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2006年10月30日 (月)

教養

文化人とか知識人なら必ず読んでいなければ恥ずかしい本というのがある。

また、専門分野であれば必ず読んでいなければ専門家として認められない本というのがあるらしい。

私は、恥ずかしながら、この両方が欠けている。

子供の頃に、必ず読まなければならない本の何冊かは読んだと思うが、読んだというだけで、そこから何も得ていなければ読んだことにはならない。多くの「難しい本」は、途中で投げ出すか、頭を通り過ぎてしまった。

昭和一桁くらい生まれの人は教養ごっこが好きで、自分達が青春時代に興奮して読んだ本や受験勉強で覚えたことなどを知っているかどうか探り、私が知らないと馬鹿にする。「あんたたちの時代は、遊ぶことが少なかったし、やっと手に入れられた本だから印象深いのであって、私たち豊かな時代に育った世代は、もっといろいろなことを楽しんだんだヨ」と腹の中では言い訳するが、いい歳になるとちょっと恥ずかしくもなる。

望月照彦さんは、私より数歳年上なだけだが、文化人であり、私の苦手なカタカナの哲学者などの名前や著作を例に出す。前に書いた94年の小田急学会でご一緒したことがあるが、「この人たちはマルチメディア時代に何を感じるだろうか」といったようなテーマで、ベンヤミンやプルーストを取り上げていた。

昨日、このレジュメは捨ててしまったのだけれど、気になったので、ネット検索して俄か教養をつけようとした。ネット検索すると、Wikipedia松岡正剛の千夜千冊が良くヒットし、概要をつかむのに便利だった。

ところが、今日、ある人からのメールに返信するにあたって、「私の記憶はだいたい食べ物と結びついている」と書いて、折角俄かに得た教養(ブルーストの『失われた時を求めて』というのがマドレーヌを紅茶に浸して食べたら子供の頃の記憶が蘇った・・時間と記憶を取り扱っている)を披露しようと思ったら、もうこのカタカナの名前を思い出せなくて困った。

そこで、ここにメモ代わりに記しておくことにした。

ついでに、イタリアのことや創造都市について勉強している仲間に、ベンヤミンやウンベルト・エーコを読むように言われ、アマゾンかなにかで購入したのだけれど、まだ読めずにいる。

そうしたなか、同じファイルのなかから、92年の『中央公論』に青木保さんの「今月の言葉:協力の欠如」という1ページもののコラムが出てきた。

エーコのカンパニーレ論(「死の匂う笑い-ユーモアの天才カンパニーレ」和田忠彦訳『新潮』九月号に面白い引用があると書かれている。

Park1 カンパニーレとは鐘楼のことで、イタリア人は、故郷の鐘の音が聞こえるところに住んでいたいと考えると昔聞いたことがある(カンパリニズモ)。ピアニストのフジ子・ヘミングの十八番「カンパネラ」も鐘の音を表現したものだ。

ところで、このカンパニーレ(1899-1977)は鐘楼ではなく大衆小説家とのこと。エーコは、カンパニーレの次の文章を「暗黙の要請に対する協力の欠如」の例として引用しているという。

「失礼? わたくしペリクレ・フィスキエッティです。あなたは?」
「わたしはちがいます」

青木さんは、この話を取り上げて、国際社会における日本の態度を「意識のズレ」として懸念するといったことを書いている。

他の事例が浮かばないが、落語で魚屋が与太郎に猫を見張っていろと言われて、猫が魚をさらっていくのを見張っていたというのに似た笑いだろうか。与太郎の話は笑えるが、カンパニーレの話は、滑稽さよりコミュニケーションできない寒さを感じる。

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女性の社会進出

93年頃に経団連主催の「女性の社会進出に関する部会」に参加しており、その頃の労働省婦人局の資料や資生堂福原社長(この部会の委員長)がL.R.ガレーズ著、江川雅子訳『ハーバードの女たち』に書かれた解説のコピーが出てきた。

M字型と呼ばれる女性の労働形態のへこみをどう無くすか、女性管理職をどう増やすかなどがこの頃の関心ごとだったと記憶するが(どのような報告書、提言になったのだったか覚えていない)。

Park 福原さんが書かれているように、アメリカでは、次々と敏腕の女性経営者が誕生しているし、彼女らは、男社会で戦う化粧もしないギスギスした女性闘士ではなく、女性らしいしなやかさを持っているようにみえる。

最近ではビジネス社会から遠ざかってしまったので分からないが、男女共同参画社会基本法が出来てから社会に入った人々のなかで日本でも上記のような素敵な女性経営者や管理職が増えているのかもしれない。

しかし、改めて内閣府男女共同参画局のHPにある白書を概観しても、現実的には、余り大きく変わっていない印象を受ける。

企業での女性登用などを制度化するといった個別対応ではなく、社会そのものについての考察が必要に思う。

前にどこかの雑誌の論文募集で「高齢化」だか「少子化」だかのテーマがあり、こっそり「婚外婚」を認める必要性について書いたものを募集したがあっさり落ちてしまったことがある。生々しいテーマであるため経済論文として出すのが気が引けたし、友人と議論を深めるのも憚られて引き出しにしまってある。

