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2006年3月26日 (日)

web2.0とロングテール

梅田さんの『ウェブ進化論』を読んだ。

web2.0もロングテールも知っているつもりでいたが、どうやら理解不足であったようだ。

まず、web2.0だが、私は、全員参加型になったインターネット利用を指すのだと思っていた。これ自体は間違いではないようだ。

しかし、梅田さんによると、その背景には、グーグルに代表される新しい動きがあって、ネットの「あちら側」に独自に巨大なコンピュータシステムを構築し、それが他社の追随を許さないほど低コスト構造のシステムであるらしい。

グーグルは、それを使って、個人に大きなスペースを提供し、それを検索して、内容にマッチした広告を載せるビジネスモデルを生み出したのだという。また、個人のサイトなどを検索し、それに適した広告を載せる「アドセンス」というビジネスも始めた。そして、その広告を訪れた人がクリックすると、サイト運営者である個人や小企業にお金が落ちる仕組みなのだという。

これによって、名も無い個人がお金を稼げる仕組みができた。

ロングテールというのは、「スモールワールド」や「新ネットワーク思考」を読んで一人勝ちの話であると理解していた。だから、たとえば東京一極集中のなかで札幌はどうするといったことを考え、差別化しかないなどと思っていた。こういう理解の仕方自体は間違いではない。

しかし、梅田さんが書いているのは、グーグルやアマゾンは、この名も無いようなロングテールからお金を生み出す仕組みを考えたということだ。

アマゾンは、ベストセラーではないいわば売れない本を新たな話題と結びつけることで蘇らせた。ここから売上の3分の1を稼ぎ出しているのだという。さらに、グーグルの「アドセンス」は、アマゾンの売れなかった本ではなく、これまで広告と無縁であったサイトにお金を稼ぐ可能性を提供したのだ。

勝ち組でビジネスをしてきた大企業は、高コスト構造になっているので、ロングテールを追いかけられない。追いかければ追いかけるほど赤字になってしまうからだ。安いコストでロングテールから利益を上げられる仕組みを作ったところに、グーグルらの面白さがある。

グーグルのやり方では、APIという開発者がプログラムしやすいデータを公開することによって、たとえば「グーグル・マップス」のAPIを公開したので、地図情報に関連したサービスをいろいろな人がさまざまに開発できるようになる。

これまでの閉じたシステムである「こちら側」でこうしたシステムを開発するとなると多額のコストがかかるが、「あちら側」のAPI公開により、多くの人が参画して多様なサービスをいとも簡単に作れるようになるという。

技術が分からない私が要約しているので間違っているかもしれない。正しくは梅田さんの本を読んでもらうとして、私が驚いたのは、

1.単に通信コストや端末が安く高速・高機能になったので、誰もが発信できるようになったのだと能天気に思っていたが、グーグルは、ネットの「あちら側」に低コスト構造のシステムを作り出し、環境変化をきちんと自分達のものにしたことだ。

ネットの「あちら側」と「こちら側」とどちらが主導権を握るかについては、幾度か行ったり来たりしていたように思うけれど、パソコンが高性能になるとか、通信速度が高速になるといった他力本願なだけでなく、自ら優れたアルゴリズムの高性能システムを開発することで、新しい時代の覇者になるように動いたことである。

つまり、環境変化を読み込んで、それを自らに引き寄せた。目のつけどころが素晴らしいことと、そうした素晴らしいシステムを開発できるだけの人材が居た。日本は、ネットの「こちら側」のマイクロソフトにやられていて、今度もグーグルにやられるのかヨと思ってしまう。

2.2割の人が8割の利益を得るということを逆手にとり、8割の名も無い人々を上手く使うという発想をしたことだ。それは、上記の低コスト構造のシステムを開発したから可能になった。ロングテールを活かすというのは、実にインターネットっぽいのに、日本では、誰も?それに挑戦しなかった。してやられたという感じだ。

