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2005年9月27日 (火)

ガトーキングダム

連休2日目は、秋晴れ。本当は、昨日一日映画のはしごをして遊んだので、勉強しなくてはと思っていたのだが、朝から電話で母親と喧嘩して面白くなかったこともあり、今日も遊びに行ってしまった。

車の運転が出来ないので、バスとか電車で行ける遊び場所を常日頃チェックしておかないと、こういうとき困る。思いついたのが、ガトーキングダム・サッポロだ。勤務しているビルのそばにある札幌駅北口にいつも送迎バスが来ていた。

そこで、調べると、温泉2時間800円というので、急遽行くことにした。

北口からバスで40分くらい、石狩湾に近い。ここは、昔、拓銀破綻の一因となったテルメという施設で、長い間そのままになっていたのを例の山梨のお菓子やシャトレーゼが購入して再建したもの。施設はそのままらしい。

風が強かったが(石狩平野はもともと風が強い)、気持ちよい晴天だったので、まずは、湖みたいになっている茨戸川でスケッチを楽しんだ。海岸沿いに風車が一台回っている。ホテルの裏川は、ボートの競艇場になっているようで、何かの大会をやっていた。

シャトレーゼは、なんだか凄い。山梨で昭和30年に今川焼き風のお菓子の販売からはじまるらしいが、全国展開して、売上高が500億円くらいらしい。地元でワイナリーやゴルフ場経営をはじめてノウハウを得、北海道の経営破たんしたゴルフ場などを安く買収し、今では4つくらい経営しているようだ。栗山町の山のてっぺんにあるホテルとゴルフ場も見晴らしが良いし、温泉もあるしでナカナカ良い。

北海道のレジャー施設は、難しい面がある。

本州のお客を狙って高級サービスにすると、料金を高く設定せざるをえない。すると地元のお客は来なくなる。おそらく、8掛け以下にしないと地元民は来ない。バブルの頃に建てられたリゾート施設の多くは、本州のお客を狙っていたが、バブルがはじけると、地域間競争に勝てなくて倒産する。

シャトレーゼは、おそらくこうした施設を安く購入し、サービスを省いて安く提供しているのだろうと思う。そうなると、本州からわざわざ来ないかもしれないが、地元リピーターが増えるというやり方なのだろう。

もっとも、テルメは、バブルの頃に年間55万人来たというから、もともと地元民も結構きていたのかもしれない。今でも、大きなプールやスライダーなどがあって、結構人気があるようだ。たまたまサウナで二人きりになった5歳くらいの男の子が、スライダーが面白かったと興奮してしゃべってくれたし、帰りのバスでも、子供たちが口々に面白かった~ぁと言っていた。リピーターも多いみたいだ。

施設は、当時と変っていないらしいから、もともと、なかなか良く出来た施設だったのだろう。車などの呼び出しアナウンスで旭川や函館からお越しの・・といっていたから、結構遠くから来ているようだ。夏休み中は、かなり混雑していたに違いない。

でも、冬はどうなんだろう。温泉とゴルフ場だけで、人が来るのだろうか。夏だけである程度の採算がとれるのだろうか。もっとも、ホテルの洋・中華のバイキングもお得らしい。中国人の案内人がちゃんと居たから、中国からの観光客を狙っているのかもしれない。

ともあれ、温泉800円、忘れたけど昼食にラーメン数百円で一日楽しんだ。もちろん、アイスクリームやジャムを購入して帰った。そういえば、車で来ている家族連れなのか、大きな箱にたくさんケーキを買って帰る人も多かった。

家族皆で来て、一日楽しみ、ちょっとした幸せを味わうのに、ちょうど良い価格帯を心得ているんだろう。

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「映画」とか特定のキーワードを自動的に検出するらしく、記事を書くとすぐにエッチサイトからのトラックバックが来る。早目に気づいて、削除すれば今のところ問題ないけれど。

それにしても、迷惑メールと言い、ワン切りと言い、次々と良くこういうことを考え出すものだと感心する。

私が今やっている仕事は、国からのお金に道や市が追加支出をして成り立っている事業なのだけれど、こういう公的なお金を上手に使って成り立っている企業が群がっている。

「ベンチャー」とか、「NPO」とか、名前は格好よいけれど、中身はこういうお金を上手に回しあっているみたいだ(まぁ、これは、野村総研とか三菱総研だって同じことで、北海道の企業だけ文句を言うのも片手落ちかもしれないけれど)。

私は、最初、私のいる財団が、主体性がなく、国からの補助金の受け皿になっているのに腹を立てたのだけれど、どうやら、そのお蔭で、「ベンチャー」やら「NPO」やらが成り立っているらしいのだ。

たとえば、北海道のシンクタンクのレベルは低いのだけれど、役所も依頼する先がないと困るので、数社を使いまわす。シンクタンク数社は、これだけで十分やっていけるので、技を磨く必要はない。HP制作、パンフレット制作、海外展示会の世話、などなど、事業所向けサービス業の多くが、役所のお金で回っているのだ。

だから、役所が頼みそうな仕事で、これまで北海道にはなかった業種・能力を持っていれば、小さな所帯なら十分やっていける。これはこれで確かにベンチャーだし、本州の企業に仕事を出していた時よりは北海道経済にプラスなのだけれど、競争もないし、真の競争力はつかない。

「ベンチャー」や「NPO」は、立ち上げが大変だから、特に、経済規模が小さく、底が浅い北海道では大変だから、補助金事業で下支えをしている、というなら話が分かる。しかし、志や看板は自立であっても、分け前に与るグループに一度入ってしまうと、次第に性根が腐ってくるのではないだろうか。

補助金を上手に使うのは確かに才覚である。次々と補助金を使いまわしする仕組みをよくも考え出すものだと感心する。しかし、競争原理が働くようにしないと、いつまでたっても足腰の弱い北海道経済のままになってしまう。

最大の企業が役所であるような経済だと、役所の仕事を獲得する能力こそが生きる術なのは仕方ないのだろうか。

・・・ここまで悲観的に書いてきたが、知人の顔を思い出した。

彼は、はみ出し者なのだが、そのお蔭で、補助金を分配するメンバーには入れず、一歩一歩、市場創造をして足場を固めてきた。

その代わり、かつて給料が支払えなかった折には、先に書いたワン切り的な怪しい仕事で乗り切ってきたとのことだ。だから、今仕事があまるほど来ているけれども、社員を増やすのが怖くて、仕事を断っている。冗談で、一人当たり売上高一億を目指したいと言っていた。

こういう野蛮な企業が増えて、ひ弱な補助金グループを一掃してもらいたいのだけれど。

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2005年9月26日 (月)

自分をずらす

最近、自分は何をやっているんだろう?!と日々思い、あるとき、「ずらす」という言葉を思いついた。

ちょうど次の日に、「放送と通信の融合」というお題で何かしゃべらなければならず、グローコムの「智場」という雑誌に掲載されていたホリエモン騒動についてのシンポジウムの記事を読んでいた。

そうしたら、前の記事に書いた宮台さんの文章に出会い、今さっき思いついた「ずらす」が二つに整理されていたので驚いて、なんだか嬉しくなった。

私は、幸いなことに?長銀破綻によって、定年前に急遽いろいろな職種を体験することになった。ここまでは、外的要因で職種変更だったのだが、今回大学を辞めたこと、次の職場に移ったことは、流された面もあるけれど、一応自分で決めたことだ。

どうして、いい加減でも先生を続けなかったのだろう、どうして、こんなヘンな仕事についてしまったのだろう・・と毎日思うのだ。

そして出した結論が、頭の良い人は、頭のなかだけでいろいろなことを洞察することが出来るのだけれど、私は、頭が悪いので、自分をずらすことによって、考えるきっかけを得ているのだ・・・というものだった。

そうしたら、宮台さんの整理に出会った。

うん、そうか。頭のいい人はカント的に考えられるんだ。でも、私はヘーゲル的に時間をかけて、リスクがあるけれども、いろいろな立場を得て、ようやく世の中のことを理解できるようになるのだろうと納得した(宮台さんの整理とは一致しているかどうか分からないけど)。

まだ、自分のポジションの変化を咀嚼しきれていないのだけれど、上記のように理解して、嫌なことも、考えるヒントの一つと思うことにした。

哲学するココロですよ、なんてカッコいいんでしょう!