しかし、法律で決められた結婚や家族だけが制度的にも、社会通念的にも認められるというのが時代に合っていないように思えたのだ。北欧のルポなどで、子供が「僕のパパではないけど、ママのパートナーだ」といっているのを見て、これが本来の姿なのではないかと思った。

家制度は、戦後、大家族から夫婦単位に変わった。昔は、家電製品もないし、農業などでは、大家族は家族でもあるが、生産共同体でもあったのだが、戦後、サラリーマンが中心となり、夫の稼ぎで生殖と生活をする小家族となった。ところが、今日では、妻も仕事をしてお金を稼ぐことが可能になり、子供もコンビニで食事をまかなうことが可能になり、共同体で暮らす意味が失われている。

偕老同穴で死ぬまで添い遂げられる夫婦になれるならそれに越したことはないが、そうでない場合もあるだろうし、そうした相手めぐり合うまでの過程も必要なはずだ。だから、人生のいろいろな場面で好きな相手が出来て生殖し、子供が生まれたら、それと結婚という制度の問題とは本来異なるものであるべきなのだろうと思う。

しかし、前職で知ったように、離婚家族や片親家族の場合、子供を十分に育てきれず(経済的な理由と精神的な理由とで)、非行に走る子供が多いのも確かなことだ。アメリカでも、離婚した片親家族の場合、低所得で非行に走り、その子供がまた片親家族になるというようなことが報告されている。

つまり、婚外婚や婚外子を当たり前にして欲しいのだけれど、まだそれを可能にする経済的、社会的な環境が整っていないのだ。この本質の議論を抜きにしては、女性の社会進出、少子化、高齢化の問題は解決しないと思う。

最近では、こうした論調も増えてきているようだ。たまたまネット検索していたら、便利なサイトを発見したジェンダーの専門家による本も出ているようだ。・・・片付けが終わったら、もう少し深く考えてみたいテーマだ。

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企業から金を引き出す

今野由梨さんが社長を勤めるダイヤルサービスと生活科学研究所のパンフレットが出てきた。

今野さんは、女性経営者として第一人者だし、ダイヤルサービスは、日本における電話活用ビジネスの草分け的存在でもある。おまけに、ともかくとてもお綺麗だ。確か安比高原でスキーをご一緒したことがあるが、所作もまるでお姫様のようであった。

また、何か著名な女性が集まる会合に出たことがあるが、今野さんをはじめ同年代くらいの有名な女性たちが良い匂いをさせてあでやかに参加されていた。休憩時にダンス音楽がかかった時であったろうか、皆が初老の紳士方を誘って、優雅に社交ダンスを始められたのに驚いた。

私のような田舎者は、ただ唖然とするしかなかった。

Venicesenntaku   ところで、ダイヤルサービスのビジネスモデルは、今更のように上手いと思う。たとえば、主なメニューである「赤ちゃん110番」は森永製菓、「子供110番」はトヨタ自動車、「食の生活110番」は東京ガスがスポンサーとなっている。企業にとっては、メセナでもあるし、そこからマーケティング情報を得ることができる。

そして、主要株主には、NTTデータ(コールセンターや通信システムの実験的存在であった)、上記企業(トヨタは見当たらないけど)が名を連ねる。

つまり、大企業にとって欲しいもの:新技術の実験場、漠然としてつかめない消費者の声、良いことをしている企業という評判・・などを提供する「プラットフォーム」を作ることで、企業からお金を引き出すことが出来、一方、相談者からの生の声の蓄積から同社しか得られないマーケティング情報を得られる仕組みだ。

ところで、インターネットが普及した今日、このビジネスモデルは比較的一般化している。

たとえば、懸賞サイトを運営し、企業に成り代って消費者に見本などを届けて感想を聞くビジネスモデルもこれにあたる。

知人の橘川さんが文科省から受託を受けている「オンディマンド型教育コンテンツプラットフォーム」も当面は文科省の受託事業であり、企業から儲けるものではないが、将来的には、そういう方向に展開できる可能性がある。

つまり、企業がやりたいが自社ではお客を探したり、お客のニーズを捉えにくい分野(この例では、学校:先生:父兄:子供)で、企業とお客が出会えるプラットフォームを提供するというビジネスモデルだ。この場合、コンテンツは、企業が持っていたり、別の誰かが持っているのを探し出してプラットフォームに載せればよい。

ダイヤルサービスの場合には、相談員は自前で用意しているが、現在では、過去の相談の蓄積でかなりのノウハウが溜まっているはずだ。相談への対応のコンテンツが不足していれば、たとえば小児科の先生と契約をしても良い。