3.民主主義っぽく見えるのだが、個人に大きなスペースを提供したり、APIを公開しいろいろな人が地図などさまざまな道具を活用したサービスを開発することによって、実は、グーグルは個人情報など全ての情報を握ることが可能になる。そういう意味では、怖い会社なのだ。もちろん、人間が見るのではなく、機械が検索するのだが。

技術が分かる人ならこうしたトレンドは読めたはずだ。

違いは、ビジョンを描き、かつそれを実行したところだ。

先駆者にはもうなれないが、こうやって見えてきたweb2.0の考え方は活用できるはずだ。

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経験経済

今、前に書いた「休日に経営書を読む会」の次の本である『新訳・経験経済』を読んでいます。

最初「経験経済」って何のことだろうと思いましたが、要は、感動や思い出を与えることによって、付加価値の高いビジネスができる、単にモノを作って販売するのではなく、感動や思い出を与えるようにするにはどうしたら良いかが書かれています。

この本は、1998年に書かれたもののようです。

実は、私は、1998年にそれまでの社内レポート2冊分をまとめて『新しい時代の儲け方-ニュービジネス成功の秘訣』という本を出しました。「儲け方」はどぎつくて嫌だなぁと思ったのですが、出版社の営業からの意見でこうなったそうです。英語では、The Secret of Success in Starting a New Businessというタイトルになっています(英訳されたのではなく、編集者が日本語のタイトルとはニュアンスを変えてつけてくれました)。

思い出話はさておき、このなかでも、これからは「感動を呼び起こす仕掛けが必要」という章を書いています。また、「需要者のエージェントになる」として、愛情代行業などについても書いています。

でも、今読み返してみると、上記の愛情代行業(結婚プロデュース業のワタベ)やディズニーランド、京都のくろちく、伊勢のおかげ横丁、金沢の東の廓、トリックアート美術館などお客様を感動させることと、もう一つ、働く人を感動させる(足助町のジジ工房、バーバラハウス、長野県小川の症など)というのの二つを書いていました。

ここには書いていませんが、バブルの頃には、ホテルやビルの内装がゴージャスになり、工場も美観を意識し、ホテル工場などというのもありました。働く人が背筋を伸ばして働くような舞台でもあり、お客も貴族のようにしゃなりしゃなりと振舞ったものです。

バブルという面はあったかもしれませんが、街が舞台になることは、働く人にとっても、消費者にとっても、良いことだったと思っています。

なんだ、私だって同じ頃に同じこと考えていたじゃないの、と思いながら読みましたが、私が単なる事例紹介と方向性を述べたに留まっていたのに対し、『経験経済』の著者は、それをちゃんと法則などに落とし込み、企業にとっての意味づけとハウツウを明確に書いているところが大きく違いました。

ただ、ビジネスとして、感動を持たせることによって、付加価値が高まり、リピーターが増えるというのは良いことですし、それが親から子へ、その子が親になりと繰り返されることにより、最終的には、文化になっていくのだと思われますが、先の藤原さんの本を合わせて読むと、故郷の赤い夕日ではなく、人工的な舞台(それもモノを買わせるための舞台)が心の故郷になっていくのは、ちょっと気持ち悪いような気もします。

う~ん、子供の頃に米兵からもらったチョコレートでアメリカに憧れを持つようになった私より少し上の世代のように、ちょっと意図的で気持ち悪い。

休日の家族団らんの思い出が、ファミリーレストランで、結局、ハンバーグとカレーライスが思い出になってしまう。これも、確かに文化なのだけど。

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国の底力と創造都市

藤原さんは、「国の底力」というようなことを言っています。日本が明治維新に成功したのは、底力があったからだ。識字率が高く、本を読み、数学を考え、花を改良し、金儲けとは直接関係のないことに国民は楽しみを見出していた。これが天才を生む土壌である。GDPが何パーセント伸びたというのでは推し量れないといっています。