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映画のはしご

「チャーリーとチョコレート工場」

予告編を見たときには、甘ったるいチョコレートの臭いがきつそうで見てると嫌になってしまいそうだった。前にお菓子工場を見学したとき、甘い臭いが漂っていて、これを一日中かいでいたら気持ち悪くなっちゃうだろうなぁと思ったことがあるからだ。なんでも、「ちょっと」が良い。でも、当然のことながら、臭いは映画館には漂わなかったので、大丈夫だった。

40年以上世界でベストセラーになっている原作というだけあって、単純ではないのが面白かった(といっても、単純だけど)。

天才チョコレート職人の工場長ウォンカが5人の子供と親たちを工場に案内しながら、育ち方の悪い(食べすぎ、エリート意識過剰、何でも買い与える、頭が良くて他人をバカにする)子供と親をそれぞれ懲らしめていくというストーリーで、最後、貧乏だけど家族想いのチャーリーにチョコレート工場を譲渡するという話。

ところが、チャーリーが家族と住めないなら工場は要らないと断ってしまう。喜んでもらってくれるだろうと思っていたのに、予想外の反応で、ウォンカは、気分が悪くなりチョコレートのアイデアが浮かばなくなる。

・・・子供の頃に虫歯になるからと歯医者の父親から大好きなチョコレートを取り上げられていたのに反発してスイスに留学し、世界一のチョコレート工場を作った。家族は、自分の望みを阻むものだとして、拒否し続けてきたのに。・・・年老いた父親と再会し、家族の温かみを理解、それからまたチョコレートづくりが楽しくなった、というようなお話。

もっとメルヘンチックなのかと思ったら、4人の子供がやっつけられてしまうし(映画のなかで最後まで救われない)、天才チョコレート職人のウォンカも立派な人ではなくて、ヘンな人だし、工場で働いていて、何かことあるごとに踊る小人も可愛らしくなくて、荒井注みたいなおじさんなのもヘン(だから普通じゃなくて面白かった)。

また、普通なら、チャーリーが工場より家族が大切といったところで終わりそうなのだけど、その後ウォンカが気が滅入ってしまうという後半があるので、ちょっと人生訓的な映画になっている。

映画の最初に、ディズニーランドのスモールワールドのような舞台装置が最初幸せそうに始まるのだけれど、終わりは火を噴いて焼けちゃうのも、ディズニー嫌いの私にとっては気持ちよかった。

ディズニーは、嘘と分かっているのに、一日楽しい主人公になって遊ぶなんて、すごい欺瞞な設定だと思って気持ち悪い。・・でも、これが世界中の人に愛されて、リピーターが多いというのも実に気持ちが悪い。・・これって、私がひねくれ者だからなのかと思っていたのだけれど、この映画の監督さんも、きっと私と同じ思いなのだろうと思ってホッとした。

いちばん好きだったのは、チャーリーのおじいさん。たぶん一番子供らしい。大好きなチョコレート工場に見学にいけるので、一番ワクワクして、目を輝かせ、タップまで踏んでしまう。なけなしのへそくりで切符を手に入れようともう一個チョコレートを買わせたりする。私も、こういうおじいさんで居たいと思う。

宮台真司さんが、「教養と批判」というようなことを述べていて、教養というのは、可愛い子には旅をさせよといって、時間をかけて自分のポジションを再定義するというもの(自分をずらす:ヘーゲル的)。批判というのは、従来想定してきた前提に違う前提をぶつけて対象をずらすというもの(自分がずれるのではなく対象をずらす:カント的)。

この映画は、教養にあたる。昔からある話で、人生を経たら、親のありがたみや家族の暖かさが分かるようになるというもの。

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2005年9月25日 (日)

映画2つ

札幌に戻って先週3日間、夜も寝ないで仕事をしたのに、道庁が承諾していない話は載せないほうが無難ということになり、くたびれ果てたのと、面白くない。

そこで、連休1日目は、雨模様でもあり映画を見に行った。

最初は、頭空っぽでも楽しめると思って「ルパン」を見に行った。

それなりに面白かったし、相手役の女性はとてもきれいだったけど、「ルパン三世」が好きな私にとっては、あまり痛快ではなかった。

だいたい、フランス人の美男子って、あんな風なのかしら。ルパンのお父さんも、もみ上げがあって、狼みたいだった。なんだか毛深そうで好きになれないけど、フランス人でも地域ごとにいろいろタイプがあるのかも。