北海道では、各地域でユニークな観光メニューを開発・実践している人・企業・NPOがあるが集客ができない。一方で、課外活動のメニューを探している学校の先生や新しいメニュー開発をしたい旅行会社などがあるはずだ。コンテンツを持つ側とコンテンツを探している側が出会えるプラットフォームを作ったらビジネスになるのではないだろうか。

北海道ではなく、私が西東京市でやれるとしたらどのようなプラットフォームが可能だろうか。あるいは、どこならスポンサーになってくれるだろうか(何かに困っている企業、お金を持っていそうな企業)、どんな情報なら欲しいのだろうか。

団塊の世代のプラットフォームを作ったらどうだろう。この世代についてのただのマーケティングなら他にもあるだろう。企業がメセナしやすいのは、今なら環境、国際貢献、もう少しすると教育、子育て・・・う~ん、もう手垢がついている。

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インタラクティブアート

Venice 94年に開催された「第一回双方向美術展」のパンフレットが出てきた。

コンピュータを活用したアートが盛んになりはじめた頃?だったと記憶する。河口洋一郎さんのCGによるサイケで確か勝手に繁殖するようなアートも当時みて凄いなぁとは思った。

この「双方向展」では、その第一人者の土佐尚子さんの「NEURO BABY」がパンフレットの絵になっている。コンピュータの双方向性を重視する・・という意味では、画期的だったのだと思うが、技術的にまだはじまったばかりであったのだろうこの赤ん坊を私は余り好きになれなかった。

しばらくこうした話題から離れていたので(当時は、コンピュータオタクというかコンピュータの可能性を信じていろいろ試みている人々が私の周りにもいたので、そうした人の知り合いという形で情報が入ってきたり、勉強会などに参加する機会が多かった)、どんな風になっているのだろうとネット検索をしてみた。

そうしたら、ずいぶんとコンピュータも進歩したし、コンピュータの活用方法も深まったようで、松岡正剛さんとのコラボによる「ZENetic Computer」(禅の思想に立ち入れる)にまで進展したようだ。パンフレットを見ると、正剛さんのしゃれた言い回しに圧倒され、なにやら凄そうだけれど、実物をみて双方向性を試してみないことには、本当のところは良く分からない。

一般の世界では当たり前のことをコンピュータを使って実現するということは、翻訳作業が大変らしいのだけれど、素人が見ると「なんだつまらない」と感じることが多い。だから価値がないという意味ではなく、森羅万象、神様の作った世界というのが実に緻密で素晴らしいということであり、それを理解するためにも、翻訳作業は必要だし、そこから新しい何かが生まれるのかもしれない。

だから、過度に期待しないけれど、この「Zen」を見てみたい。

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アクティブ・シルバー王国

熊本県人吉市(人口4万人弱)が高齢者生活産業都市「アクティブ・シルバー王国」の基本構想をまとめたという94年の新聞記事が出てきた。

96-97年頃に高齢化社会についての調査研究をしていた頃、友人の藤原肇さんが人吉市のこの基本構想づくりに係わっており、PPK(ピン・ピン・コロリ:元気でいてコロリと死にたい→コロリと死ぬまでは元気で活躍していたい)というキーワードを教えてくれた。この新聞記事もたしか藤原さんが参考までにくれたものだと思う。

全国平均より10歳も高齢化が進んでいる人吉市は、いわば先進地域である。アクティブ・シルバー王国は高齢者が元気で活躍してくれなければ地域も困るし、働けるだけ働きたいという高齢者自身の希望も叶えたいということから、それに必要な仕組みづくり(高齢者の経験を活かせる職場の創設、高齢者の起業支援)をしようと言うもの。

地域では、首長が意欲的でこうした基本構想をまとめても、首長が代わると忘れ去られることが多い。そこでHPを検索すると、この話は出てこない。しかし、「市民参加」をクリックすると、「みんなでつくろう高齢者大学校」というのがあって、ワークショップを数回にわたって実施し、これから具体的な計画づくりに入るようだ。

市民参加型で実のあるものになってくれるのを期待したいが、94年の構想からの流れだとすると、ずいぶんと時間がかかっているものだ。学ぶ・高める、ボランティア、ビジネス、遊ぶ・楽しむという4軸で市民がこの大学校に寄せるニーズが整理されている。

私の整理から言うと、学ぶと遊ぶは「消費者」、ボランティアとビジネスが「生産者」となる。先の基本構想は、一般的に「消費者」としてのみ扱われがちな高齢者を「生産者」としても扱って欲しいというものなのだが、「生産者」としての姿は、実のところまだ見えていない。

一般には、たとえば、昔の技術を途上国に教えに行くとか、おばあさんの知恵袋を若い人に伝えるとかのイメージだが、社会全体の仕組みや高齢者になるまでの暮らしぶり(働きぶり)から考えないと、本当の意味で高齢者が豊かな生産者にはなれないような気がしている。

