がアナーキーの唯一の代替物となるのである。

この日の恵比寿駅では、タクシー乗り場に並んでいる人は、「おひとよし」ということになる。日本は、ルールを守らない、したがって、警察に頼らざるを得ない国民のようだ。でも、1時間半もルールを破られているのに、文句も言わないで並んでいるというのも不気味だ。市民度が低い州では、市民はあきらめきっている(無力感を感じている)とも書かれている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

頭が動く

集中講義終了後すぐに「地域情報化研究会」の一泊二日の合宿に参加した。

実際に地域でITを使ってさまざまなことをやっておられる方々(コアラやインターネット市民塾)の報告のあと、研究者がそれぞれの分担について報告し、その後、地域情報化の定義などについて議論が進められた。

私は、地域情報化についてまだ獏としており、自分が何を書けるものか分からずに参加しているのだが、驚いたのは、いろいろな方々の報告や議論を聞いていると、頭が動きだし、アイデアが湧いてくるのだ。

湧いたアイデアが素晴らしいかどうかは別として、「先のAさんの報告は、このように考えたらよいのではないか」とか、「先のBさんの報告を踏まえ、私はこのように理解しました」などと黒板に絵を書いて説明しはじめたのだ。

そういう自分に我ながら驚いて見いってしまった。

前に、Regional Innovationのブログで、メイ・ロスフィールドさんがブログを例に、ネットワークの3つ階層性について述べているのを紹介したが、この研究会の場が、3つのうちの創造的ネットワークにあたったのだろうか。

  • 創造的ネットワーク:ネットワークの大きさは最大12、リンクはフラット、ブログの性格はコラボレーション

この合宿では、出入りする人もいたので、円卓には20人くらいが常時座っていたと思うので、12人ではないけれど。

4年間の大学での刺激の少ない生活、その後約半年のプータロウ生活の後だっただけに、合宿での議論の場に参加し、頭が刺激のマッサージを受けたという感じだ。

本当に優れた頭の持ち主なら、一人で瞑想し、あるいは読書によって頭を刺激することが出来るのだろう。でも凡人の私には、いろいろな意見を持つ人々と同じテーマで議論することで、ようやく頭が動くらしい。

その後、家に帰って本を読んだが、やっぱり頭は動いてくれない!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

キタラとPMF

久しぶりに元同僚が顔を出したというので、食事でもと思ってくれたようなのだが、あいにくコンサートのチケットを買ってしまったという。

この先生は、冬はスキー三昧、夏はプール、昼はドライブ、夜はコンサートと単身赴任を楽しんでおられる。

札幌市の音楽ホール「キタラ」は、音が良いので有名なのだが、行くチャンスがなかった。また、毎年行われているPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)にも興味があったが、これもこれまで夏には東京に戻っていたので味わうチャンスがなかった。

先生が買われたチケットは、PMFのコンサートで、キタラで行われるというので、ご一緒させていただいた。地方都市の良いところは、思い立ったその日にチケットが購入できることだ。当日券だったが、良い席が手ごろな値段で手に入った。奏者は、東京クヮルテットで、仕事後に楽しむには丁度良い軽さのコンサートであった。

PMFは、若手音楽家の育成を目指した国際教育音楽祭で、毎年夏に札幌を会場に行われ、1990年にはじまったというからもう17年目になる。

よく知らないが、世界中でオーディションを行い、そこで選ばれた若手音楽家が毎年夏に札幌で1ケ月間著名な音楽家から指導を受けられる仕組みらしい。こうして札幌に来た音楽家がコンサートを開催するので、市民も一流の音楽に親しむチャンスが得られる。

コンサートホールで行われるだけでなく、芸術の森の野外ステージ、市役所や駅のホール、病院や学校などでも演奏会が催される。ついでに、東京のサントリーホールや万博会場にも立ち寄る。

この仕組みは、なかなか素晴らしいが、どこまで市民に喜ばれているのか、あるいは、この時期を狙って、観光客がやってくるまでになっているのか分からない。

以前イタリアに行った折、やはり、夏には、一流の芸術家が世界中からやってきて、教会の中庭、古い建物の庭、野外ステージなどなど、街のあちこちで毎晩のようにコンサートや演劇が催されていた。

