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2006年10月30日 (月)

アクティブ・シルバー王国

熊本県人吉市(人口4万人弱)が高齢者生活産業都市「アクティブ・シルバー王国」の基本構想をまとめたという94年の新聞記事が出てきた。

96-97年頃に高齢化社会についての調査研究をしていた頃、友人の藤原肇さんが人吉市のこの基本構想づくりに係わっており、PPK(ピン・ピン・コロリ:元気でいてコロリと死にたい→コロリと死ぬまでは元気で活躍していたい)というキーワードを教えてくれた。この新聞記事もたしか藤原さんが参考までにくれたものだと思う。

全国平均より10歳も高齢化が進んでいる人吉市は、いわば先進地域である。アクティブ・シルバー王国は高齢者が元気で活躍してくれなければ地域も困るし、働けるだけ働きたいという高齢者自身の希望も叶えたいということから、それに必要な仕組みづくり(高齢者の経験を活かせる職場の創設、高齢者の起業支援)をしようと言うもの。

地域では、首長が意欲的でこうした基本構想をまとめても、首長が代わると忘れ去られることが多い。そこでHPを検索すると、この話は出てこない。しかし、「市民参加」をクリックすると、「みんなでつくろう高齢者大学校」というのがあって、ワークショップを数回にわたって実施し、これから具体的な計画づくりに入るようだ。

市民参加型で実のあるものになってくれるのを期待したいが、94年の構想からの流れだとすると、ずいぶんと時間がかかっているものだ。学ぶ・高める、ボランティア、ビジネス、遊ぶ・楽しむという4軸で市民がこの大学校に寄せるニーズが整理されている。

私の整理から言うと、学ぶと遊ぶは「消費者」、ボランティアとビジネスが「生産者」となる。先の基本構想は、一般的に「消費者」としてのみ扱われがちな高齢者を「生産者」としても扱って欲しいというものなのだが、「生産者」としての姿は、実のところまだ見えていない。

一般には、たとえば、昔の技術を途上国に教えに行くとか、おばあさんの知恵袋を若い人に伝えるとかのイメージだが、社会全体の仕組みや高齢者になるまでの暮らしぶり(働きぶり)から考えないと、本当の意味で高齢者が豊かな生産者にはなれないような気がしている。

Dohgu よく、職人の人が一生勉強であるというようなことを言う。名人といわれる人でも、最後まで悩んだり、工夫をしたり、挑戦したりする。役者は、若い頃にはお姫様役であっても、年齢を重ねるごとに老け役をするようになり、体力が続くまで未知の自分を引き出すチャンスがある。

こういう仕事の人は、歳を取りつつ生産者でありつづけることが可能だが、会社勤めをしていた人は歳を取りつつ豊かな生産者になれるのだろうか。農業や漁業が中心の社会であったときには、自然との対話のなかで上記の職人と同じように年齢を重ねるにつれ哲学的な思考を深めることが出来たはずだ。商店なら、地域に仲間もいる。仮に息子に後を譲っても、町を活性化するなどの社会的な生産活動をすることが出来るだろう。

会社勤めをしていた人は、定年と同時に地域社会のなかに放り出される。運良く奥さんが一緒に旅行などして遊んでくれる人は消費者として時間を潰せるだろうが、生産者となるには、ムリがある。体力や気力が衰える一方で、技術革新やグローバルな環境変化が激化しているビジネス社会のなかで、その一部を担うとしても、スピードについていけないであろうし、後進に教えられる範囲はとても少ないと思われる。自尊心を傷つけられるか、虚無感を味わうか、鈍感なまま後進に哀れみの目でみられるかだろう。

多くの人が会社勤めになっている今日、高齢者が豊かな生産者になるためには、何かもう少し考えなければいけないように思う。

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ところで、私は、昨年、夏に、人吉市に隣接した山江村に住民ディレクター(インターネットTV)の集まりに参加させてもらい、たまたま人吉市を訪ねる機会があった。HPでみると、人吉市でも「ひとよし物語テレビジョン」というビデオ図書館が設けられているようだ。

もっとも、私は、球磨川くだりや鍾乳洞めぐり、幽霊の掛け軸がある永国寺などを巡ってすっかり遊んだだけなのだが。

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