Dohgu よく、職人の人が一生勉強であるというようなことを言う。名人といわれる人でも、最後まで悩んだり、工夫をしたり、挑戦したりする。役者は、若い頃にはお姫様役であっても、年齢を重ねるごとに老け役をするようになり、体力が続くまで未知の自分を引き出すチャンスがある。

こういう仕事の人は、歳を取りつつ生産者でありつづけることが可能だが、会社勤めをしていた人は歳を取りつつ豊かな生産者になれるのだろうか。農業や漁業が中心の社会であったときには、自然との対話のなかで上記の職人と同じように年齢を重ねるにつれ哲学的な思考を深めることが出来たはずだ。商店なら、地域に仲間もいる。仮に息子に後を譲っても、町を活性化するなどの社会的な生産活動をすることが出来るだろう。

会社勤めをしていた人は、定年と同時に地域社会のなかに放り出される。運良く奥さんが一緒に旅行などして遊んでくれる人は消費者として時間を潰せるだろうが、生産者となるには、ムリがある。体力や気力が衰える一方で、技術革新やグローバルな環境変化が激化しているビジネス社会のなかで、その一部を担うとしても、スピードについていけないであろうし、後進に教えられる範囲はとても少ないと思われる。自尊心を傷つけられるか、虚無感を味わうか、鈍感なまま後進に哀れみの目でみられるかだろう。

多くの人が会社勤めになっている今日、高齢者が豊かな生産者になるためには、何かもう少し考えなければいけないように思う。

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ところで、私は、昨年、夏に、人吉市に隣接した山江村に住民ディレクター(インターネットTV)の集まりに参加させてもらい、たまたま人吉市を訪ねる機会があった。HPでみると、人吉市でも「ひとよし物語テレビジョン」というビデオ図書館が設けられているようだ。

もっとも、私は、球磨川くだりや鍾乳洞めぐり、幽霊の掛け軸がある永国寺などを巡ってすっかり遊んだだけなのだが。

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2006年10月29日 (日)

Stew Leonald

アメリカの小売業で素晴らしいところがあるというので、確か1998年にアメリカに出張した折、その小売店に行って来た。

Save0000_2 コネチカット州Norwalkにある「Stew Leonald」がそれだ。NYマンハッタンのホテルに泊まっていたので、タクシーをチャーターして行ったのだが、一日仕事だった。もともとは牛乳工場だったのを買い取って小売店にしたというので、マークは乳搾りの絵になっている。

この絵は、買い物したビニール袋の絵を写し取ったもので、何かの折のスライドに使おうと取っておいたが、結局使わずにしまわれたままになっていた。

流通業に詳しい知人達に言わせると、日本の流通業界の人々が皆視察に行き、感心して帰ってくるのだが、まだどこも日本で実現していないのだという。

流通業界のプロが実際には、何を感じたのかその後問いただしていないのだが、要は縁日のような賑わい、エンターテインメント性の演出のことなのだろうと思う。

アメリカのスーパーマーケットというとだだっ広くってカートを押すのも容易というイメージであるが、ここは、ごちゃごちゃしている。入り口が焼きたてパンの工房なのでおいしそうな匂いが鼻をくすぐる。

野菜売り場では、たとえば、りんごがいろいろな種類並べられていて、どのりんごは焼くのに良いとか、ジャムに良いなどのポップが貼られている。その場でジュースにしてもらったり、カットした果物を詰め合わせてくれる。ケーキ売り場では、家族のイベント(誕生日など)のために、写真をそのまま焼き付けてくれる。シチューなどを購入すると、出口にあるベンチで食べられるという具合だ。

また、15分?間隔に、野菜売り場の上から野菜のおもちゃが出てきて歌を歌ってくれる。カートに乗せられた子供たちが皆顔を輝かせて一緒に歌を歌っている。

日本では衛生法や消防法などでムリなこともあるのだろう。

最近では、日本のスーパーなどでも、入り口がパン工房になっていたり、空間に誰でも座ったり、食べられるスペースを設けているところもある。また、マグロの解体をショーにしているケースもみられる。詰め放題が消費者参加のイベントとなっている場合もある。

でも、どちらかと言うと売らんかなという演出であって、子供たちが目を輝かせるような演出には出会っていない。

合理化省人化が進んでいると思われるアメリカで対面販売をメインにし、個別対応を進めている小売店があるのに対し、日本のスーパーは、むしろそっけない。

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バーチャルコーポレーション

94年に小田急学会でバーチャルカンパニーについて報告した頃に、『バーチャル・コーポレーション』という本が刊行された。

ウィリアム・ダビドゥ/マイケル・マローン著、牧野昇監訳で、原書は、1992年、翻訳本は1993年に初版が出されている。

私が報告したような変化の兆しがあるなかで、この本のタイトルは、ビジネスマンを惹き付けるところがあった。この本も情報化が進展するなかで、これまでの主としてアメリカにおけるビジネスのやり方が変容を迫られることになるだろうということを書いている。