夕方、まだ明るいうちから始まって、だんだんと空が群青色になっていく。夏の夕暮れならではの風が心地よい。木がさわさわと揺れている。石の壁・石畳だからか、バイオリンの音がそれはそれは良い響きだ。

場所にもよるだろうが、確か1500円くらいだったと思う。このコンサートを楽しみにしてやってくる観光客も多いと聞く。

食事をしてから、こうして気楽にコンサートを楽しめるのは、小ぶりな都市ならではだ。札幌もそういう意味では、都市機能と田舎機能が合わさっている心地よさがある。でも、なんとなく、クラッシックだと、まだ構えている感じがある。

札幌は、公園やホールなどの建物は立派なのだが、イタリアのように古い建物の中庭といった風情あるたたずまいの場所がないからなのか。もっと街に溶け込んで欲しいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

兼任講師

集中講義のために前の職場に戻った。

久しぶりに授業をしてみると、気分的に抜けたせいか、集中講義なので落ち着いているせいか、前より気持ちよく講義が出来る。

ゼミを受け持っていた学生が相談したいことがあるというので回転寿司をご馳走した。以前は、食事をするならゼミ生全員でないといけない(エコ贔屓になる)とか、学生の車に乗ってはいけない(事故の時困る)と規制していたが、もうタガをはめなくても良いだろうと思ったのだ。

以前から、授業に力を抜き、学生ともっと気楽につきあえば楽しい学園生活を送れたのかもしれない。「教授」を捨てて「兼任講師」になるなんてもったいなかったかなぁとちょっと思う。

でも、残っている同僚たちが忙しそうなのを見ると、やっぱ辞めてよかったんだろう。

今年度から新カリキュラムとなり、受け持つ授業が倍くらいになっているはずだし、入試や就職の手伝いもある。授業や研究の蓄積がある先生なら、教育と研究を両立させられるのだろうけど、私のようなのろまは、とても自分の時間を作れそうにない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

集中講義

前職の大学は、完成年度(4年間)が終わり今年度からカリキュラムが変ったのだが、既に入学している学生は、前のカリキュラムで受講することになっている。このため、私が急に辞めたものの、新任の先生を雇わず、私が集中講義で補うことになった。

そこで、夏休みに入ってすぐの4日間で半年分の講義をまとめて行うことになった。

毎週の1時間半の講義ですら持たない学生たちが、朝9時15分から16時10分までの長丁場を4日間も持つのだろうかと心配であった。私自身も、毎週毎週講義の準備でフーフー言っていたのだから、やりきれるだろうかと思った。

このため、毎回、問題意識を持って授業に臨んでもらえるよう、最初に授業に関係あるドリルをやらせるようにしてみた。飽きないように、ビデオの用意をしたり、途中でワークショップの真似事を取り入れるようにした。中間テストも行って、間で締めるようにもした。できるだけ、双方向の授業になるよう、前に出てきて発表したらボーナス点をあげるなどの工夫もした。

授業間の休憩時間は本来10分なのだが、少し余計に取るようにした。それでも、1日4時限は、なかなか体力的に厳しい。足が棒のようになるし、喉も嗄れる。目も充血する。

しかし、まとまってやる授業は、私にとって落ち着いて心地よかった。たぶん学生もそう感じたのではないだろうか。最後に試験もやってしまうのだが、まあまあの出来であった。もっとも、覚えたてで試験に臨めるからで、分かったような気がしても、おそらくすぐに忘れてしまうのだろうけれど。

勤務していたときには、私の受け持ち講義の時間割は、いつも一時限目であった。このため、どうしても遅刻や欠席が多い。出席点が欲しくて来ていても、バイト明けで寝ていることも多い。学生によっては、ある授業しかない曜日もあり、その日はサボりがちとなる。

だから、こちらの計画通りに授業を進めると、話が分からなくなり、だんだん落ちこぼれる学生が増えてくる。集中講義の場合には、4日間でれば(もちろん試験に合格すれば)単位が採れるのでほぼ休まず出てくるし、一度朝出てくれば、まぁだいたい一日中居ることになるので、講義の話がつながる。こちらも、分かっていないなと思えば、補充もしやすい。

集中講義ばかりでは、これまた大変だろうが、もしかすると、だらだら半年講義をするよりは、良いのではないかと思う。時間割を工夫するのも一考だろう。・・・まぁもう退職してしまったのだから関係ないけどね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »