天才数学家を生んだ景色
藤原正彦『国家の品格』を読んだ。
この本は、自信を喪失し、どちらに向かってよいか分からない日本人にとって嬉しい本である。日下さんが前に日本が同じような状況にあった折に、『新・文化産業論』を著したのと同じような内容・状況だ。
この本で面白かったのは、インドの天才数学者がある田舎町で複数輩出されているということだ。藤原氏も数学者であり、その原因は、美しい景色であるはずと仮説を立てていたのだが、最初は、インドの大都市の汚さに潰されてしまう。しかし、意を決して、彼らの生地である田舎にまで行くと、そこは、自然がとても美しいことと、昔王朝があったため、美しい寺院が沢山あり、彼らが子供の頃から礼拝に行っていたということが分かったというのだ。
大数学者であった岡潔は、数学上の発見に関して西洋人はインスピレーション型、日本人は情緒型であるとし、情緒とは「野に咲く一輪のスミレを美しいと思う心」と答えたという。
藤原氏は、「論理を展開するためには自ら出発点を定めることが必要で、これを選ぶ能力は、その人の情緒や形にかかってくる」としています。出発点を適切に選ぶということは、総合判断力が高まるということで、もののあわれとか美的感受性とか惻隠の情、こういうものがあるかどうかでその人の総合判断力は違ってくる。人間の器が違ってくる。・・と書かれています。
藤原氏は、インドの田舎の寺院を見たときに、その天才数学家の公式と似ていると直感したとあります。
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前に関先生と『モノづくりと日本産業の未来』を書かせていただいたおり、福山弘『誰も書かなかった量産工場の技能論』を読みました。そこでは、NC工作機械は機械が加工してくれると考えがちだが、人間の気づきがあってはじめて上手く加工できると書かれていました。
そのなかには、機械の異常を早めに感じること、それには正常な状態での音などを知っていることが必要ということが書かれています。もう一つ、そもそも、「原点」設定するのは、人間であるということがありました。
そもそも、プログラムは、任意に想定した座標を基に刃物の動きを記号化したにすぎないので、それぞれの機械にとっての座標の原点を実際の刃物の先端位置に置き換えてやらなければならず、そこを間違えると機械は暴走してしまうというのです。
NC機械の正常の音を知る、原点をちゃんと決めるということは、数学者が公式を見つける出発点とは違うかもしれませんが、「論理の前に総合的判断力が必要」ということは同じように思われます。
前に書きました職人の捨て引きも、メンデレーエフが未知なる法則を発見したのも、新製品のコンセプトを得るのも、おそらく、個々の人々の総合的判断力、美意識のような最初の出発点、立ち位置のようなものが影響しているのだと思われます。
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