1.量産品ではなく、オンディマンドに
2.ピラミッド型の組織形態ではなく、フラット化し、知的労働者が担う組織に
3.企業のなかで完結するのではなく、流通の組織化や消費者のファン化など運命共同体へ

ここでお手本とされているのが、トヨタ生産方式で、リーンな生産方式や考える現場や流通系列化などであり、アメリカ人からみて日本方式から多くの示唆を得た内容となっている。

もちろん、日本のやり方から示唆を得て、そこに情報化の効果を加味し、バーチャル・コーポレーションという概念をまとめあげたところが新しいわけだが、日本人からみると、本の表題の衝撃に比べ、ちょっと拍子抜けしてしまう内容だ。

私のバーチャルカンパニーは、無意識にこの本で述べている内容からトヨタ的な部分を引き算したものになっている。私にとってトヨタは、最も大きな組織であり、量産メーカーであると思えたからだ。日本人にとっては、トヨタに就職するのではなく、シリコンバレーのように大学や大企業をスピンオフして創造的な活動に挑戦するビジネス風土が欲しいからだ。

でも、私はどうやら「組織」の力を評価しなさすぎたようだ。若い頃には「組織」のなかで働き、その恩恵をかなり受けたのだが、組織の有り難味を理解していなかったし、恩恵を受動的に受けただけで、自ら組織を活用する術を身につけてこなかった。

そうかといって、必殺仕事人のように、本当に一人で戦えるだけの剣を磨いたり、リスクを認識し、それを最小限する術を得てこなかった。Swiss

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2006年10月28日 (土)

謎掛けと川柳

講演会などでなかなか上手に話せない、間が取れない、笑いが取れない、落ちが取れないということがあって、一時期謎掛けや川柳を最初に使おうと試みたことがあった。今回ファイルを整理しているとその苦心のあとがうかがえる。

「日本と掛けて熟れた西瓜と解く」その心は「見かけは良いが中はぐずぐず」

これは、バブルの頃に「日本は豊かになったのだろうか、真の豊かさとは」という話をするときに使ったもの。

また、94年の小田急学会は、全体のテーマが「情報」だったようで、私は、第二分科会でバーチャル・カンパニー(VC)が主役という報告した。その時のメモとスライドが出てきた。

この折には、確か講談師のマネをして張り扇を使おうと思った記憶がある。でも、張り扇というのは売っているものではなく、自分で作るとのことで、あきらめて使わなかったかもしれない。

節ごとに、小項目を五七五で作り、声を張り上げて読み上げ、それに合わせて紙芝居やのようにスライドをさっと取り替えるというようなことをしたと記憶する。

たとえば、最初の節では、「一心にコスト下げたら円高に」と読み上げ、円高が常態化したなかで日本の産業は、これから新しいものを創造していかなければならないという説明をした。

Save0000_1 そのためには、「クリエイト組織も人も新しく」として創造に適した組織や人材が求められる。スライドでは、クリエイトを栗を8つ描いてみた(スライド1)。組織は、映画づくりのように、プロジェクトごとに関心を持つ専門家が集まり、恒常的ではなく必要に応じて組成される。野球型ではなく、サッカー型でより専門家に判断が任される(スライド2)。

「ビッグバン新しい世界の誕生だ」とし、VCでは、多様な資質の人々が互いに触発しあい、知識の爆発が起こる(スライド3)。

Save0002 これまでの組織(リアルカンパニー:RC)では、何故創造型ではないかというと、「黄信号皆で様子をうかがおう」他社がやっているかどうかなどの情報に頼る)からで、これまでの就職先の選び方は「大樹には雷様もやってくる」(寄らば大樹の陰)だったからで、そういう命令で動く組織にいると枠にはまった人材になってしまう。

「飛び出そうやりたいことがあるはずだ」(スライド4)人は本来いろいろな形をしているものであるから、枠から飛び出せばもてる資質が目覚めるはず。

「昼あんどん五時から男夜は虎」スライド5)VCは、江戸時代の連に似ていて、連では、身分の差を乗り越えて、多様な資質を持った人々が才能を発揮しあった。解体新書を翻訳した蘭学社中もそうした連の一つであった。昼間とは異なる別の顔を持っている人たちが新しい文化や学問を切り拓いていった。

Save0001 「今日はハロー悠好ボンジュール」94年にはインターネットはまだ普及していなかったが、コンピュータと通信によって連は世界中の人が参加する可能性がある。ネットワークを活用すればいろいろな顔でいろいろな連に参加しやすくなる。

「御利益は無病息災商売繁盛」(スライド6)VCの活動は、必ずしも経済活動だけではなく、環境保全や福祉など直接金儲けにはならない分野も含まれる。VCは、人間の持てる資質を十分に開花させ、多様な資質がぶつかりあうことで知的爆発が起き、そこから次々に新機軸が生み出されるはず。