これは、言い換えると文化です。

先日、大阪市立大学主催の創造都市の国際シンポジウムに参加してきました。内容については、姉妹ブログの「論文」に記しました。

創造都市の定義は、佐々木先生は、確かハイテクも含めていますが、参加されていたロンドンのプラット教授は、カルチュラルシティと言って、主に文化的なものを指していました。

創造都市を言っている人たちは、要は、文化がまちを活性化させる、産業を考えるうえで、創造階級の占める比率が高まっている・・というようなことを研究しているのです。それに対応し、地方自治体がビジョンとして創造都市を掲げるのが流行りのようになっています。

このことは、藤原さんが言っていることとあい通じるところがあるように思います。

日本では、西洋文化が入ってきてから、文化というとなんだか空々しく、きちんとした格好をして分からない音楽を眠いのを我慢して聞き、どこで拍手するのだろうと辺りをうかがったりするイメージがあります。しかし、そうした外来のものだけでなく、私たちの琴線に触れるような文化空間をつくることが必要と思われます。

前にバイオリンマイスターの杉山さんが言っていましたが、そうかといって、私たちは、もう長唄よりも、モーツアルトの方に親しみを感じると言います。それはそれで良いのだろうと思います。感性の自由度を発揮できる環境であれば、私たちはモーツアルトも吸収して日本のものにしてしまうはずなので。

文化的な暮らし・空間のなかで人間形成をすることが、素晴らしい出発点を持つ子供達を育て、そこから、創造性が発揮され、日本が世界からも尊敬されることになると期待されます。

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天才数学家を生んだ景色

藤原正彦『国家の品格』を読んだ。

この本は、自信を喪失し、どちらに向かってよいか分からない日本人にとって嬉しい本である。日下さんが前に日本が同じような状況にあった折に、『新・文化産業論』を著したのと同じような内容・状況だ。

この本で面白かったのは、インドの天才数学者がある田舎町で複数輩出されているということだ。藤原氏も数学者であり、その原因は、美しい景色であるはずと仮説を立てていたのだが、最初は、インドの大都市の汚さに潰されてしまう。しかし、意を決して、彼らの生地である田舎にまで行くと、そこは、自然がとても美しいことと、昔王朝があったため、美しい寺院が沢山あり、彼らが子供の頃から礼拝に行っていたということが分かったというのだ。

大数学者であった岡潔は、数学上の発見に関して西洋人はインスピレーション型、日本人は情緒型であるとし、情緒とは「野に咲く一輪のスミレを美しいと思う心」と答えたという。

藤原氏は、「論理を展開するためには自ら出発点を定めることが必要で、これを選ぶ能力は、その人の情緒や形にかかってくる」としています。出発点を適切に選ぶということは、総合判断力が高まるということで、もののあわれとか美的感受性とか惻隠の情、こういうものがあるかどうかでその人の総合判断力は違ってくる。人間の器が違ってくる。・・と書かれています。

藤原氏は、インドの田舎の寺院を見たときに、その天才数学家の公式と似ていると直感したとあります。

++++

前に関先生と『モノづくりと日本産業の未来』を書かせていただいたおり、福山弘『誰も書かなかった量産工場の技能論』を読みました。そこでは、NC工作機械は機械が加工してくれると考えがちだが、人間の気づきがあってはじめて上手く加工できると書かれていました。

そのなかには、機械の異常を早めに感じること、それには正常な状態での音などを知っていることが必要ということが書かれています。もう一つ、そもそも、「原点」設定するのは、人間であるということがありました。

そもそも、プログラムは、任意に想定した座標を基に刃物の動きを記号化したにすぎないので、それぞれの機械にとっての座標の原点を実際の刃物の先端位置に置き換えてやらなければならず、そこを間違えると機械は暴走してしまうというのです。

NC機械の正常の音を知る、原点をちゃんと決めるということは、数学者が公式を見つける出発点とは違うかもしれませんが、「論理の前に総合的判断力が必要」ということは同じように思われます。

