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2005年9月26日 (月)

映画のはしご

「チャーリーとチョコレート工場」

予告編を見たときには、甘ったるいチョコレートの臭いがきつそうで見てると嫌になってしまいそうだった。前にお菓子工場を見学したとき、甘い臭いが漂っていて、これを一日中かいでいたら気持ち悪くなっちゃうだろうなぁと思ったことがあるからだ。なんでも、「ちょっと」が良い。でも、当然のことながら、臭いは映画館には漂わなかったので、大丈夫だった。

40年以上世界でベストセラーになっている原作というだけあって、単純ではないのが面白かった(といっても、単純だけど)。

天才チョコレート職人の工場長ウォンカが5人の子供と親たちを工場に案内しながら、育ち方の悪い(食べすぎ、エリート意識過剰、何でも買い与える、頭が良くて他人をバカにする)子供と親をそれぞれ懲らしめていくというストーリーで、最後、貧乏だけど家族想いのチャーリーにチョコレート工場を譲渡するという話。

ところが、チャーリーが家族と住めないなら工場は要らないと断ってしまう。喜んでもらってくれるだろうと思っていたのに、予想外の反応で、ウォンカは、気分が悪くなりチョコレートのアイデアが浮かばなくなる。

・・・子供の頃に虫歯になるからと歯医者の父親から大好きなチョコレートを取り上げられていたのに反発してスイスに留学し、世界一のチョコレート工場を作った。家族は、自分の望みを阻むものだとして、拒否し続けてきたのに。・・・年老いた父親と再会し、家族の温かみを理解、それからまたチョコレートづくりが楽しくなった、というようなお話。

もっとメルヘンチックなのかと思ったら、4人の子供がやっつけられてしまうし(映画のなかで最後まで救われない)、天才チョコレート職人のウォンカも立派な人ではなくて、ヘンな人だし、工場で働いていて、何かことあるごとに踊る小人も可愛らしくなくて、荒井注みたいなおじさんなのもヘン(だから普通じゃなくて面白かった)。

また、普通なら、チャーリーが工場より家族が大切といったところで終わりそうなのだけど、その後ウォンカが気が滅入ってしまうという後半があるので、ちょっと人生訓的な映画になっている。

映画の最初に、ディズニーランドのスモールワールドのような舞台装置が最初幸せそうに始まるのだけれど、終わりは火を噴いて焼けちゃうのも、ディズニー嫌いの私にとっては気持ちよかった。

ディズニーは、嘘と分かっているのに、一日楽しい主人公になって遊ぶなんて、すごい欺瞞な設定だと思って気持ち悪い。・・でも、これが世界中の人に愛されて、リピーターが多いというのも実に気持ちが悪い。・・これって、私がひねくれ者だからなのかと思っていたのだけれど、この映画の監督さんも、きっと私と同じ思いなのだろうと思ってホッとした。

いちばん好きだったのは、チャーリーのおじいさん。たぶん一番子供らしい。大好きなチョコレート工場に見学にいけるので、一番ワクワクして、目を輝かせ、タップまで踏んでしまう。なけなしのへそくりで切符を手に入れようともう一個チョコレートを買わせたりする。私も、こういうおじいさんで居たいと思う。

宮台真司さんが、「教養と批判」というようなことを述べていて、教養というのは、可愛い子には旅をさせよといって、時間をかけて自分のポジションを再定義するというもの(自分をずらす:ヘーゲル的)。批判というのは、従来想定してきた前提に違う前提をぶつけて対象をずらすというもの(自分がずれるのではなく対象をずらす:カント的)。

この映画は、教養にあたる。昔からある話で、人生を経たら、親のありがたみや家族の暖かさが分かるようになるというもの。

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