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2006年3月 7日 (火)

新・職人の時代

今、パラパラ読み返してみると、1994年に書いた「新・職人の時代」の時には、無意識にいろいろなことを合わせて書いていたような気がする。

そもそも、この本を書くに至ったのは、80年代末にはバブルで経済的な指標でみると日本は豊かになったのに、豊かさを感じられないということが話題であり、そのギャップはどこから来るのかを考えたことであった(「新・豊かさ論」)。

しかし、豊かさ全般を捉えるのは、広すぎることと、自分が豊かな暮らしをしていないので、書ききれなかった。そこで、それまで製造業を見てきたので、製造業ということから豊かさを考えようと思ったのだ(「職人ルネッサンス」)。

その過程で、

1.消費者が豊かなものを知らないので、豊かなものが作られていないことが分かった。

2.何故、消費者が豊かなものを知らないのかというと、身体から発想することを忘れて、規格である何センチなどの数値に合うようにものをつくっていること、輸出産業から始まった日本の近代製造業は、暮らしから発想するのではなく、バイヤーが提示した企画書からはじまることなどが分かった。

3.日本の製造業の規格が、傷が少ないとか、丈夫であるとか、着心地とか湿気の多いところで使うとかとは別の基準になっていること、要素技術が優れているが、全体として何のための基準かということが考えられていないことなどが分かった。

繊維でも、自動車でも、日本の工業製品は世界一だと思っていたのだが、それは、ある規格に対してとか、安くという意味では正しいが、ワクワクするようなとか、着心地が良いということは考えられてこなかったことが分かった。

つまり、身体から発想する、着心地の良い服を作るといった目的的、全体的な視点が無くて、寸法がきっちり合っているとか、傷がないとか、速く生産するとか、安く生産するとか要素技術を一つ一つ追求しているのが悪い。

ここから、西洋的と東洋的、あるいは、北型の知と南型の知、分析的と統合的ということに行き着いた。

明治維新で東洋的なものを捨ててきてしまったことと、これに産業革命以降の分業化、規格化、量産化という技術体系へ邁進との二重苦が日本の生活を豊かにしていない、良いものを作るという意味で製造業の競争力を無くしている。

この問題を考える、あるいは解決する糸口が職人であると考えた。

職人は、統合型の技術体系によっており、身体から発想したものづくりができる。アンチ西洋、アンチ産業革命であり、職人を再評価することがこの問題から抜け出せる道であると考えた。

当時は、まだ職人に対し、技術革新を嫌う人、狭い範囲の仕事をする人、時代遅れでばらつきのある仕事をする人と認識されていた。そこで、本来、職人とは、技術革新に挑戦し、自然の声を聞きながらそこから人間に役立つものを作れる人であり、統合的な知識と判断が出来る人であると再評価をした。

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ここまでは、ものづくりということで統一されており、着心地の良い服を作るには、暮らし方を理解し、それに適した素材を選び、デザインを描き、具体的なものに作ることができる職人的ものづくりが必要であると考えた。もちろん、消費者も、良い服とはどういうものかの経験を増やさなければ職人を磨くことができない。

ここでは、職人的な仕事を再評価しているのだが、手作りが良いとか一品生産が良いといっているわけではない。もちろん、身体から発想するので、Aさんに向いているものとBさんに向いているものは違うので、自ずと一品生産になるかもしれないが。

言いたいことは、何のために作るのかを良く理解し、それにもっとも適した素材を選び、作り方を選ぶことの必要性、統合的なものづくりを述べているに過ぎない。同じような空間で、同じような使い方をする人が多ければ、量産品でも構わないのである。最近の言い回しなら、良い設計ができていれば良いという意味だ。

細分化すれば全体が見えるのではなく、全体を見ることが先で、それをかなえるために部分を考えるということを言っている。

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しかし、このことを言うにあたって、職人や熟練工を再評価しようと思い、そこから、別のことを論じている。

つまり、人間でなければ出来ないことである。

機械は、教えたこと通りに加工するが、新しい発想はできない、これをやれるのが人間で、職人や熟練工は、それまでの経験で見えないものを見えるのだと説明した。

(この本で事例にあげているのは、温度ですぐに変化する鉄などの素材を磨くにあたって、その調整ができるとか、細い管に細い線を通せるなどなのだが、このベテランでしかできない技や判断は、本当は機械化可能なのだが、ソフト開発にお金がかかるとか、重電機のように大きすぎるので空調の調節が難しい程度のことで、人間のほうが安上がりというものもあるのかもしれない。)

(コンピュータは、端からチェックしていくので時間がかかるが、人間の脳は、よく使っている回路を選択的にチェックするので答えを出すのが速いという面もあるらしい。)

(上記の括弧で示したことが、新しいコンセプトを見つけ出すことと関係しているのかどうかが分からないのだ。)

この本では、この点についていろいろな方々の発言を利用しつつ述べているのだが、ここで私は行き詰ってしまった。

つまり、どうして職人や熟練工は、「捨て引き」や新しい素材が来たときに加工方法についてひらめきが出てくるのだろうかということである。

この本では、

1.前述のように明治維新などで身体の物指しをなくしてしまったため、内なる声が聞こえないとし、何が売れるかといった情報でなく、何を作りたいかという情念で作るようになっていないからとした。優れたデザイナーは、内なる声が聞こえるとした。

2.新しいコンセプトを生み出すには、しがらみや大先生の影響を受けず、自分の価値判断が出来なければだめとした。ノーベル賞を得るには、江崎玲於奈さんがそういっている。優れたA君に似せてA’君、A’’君を作るのではなく、A君、B君、C君を作る教育が必要であると。美味しい料理は、いくらハウツウを習ってもだめで、美味しい料理を知らなければ駄目だ。

3.科学的直感は、学習し、経験し、自ら集中してモノを考えるという脳の訓練の素地がないと生まれないと福井謙一さんが言っている。福井さんは、また、創造性を高めるには、それぞれの道で研鑽している多様な人々が翕然と集まり、刺激しあい、自らの足しになるような場が重要であるともいっている。

多様性、翕然と集まる、内なる声に耳を傾ける(人の判断ではなく自分で判断できる)、学習し集中してモノを考える脳の訓練の素地・・などがキーワードとして並んでいるけれども、ここが今一つ分かったようで分からなかったまま挫折している。

ドラッカーが言う、イノベーションとは、未知なるものの体系化、空欄を埋めることで、体系が見えてくる・・は、どのように可能なのだろうか。

→この件については、「国家の品格」からのヒントを3月26日に後に書いてみた。

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