前に書きました職人の捨て引きも、メンデレーエフが未知なる法則を発見したのも、新製品のコンセプトを得るのも、おそらく、個々の人々の総合的判断力、美意識のような最初の出発点、立ち位置のようなものが影響しているのだと思われます。

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2006年3月 8日 (水)

イノベーションを生み出す機会

ドラッカーは、イノベーションを生み出す機会として次の7つを挙げている。

産業の内部

1.予期せぬこと

2.ギャップ

3.ニーズ

4.産業構造の変化

産業の外部

1.人口構造の変化

2.認識の変化

3.新知識

○問題についての会議だけでなく、機会についての会議が必要(予期せぬ売れ方などの検討)

○廃棄の制度化が重要

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技術革新の玉突き現象

ドラッカーの本で面白いと思った記述の一つが、イノベーションが次ぎのイノベーションを産むのだが、それは必ずしも直接的ではないということだ。

1785年、綿紡績にワットの蒸気機関が利用され産業革命が起こったが、それから50年間の間に起こったことは、それ以前から存在していた製品の生産の機械化だけであった。確かに、生産量を大幅に増やし生産コストを下げ、大衆消費者を生み出したが、前から存在していたものの品質のばらつきがなくなり、欠陥が少なくなっただけであった。

そして、1829年に、まったくの新産業として鉄道が現れ、一気に普及した。これによって、心理的な地理を変え、経済を変えた。

次に生まれたのは、電報と写真であり、次が光学器械と農業機械であった。1830年代後半にはじまた肥料産業は、農業を変えた。公衆衛生が普及し、伝染病の隔離、ワクチンの発明、下水道の発達と続いた。こうして都市の住環境が健康になった。続いて、近代郵便、新聞、投資銀行、商業銀行などの新たな社会制度が現れた。

つまり、蒸気機関によって鉄道が生まれたが、次に生まれた新技術は、蒸気機関とは直接関係のないものであった。つまり、鉄道によって世界観が変わり、それによって電報や郵便が生まれたのである。

現在までのところ、IT革命は、それまでに存在したものを単に簡単にした程度であるが、これは、おそらくその後の大きな変化の序盤である。今日のIT革命を考えるにあたっても、次にくるイノベーションは、ITと直接かかわるものではないかもしれない。IT革命によって世界観などが変わり、それが次ぎのイノベーションを生むのである。

ドラッカーはそれをバイオであるとしている・・が。

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2006年3月 7日 (火)

新・職人の時代

今、パラパラ読み返してみると、1994年に書いた「新・職人の時代」の時には、無意識にいろいろなことを合わせて書いていたような気がする。

そもそも、この本を書くに至ったのは、80年代末にはバブルで経済的な指標でみると日本は豊かになったのに、豊かさを感じられないということが話題であり、そのギャップはどこから来るのかを考えたことであった(「新・豊かさ論」)。

しかし、豊かさ全般を捉えるのは、広すぎることと、自分が豊かな暮らしをしていないので、書ききれなかった。そこで、それまで製造業を見てきたので、製造業ということから豊かさを考えようと思ったのだ(「職人ルネッサンス」)。

その過程で、

1.消費者が豊かなものを知らないので、豊かなものが作られていないことが分かった。

2.何故、消費者が豊かなものを知らないのかというと、身体から発想することを忘れて、規格である何センチなどの数値に合うようにものをつくっていること、輸出産業から始まった日本の近代製造業は、暮らしから発想するのではなく、バイヤーが提示した企画書からはじまることなどが分かった。

3.日本の製造業の規格が、傷が少ないとか、丈夫であるとか、着心地とか湿気の多いところで使うとかとは別の基準になっていること、要素技術が優れているが、全体として何のための基準かということが考えられていないことなどが分かった。

繊維でも、自動車でも、日本の工業製品は世界一だと思っていたのだが、それは、ある規格に対してとか、安くという意味では正しいが、ワクワクするようなとか、着心地が良いということは考えられてこなかったことが分かった。

