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2006年1月27日 (金)

お洒落な町にリニューアル

そのあと中央線豊田駅のそばにある多摩平団地を視察した。ここは、最も古い公団で、1~3階層の低層集合住宅であったが、部屋のみ補修するは限界で、すべて建替えを進めている地域だ。武蔵野の面影を残す雑木林が残っており、リニューアルにあたっても、できるだけ木々を切らないようにしている。武蔵野の面影といったが、この林も、100年以上前に人工的に作ったものらしい。

リニューアルし高層化した建物も、落ち着いた色合いにしているせいか、違和感がない。

それまでの家賃が2DKで4万円前後であったのが、建替え後は、同じ2DKでも面積が1.5倍くらいになり、その代わり、家賃も8万円~10万円くらいとなる。基本的には、住み替えとのことなので、前の居住者が移り住む。あいまいだが、ここも所得によって、免除があるはず。

ここは、部屋のみのリニューアルではなく、建物そのものが建替えられたため、個々の住宅は、今風でとても格好良い。これで、新宿から約30分で、この値段ならお得に感じるが、住み替えた人のなかには、辛いと思う人もいるのだろう。

ところで、ここは、建替えにあたって、住民と機構と日野市とで協議をし、集会場や地域のコミュニティセンターなどを住民に使いやすいように工夫して建てている。視察をしただけでも、コミュニティが活きていることが実感される。

集会場の雨水をためて、住民が園芸をしたり、飲み捨ての缶を洗うのに使えるようにしたり、ソーラー発電によって、雨水を還流させてビオトープのようにしたりしている。

残された林・公園では、コンサートやお祭りなども開催されているらしい。

団地の近くに、団地以外の人も使うコミュニティーセンターが設けられ、NPOが運営している。図書館の分室やちょっと新聞などを見れる空間や子供を預ける場所などなどが用意されているらしい。

同じニュータウンなのに、どうして永山団地のちょっと寒々しいうらぶれた感じとは違うのだろう。真っ青な昼間に訪れたのに。

一方多摩平では、夕暮れ時になり、溶けずに残る雪の上を吹く風がとっても冷たかったのに、お洒落にリニューアルされた建物と葉を落とした木々、彩る夕日がとても魅力的で、人々の暮らしの暖かさが感じられたのは、何故なのだろうか。

コミュニティのあるなしなのか、それとも、単に私がミーハーで、建物の概観が印象を違えて見せているだけなのだろうか。

多摩平の景色でもと思って、HPを検索しましたら、機構で建替えにご苦労されつつ、住民の方々とコミュニケーションが図られ、良い方向に進んだという「建替え日記」を見つけました。中山さんという方のようです。こういう担い手のご苦労とコミュニケーションの進展によって、町は変わるのだと思いました。

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多摩ニュータウン永山団地

多摩ニュータウンは、多摩丘陵を開発した新しい町で、八王子市、多摩市、稲城市、町田市にまたがっている。

私が就職したばかりの頃に、長銀もかかわっていたのではないかと思われる。社会調査班のようなものが出来ていて、日下公人さんが班長だった。ここは、都市開発・住宅開発や公害問題などを研究していた。

日下さんが都市開発などにどんなご意見だったのか当時よく知らなかったが、ともかく、新しい大型の団地が郊外に出来るというのは、明るい未来として語られていたように思う。そうだ、確か日下さんは、東京はまだまだ開発できる。鉄道を通せば、その周りが住宅地に変貌するというようなことを言っていたように記憶する。

しかし、35年ほど経って、住んでいる人の高齢化が進み、町が衰退しているというような話を本などで読んでいたので、一度訪問してみたいと思っていたのだ。訪問した永山団地は、そのなかでも、古いほうにあたるらしい。

確かに、当初団地のなかに用意された商店街は、駅前などで買い物をする人が増えたとのことで閉まってしまい、NPOほかに改めて貸しているとのこと。昨日は、八百屋さんのほかは、薬屋、針灸、補聴器屋、リサイクルショップ、NPOがやっている高齢者のたまり場福祉亭、商工会議所がやっているチャレンジショップ(というが、手作り品などの持ち寄りの店のような感じ)、NPO建築Gメン・・といったような店がやっていた。

セイフーのスーパーがあり、ちょっとしたものは、ここで足りそうだが、お世辞にも活気がある商店街とは言いにくい。小学校も統廃合されたとのことだ。

30年後の日本は、どこもかしこもこうなってしまうのだろうか。

NYのオールドタウンの再生などの話を聞いてはいたが(こちらは、貧しい人や外国人が住み着いて荒れてしまった話なので内容は異なる)、日本でも、今後は、こうしたことに取り組んでいかなければならないのだろう。

