敗戦から20年後
今日、12チャンネルで久米宏が新にっぽん人を探るという番組をやっていた。現在の20代の価値観が、それまでの若者と違っているという内容だ。彼らは、バブル崩壊時期に生まれたので、日本の将来も自分の将来も不安なので、むやみに消費したいと思わず、若い頃から貯蓄をしていること、高級外車や海外旅行をしたくてお金を稼ぐのではなく、たんたんと稼いでいるが、いつ自分がどうなるか分からないと思っている。一方で、海外ボランティアなどにお金を払っても参加して、自分がどのように社会に役立つのかを知りたいとも思っている。
若者をこんなに萎縮させてしまっているのは、政治の問題だと思う(年金制度、何かあった時のセーフティネットへの不安感)。また、自分が何をしたら良いのか、社会に役立ちたいのだけれど、仮に就職していたとしても、実感として分からないというのも、政治の責任なのだろうと思う。
10年後、50年後の日本社会(そこで暮らす自分たち)の姿が描けない、国がセーフティネットを示せていないので、若者が安心して仕事をしたり、家庭を持ったり、ましてや消費をすることができない(今を充実して生きられない)。
また、産業構造の転換についてのイメージが描けないので、キャリアパスをどうしたらよいのかが分からない。とりあえず、親が心配しないように、自分も不安なので、就職しているとしても。もっと素直な場合は、ニートになっている。
青年は、素直に社会の役に立ちたいと思っている(おそらく、どんな時代も)。ある時代には、大切な人を守るために戦地に飛び立つ、ある時代には、企業の業績を上げることが、社会に役立っているし、それが大切な人を養うためでもあると思って、24時間戦う。これが、現在見えない。
アメリカの優秀な学生や若者が社会起業家になる気持ちは良く分かる。10年くらい前から、日本でも、学生達の関心は、社会起業家であった(IT経営者が寵児であった頃すでに)。すでに、NPOに身を投じた人もいれば、海外のNGOで働く人も増えている。
ロールモデルとして日本の社会では、まだそれほど見えていないが、学生達のなかでは、社会起業家はロールモデルとなっている。問題は、日本のなかで、まだ本格的なNPOなり、社会起業家のロールモデルが居ないことや、これについての一般的な議論がようやく出てきた程度であることだ(地上波のテレビで取り扱われるようになった)。
アフリカの子供達を助けるとか、世界的な地球環境問題に取り組むといった世界的な活動では、既存の国際的なNPOの活動があり、そこに参加している若者もいる。しかし、国内問題についても、敗戦からの脱出にあたって、社会起業家は、ひとつの新産業であり、バイオやナノのような先端技術産業とは別に、もう一つの産業構造転換であると思われる。
この成長を加速させ、ロールモデルを見せることは、若者達に行くべき方向性を示すことになるはずだ。そのためには、日本の社会問題を解決するための新しい枠組み(イノベーション)を提示し、それを大きなうねりにするだけの加速器が必要となる。ベンチャーズ・インフラと同様、社会起業家インフラの整備である(一部重なる)。
寄付やもう一つの金融の仕組み、エンデバーのようなハンズオン型の支援組織が加速器の役割を果たす。現在のNPOのように目の前の課題に単に取り組むものから、ビジョンとその事業を持続性のあるものにしていくものに成長・発展させられるだけの仕組みが必要だ。
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