つまり、身体から発想する、着心地の良い服を作るといった目的的、全体的な視点が無くて、寸法がきっちり合っているとか、傷がないとか、速く生産するとか、安く生産するとか要素技術を一つ一つ追求しているのが悪い。

ここから、西洋的と東洋的、あるいは、北型の知と南型の知、分析的と統合的ということに行き着いた。

明治維新で東洋的なものを捨ててきてしまったことと、これに産業革命以降の分業化、規格化、量産化という技術体系へ邁進との二重苦が日本の生活を豊かにしていない、良いものを作るという意味で製造業の競争力を無くしている。

この問題を考える、あるいは解決する糸口が職人であると考えた。

職人は、統合型の技術体系によっており、身体から発想したものづくりができる。アンチ西洋、アンチ産業革命であり、職人を再評価することがこの問題から抜け出せる道であると考えた。

当時は、まだ職人に対し、技術革新を嫌う人、狭い範囲の仕事をする人、時代遅れでばらつきのある仕事をする人と認識されていた。そこで、本来、職人とは、技術革新に挑戦し、自然の声を聞きながらそこから人間に役立つものを作れる人であり、統合的な知識と判断が出来る人であると再評価をした。

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ここまでは、ものづくりということで統一されており、着心地の良い服を作るには、暮らし方を理解し、それに適した素材を選び、デザインを描き、具体的なものに作ることができる職人的ものづくりが必要であると考えた。もちろん、消費者も、良い服とはどういうものかの経験を増やさなければ職人を磨くことができない。

ここでは、職人的な仕事を再評価しているのだが、手作りが良いとか一品生産が良いといっているわけではない。もちろん、身体から発想するので、Aさんに向いているものとBさんに向いているものは違うので、自ずと一品生産になるかもしれないが。

言いたいことは、何のために作るのかを良く理解し、それにもっとも適した素材を選び、作り方を選ぶことの必要性、統合的なものづくりを述べているに過ぎない。同じような空間で、同じような使い方をする人が多ければ、量産品でも構わないのである。最近の言い回しなら、良い設計ができていれば良いという意味だ。

細分化すれば全体が見えるのではなく、全体を見ることが先で、それをかなえるために部分を考えるということを言っている。

+++++++++++++++

しかし、このことを言うにあたって、職人や熟練工を再評価しようと思い、そこから、別のことを論じている。

つまり、人間でなければ出来ないことである。

機械は、教えたこと通りに加工するが、新しい発想はできない、これをやれるのが人間で、職人や熟練工は、それまでの経験で見えないものを見えるのだと説明した。

(この本で事例にあげているのは、温度ですぐに変化する鉄などの素材を磨くにあたって、その調整ができるとか、細い管に細い線を通せるなどなのだが、このベテランでしかできない技や判断は、本当は機械化可能なのだが、ソフト開発にお金がかかるとか、重電機のように大きすぎるので空調の調節が難しい程度のことで、人間のほうが安上がりというものもあるのかもしれない。)

(コンピュータは、端からチェックしていくので時間がかかるが、人間の脳は、よく使っている回路を選択的にチェックするので答えを出すのが速いという面もあるらしい。)

(上記の括弧で示したことが、新しいコンセプトを見つけ出すことと関係しているのかどうかが分からないのだ。)

この本では、この点についていろいろな方々の発言を利用しつつ述べているのだが、ここで私は行き詰ってしまった。

つまり、どうして職人や熟練工は、「捨て引き」や新しい素材が来たときに加工方法についてひらめきが出てくるのだろうかということである。

この本では、

1.前述のように明治維新などで身体の物指しをなくしてしまったため、内なる声が聞こえないとし、何が売れるかといった情報でなく、何を作りたいかという情念で作るようになっていないからとした。優れたデザイナーは、内なる声が聞こえるとした。