急行で30分くらいで新宿にいけるのだから、比較的便利な地域ではあるのだが・・。

都市機構は、空き室が出ると、ここをリニューアルしている。リニューアル後の場合、2LDKで8万円弱と手ごろだ。また、段差をなくした高齢者住宅にリニューアルしている住宅もある。これは、所得に応じて、最も低所得だと5.5万円くらいで入居できる。これが却っていけないのかもしれない。これでは、ますます高齢化してしまう。

町全体は、木々が育ち、落ち着いた感じになっている。

しかし、全体的に古いタイプの建物で、セキュリティなどに不安があるとか、緑が多いのが逆に夜道が不安であるなどの理由からか、若い女性や小さな子供のいる若い世帯は余り入ってこない、新たに来るのは男性が多いという。この辺りは、大学も沢山東京からやってきたし、東芝やNECなどの工場も多い。しかし男性が増えるとなると、活性化から遠くなってしまいそうだ(若い女性が多ければ男性もやってくるので・・たぶん)。

同じ多摩ニュータウンでもせせらぎ北団地は、94年に出来たというから比較的新しい団地で、ここでは、98年に設立されたNPO法人FUSION長池の活動で、コミュニティが活性化しているとして有名だ。永山団地でも、前述の福祉亭がいろいろな活動をしているらしいが、まだ道は遠そうだ。傍観していないで、一歩でも踏み出したところが良いといえるけれど。

美しく老いる、老いた人々が住んでいても洒落ていて落ち着いた町、すごい金持ちの年寄りではなくても、普通の暮らしでこうした風にはならないものなのだろうか。高齢者が住んでいるので、美味しくて、洒落たコーヒー店があるとか、古いジャズのレコードが聴けるとか、お袋の味の食堂があるなど。若者があこがれたり、懐かしがって訪れるような町にはならないものだろうか。

・・・高齢者が住むと、薄汚い、そら寂しい・・と感じてしまうのは、文化度の浅さなのだろうか。日本の高齢者は、年金もあるので、そう苦しいとは限らない。問題は、いきいきした目と張りのある表情を持てるかどうかだ。それは、文化でもあるし、役に立つことでもあるし、これを仕組みとしてどう作り上げるか。・・・これは、政策課題だ。

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荻窪再開発

昨日最初に訪問したのは、日産の工場跡地である。

個人的にこの跡地は思い出深い。そもそも私が生まれたのは、この角にある荻窪病院であった。この病院は、戦時中は中島飛行機の病院で、父親がそこで働いていた経緯もあってそこで生まれた。

中島飛行機は、ゼロ戦を作ったことで有名で、それがその後、プリンス自動車→日産や富士重工になったので、私が現在住んでいる西東京市~三鷹、武蔵野~荻窪辺りは、その関連の工場がたくさんあった。

私が住んでいる下宿(しもじゅく)住宅は、中島飛行機の平社員の社宅だったのが戦後払い下げになったもので、子供の頃、周りには、富士重工や日産の工員が多く住んでいた。

西東京市には、石川島播磨のエンジン工場もあったはずだし、昔は飛行機用の特殊な金属をつくっている工場もあった。これは、現在の住友重機工業の田無製造所だが、どうやら横須賀の方に工場は移ってしまったようだ。この間打ち上げに成功したH2Aロケットの部品なども作成しているはず。

日産自動車もゴーンさんによる業務改革で、航空機部門は石川島播磨などに売却したが、そもそも、そういう意味で、この辺りは、軍需・航空関係からスタートした企業がその後もひそやかに生きてきた地域なのだ。

思い出話は、まだ続く。

高校生の頃に東京オリンピックがあり、杉並の高校に通っていたので、確か授業中に聖火リレーが青梅街道を走るのを見に行ってよいことになったのだと思う(サボったのではないと思うので)。荻窪警察署のあるこの辺りで、確か聖火リレーを見た。聖火自体は、実はほとんど覚えていないのだけど、人だかりやオリンピックの熱気のようなものだけ覚えている。

当時私は高校二年生だったと思うのだが、一年先輩の女性が当時流行っていた舟木一夫の「高校三年生」が好きで、その女性と一緒に行ったような気がするのだが、これも定かではない。