「ルパン三世」のうそ臭い痛快さ(日本刀でいろいろなものが切れちゃうとか)とテンポが大好きなので、生身の人間がやる映画が重ったいのはしょうがないのかもしれない。

ルパンのお父さんは、本当の悪党で、子供のルパンはお母さんの血が流れているので、性根は善人。お父さんが最後に息子を殺してまで財宝を得たがるというのは、世の中そういう事件も多いけど、なんだか白ける。

100歳生きている化け物みたいな女性も、100歳が何万人もいる現在の日本からすると白けてしまう(もっとも、おばあさんではなく、色っぽい設定なのだが)。

そこで、暇だし、何かするのも嫌だったので、映画のはしごをした。

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存在証明

このブログも、ずいぶんと間遠になってしまい、内容も一貫していないでめちゃくちゃになってきた。だから、辞めちゃおうかとも思ったが、まぁ存在証明のようなつもりで、続けることにした。

いろいろな出来事や、その都度想いはあるのだが、いろいろと忙しくて、夜になると、頭に文章を書くだけの力が残っていなかったのだ。

今日は、3日間連休で、しかも、ずっと札幌に居たので、少し頭に余裕ができた。

久しぶりだと、何から書こうか迷ってしまうが、思いつくままに記しておこう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

まず、以前、東京で地震があり、恵比寿駅でタクシー乗り場に並んでいたのに、駅から降りてすぐの人が捕まえてしまい、ず~っと乗れなかった話をブログに書いたが、その内容が東京新聞に載ったというご報告。

その日、やっとタクシーに乗れて、遅く帰宅し、帰れてしまうと、本当は、もうどうでも良くなっていたのだけれど、やっぱ怒りをちゃんと示したいと、このブログにも書き、タクシー近代化センターや、投稿できる新聞社複数社に投稿しておいたのだ。

タクシー近代化センターは、問合せには、電話で応えるということだったのだが、自分自身が札幌と東京のどちらにいるか分からなかったので(携帯電話は耳が遠いらしくて聞き取れない!)、返事不要としたせいか、何も言ってこなかった。メールで問い合わせたのに、メールで返信してくれないのに不満だったこともある。まぁ、きっと、いい加減な苦情が多いからなのかもしれないが。

どことどこに投稿したのか忘れてしまったが、そんなわけで東京新聞の声のようなところに掲載された。実は東京新聞を購読しているわけではなく、掲載されたのを知らなかったのだが、小切手が1000円分送られてきたので、そうと分かった。図書館で新聞の記事をコピーしておいた。

ま、これで当日の怒りはチャラ・・と思う自分も小さいなぁと思うけど。

モチロン、今後も、ソーシャルキャピタルと公共性については、考えて行きますヨ!

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2005年9月 2日 (金)

ジャンヌダルクになれない

今度の仕事は、産学連携を仕事しながら観察できる。大学では、産学連携や地域経営などを研究しており、それを外からではなく、なかから観察できる良いチャンスに思えた。

最近では、国立大学のなかに、産学連携を仕事とするセンターができ、そこに外部から助教授などの肩書きで人を雇っている。この先生の多くは、学生に教えるのではなく、専ら大学発ベンチャー支援や研究を企業に結びつけるといった仕事としている。彼らは、実際に仕事をしながら、それについて論文を書いたり、講演したりしている。こういうポジションがうらやましいと思ったこともあった。しかし、自分では、やはり人のために奔走するのは性に合っていないと思い直していた。

ところが、今度の仕事は、札幌IT産業を活性化させるためのビジョンと具体的な方策づくりだという。個々の案件の事業化はコンサル経験のない私には難しいけれど、ビジョンづくりならやれるのではないかと思って、アクションリサーチのつもりで引き受けた。

しかし、霞を食ってきた人間が現場に入ってみると、これはやはり身に余る。

第一には、地元の人にしかわからない人や組織の確執があることだ。

同じサッポロバレーの企業でも、派閥のようなものがあるらしい。もともとは同じ会社を立ち上げたのだが、今では、犬猿のなかという社長同士もいるらしい。つまり、意見をまとめあげるのも大変だし、誰かをトップにかつぐこともできない。誰がが言い出したことは誰かは聞かないのだ。

