自分をずらす
最近、自分は何をやっているんだろう?!と日々思い、あるとき、「ずらす」という言葉を思いついた。
ちょうど次の日に、「放送と通信の融合」というお題で何かしゃべらなければならず、グローコムの「智場」という雑誌に掲載されていたホリエモン騒動についてのシンポジウムの記事を読んでいた。
そうしたら、前の記事に書いた宮台さんの文章に出会い、今さっき思いついた「ずらす」が二つに整理されていたので驚いて、なんだか嬉しくなった。
私は、幸いなことに?長銀破綻によって、定年前に急遽いろいろな職種を体験することになった。ここまでは、外的要因で職種変更だったのだが、今回大学を辞めたこと、次の職場に移ったことは、流された面もあるけれど、一応自分で決めたことだ。
どうして、いい加減でも先生を続けなかったのだろう、どうして、こんなヘンな仕事についてしまったのだろう・・と毎日思うのだ。
そして出した結論が、頭の良い人は、頭のなかだけでいろいろなことを洞察することが出来るのだけれど、私は、頭が悪いので、自分をずらすことによって、考えるきっかけを得ているのだ・・・というものだった。
そうしたら、宮台さんの整理に出会った。
うん、そうか。頭のいい人はカント的に考えられるんだ。でも、私はヘーゲル的に時間をかけて、リスクがあるけれども、いろいろな立場を得て、ようやく世の中のことを理解できるようになるのだろうと納得した(宮台さんの整理とは一致しているかどうか分からないけど)。
まだ、自分のポジションの変化を咀嚼しきれていないのだけれど、上記のように理解して、嫌なことも、考えるヒントの一つと思うことにした。
哲学するココロですよ、なんてカッコいいんでしょう!
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