知識と知恵
京都商工会議所会頭にオムロンの会長がなり、「知恵産業のまち・京都」というビジョンを打ち出しています。その関連で、何か提案をして欲しいということになり、何人かが知恵を出しました。
私は、結局良い知恵が出なかったのですが、その作業の過程で得られたものを、備忘録として書き留めておきます。
今、世界中で知識経済への対応が課題とされています。特に、EUでは、労働集約的な産業は後発国に移ってしまうとの危機感から、ヨーロッパの古い産業都市を知識産業に転換することに力を入れ、それが各地におけるサイエンスパークやインキュベーションセンター設立につながっています。
日本でも同じようなことをやっていますが、イメージしているのは、ハイテクで、IT、バイオ、ナノといった産業名が並びます。
もう一つが、ブレア政権や佐々木先生らが提唱している創造都市やクリエイティブ産業です。クリエイティブ産業の定義もあいまいですが、担い手のそれぞれが創造性を活かせる産業ということで、大御所のフロリダは、トヨタのような現場が知恵を出すことも含めています。一般的には、マンガやアニメなどのコンテンツ産業を含め、アート、芸術などを含めて議論されています。
ところが、まぁどこまで考えて出したか分かりませんが、京都では「知恵」という言葉をつかっています。知識産業もハイテク産業もクリエイティブ産業もイノベーションもなんとなく漠然と同じような内容をイメージしていると思っていました。が、調べてみると、「知識:knowlege」と「知恵:wisdom」は違うようです。
知識だけはダメで、それをどのように活かすか、活かすのが知恵だといいます。ラッセルという原爆反対運動をした学者がこれについて論じているようです。ラッセルの思想を分かりやすくした「辞典」があって、さらにその抄録のようなものをネットで見ることができます。
ラッセルは、戦前の日本について触れていて、日本は、一気に近代化をしなければならなかったので、その目的のために知識を吸収する教育をしてきて、それは大きな成功を収めたが、これは知恵ではない(知性ではない)というようなことまで書いてあるようだ。
知識はもちろん必要だが、今日、世界的に「知恵」が求められている。
別のところで述べたが、今日学問も認知科学から設計科学へ移行しなければというのも、同じことなのだろう。
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