第二には、日本の財団は、単なる補助金の受け皿でしかないということだ。

私は、北欧の産学連携の仕組みを学んできたのだが、たとえばフィンランドのオウルのテクノポリスのように、第三機関がエンジンとなって、地域の産学連携を引っ張っている。この機関のボードメンバーには、市長、学長、経済界の代表が入っていて、大きな方針のもと、この機関にエンジンとして動くよう委託している。つまり、ボードメンバーは株主だが、機関の長は社長といった感じだ。

私がいるのは、仕組みは同じ財団なのだが、どうやら、国の補助金の受け皿でしかなく、財団そのもの(地元のボードメンバー)が大きな方向性を決め、財団が判断して動けるようにはなっていないらしい。財団が何か決めるには、道庁の意向を聞かなければならないし、市や経済産業局にも根回しをしなければならない。では、道庁には、政策を考え、実行するだけの力があるかというと、そうでもないように見受けられる。

同じ補助金を受けるにしても、財団が機動的に判断する力があれば、もっと有効なお金の使い方ができるだろうに、もったいない。テクノポリスのような実行力のある財団にするには、どうしたらよいのだろう。知事がそうしようと政治的に判断し、実行すれば良いのだろうか。

第三に、札幌IT企業の熱意がまったく感じられないことだ。

デンマークのオールボーは、ワイヤレスバレーとして著名だが、そこでは、地元IT企業がロビー活動をして大学に必要な講座を作らせたり、インキュベーションをする第三者機関を設けている。ところが、サッポロバレーの企業からは、自分たちの地盤を強くするためにこういうことをやって欲しいといった強い思いが伝わってこないのだ。

非常に志のある社長が、札幌IT企業の底上げをするためのプラットフォームづくりをしたいとして、文部科学省から5年間で25億円も得る事業を取ってきたのだが、数社を訪問した限りでは、皆シラーっとしている。今現在、業績が厳しく、自分たちの足元しか見られないという状況だからだというが。

サッポロバレーの主役といわれた人たちもたぶんもう40代だ。この主役たち以外でよいから、小さくても良いから、元気ある企業から、是非こんなことがしたい、こうしたいのだが、という声が聞けないものだろうか。

らしい絵を描くことは簡単だ。

しかし、絵に描いた餅ではつまらない。私は神輿を担ぐのは好きだし、担がれるのも好きだ。ジャンヌダルクになりたいのに、民衆の声が聞こえなくては、旗が振れない。

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サイコロ人生

長銀が潰れたときも、本当は、嬉しかった。誰も長銀に勤めてくれと頼まれたわけでもないのに、それまでは、なんだか辞めてはいけないように思っていたのだが、それが急になくなって、空がぱぁっと晴れたような気がした。

私なんか、会社では、自由勝手に振舞っていたほうなのに、なんだか、社長も部長も意味を失ったことがざまぁみろという感じで嬉しかった。戦争が終わって、焼け出されたのに、皆の顔が晴れ晴れしていたというが分かるような気がした。会社が潰れて皆青くなっているのに、ニヤニヤしていると、不思議がられた。

本当は、あの時、辞めておけばよかったのかもしれない。でも、しばらくするとやっぱり不安な気もして、そのまま社会基盤研究所に移ってしまった。そして、行きたいと強く思ったわけでもないのに、人の紹介に任せて、大学教授に、しかも北海道に流れてきてしまった。

でも、サイコロではないけれど、コロコロころがって出た目に乗るというのも、ちょっと面白いかなぁと思ったのも確かだ。研究室の窓から学生たちがサッカーの練習をしている。最初に住んだマンションの五階の部屋からは、雪が残る青い山が見える。ちょっと新鮮だった。若々しい気持ちで働けるのではないかと期待に胸がふくらんだのも確かだ。

だけど、性に合わなくて辞めてしまった。辞めて嬉しかったのだから、そのままプータロウをしていたらよかったのかもしれない。でも、また、ここで、少しの不安があり、人の進めで今の仕事を引き受けてしまった。

