京都企業
京都の企業には、古い歴史を持つ企業が多い「kyotocompany.doc」をダウンロード 。
しかしながら、たとえば、松栄堂は、若い人や外国人にも受け入れやすいお香を商品化して、海外にも進出しているし、宝酒造は、お酒の分野では海外に進出し、一方、要素技術を活かしてバイオや機能性食品に進出している。
清水焼を祖とする京セラや村田製作所、松風のように、セラミックスがファイン化し、産業が新たに発展している例もある。尾池工業は、金糸銀糸を作っていた企業だが、その後、食品包装分野(アルミなどを蒸着し、湿気や光を遮断する)に進出、さらに、今日では、プラズマディスプレイや液晶の反射フィルムなど電子材料にも進出している。
京都は、幾度も戦乱などに合っており、そういうなかからさまざまな京都の知恵が生まれているといわれる。旗色をどちらかに明確にせずに生き延びるとか、同じ土俵で競争しないで、棲み分けるなどがよく言われることだ。このため、個性的な企業、コア・コンピタンス(寄って立つ強み)が明確な企業が多い。
一般に、伝統がある地域では、伝統のイメージにしばられて革新が生まれにくいが、京都は、明治維新(天皇が東京に行ってしまった)と戦後という大きなショックに出会い、なんとかしなければと新しい試みがなされたことが、昔ながらの京都の伝統産業に新しい産業が接木されて発展してきた。
これらの新しい産業が高度成長期以降、京都経済界の顔となっているが、京セラの稲盛さん(鹿児島)も、ワコールの塚本さん(滋賀)も、オムロンの立石さん(熊本)昔からの京都人にしてみると他所ものであり、新参ものと見られてきた。
外からは、稲盛さんが京都経済の代表のように見えるし、村田製作所、ローム、オムロンなどが成長しているし、島津製作所が京都大学との関係で成長したこともあり、京都はベンチャーが生まれやすいとイメージされてきた。
しかし、私が1995年に調査した折には、新しい企業はあまり生まれていなくてがっかりした。京都大学もユニークな校風であり、アメリカのシリコンバレーのように、大学の研究者や既存の企業などとの間で交流が進み、ベンチャー企業が次々と生まれている熱気のようなものが感じられるかと思ったのに、まるで見えなかったからだ。
しかも調査にあたっては、寺院、共産党・・・・などと、既得権益の巣窟なので、これらには触れないようにとか、マルハンなどのパチンコホールが当時渋谷で大規模店を開設するという話もあったので新しいベンチャーだと思ったのに、京都でであった経済人は、誰もこの件については話さないというような閉塞感があった。
結果、京都調査は、ほとんど実のある内容にならなかった。
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