生徒に券が一枚づつ割り当てられて、ボクシングの試合を見に行ったが、そういう券だから、それほど強くないチームのかなにかで余り面白くもなかった。肌の黒い選手と白い選手で、白人が殴られると赤くなるし、ふうん、黒人に比べると、白人って運動能力なさそうだし、殴られると弱そうだなぁと思ったのが記憶にあるくらいだ。

東京オリンピックは、そういう意味では、同時代の空気を吸ったのだが、傍観者であった。強烈に覚えているのは、亀倉雄策のポスターくらいで、記憶にあるのもテレビでリアルタイムに見たものなのか、市川昆監督の映画で二次的に記憶したものなのか、その後のテレビ特集などで見たものなのか、良くわからない。

ともかく、日産自動車の荻窪工場跡地約9haが売却され、そこを都市公団が購入して再開発した(桃井三丁目プロジェクト)。約半分にあたる4haは、防災公園になる予定だ。いざというときの水や、テント付きの簡易トイレ、食料や煮炊きの出来るコンロなどが用意される、上はグランドとして利用する(これから詳細は詰められる)。東京都内の内陸部で、これだけの遊休地を確保するのは、なかなかないことだ。

残り半分は、賃貸住宅や分譲住宅が都市機構ほか民間事業者によって建設され、すでに提供されている。特徴としては、周辺の住宅利用動向を調べ、1LDKが賃貸の半分くらいを占めていること、提供されている住宅の種類がものすごく多いことだ。

民間事業者によるもののほうは、ブロードバンド映像配信サービスがついていたり、フロントサービスがあったり、上の方の階の端に庭があり、そこにはジャグジーなどがあるとのことで、割高だが付加価値がついているらしい。

機構の方の家賃が11万円~27万円、民間の方が12万円~40万円弱というから、安い方は良いが高い方は結構なお値段だ。都心に近いし、まぁまぁ住宅地として良い地域だし、こんなもんなんだろう。でも、最寄り駅までは、バスとかに乗らなければならない。

・・と思い出話の方がメインの内容になってしまった!

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高層化、共同化

第二に、高層化、共同住宅が進んでいることだ。土地利用ということから言えば、戸建よりも、共同化、高層化が良いことは分かるが、住民からしても、共同化、高層化が良いのは何故なのだろうか。

北海道では、雪の期間が長く、雪かきは重労働なので、高齢になると、高層マンションにうつりたいと思う。暖房なども、戸建より良い。ところが、北海道以外では、どういったインセンティブで高層マンションが嗜好されるのだろうか。見晴らしか、割安感があるのか。

一方で、持ち家比率も高まっている。借家でライフスタイルに合わせて移動するという流動化はどうして進まないのだろうか。家は財産になるので、月々同じ金額を支払うなら、購入したいと思うのだろうか。持ち家の年代は、おそらく家族が居て、ある程度余裕が出来てからと思われるが、そうやって月々支払って、やっと自分のものになったときには、子供が独立し、その持ち家は使いにくくなっているはずなのに。

それとも、やはり、柱の傷のようなものが欲しいのだろうか。

この調査では、高齢者のいる世帯では、持ち家、戸建が多い。今まではそうかもしれないが、将来を考えると、たとえば団塊の世代が高齢者になるころには、自分らしいライフスタイルを求めて、場所をこれまでの生活圏から移し、場合によっては、賃貸に変わるのではないだろうか。

また、高齢になっても、子供夫婦と一緒に暮らしたがらない親が増え、二人のうちはよいが片方が亡くなった場合、介護つきのマンションなどに移る可能性がある。もちろん身体がきかなくなって老人ホームということもあるが、そこそこ元気な場合、高級感のある賃貸マンションに行く可能性はあるのではないだろうか。

現在、別荘も持ち家だが、これも賃貸になる可能性もあるのではないか。

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世帯数より住宅数の方が多い

総務省の住宅・土地統計H15調査は、すでに、平成16年夏に速報が出ているのだが、今回は、このデータから、公団から引っ越してきた人、公団に引っ越してきた人が分かるので、どういう人がどういう住宅を選考しているのかなどを明らかにするのだ(これから)。

すでに出されている全体の傾向のうち、興味深いところを抜き出しておこう。

第一には、早くも、昭和43年から、世帯数よりも住宅数の方が多く、この傾向は年々強まっており、平成15年では、住宅数が世帯数を664万も上回っており、空家率が12%になっている。

