古希の茶碗
お茶を習っている先生が今年古希を迎えられます。お弟子さんのなかに、同じく古希を迎えられる方がおられます。その方がたまたま赤楽の茶碗で、9代の了入が古希の祝いに70個作ったという茶碗と出会い、購入されたとのこと。70歳つながりでなければ買わなかったとのことだが、運命的な出会いに感じたのだそうだ。
先生のお祝いにそれで薄茶を差し上げたいとお稽古に持ってこられた。
本当は、その方は、先生にだけ一服差し上げたかったようなのだが、その場の流れで私たちもお相伴に与った。
了入は、(宝暦6(1756年)-天保5(1834年)) の人というから78歳で亡くなったわけで、その方の70歳の時の作品というから、180年くらい前の茶碗ということになる。しかし、代々の持ち主が大事に使ったか、あるいはほとんど使わなかったのか、新品のようなつやをしている。
見た目は小ぶりだが、持ってみると結構重量がある。切れ味のよい姿をしている。茶碗の底が分厚い感じで、熱いお茶を入れても、手にはほとんど熱さを感じない。
先生によると、楽茶碗は、粗いので、水がしみてしまうから良く乾かさないと水が腐って、くさくなってしまうそうだ。昔は、暖房が今のようではないので、冬には中の水が凍ってしまい茶碗が割れることも多かったとのこと。
また、茶せんの硬いのを普段のようにゴシゴシ茶碗にぶつけるように茶を立てると楽茶碗が削られてしまうので、軽くそそっと立てなければだめとのことだ。
普通は、こんなに大勢で次々にお茶を立てるものではないとのこと。その折には、5人が頂戴してしまった。
おそらく、お値段も結構するのだろうし、貴重なお品なので、持ち主も緊張してお茶を立てられていた。お茶を分かる人に自慢したいようなものの、使わせるのはもったいない気持ちもあったに違いない。
しかし、お陰で、めったにない経験をさせてもらった。
茶道具は、貴重な品を展覧会で見ても、触ったり使ってみたりしないと本当には分からないもので、ありがたいことである。
ちなみに、9代了入は、3代のノンコウに次ぐ名工といわれており、箆(へら)の使い方がうまかったとのこと。文政8年(1825年)に隠棲して悠々自適な暮らしをしたというから、古希の茶碗は、そんな暮らしをしてまもなく生まれたものということになる。妙なへつらいがない。凛としながら楚々とした感じだ。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント