空欄を埋める
前の記事にも触れたが、ポストモダンの世界観では、成長、変化、発展が常態であり、それが無ければ腐敗、死を意味すること、また、それらの変化は不可逆である。しかし、われわれは、まだその体系化に成功していないとされている。
近代では、「進歩が必然」とされていたが、もうそれはない。それに変わって、「イノベーション」があるという。イノベーションは、必然的な進歩なのではなく、目的意識を持って、方向付けし、体系化した変化としてイノベーションを実践しつつあるとしている。
ちなみに、彼は、イノベーションには、2つあって、一つは、自然への理解を通じて何ものかを生むための技術的イノベーションであり、もう一つは、社会のニーズの診断を通じて必要なコンセプトと仕組みを生むための社会的イノベーションであるという。
そして、イノベーションとは、「未知なるものへの跳躍である。目指すところは、新たなものの見方による新たな力である。その道具は科学的であり、プロセスは創造的である。しかしその方法は、既知のものの体系化ではなく、未知なるものの体系化である」としている。
前の記述で触れたように、既知のものの体系化というのはいわゆる認識科学である。未知なるものの体系化は、最近の言葉で言えば設計科学である。イノベーションは、未知なるものへの跳躍であり、そのための方法論(体系化)を求めている。・・これは、教えられないかもしれないが、身につけることはできるはずとしている。
その例として、メンデレーエフによる元素の周期律の発見をあげている。「メンデレーエフは、既知の元素に秩序をもたらすには、いかなる未知のものを想定しなければならないかを考えた」とある。メンデレーエフは、既知の63の元素から空欄を明らかにしたのではなく、空欄(未知の元素)を明らかにすることで、既知の63の元素に位置を与えた。
昔、職人の本を書くときに、小説家でもあり、自ら熟練工でもある小関さんに、熟練工は、ある複雑な形状を機械で削って作るときに、加工方法をシュミレーションし、予め捨て引き(削る)したり、余分なものを溶接したりすると教わった。機械がつかみやすいようにするためだ。出来上がったものを見ても、そんなことは分からない。
少し違うかもしれないが、職人の捨て引きのように、仕上がったものからは見えないが、空欄を明らかにすると、全体が体系化されるというようなことは、確かにありそうだ。
重要なものは、道具ではなく、コンセプトである。分析の前に知覚することが可能であり、それがイノベーションの基盤になる。
今、久しぶりに「捨て引き」のことを引用しようと、職人の本をパラパラ見たら、自分でイノベーションのもとは「コンセプト」であるというようなことを、いろいろな事例で聞いたことから抜き出して書いていた!こういうものがあればよいのに、といったところから生まれるコンセプトがイノベーションを起している。
なんだか、四年間のエセ学者生活(認知科学を良しとする)のなかで、私が唯一持っていた良さ(身体で感じるひらめき)にコケをはやしてしまっていたようだ。皮膚感覚を閉じてしまっていた気がする。
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