今後、高齢化が進むこと、ライフスタイルが変化し古い住宅が嫌われることなどから、空家率は高まっていくのだろうと思われる。

今日訪問した多摩ニュータウンでは、五階建てだがエレベーターが無いので、4階、5階は、空き室が多いとのことであった。

これから、まだまだ生活スタイルは変わるのだろうか。古いままの部屋を見ると、風呂やトイレ、流しなどが今の水準からみるとどうしても見劣りする。35年前に建設されたにもかかわらず、トイレは水洗なのだから、当時はハイカラだったのだろうが。

多摩ニュータウンでは、空き室になると、部屋のリニューアルを行い、高齢者用にバリアフリー化をしている部屋もある。欧米では、古い建物を長く使っているが、石の家だからというのもあるのだろうが、生活スタイルが余り変わっていないのだろうか。

道路と人を分離するということで、道路を低くし、当時は、進んだ考え方であると評価されたのだが、住民が歳を取った現在では、バスに乗るのにいちいち階段を上り下りしなければならないなど暮らしにくくしてしまっている。

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都市再生機構の住宅関係調査

都市再生機構は、もともとは、日本住宅公団からスタートしており、高度成長期には、不足する住宅を供給する、住宅の質をリードするといった役割を担っていたのだと思われる。しかし、最近では、民間事業を圧迫しないよう、基本的には、民間に任せるようになっている。また、行政改革などによる合併もあり、都市整備に重点を置くようになっている。

ここでは、自らが所有している賃貸住宅の居住者を対象に定期的に調査をするのに加え、政府が実施している住宅・土地統計をさらに詳しく分析し、住宅に関するニーズ調査を行っている。それまで大都市圏中心であったのだが、2004年に地域振興整備公団と合体したこともあり、北海道・東北地域のアドバイザーという形でこの住宅調査の研究会に参加することになった。

都市や建築の工学部系の先生方がものすごいデータをテーマにあわせてモデル化し、統計処理をされるのを拝見するのだが、非常に場違いで居づらい。でも、それなりに面白いので、とりあえずお役が終わるまでのぞかせてもらっている。

今日は、その研究会の参考ということで現地視察に出かけてきた。

一つは、荻窪の日産自動車の跡地利用、もう一つは、多摩ニュータウンの部屋をリニューアルしているもの、最後が団地そのものを立て替えている豊田市の視察であった。

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2006年1月15日 (日)

雪が静かに降っているのは、とても心が落ち着き、穏やかになる。

今年のように豪雪だと、雪が降るのは心が落ち着くなどと言うと叱られるかもしれない。

北海道のように雪に慣れている地域でも、一戸建てに住んでいる人は大変なようで、知人の多くが腰を痛めている。

昔、ある人が、北海道の人は冬は暗い顔をして下を向いているが、春になるとにこやかになって上を向くといっていた。

確かに、どんよりした空が続くと、暗い気持ちになるし、足元が悪いので思ったように出歩けないから、気持ち的には暗くなる。

でも、暖房が完備しているし、マンション暮らしだし、地下鉄で買い物や遊びにもいけるので、冬だからといって、そんなに気持ちが暗くなることはないのではないだろうか。

ただ、足元はひどく悪いので、どうしても下を向かざるをえない。単に雪が積もっているだけなら別に歩きにくくないのだけれど、そこを自動車が通るので、ツルツルになってしまうのだ。

都心でも、横断歩道はとっても怖い。おまけに都心だと、ビルや看板から雪やツララが落ちてくるので、上も下も気をつけなければならない。全部の道がロードヒーティングとかあるいは逆に雪が積もっているとか、同じ感じで続いているならよいのだけど、百貨店などの前はロードヒーティングだが、駐車場になっているところは雪がツルツルであるなど、まだらなのが困る。いちいち歩き方を変えなければならないからだ。そうして、ビルなどに急に入ると、こんどは、ツルツルの床に水が溜まっているので、滑り易い。

と、まぁ、雪の時期には、足元だけは悪くて嫌なのだけれど、部屋にいて、真っ赤なナナカマドの実に雪が積もっているのをながめたり、雪が降っているのに、ぼんやりと月が見えたりなど、それはそれでとっても良い景色だ。

歳のせいかもしれないが、雪が静かに降っているのをながめていると、本当に心穏やかになる。

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2006年1月 1日 (日)

別のページで吉田民人さんの設計科学の論文を読んでいる。

吉田さんのことは良く知らないのだが、シンポジウムでみて、地味なおじさんに見えるのだが、頭の構造がしっかりしているし、若い研究者の意見にきちんと反論しているのですごい親父だと思った。