インターネットが普及した今日では、ネットのお陰で多面的な活動をしている人、海外とのネットワークを活用している人は増えているし、そうしたことがしやすくなっているのも事実だ。しかし、この頃思っていたほどには、知的爆発は起こっていないし、プロジェクト方式の組織形態も一般化しているわけではない。

また、私も、綾小路きみまろのように、駄洒落上手になれていない。

(なお、発表に使ったスライドのイラストは、らんぐど社による。)

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諸法無我

Kouyou_1 山形にある千歳建設の会長千歳栄さんが書かれた小冊子が出てきた。

千歳さんとは、(株)玄社長の政所さんのご紹介でお目にかかった。私の『新・職人の時代』がとりあげたテーマについて、3人で鼎談する企画であった。この頃は社長さんだったように記憶するが、HPを見ると現在は会長さんになられているようだ。

政所さんのHPは無いが、地域に入り込んで地域活性化に奮闘されておられる。ネット検索するといろいろな事例が出てくる。

千歳建設は、普通の住宅やビル建設も手がけるが、お寺や旧県庁などの文化施設も手がけている。このため文化財を今日に活かすことの意味を深く考えられ、また従業員の教育に力を入れられている。また、山形の文化、信仰、風土への造詣が深く、頂戴した小冊子は、千歳さんが考えたり感じたことについてまとめたもの(社内報に書かれたものをとりまとめたもの)。

今改めて拝見すると、千歳さんが理解した言葉で書かれているため、仏教のことや信仰のことがとても分かりやすく書かれている。

今日の閉塞感を切り開くためには、仏教の思想・・というより、過去における東洋・日本の哲学者の思想を勉強する必要があると思うが、それにあたって、入門書としてとてもよい。

我々は、歴史などで、最澄とか空海とかを知るが、お坊さんとして習うので、自分とは関係ない人と思いがちだ。しかし、仏教もこれら著名な人々の教えも、今の言葉にすると哲学・世界観や人間観・社会観であり、政策論議をするにあたっては、避けて通れないものだ。

今日、パラパラと読んで面白かったのは、Aと非Aという話だ。

これは、難波田春夫という元早稲田の先生の説で、「人間は、AはA、BはBと識別し、分別する。これは人間の思惟としてはしかたがないが、実在の相は違っていて、Aは非Aによって存在する。一切のものごとは全て相衣相俟であり、相互に他を俟ってのみ存在することができる。」というもの。

仏教で言う三法印:諸行無常、諸法無我、涅槃静寂のうちの諸法無我(すべてのことがらは単独では存在しないで、一人の人間も、また一つの集団も全て存在するものは他に依存している)の考え方に通じている。

諸法無我の説明( )は、読むとそうだろうなぁと思うのだけれど、Aと非Aという言い方は、視覚的に私に訴えてくる。絵画の手法で輪郭線を描かずに、背景とモノとのせめぎあいで描く方法のことを教えてもらったことがあるが、そんな感じだ。

私自身がなんだか部屋いっぱいにある風船のような見えない空気に取り囲まれているような気がする。私が実存するのではなく、風船の隙間が私といったような感じだ。Anona

この小冊子は、どこに分類してよいか分からないけど、取っておくことにした。この間購入した梅原猛の『神殺しの日本』の傍に置いておこう。

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省く

Damu 小田急電鉄が電鉄事業に対して理解をしてもらうとともに、沿線地域の活性化、文化向上を目指すことを主旨に小田急学会というのを開催していた。バブルの頃には、企業の社会的貢献が話題となっており、経団連が1%クラブを作ろうとしたり、アメリカの動向を調べに行っていた。おそらくそんな時代を先取りして小田急電鉄なりに文化事業をはじめたものであったのだろう。

学会では、何度かトレインフォーラムを実施し、平成3年春に一度私も講師をさせてもらったことがある。その折の全体テーマが「省く-技術省国ニッポン」で、各車両ごとに講師が関連した授業を行い、到着した地域(この回は秦野市)で全体会議をするという趣向だ。私のテーマは、「省くこと、活かすこと」だった。

そういえば、この時の一号車講師は、初めて日本語ワープロを開発され、今年の文化功労賞を受賞された元東芝の森健一さんで、テーマは「省時間」だった。同じ講師とは恐れ多い。もっとも、私は最後の車両11号車で、おそらく全部の講師を探しづらく、終わりの方は、主催者が友人知人をかき集めたのだと思われる。

その折のレジュメが出てきた。実際には、何をしゃべったかもう忘れてしまっているのだけど、茶室やJITを例に、日本人は省くことが上手い、省くことが活かすことにつながる、これからは、情報、水・空気など、これまであり余っていると思っていたものについて省く・活かす知恵が必要といったようなことを話したようだ。

この最後で、「活かし方、殺し(捨て)方」について話している。

たとえば、昔は、隠居制度があって、かなり若い時期に息子などに代をゆずり、これによって、親の世代はゆっくり人生を楽しみ、子の世代は早くからいろいろな体験ができる、こうしたグレーゾーンを設ける知恵も必要というような話をしている(らしい)。