2.新しいコンセプトを生み出すには、しがらみや大先生の影響を受けず、自分の価値判断が出来なければだめとした。ノーベル賞を得るには、江崎玲於奈さんがそういっている。優れたA君に似せてA’君、A’’君を作るのではなく、A君、B君、C君を作る教育が必要であると。美味しい料理は、いくらハウツウを習ってもだめで、美味しい料理を知らなければ駄目だ。

3.科学的直感は、学習し、経験し、自ら集中してモノを考えるという脳の訓練の素地がないと生まれないと福井謙一さんが言っている。福井さんは、また、創造性を高めるには、それぞれの道で研鑽している多様な人々が翕然と集まり、刺激しあい、自らの足しになるような場が重要であるともいっている。

多様性、翕然と集まる、内なる声に耳を傾ける(人の判断ではなく自分で判断できる)、学習し集中してモノを考える脳の訓練の素地・・などがキーワードとして並んでいるけれども、ここが今一つ分かったようで分からなかったまま挫折している。

ドラッカーが言う、イノベーションとは、未知なるものの体系化、空欄を埋めることで、体系が見えてくる・・は、どのように可能なのだろうか。

→この件については、「国家の品格」からのヒントを3月26日に後に書いてみた。

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空欄を埋める

前の記事にも触れたが、ポストモダンの世界観では、成長、変化、発展が常態であり、それが無ければ腐敗、死を意味すること、また、それらの変化は不可逆である。しかし、われわれは、まだその体系化に成功していないとされている。

近代では、「進歩が必然」とされていたが、もうそれはない。それに変わって、「イノベーション」があるという。イノベーションは、必然的な進歩なのではなく、目的意識を持って、方向付けし、体系化した変化としてイノベーションを実践しつつあるとしている。

ちなみに、彼は、イノベーションには、2つあって、一つは、自然への理解を通じて何ものかを生むための技術的イノベーションであり、もう一つは、社会のニーズの診断を通じて必要なコンセプトと仕組みを生むための社会的イノベーションであるという。

そして、イノベーションとは、「未知なるものへの跳躍である。目指すところは、新たなものの見方による新たな力である。その道具は科学的であり、プロセスは創造的である。しかしその方法は、既知のものの体系化ではなく、未知なるものの体系化である」としている。

前の記述で触れたように、既知のものの体系化というのはいわゆる認識科学である。未知なるものの体系化は、最近の言葉で言えば設計科学である。イノベーションは、未知なるものへの跳躍であり、そのための方法論(体系化)を求めている。・・これは、教えられないかもしれないが、身につけることはできるはずとしている。

その例として、メンデレーエフによる元素の周期律の発見をあげている。「メンデレーエフは、既知の元素に秩序をもたらすには、いかなる未知のものを想定しなければならないかを考えた」とある。メンデレーエフは、既知の63の元素から空欄を明らかにしたのではなく、空欄(未知の元素)を明らかにすることで、既知の63の元素に位置を与えた。

昔、職人の本を書くときに、小説家でもあり、自ら熟練工でもある小関さんに、熟練工は、ある複雑な形状を機械で削って作るときに、加工方法をシュミレーションし、予め捨て引き(削る)したり、余分なものを溶接したりすると教わった。機械がつかみやすいようにするためだ。出来上がったものを見ても、そんなことは分からない。

少し違うかもしれないが、職人の捨て引きのように、仕上がったものからは見えないが、空欄を明らかにすると、全体が体系化されるというようなことは、確かにありそうだ。

重要なものは、道具ではなく、コンセプトである。分析の前に知覚することが可能であり、それがイノベーションの基盤になる。

今、久しぶりに「捨て引き」のことを引用しようと、職人の本をパラパラ見たら、自分でイノベーションのもとは「コンセプト」であるというようなことを、いろいろな事例で聞いたことから抜き出して書いていた!こういうものがあればよいのに、といったところから生まれるコンセプトがイノベーションを起している。

