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2007年2月25日 (日)

散歩

久しぶりに散歩。

昨日は寒くて風が強いため、本当は散歩がてらお風呂に行きたかったのだが止める。

前の日は、近所の方が昼ごろ来てなかなか帰らなかったので行きそびれる。

その前は、買い物で終了。

今日は、少し寒かったけれども、昼から風もおさまったみたいなので、思い切って散歩に。

もう家の周辺は飽きたけれども、午後2時を過ぎていたので、余り遠くへはいけないため、結局小金井公園へ。

田無高校の辺りから多摩遊歩道に曲がる角の河津桜がもう満開だった。テレビで伊豆の河津桜を良く映しているけれど、ここは一本だけ。Kawazusakura

でも、ここも飽きてしまったので、公園をつっきって、公園の外、五日市街道から一本手前の道を歩いてみる。

ご近所の方が、蓮で有名なお寺があると聞いたので、今はその時期ではないけど、探索がてらこの道を歩いてみた。たぶん、このお寺なのだろう、今日は、門のところに沈丁花、お庭に見事な紅梅が咲いていた(真蔵院でした)。Jinnchoge Teraume

この通りは日当たりがよいのか、お庭に梅の咲いている家が多い。Minkaume

もう一つ眼をつけていたお寺は見つからなかった(海岸寺でした。地図でみると交差点まで行っていたのに残念!)。

後で、地図を調べ直しておこう。

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赤い椿

庭の赤い椿が咲きました。Akatsubaki

庭の奥にあるので、居間から見えにくいため、皆に愛でられにくいのでかわいそうです。

だから気がつくと見て誉めてあげるようにしています。

真ん中の黄色い雄しべ?が多い、ちょっと変わった椿です。Akatsubaki2

いつも一番遅く、春になってから咲きます。

太く写っているのは、沙羅の木。姫沙羅で最初は、とても細い木だったのに、すっかり、中年女性の足のようになってしまいました。

その後ろに見えるのは、侘び介、これは、冬の早い時期から咲きます。

尾長が来て蜜を吸いながら花を落としてしまいます。

こちらは、もうそろそろ終盤です。

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2007年2月17日 (土)

メタセコイア(その3)

今日買い物に行ったついでに、西東京市役所田無支所のメタセコイアと向台小学校のメタセコイアが体育館に沿って曲がってすぐに見えるものとの写真を撮りました。

確かに、市役所の図書館前に立っていました。その前は、いつも通っているのに、ぜんぜん見上げたことがなくて、知りませんでした。今日は意識して、小僧すしの方から見てみたら、確かにありました。人間の視線というか、知っていると思うことがいかにいい加減かを知らされたような気がします。Shiyakusho

向台小学校のは、自分では、体育館を曲がってすごく良く見え、高くそびえている姿が気に入っていたのですが、カメラに収めると実に小さくしか見えません(赤丸)。それを編集してもう少し大きくしてみました。

市役所の前を通って、農協の角から駅に向かう頃に、右手をみたら、駐車場の向こうに、また見えました。まっすぐだと思っている市役所前通りが実は、西武線に対して斜めなんだなぁと知りました。これもまた、理解しているように思っていることが以外に違っていることを知らされます。http://kokomail.mapfan.com/receivew.cgi?MAP=E139.32.31.9N35.43.26.5&ZM=9&CI=R&FID=acIRJ//xXxUXLw&FSZ=31375

Enkei Kinnkei

上は、Mapfanのカキコメールを使ってみました。しかし、保存されるのは14日間らしい。

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2007年2月13日 (火)

メタセコイア(その2)

前の記事で、メタセコイアが何故小中学校に植えられているのだろうと思い、木の名前を入れてネット検索してみましたら、いろいろな写真や記事が出てきました。

そのなかで、昭和天皇がこの木を好きだったこと、三木茂さんが1941年に80万年前の日本で絶滅したと思われる化石を見つけたこと、そうしたら、1948年に中国に木があることが発見され、アメリカ経由で1949年に日本(天皇?)に来たこと、戦後各地に植えられたことなどを知りました。

以下の昭和天皇が生前の最後の歌会(昭和62年:1987年)で読まれた歌は、”メタセコイアにまつわる雑感 「戦後におけるメタセコイアの意味」”からの孫引きです。なお、和名では、「あけぼの杉」と言うそうです。

「わが国の たちなほし来し 年々に あけぼのすぎの木は のびにけり」
(齋藤清明著「メタセコイア-昭和天皇の愛した木」(中央公論社)から引用)

ちなみに、私が生まれたのは1947年、この少しあとに日本に苗が来たわけで、戦後の復興を願って、小中学校等に植えられたのでしょうか。曙:新しく自体が展開しようとするときとあります。また、歴史的な問題はさておき、個人的には、昭和天皇のほのぼのさが好きなので、なんだか親しみとか因縁とかを感じます。

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メタセコイア

西東京市を散歩していると、背の高い木が遠くからでも見えるのが気になっていました。

夏に入院していた折に、病院の5階のベランダからも見えて、何か意味のある木なのかと聞かれましたが分かりませんでした。

駅の側に見えるものと、駅からまっすぐのもう少し山の方に見えるものとがあります。

ところが、退院して、駅まで歩いてみても、あんな大きな木がどこにあるのか気がつかないのです。どこかのお宅の庭木なのかと思っていましたら、市役所の敷地内にありました。

そこは、日々通っているのですが、歩いているときには、足元や自動車などに気が行ってしまうため、その横を通っているのに気がつかなかったのです!

体育館を回って坂道になっているところを歩くと、もう一つが見えます。あれは、きっと、農家が寄付した公園のなかにでもあるのかしらと思っていましたら、散歩していた時に、向台小学校の校庭にあるのを発見しました。

これも側を通ったときには、気がつかずに通り過ぎてしまい、しばらくして振り向いたら高くそびえていたので、引き返したのです。校庭が開いていたので、部外者は入ってはいけないという表示がありましたが、そっと中にはいってみました。

側まで行くと、そんなに高い木に見えないのですが、たぶんこれだろうと思いました。小学校などですと、木の札がかかっていて、名前が書いてあるかと思ったのですが、おそるおそる入って確かめた限りでは、何も名前を記すものはありませんでした。

しかし、どうにも気になります。

すると、小金井公園に散歩に行ったおり、なんと上向台小学校の校庭にもあるではないですか。

そこで、ネットでいろいろな木偏の付く字から探して見ますが、らしい写真などに出会いません。

そんな折、「このきなんのき」というサイトを見つけました。写真を掲示板に載せると、知っている人が名前を教えてくれるのです。

ダメ元で先日の富士山を撮った写真(木も写っている)を載せてみましたら、すぐに教えてもらいました。

メタセコイアとのことです。Cimg0129

便利になったものです。

お陰ですっとしました。

でも、今度は、何故なのかが気になり始めました。

昔、田無の小中学校には、メタセコイアを一本植えようということがあったのでしょうか。現在の西東京市役所の田無支庁は、もともとは、田無中学校だったのです。

今度、田無小学校にも行ってみようと思います。

また、体育館を回ったところの坂から見える向台小学校のメタセコイアの写真もアップしようと思います。

まるで、町のシンボルみたいです。

でも、誰も意識していないなんて!

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2007年2月11日 (日)

デジカメ

今日は、風があるけど、気持ち良さそうなお天気だったので、朝から散歩に。

先日、遊歩道では梅が咲いていたのにその日はカメラを持っていなかったので、残念に思い、今日は、カメラを持ち、小金井公園へ。

ぴったり、梅満開でした。

でも、なかなかデジカメのピントあわせが上手くできなくて、たくさん撮ってきたのだけれど、ぼけていたりして残念!

穴から覗くのに慣れているので、液晶画面を見ながら撮るのがまだ良く分からないし、天気の良い日は画面が見にくいし、おまけに老眼なので、どうも上手く取れているのかどうかが分からない。

梅は、花を撮るのは良いとして、やはり枝ぶりだと思うのですが、なかなかどう撮ったら良い感じになるのかが分からない。遠景だと全体像が取れるのだけど、余り面白くはないし・・。

まぁ、数枚を掲載します。Enkeikouhaku Hakubai Koubai Kouhaku

公園では、連休なので、子供連れ、犬連れが多い。

今日は、凧揚げをしている子供や高齢者が居ました。竹とんぼなのか、ゴムで飛行機のようなものを飛ばしている高齢者も居ました。Tako

知人が竹とんぼの会をやっているけど、公園でお日様と遊ぶのは気持ちよいので、遊ぶ口実を作っているのかも。

本当は、子供のしぐさが撮りたい。撮るよといってポーズをとってもらうのではなく、何気なく歩いているところなど。外国に旅行に行ったときには撮れるのだけど、日本だと肖像権のようなこと言われそうだし、ましてはネットには載せにくい。こっそり、数枚撮ったけれども、このくらいなら大丈夫かしら。 Kodomo1_1 Kodomo_1 

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2007年2月10日 (土)