公文先生も、まだまだ考えを続けている。本を読むのが速いし、いろいろな本を読みながら考えを進めている。あるいは、いろいろな人と議論しながら考えを進めている。最近では目が悪くなり、日本語を読むのがつらいが、横に流れる英語の方が読みやすいと言っていた。

私は、公文先生の周辺に居たことがあり、このほかにも、いろいろな優れた人の側に居たことがある。

当時は若かったので、自分も大きくなったら、この人たちと同じになるとか、世代が変われば取って変われるものだろうと、なんともうぬぼれが強いというか、怖いもの知らずというか思っていた。

これは、私が若かったのと、こういう優れた人たちといつも会話できる立場に居たので、自分の脳みそは、1%くらいなのに、30%くらいに感じられたからだと思う。つまり、こういう凄い人たちと日々何気なく会話しているだけで、門前の小僧が習わぬお経を読むように、自然と認識レベルが高まり、別の世界の人々と話をすると、なんだか自分も賢いように思えたからだ。

今は、こういう優れた人々が議論する場に居合わせることが出来ないので、1%の脳みそが一生懸命本を読んでも、空回りするだけに終わっている。

優れた人々が議論する場に居合わせられないのは、そういう人たちにとって私は呼びかけるほどの意味がないからで、意味がないのは、私が1%レベルであることもそうだが、私がこうした人々の興味を惹くような発信をしていないことにもよっている。

昔うぬぼれていたころの考え方からすれば、本来、そろそろ私が回りに影響を与えていなければならない年代のはずなのだが、それは、やっぱ1%の脳みそであることの結果でもあるのでしかたがない。

そんなことで、私は、かつては、知識人の端っこに居ると自らを位置づけていたのだけれど、どうやら知識人ではないようだ。

公文先生などを見ていると、どんなに身体が弱っても知識好奇心から、本を読まざるをえないみたいだ。

ところが、私は、年末には、大掃除にかこつけて、本を読もうと思わない。掃除の方が捗るからだ。そして、草臥れはてると、結局TVのくだらない番組で癒している。やっぱ知識人ではないなぁとつくづく思う。こんなに時代が変わっている折に、掃除とTVで時間をすごせるという神経は、やっぱミーハーでしかない。

吉田さんの論文の途中でアインシュタインの伝記をネットで読んだ。アインシュタインは、子供の頃からの疑問、光の伝わり方について、ずっと考え続け、それが解決しそうに見えたときには、寝食を忘れて没頭したようだ。

知識人は、知識を得ることでさらに知識を増せる人であろうし、知的エリートは、自分の身の回りのことよりも、世界の在りようなどを考えるに違いない。アインシュタインのような研究者は、不思議に思ったことを突き詰め整合性の取れた解に結びつけることに喜びを見出すのだろう。あるいは、南方熊楠のように、観察をやめられない人もいる。

「知識人」というにはおこがましいのだが、それでも、私は、あこがれとして、その端っこには居たいものだと考えている。これは、まぁ趣味だと思ってもらうことにしよう。そのうえで、知識に係わるにあたっても、いろいろな道があるのではないかと思う。

大きな流れをつかみたい人、美しい数式をつりたい人、観察をこよなく愛する人、実験が好きな人、先端的な流れをつかみたい人、社会の設計をしたい人、体系化を好む人などなど。好きという志向性と技としての方法論などから、それぞれの道が選択されていく。

では、私は、何をやろうとしているのだろう。あるいは、何をしたいのだろう。

たぶん、今動いていること(人間が係わっている社会の動き)の筋を見つけたい、一般には、これが筋であると思われているのだが、そうではなく、こっちが本筋であるということを見せたい。

アメリカでは・・という「ではの守」ではなく、今動いていることを観察し、自らの感性で構造を見つけ出し、Aを動かしたらBになるという仕組みを明らかにしたい。

そのための方法論は、現場を良く観察すること、人と話をすること、似たようなことを研究している論文などを読んでヒントを得ること・・だろうか。ミーハーな私には、前者はやりやすいと思っている。

観察が虫や動物ではなく、人間とその社会であることがちょっとやっかいだ。

しかも、研究論文では、何故その事例を取り上げたのかがきちんと説明できないと意味のない論文になる。たまたま札幌では駄目なのだ。

でも、まずは札幌を観察し、地域におけるイノベーションシステムの在りよう、上手くいくには、何が筋なのかを考えたいと思っている。

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