ほがらか
今日は、久しぶりに食事をしながらゆっくりTVを見た。作詞家阿久悠の40周年記念番組だ。
懐かしい歌をやっていた。当時は、作詞家を意識していなかったのだが、あれも、これも阿久悠なので、すごいなぁと思った。ゆっくり歌詞を眺めていて、あぁこの唄はこういう歌だったのかと改めて理解した。よくもこう心の機微を理解し、それを切り取って言葉で表現することができるものだと感心した。
歌謡曲というのが、作詞家、作曲家、歌い手(おそらく、振り付け、衣装、照明などなどもあるのだろうが)のうまいコラボレーションで生まれるんだなぁと思った。いくらうまい歌詞でも、その気持ちを音楽がぴったりと表さなければ人の心には訴えないだろうし、また、それを私たちに届けてくれる歌手が歌を理解し、声の質や上手さがかみ合わなければヒットにはならない。
昔友達が、山口百恵とか松田聖子とかの歌が好きだというので、ずいぶんミーハーなんだと思ったら、そのとき最も売れているスターには、良い作曲家や作詞家が付いているから、やっぱ良い歌なんだよと言われたけど、そうだったんだなぁと今更のように思う。
南こうせつの「酔いどれかぐや姫(だったかな)」も面白かった。確かに、かぐや姫が歳を取ったらどうなっているんだろうと思う。琵琶法師風の調べもとても良い。女の寂しさと、でも結構ずぶといところが可笑しい。
いろいろと沢山作詞してきて、結局「男唄」にして落ち着いたという。このババアのかぐや姫も強いけど、阿久悠の書く女性は強いらしい。ピンクレディーの女性は強い。北の宿からの歌詞は、私は男に未練が残っている=弱い女なのかと思っていたら、そうではなく、未練でセーターを編んだら、それをポイと捨てて忘れてしまう・そういう女の強さを歌っているんだって。でも、これは、今日聞いても分からなかったけど。
阿久悠は、男の強がりと弱さとロマンのようなのを書くのが上手いらしい。ジュリーの歌も、西田敏行のピアノがないも、そんな感じだ。八代亜紀の舟唄もそう・・・この歌は大好き。
ライバルとして阿木耀子が出てきていたけど、彼女は、やっぱ女の機微をとても鋭く捉えている。「思い出ボロボロ」だったかな、女が寝ていると男が遅く帰ってきて蛇口で水飲む音がする・・というやつ。すごい歌詞だと思った。
阿久悠だって、阿木耀子だって、たくさんたくさん恋愛しているわけでもないだろうに、どうしてこんなに機微に触れて、しかも多様な気持ちをこうも書けるのだろう!しかも、ヒットしちゃったら日々は大忙しで、心に余裕なんかなくなるはずなのに。人の心への理解度なのだろうか。
ところで、歌謡曲批評をやろうと思って書き出したのではなかった。
五木ひろしが歌う「契り」という歌詞を聴いていて、ドキッとしたのだ。これは確か戦争の歌なのだけれど、そのなかに「緑は今もみずみずしいか・・人の心はかもめのように真っ白だろうか・・愛する人よすこやかに・・・流れは今もきよらかだろうか・・子供はほがらかか・・」というような歌詞があった。
昔も、今も悪い人はいるし、人には悪い心も宿っているのだけど、この歌を聞くと、昔の暮らしがフラッシュバックのように見えて、みずみずしい緑や清らかなせせらぎなどが目に浮かぶ。そして、すこやかな成長を願ったり、子供がほがらかだった健全な暮らしが過去にはあったような気になる。なんだか、大切なものを長い間すっかり忘れていたような気がする。
この詩のなかの世界って、イリュージョンなのだろうか。
でも、自分も「ほがらか」だったような気がする。子供だったからなのだろうか。ほがらかでなくなったのは、時代のせいなのだろうか。子供の頃だって、やきもちをやいていたり、成績が下がったのを悔しがったりしていたので、決して手ばなしで無邪気だったわけではないはずだが。
YAHOO!辞書で検索すると、「心にこだわりがなく、晴れ晴れとして明るいさま」とある。
う~ん、では、今、何にこだわっているんだろう。なんで、晴れ晴れとしていないんだろう。この5年間、仕事的に何一つパッとしていないので、焦っている。弱る気持ちを「私には何かできるはずだ」と自分に言い聞かせて、やってみているが、焦れば焦るほどますますどつぼにはまる。楽しく仕事をしていないので、友達も増えない。
東京の親に義理立てしているところもあって、札幌にのめり込めないので、中途半端さが残る。だからやり直したいと思ったのだけど、約束してしまったので、あと一年この仕事をしなければならない。
これまでは、会社に、親に甘えきっていたので、何も責任がなく、思いのままに遊び暮らしていたからか。今は、なんでも自分がやらないと一歩も進まないからかもしれない。・・これは、大人の生活としては当たり前のことなのだけれど。
気持ちを入れ替えたほうが良いのかもしれない。
もともと、頭も悪くて、西高ではびりから数えたほうが速かったのだし、四年生の大学も逃げたのだし、たまたま長銀で異端だったから重宝されたにすぎない。
周りに優れた人が居て支えてもらっていたに過ぎない。その当時は、どうせ異端だったし、回りの人とわいわいするのが楽しかったから仕事をしていたに過ぎない。楽しかったから、仕事をしていても、いろいろな遊びがあり、人とも出会え、それがまた楽しかったし、仕事を大きくしてくれた。
もともと何もできないのだから、肩の力も抜いて、遊んじゃったら良いのではないか。転んでも只では起きないとして産学連携を理論化しようなどとムリなことは思わないで、この際、面白い人を見つけようとか、いろいろなところに旅行しようとか、もっと遊ばないと駄目だ。
ほがらかなら、人も寄ってくる。そうすれば、仕事も楽しくなるはずだ。
来年の目標は、「ほがらか」にしよう!
ほがらかになれるよう、仕事は楽しいことだけやろう!
どうせ私が頑張ったってどうなるものでもない。馬鹿にされないようにちゃんとしようと思ったって、どじ踏むに決まっているし、大きなことなんて出来ないのだから。それより、私らしく遊んでしまおう。そのほうが、結果として、成果にもつながるはずだ。
昔、いたずらで落研をやったように、トイレットペーパーの使用量を調べたように、楽しめることを探して、ちょっといたずらしてみよう。いたずらしたり、サボったりするのが、私の真骨頂なのだから。
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