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人生のリセット

前職を辞めた理由は、ブログのどこかに書いたかもしれないが。

大学では、もともと教え方に悩んでいたし、研究についても、体系を持っていないことから、どのように進めたらよいか悩んでいた。来年度からは、新しいカリキュラムになるのと、認可を取るために招聘していた東京在住の高齢の教授陣に辞めてもらうため、残っていると、受け持つゼミ生の数も増えるし、新しく受け持つ授業も増える。

今でも授業の準備にたいそう時間を取っていたのに、それが倍増する。おまけに私は、現代産業論のように、動いている産業を扱っているのだが、大学人になってしまうと、なかなか動いている産業の情報がビビッドに入ってこない。情報が入ってくる仕組みも作らなければどんどん世の中に遅れてしまう。

4年間、ある意味、夏休みもあるし、暇だったはずなのに、大学の紀要などに論文は書いたけれども、結局本を出すことができなかった。携帯電話の利用動向を本にしようともちかけて、知人と一緒に作成したのだけれど、それで講演依頼が来るような正の循環は起きなかった。紀要は誰が読むわけでもなく、結局どこからも書き手としては注目されずに終わってしまった。

一つには、学者らしい論文の書き方が分からず、学者の世界では、私の論文はルールに則っていないらしいのだが、それをどうしたらよいのか分からなかった。それなら、もとの雑文書きになればよいのだが、それにはビビッドな情報に接するのが難しく、しかも、タイムリーに取材に行きづらかった。おまけに、学者病になってしまい、妙に学者風に書かなければというプレッシャーがあって、生き生きとした文が書けなくなってしまった。つまり、どちらも中途半端というわけだ。

そんなこんなで、急に大学を辞めたくなって辞めてしまった。

辞めて何かが見えるかどうかも分からなかったが、ともかく辞めて、やり直したかった。でも、これって、最近の子供たちが自分の思い通りにならないからといって、TVゲームをリセットするように人を殺したりするのと似ているのかもしれない。大人は、我慢したり、苦労をして、人生を切り拓こうと努力するものなのかも。それとも、老人は、自由に人生を選ぶ革新的なのかもしれない。

ともかく、辞めたときは、とても清々したのだった。

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去年の夏

去年の夏は、足の手術をして、約2ケ月入院した。真夏と残暑の東京を冷房の効いた病院で暮らしていたのだった。退院した頃には、もうコスモスの咲く秋だったっけ。はじめての入院、全身麻酔というので、そのまま意識が戻らなかったらどうしよう!などと、たいしてない財産目録を作ったり、連絡先の電話番号をメモったりした。

しかし、手術はあっという間に終わり、2日ほどベットに寝ていなければならなくて、尿管を使い、きつい靴下を履かされ、動けなくて腰が痛くて辛かったけれど、その後は、女子寮の生活みたいでそれなりに楽しかった。

大学生活で、ず~っと誰とも話さない毎日だったので、人と人とのやりとりが久しぶりに楽しかった。もちろん、女が大勢で暮らしていて逃げられないので、気を使うし、何かしらで張り合ったり、告口があったりなどなどあるのだけど、それが会社勤めをしていた若い頃のようで楽しかったのだ。

皆、同じような手術をしたという戦友のような感じで、退院してもずっと友達でいようね、みたいな感じだったのだけど、退院してシャバの生活になじんでしまうと、あのときのことは無かったような、嘘のような感じだ。ほかの人もそうらしく、退院して数ケ月は、手紙が来たり、メールのやりとりがあったけれど、1年も経つとすっかり音沙汰なくなった。

私の場合には、右足の手術をし、筋を切ったのだろう、リハビリをしないとちゃんと歩けなくて、半年くらいは、歩けるようになることに専念していたが、途中から左足が痛くなり、今度は、左足をかばっておっかなびっくり歩いている。たぶん、まもなく、こちらも手術しないとダメだろうが、今は、痛み止めを飲んで持たせている。

そんなこんなで、歩けるうちに好きなことをやっておこうと思ったのだ。

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今日から9月

札幌では、日中は暑くても、朝晩はめっきり涼しくなった。トンボも飛んでいるし、北大のななかまどの実がもう真っ赤になっている。

北海道の夏はあっという間に過ぎていく。それにも増して、今年はなんだかめまぐるしく、あわただしく夏が過ぎてしまった。

こんなはずじゃなかったのに。

私は何をやってるんだろう?

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