省く
小田急電鉄が電鉄事業に対して理解をしてもらうとともに、沿線地域の活性化、文化向上を目指すことを主旨に小田急学会というのを開催していた。バブルの頃には、企業の社会的貢献が話題となっており、経団連が1%クラブを作ろうとしたり、アメリカの動向を調べに行っていた。おそらくそんな時代を先取りして小田急電鉄なりに文化事業をはじめたものであったのだろう。
学会では、何度かトレインフォーラムを実施し、平成3年春に一度私も講師をさせてもらったことがある。その折の全体テーマが「省く-技術省国ニッポン」で、各車両ごとに講師が関連した授業を行い、到着した地域(この回は秦野市)で全体会議をするという趣向だ。私のテーマは、「省くこと、活かすこと」だった。
そういえば、この時の一号車講師は、初めて日本語ワープロを開発され、今年の文化功労賞を受賞された元東芝の森健一さんで、テーマは「省時間」だった。同じ講師とは恐れ多い。もっとも、私は最後の車両11号車で、おそらく全部の講師を探しづらく、終わりの方は、主催者が友人知人をかき集めたのだと思われる。
その折のレジュメが出てきた。実際には、何をしゃべったかもう忘れてしまっているのだけど、茶室やJITを例に、日本人は省くことが上手い、省くことが活かすことにつながる、これからは、情報、水・空気など、これまであり余っていると思っていたものについて省く・活かす知恵が必要といったようなことを話したようだ。
この最後で、「活かし方、殺し(捨て)方」について話している。
たとえば、昔は、隠居制度があって、かなり若い時期に息子などに代をゆずり、これによって、親の世代はゆっくり人生を楽しみ、子の世代は早くからいろいろな体験ができる、こうしたグレーゾーンを設ける知恵も必要というような話をしている(らしい)。
今回の私の片付けの例で言えば、未消化な資料はとりあえず取っておくが、数年たったら見直すと全部ばざっと捨てられる資料もあるし、今になって読むと意味が見つかる資料もあるといったようなことかもしれない。箱なりファイルなりに入れておく期間がグレーゾーンというわけだ。
今、私は、生き方においてグレーゾーンにいる。自分では、隠居(生産活動をしないで消費活動を楽しむ)のつもりではなく、階段の踊り場のつもりだ。人生80年として、残り20年をどう生きるか(生産活動をする)を考えるための踊り場のつもりだ。生産活動という意味は、必ずしも勤めに出るというような意味ではない。ボランティアは私にはまだ距離があるのだけど、何か別な形ででも社会に働きかけたいという意味だ。
また、殺し(捨て)方について述べていて、いつ姥捨て山に行くかという潮時の読み方への知恵が必要といっている。グレーゾーンのうちに、やはり「もう駄目だ」と思える潮時を感じるかもしれない。感じられたら、隠居(消費活動を楽しむ)に早めに切り替えるべきだろう。
自分の人生に対するセンサーの感度をよくすることは難しい。社会のスピードとのズレを感じる、体力のなさを感じる、時代の関心ごととの違いを感じる・・。成功体験に縛られているとセンサーが発する信号を読み間違えるかもしれない。心の声に耳を傾け、素直に笑える暮らし、心が安寧になれるような暮らしが出来るようにしたいと思う。
姥捨て、水子、リストラなどは、共同体が限られた環境のなかで生き残っていく術だ。少子化は、個々の夫婦や個人が与えられた環境のなかで生き残っていくための術の結果だ。ところが合成の誤謬で日本という共同体が生き残るうえでの問題になっている。高齢化は、個々人や個々の家庭の願いの結果だが、それが日本という共同体が生き残るうえでの問題となりつつある。近年における高齢者福祉の切捨ては、政策的な姥捨ての術である。個と共同体の最も望ましい形をどう実現するか、これは政治の仕事だが社会の合意や哲学が必要だ。
ところで、レジュメには、具体的な数字で話すためのメモが書かれている。
たとえば、家電製品における省エネと一方で省空間(狭い中に沢山の便利を導入)などについてメモってある。メモでは、冷凍冷蔵庫の1ヶ月当りの消費電力が1974年には91kwhだったのが、83年から88年の平均では24kwhになったとある。
今調べてみると、最近ではリッター当りの年間表示になっており、1981年の2.76kwh/lから2001年には0.75kwh/lと4分の1弱に減少している。このHPでは、オイルショック前の数字がないので分からないが上記メモを信用すると、この期間に4分の1弱に減少しているので、結果として8分の1ほどに減少したことになる。
技術的な省く革新は、日本が得意な分野だ。
しかし、これからは、社会的な「省く、活かす」問題に知恵を働かせることが喫緊の課題だ。
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