横山大観展
2月の終わりに、昔の友人と昼食の約束をしていたのだが、彼は、午後一番で会議があるというので、早めの昼食となり、その次の予定まで間が開いてしまった。そこで、これ幸いと丁度開催されていた横山大観展を見に行った。
前の記事にも書いたが、私は、画面いっぱい力強く書かれた絵が好きなので、もともと大観は好きである。
そのときは、感動したのだが、もうすっかり忘れているので嫌になる。
今回は、なにやら人生の生々流転を書いた、やたらと長い絵巻があって、展示が覗き込むようになっているため、人がなかなか動かず、人が覆いかぶさって遠くからは見えないのが嫌だった。
その後、ほかの部屋で美大卒業生の展覧会を流し見たが、作為ばかり感じて、やはり出来上がった人の絵と比べると力の差を感じてしまった。
美術館オリジナルのみやげ物やがあったのだけれど、これも作為ばかり感じるもので、洒落たうなるような品がないのでがっかりした。羽田にある変わった文房具やの方がよほど面白いものがあった。
大観の絵を見て今回感心したのは、白い色を塗っているのではなく、黒い墨で白(地の色)を浮き上がらせて描いていることだ。それをぼかしでやっているのがすごいと思った。
また、若い頃には、やはり忠実な絵を描いていて、だんだん歳を経て、ぼかす技法になって「らしさ」が際立ってくる。積み重なって、らしさが強調されてくるのは、うらやましい。実は繊細に注意深く書いているのだろうけれど、こういう大胆で力強い絵をみると、私も大胆な自分の考えや匂いがプンプンした文章を描けるような気がするのだけれど、それができない。らしさの前に基礎や試みの積み重ねがあり、その努力の差なのは分かっているのだけれど。
勉強しても(時間とか目とか使っても)この頃は、どんどん抜けていってしまって、一向に考えが深まらないし、ひらめきもない。 なんとか、抜け出したいものだ。
だんだん思い出してきた。富士の絵がいくつかあって、どれも素晴らしかった。絵葉書を買ってきた、大観には珍しい色付の絵:大きな柳の下で昼寝をする馬子の絵と紅葉の下の二匹の鹿の絵もとてもやさしく、品のある、風や照りを感じる絵だ。
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