都市とカミサマ

前記事に書いたように、私は久しぶりに故郷に戻って暮らしてみて、子供の頃に生活の合間合間に見えていた富士が見当たらないために、なんとも座標軸のない不安定な気持ちでした。

このため、お天気だと、ウロウロと富士山を探して歩き回るので、家族は馬鹿みたいだと思っていたようです。

自分でも、少々恥ずかしいとは思っていましたが、止められませんでした。

そうしたら、たまたま購入した上田篤『都市と日本人-「カミサマ」を旅する-』に、私の気持ちとぴったりの内容が書かれていました。

欧米の都市では、ニュータウンであっても、中心に教会があったり、ロンドンでは、ニュータウンからでも旧市街地の大聖堂が見えるよう、建物規制がある。本来、都市には、カミサマが居なければならないのではないか。日本の都市にも昔はカミサマが居たのだが、今は雑雑しくなってしまった。それを取り戻すには、都市から山が見えるようにすると良いのではないか。日本人にとって、山はカミサマなのではないか。だから、都市の見晴らしの良い場所からは、山が見えるように設計しなおすと落ち着きを取り戻すのではないか。

というようなことが書かれていました。上田氏は、これを「山見の聖軸」としています。

まだ、この本のはじめにとむすびしか読んでいないのですが、ここに書かれていることは、私の心根とぴったり合います。

北海道に行ったときに、日常的に山が見えるので嬉しいと言いましたら、地元の方が、東京などの出張から戻ってきて、山が見えると、あぁ帰ってきたなとホッとすると言われていました。こういう気持ちは、日本人の誰彼も持っているのではないでしょうか。

もしかしたら、最近の子供たちが殺伐としているのは、山を見て育っていないからかもしれません。あるいは、山を見て育った世代でも、現在の都市からは、山が見えないからかもしれません。

江戸の町には、いたるところに富士見坂がありました。江戸の町が200年もの長い間都市として栄えていられたのも、どこからでも富士が見えるというのが住んでいる人々に一体感を持たせていたのかもしれません。

日本の将来ビジョンを考えるうえで、出生率や経済成長率などの統計だけでなく、別の切り口が欲しかったのですが、これは、私が心身で納得した考え方なので、キーワードのひとつとして暖めて行きたいと思います。

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2007年2月 3日 (土)

富士その2

久しぶりの書き込みです。

今日はテレビで、富士が良く見えると言うので、朝食後すぐにカメラを持って、眼をつけておいた団地の非常階段で5階まで行ってみました。Danchi_3

寒いので、毛糸の帽子、のどが弱いのでマスクをしていますから、まったく怪しい人物です。

団地は、私の家より少し土地が下がったところにあるので、もしかしたら、5階でも駄目かなぁと思いつつ登りましたが、見えました。

遠景を撮ったのですが、カメラ操作で近くに撮る方法を忘れてしまいました。

本当は、市役所の5階まで行くと、ちょうど富士山の方向にガラス窓があり、そこから、ウォッと言うくらい大きく見えるのですが、まだ9時前なのと今日は土曜日なのでムリそうです。

市役所の5階に行くのも、実は、ちょっとハラハラします。1階とか2階は、住民票の申請などいろいろなことで一般市民が出入りするのですが、上の階になると、余り外来の人はいないからです。

それでも、「税金払っている市民なのだ」と心で言いつつ、働いている人の横を通って、階段の踊り場まで何回か行きました。ちょうど素晴らしい富士が見えたときには、カメラを持っていなかったのです。

市役所に入れないだろうけど、なんとかならないかなぁとその前を通りかかり、別のマンションの階段が目に入ったので、「部外者侵入禁止」の張り紙を無視して、5階くらいまで上がりましたら、駐輪場の屋上を通して、富士山が見えました!

今回は、遠景と、カメラ操作で近景化して撮ることができました。Churinenkei_1 Churin_1

そのまま歩いて、住宅内の商店街まで来ました。

すると、何と、見えました。自宅からすぐの角を曲がった辺りから見えるのでした。この角を曲がり、商店街を抜けて、子供の頃は小学校に通っていましたので、子供の頃みた景色は、ここだったのです。

雑木林がこれまで富士山を隠していたのでした。Shouten_1

葉が落ちたのと、お天気が良かったので、ようやくこの場所でご対面できたというわけです。

やれやれ。

久しぶりにこの町に住んで、昔は、学校に通ったり、駅の跨線橋を渡ると見えていた富士が見えないのがどうにも気になっていたのです。つまり、私の日常にいつもどこかしらに富士山が居たのに、それが見えないので座標軸が定まらないという感じでした。

でも、ようやく日常の場で富士を見つけられて、ほっとしました。

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