恵比寿駅のタクシー乗り場
合宿後、恵比寿駅から自宅に向かおうとした。
合宿中に大きな揺れがあり、東京地域に地震があったことは理解していたが、まさか山手線が止まっているとは思っていなかった。
このため、恵比寿の駅ビルで今晩のおかずを購入し、約1時間分の保冷財を入れてもらって山手線に乗り込んだものの、一向に動く気配がない。
合宿の荷物とおかずを購入してしまったため、細々動いている埼京線に乗り換えるのは躊躇われた。それでなくても、足元がおぼつかないのに、大荷物を持っているため、満員だったらどうしようもないからだ。
また、仮に新宿駅まで着いても、そこから西武新宿の駅まで歩ける自信がない。西武線が動いていないかもしれない。
そこで、タクシーを奮発することにして、駅に敷設の乗り場に並んだ。
そうそう、そういえば、その前に大変なことがあった。いつもは、SUICAがまさにスイスイ出入り出来るので気に入っていたのだが、いったん改札してしまうと、同じ駅ではSUICAで出られないのだ!こういう事態で混雑しているにもかかわらず、駅員の居るところでSUICAのメモリーを消去してもらわないと出られない。まずは、ここで並ばなければならなかった。
それでも、皆文句も言わずに並んでいたのだが、こういうときには、改札をオープンに出来ないものなのだろうか。今回は、たいした地震ではなかったのだが、それでも、これだけ大変だったのに、本当にひどい地震だったときにも改札から出れなかったら大変だ。
さて、当然のことながら、タクシー乗り場は長蛇の列であった。それでも、こういう事態なのだからとあきらめて待つことにした。
ところが、乗り場が改札口から少し奥まったところにあることもあって、人を降ろしたタクシーが、改札から出てきた人にすぐに乗られてしまうのだ。構内に乗り場があることはタクシーの運転手なら知っているはずだから、こちらに来てくれるだろうと待っているのだが、ざっと1~2割程度しか回ってこない。
道路が混雑していたり、お客が遠方まで乗るので、タクシーが駅に戻ってこないなら、まだ諦めもつく。しかし、やっと来たと思うとすぐに目の前で逃げられては、どうにも頭にくる。並んでいるのは、私のように荷物が多い人やあかちゃんを抱えているなど、抜け駆けができない人である。ルールを守っているほうが損をするのはどうにも腑に落ちない。
私がブツブツと「あれはないよなぁ」と言ってみたが、私の前後の人は誰も怒らない。私にうなずく人も居ないので、これにも驚いた。どうして怒らないのだろう。
タクシー近代化センターに電話をして怒りをぶちまけようと思ったが、電話番号が分からない。落し物はどこどこへと書いたポスターが貼ってはあるが、肝心の電話番号のところが磨り減って読み取れない。
誰かが私にうなずいてくれたら、近代化センターかせめて大手タクシー会社の電話番号を近くの電話ボックスで調べたいと思うのだが、誰も同意してくれそうにないので、なすすべもない。よっぽど駅前のおまわりさんに電話しようかと思ったが、呼んでも無駄だと思って辞めた。
そのうちどうにも、頭に来たので、荷物を列に置いたまま、抜け駆けした客を乗せたタクシーの窓を叩いて運転手に文句を言いに行った。なかには、分かっているらしく、すみませんという顔をする運転手もいたが、おばさん何言ってんだという運転手もいた。
我ながら少々恥ずかしいが、そういう私に誰も同意しないのも不思議だ。まぁ、田舎のおばさんがみっともないと思ったのだろうが。どうしてこんなにされて暴動にならないのだろう!
まぁ、運転手の身になってみれば、乗車拒否はできないので、乗せてきた客を降ろしてすぐに人が乗ってきたら断れないのかもしれない。しかし、ずらっとタクシー乗り場に人が並んでいるのだから、「お客さん、乗り場に並んで下さいよ」とどうしていえないのだろう。
あるいは、普段恵比寿に来たことのないタクシーがたまたま恵比寿に来たので、乗り場があるのを知らないのかもしれないが、普通山手線の駅ならあるのは常識だろう。
そのうち、私の前に並んでいた人が諦めたり、家族が車で迎えにきたり、ある電車が動きはじめたなどで居なくなり、ようやく私も乗れた。その運転手さん(ここだけさんをつける)は、お客を降ろしたあとすぐに回送にして、こちらに回ってきてくれたらしい。・・う~ん、これは普段だと乗車拒否でいけないのかもしれないが。
1時間半待ったことになる。
乗れてしまうと、怒りも収まってしまったのだが、忘れないようにと近代化センターや朝日新聞やらにWEBで投稿しておいた。もっとも、返事もないけれど。
その後、パットナムの「哲学する民主主義」を読んだ。
- 市民的な州における集団生活は、自分以外の人々もたぶんルールを守ると思い込んでいる。自分以外の人間が人をだますに違いないと思っておれば、交通法規、税法、あるいは福祉に関するわずらわしい細則を守るのはばかげてみえる(おひとよし、寝取られ男)。
- 市民度が低い州の住民は、市民的な州の革新に基づく自制・自則を欠いているので、イタリア人が「治安の保護者」と呼ぶもの、すなわち警察に頼らざるをえなくなる。というのは、彼らには、市民的な州でより効果的に働く集団互酬性という水平的な絆が欠けているからだ。連帯と自制・自則が存在しないところでは、ヒエラルヒ-と腕力がアナーキーの唯一の代替物となるのである。
この日の恵比寿駅では、タクシー乗り場に並んでいる人は、「おひとよし」ということになる。日本は、ルールを守らない、したがって、警察に頼らざるを得ない国民のようだ。でも、1時間半もルールを破られているのに、文句も言わないで並んでいるというのも不気味だ。市民度が低い州では、市民はあきらめきっている(無力感を感じている)とも書かれている。
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