今回の私の片付けの例で言えば、未消化な資料はとりあえず取っておくが、数年たったら見直すと全部ばざっと捨てられる資料もあるし、今になって読むと意味が見つかる資料もあるといったようなことかもしれない。箱なりファイルなりに入れておく期間がグレーゾーンというわけだ。

今、私は、生き方においてグレーゾーンにいる。自分では、隠居(生産活動をしないで消費活動を楽しむ)のつもりではなく、階段の踊り場のつもりだ。人生80年として、残り20年をどう生きるか(生産活動をする)を考えるための踊り場のつもりだ。生産活動という意味は、必ずしも勤めに出るというような意味ではない。ボランティアは私にはまだ距離があるのだけど、何か別な形ででも社会に働きかけたいという意味だ。

また、殺し(捨て)方について述べていて、いつ姥捨て山に行くかという潮時の読み方への知恵が必要といっている。グレーゾーンのうちに、やはり「もう駄目だ」と思える潮時を感じるかもしれない。感じられたら、隠居(消費活動を楽しむ)に早めに切り替えるべきだろう。

自分の人生に対するセンサーの感度をよくすることは難しい。社会のスピードとのズレを感じる、体力のなさを感じる、時代の関心ごととの違いを感じる・・。成功体験に縛られているとセンサーが発する信号を読み間違えるかもしれない。心の声に耳を傾け、素直に笑える暮らし、心が安寧になれるような暮らしが出来るようにしたいと思う。

姥捨て、水子、リストラなどは、共同体が限られた環境のなかで生き残っていく術だ。少子化は、個々の夫婦や個人が与えられた環境のなかで生き残っていくための術の結果だ。ところが合成の誤謬で日本という共同体が生き残るうえでの問題になっている。高齢化は、個々人や個々の家庭の願いの結果だが、それが日本という共同体が生き残るうえでの問題となりつつある。近年における高齢者福祉の切捨ては、政策的な姥捨ての術である。個と共同体の最も望ましい形をどう実現するか、これは政治の仕事だが社会の合意や哲学が必要だ。

ところで、レジュメには、具体的な数字で話すためのメモが書かれている。

たとえば、家電製品における省エネと一方で省空間(狭い中に沢山の便利を導入)などについてメモってある。メモでは、冷凍冷蔵庫の1ヶ月当りの消費電力が1974年には91kwhだったのが、83年から88年の平均では24kwhになったとある。

今調べてみると、最近ではリッター当りの年間表示になっており、1981年の2.76kwh/lから2001年には0.75kwh/lと4分の1弱に減少している。このHPでは、オイルショック前の数字がないので分からないが上記メモを信用すると、この期間に4分の1弱に減少しているので、結果として8分の1ほどに減少したことになる。

技術的な省く革新は、日本が得意な分野だ。

しかし、これからは、社会的な「省く、活かす」問題に知恵を働かせることが喫緊の課題だ。

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2006年10月27日 (金)

訪問先企業2

もう一つのヒヤリングメモは、有田を訪問した折のものです。

香蘭社深川製磁の二社をお訪ねしました。香蘭社は、お皿や茶碗の企業として存じ上げていたのですが、碍子のメーカーでもあり、最近では、ファインセラミックスを手がけはじめておられるとのことでした。が、おそらく現在は、これが大きな柱になっているのではないかと思います。

深川製磁は、宮内庁ご用達企業で、皇族方のお印の絵が描かれた食器を作られています。先日誕生された悠仁親王向のお印は高野槇。これが描かれた食器のニュースがあるかと思ってHPをみましたが、まだ赤ちゃんだからか特にありませんでした。ここでは、楽焼をさせて頂き、私の名前を記したコーヒーカップを作り、今でも時々利用しています。

有田焼の歴史は、秀吉の朝鮮出兵の際、連れてきた陶工たちが開祖という。その子孫達が現在の有田焼を担っているわけだがいろいろな工夫によって焼き方や絵柄が多様化し、また芸術品から量産品、さらには先の香蘭社のように用途を広げてきた。

企業を訪問した当時、韓国担当の同僚が有田焼企業の開祖と同じ苗字なのに気付き、「もしかして?」と聞いたところ、「そういう家系だからか韓国が気になってしょうがないのヨ。腹も立つ民族だけど憎めないのヨ」と言っていたのが印象的でした。彼女は、今では、韓国研究の第一人者となられています。Akidamu_2

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訪問先企業

新潟県加茂市に呼んで頂いた折のヒヤリングメモが出てきました。

加茂市とのご縁のきっかけは、ニット企業フクエー社長の福本さんとのお付き合いによります。

福本さんは、島精機製作所のニット編機を使って品質が高く、国際競争力のあるものづくりをされていました。機械のメンテや活用方法を工夫することで賃金の安い国と競争できると言われていたのが印象的でした。彼は確か「左回り」(右だったらごめんなさい!)理論とか言って、資材が工場の左から入って製品化されて右から出るように流れをスムーズにしていました。