なんだか、四年間のエセ学者生活(認知科学を良しとする)のなかで、私が唯一持っていた良さ(身体で感じるひらめき)にコケをはやしてしまっていたようだ。皮膚感覚を閉じてしまっていた気がする。

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2006年3月 4日 (土)

テクノロジストの条件

恥ずかしながら、ドラッカーをちゃんと読んだことがなかったが、さすがに、ファンが多いだけあって、含蓄深いことが書かれている。

しかし、この「テクノロジストの条件」は、過去に書かれた沢山の著作から、抜き出して再編集したものなので、読んでいると、何時書いたのかが気になる。特にIT技術などは、今ではもう結論が出てしまったようなことがもったいぶって書いてあったりする。

逆に、今話題になりはじめたと思っていたことを1950年代に書いていたりするので、こりゃすごいと感じるところもある。以下、自分なりに面白いと思ったことをメモっておくことにしたい。

この本のプロローグ「未知なるものをいかに体系化するか」というのを読んで、驚いた。

というのは、このブログの姉妹であるregional innovationの方で、紹介した吉田民人さんの設計科学と同じようなことが書かれていたからである。

それは、「現実はモダンを超えた」「全体は部分の総計か」「因果から形態へ」「目的論的世界観」という小項目に要約されている。

デカルト以来の近代科学がものごとを細分化すれば理解できると考え、定量化による因果関係を示してはじめて理解したといえるとしたのに対し、細分化しても全体は理解できない、(彼は形態という言葉を使っているが)部分の総計ではない全体の重要性を訴えている。一方で、部分は、全体との関係においてのみ存在が可能であると、生物学の進歩からもたらされた知見を述べている。

そして、吉田氏が「設計科学」という言葉を使っているのに対し、ドラッカーは、「目的論的世界観」という言い方をしている。デカルトの時代は、すべてが等式の両辺にあって移項可能であったのに対し、ポストモダンの世界観では、プロセスが重要で、成長、変化、発展するとしている。

プロローグは、最近書かれたものなのかと思ったら、なんと1957年に書かれている本から持ってきたものであった。

そこで、「ポストモダンの世界感が世界の現実となった。今日では、このことはあまりに明らかである。方法論上、哲学上これを知らない者は、よほどの時代遅れである」と書かれているのだ。

私は、1994年頃に「職人」の本を書いた時に、漠然とこの「分析ではなく全体である」lことの大切さを感じたのだが、それでも、当時の上司には、「コンピュータが分析して同じものができる時代であり、職人の良さを言うのはノスタルジーでしかない」と言われたものだ。

今でも、学者の世界では、論文の良し悪しは、この定量化された因果関係を説明していないと駄目といわれてしまう。

ドラッカーが1957年にこの本を書き、近代科学の考え方は時代遅れだと言っているのに、どうして頭の良い人たちが「近代科学」の桎梏から解き放たれなかったのだろう!

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休日に経営書を読む会

サッポロバレーで働く人々の顔が見えないと嘆いていましたら、「休日に経営書を読む会」をやっているので、参加してもよいと誘っていただいた。

経営学部のセンセイをしていたといっても、経営学の本をちゃんと読んだこともないので、一緒に勉強させてもらうことにした。

サッポロバレーの経営者の多くは、大学の理工系を出てそのまま会社を興した人が多く、オタク系などと言われているので、彼らは忸怩たるところがあり、ちゃんと自分達で経営を勉強しようという思いがあるようだ。経営者だけでなく、やる気のある中堅社員も含まれている。

もうずい分いろいろな本を読まれてきたようだが、私が先月参加した折には、課題がドラッカーの「テクノロジスト」の条件であった。

前回に次に読む本を決め、当日は、それぞれが感想を言い合うというもので、日曜日の午前中二時間ほどの会合だ。メンバーでもこれない(来ない)人もいる。仕事の合間に本をちゃんと読むというのは、結構大変だったが、忙しい社長さんたちもちゃんと呼んでくるので偉いなぁと感心。

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