« 高層化、共同化 | トップページ | 多摩ニュータウン永山団地 »

2006年1月27日 (金)

荻窪再開発

昨日最初に訪問したのは、日産の工場跡地である。

個人的にこの跡地は思い出深い。そもそも私が生まれたのは、この角にある荻窪病院であった。この病院は、戦時中は中島飛行機の病院で、父親がそこで働いていた経緯もあってそこで生まれた。

中島飛行機は、ゼロ戦を作ったことで有名で、それがその後、プリンス自動車→日産や富士重工になったので、私が現在住んでいる西東京市~三鷹、武蔵野~荻窪辺りは、その関連の工場がたくさんあった。

私が住んでいる下宿(しもじゅく)住宅は、中島飛行機の平社員の社宅だったのが戦後払い下げになったもので、子供の頃、周りには、富士重工や日産の工員が多く住んでいた。

西東京市には、石川島播磨のエンジン工場もあったはずだし、昔は飛行機用の特殊な金属をつくっている工場もあった。これは、現在の住友重機工業の田無製造所だが、どうやら横須賀の方に工場は移ってしまったようだ。この間打ち上げに成功したH2Aロケットの部品なども作成しているはず。

日産自動車もゴーンさんによる業務改革で、航空機部門は石川島播磨などに売却したが、そもそも、そういう意味で、この辺りは、軍需・航空関係からスタートした企業がその後もひそやかに生きてきた地域なのだ。

思い出話は、まだ続く。

高校生の頃に東京オリンピックがあり、杉並の高校に通っていたので、確か授業中に聖火リレーが青梅街道を走るのを見に行ってよいことになったのだと思う(サボったのではないと思うので)。荻窪警察署のあるこの辺りで、確か聖火リレーを見た。聖火自体は、実はほとんど覚えていないのだけど、人だかりやオリンピックの熱気のようなものだけ覚えている。

当時私は高校二年生だったと思うのだが、一年先輩の女性が当時流行っていた舟木一夫の「高校三年生」が好きで、その女性と一緒に行ったような気がするのだが、これも定かではない。

生徒に券が一枚づつ割り当てられて、ボクシングの試合を見に行ったが、そういう券だから、それほど強くないチームのかなにかで余り面白くもなかった。肌の黒い選手と白い選手で、白人が殴られると赤くなるし、ふうん、黒人に比べると、白人って運動能力なさそうだし、殴られると弱そうだなぁと思ったのが記憶にあるくらいだ。

東京オリンピックは、そういう意味では、同時代の空気を吸ったのだが、傍観者であった。強烈に覚えているのは、亀倉雄策のポスターくらいで、記憶にあるのもテレビでリアルタイムに見たものなのか、市川昆監督の映画で二次的に記憶したものなのか、その後のテレビ特集などで見たものなのか、良くわからない。

ともかく、日産自動車の荻窪工場跡地約9haが売却され、そこを都市公団が購入して再開発した(桃井三丁目プロジェクト)。約半分にあたる4haは、防災公園になる予定だ。いざというときの水や、テント付きの簡易トイレ、食料や煮炊きの出来るコンロなどが用意される、上はグランドとして利用する(これから詳細は詰められる)。東京都内の内陸部で、これだけの遊休地を確保するのは、なかなかないことだ。

残り半分は、賃貸住宅や分譲住宅が都市機構ほか民間事業者によって建設され、すでに提供されている。特徴としては、周辺の住宅利用動向を調べ、1LDKが賃貸の半分くらいを占めていること、提供されている住宅の種類がものすごく多いことだ。

民間事業者によるもののほうは、ブロードバンド映像配信サービスがついていたり、フロントサービスがあったり、上の方の階の端に庭があり、そこにはジャグジーなどがあるとのことで、割高だが付加価値がついているらしい。

機構の方の家賃が11万円~27万円、民間の方が12万円~40万円弱というから、安い方は良いが高い方は結構なお値段だ。都心に近いし、まぁまぁ住宅地として良い地域だし、こんなもんなんだろう。でも、最寄り駅までは、バスとかに乗らなければならない。

・・と思い出話の方がメインの内容になってしまった!

|

« 高層化、共同化 | トップページ | 多摩ニュータウン永山団地 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 荻窪再開発:

« 高層化、共同化 | トップページ | 多摩ニュータウン永山団地 »