福本さんは数年前に若くして亡くなられ、今は奥様が頑張っておられます。生前、加茂の若手経営者の勉強会に呼んでいただき、せっかく行くのだからと町の企業を数社訪問させて頂きました。

すぐ近くの燕や三条は、金属用食器や刃物の町でいわば男性的ですが、加茂は桐タンスや屏風、お酒などいわば女性的な産業が中心です。

屏風の丸川勇平商店と造り酒屋のマスカガミを訪問しました。ネット検索しましたら、フクエーさんも丸川さんもHPが無ありませんが、マスカガミさんは、HPがありました。ここで、お米を削るほど美味しいお酒になると教えて頂いたのですが、HPにもその説明がありますので、是非お読み下さい。美味しいお酒を頂戴して帰ったと記憶します。

また、酒造りには、普通のお米を使うのではなく、酒米を使うということも教えて頂きました。酒米で有名なのは山田錦ですが、HPを拝見すると、新しい酒米「越淡麗」というのが出来たようで、この4月からマスカガミ自身が酒米の栽培(育苗や田植は、(有)かも有機米様に委託、中間管理は農業経験のある同社社員)をはじめたようです。これによる酒造りはこれからのようで、どんな味になるのか楽しみです。Kiiro_1

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電話の統計

郵政省の電気通信局で働いていた頃のファイルが出てきた。

当時、PC通信を普及させる担当をしていて、ヤマトシステム、日本電気、富士通から研究会を手伝ってもらうために若い人を出してもらっていた。顔は覚えている(大分のCOARAを訪問したときの写真がある)ものの名前を忘れていたのだが、ファイルから名前が出てきた。その後一度だけ会食をし、確か日本電気の男の子が私にと赤いバラの花を一輪持ってきて皆を湧かせた記憶がある。富士通の女の子は、確か結婚し苗字が変わっていたように記憶する。皆新人に近かったはずだけど、あれからもう20年!今頃皆どうしているだろう。

それはさておき、電話加入数や電話普及率の国際比較などのコピーが出てきた。現在は、ネットでなんでも調べられるので捨てようかと思い、念のためネットで検索してみたけれど、閲覧できるのは、非常に最近のデータだけだ。出てきたコピーは、明治23年からのデータが載っている。

電話加入数のデータなんて今後使わないかもしれない。もちろん、いざ必要となったら、総務省の図書館やNTTに問い合わせれば数字は得られるのかもしれないが、探すのに時間とか手間がかかりそうだ。そこで、一応取っておくことにした。

電話のデータに限らず、多くの政府統計なども、昭和50年くらいからであることが多い。長期時系列統計もあるがデータKouyou 数が限られている。デジタル化のコストと利用状況を考えれば、古い電話統計など優先順位が低いのだろうが、早く、インターネットにこうした古いデータを載せて欲しいものだ。

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資料の整理

Fh000009 生活の基盤を一つにし、これまで職場、札幌自宅にあった荷物を東京自宅に持って来たため、分散・重複していた資料の整理をしています。

1.部屋の三倍の資料を押し込むのでだいぶ捨てました。それでも、人に頂戴した本や論文は、自分の関心とは異なったり、当分使いそうにないのですが捨てては申し訳なく思い残しています。

2.過去に捨てられなかった資料も、自分の環境が変わり、関心が変わると一気に捨てられるもので、ドバット捨てられた時はすっきりします。

3.過去に捨てられずにファイルに入れておいても、きちんと分類していないと「確かどこかにあったはずだけど」と思いつつ、必要なときに見つからず、結局使わなかった資料が片付けしていると出てきます。

4.本というのは、いろいろな大きさがある一方、書棚の大きさは限られるので、たとえばA4資料と本は別の棚にとか、文庫本をまとめて棚に入れ、しかもスペースを節約するために二重三重に入れ込んでしまいます。すると、本当に必要なときに購入していたことを忘れて、新たに購入してしまい、今回片付けると二冊、三冊と出てきます。

5.今は、ともかくスペースを作るために本や資料をともかく棚に入れていますが、落ち着いたら、A4の資料、B5の本、文庫本と形がバラバラでもテーマごとに棚をまとめておこうと(今は)考えています。

6.分類しないと資料は使えないと思う一方、分類し終わると、それだけで安心して、本を読みこなすなどの内容には踏み込まないままになってしまいそうな予感がします。

7.過去に気になって取っておいた資料が現在もまだ未消化なまま出てきました。2.で述べたどばっと捨てられる資料というのは、自分なりにある程度消化した内容なので捨てられるのです。捨てちゃえばよいのですが、やっぱり気になります。そうかといってまた分類不能ファイルに入れておくと、そのままになりそうです。

そこで、以下では、これらの未消化資料を読みながら、気になったところをメモってみようと思います。途中で挫折してまた分類不能ファイルに入れてしまうかもしれませんが、とりあえずやってみます。

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