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2008年7月13日 (日)

茶の湯とは

『同門』7月号に熊倉功夫「千家人物散歩187:如心斎とその周辺(23)」という記事があり、茶の湯について過去の宗匠が和歌にして述べたことが書かれています。なかなか、と思うものなので、書き写しておきます。

1.『聖書』に「はじめに言葉があった。言葉は神であった」と記しているように、西欧社会では言葉が絶対だが、日本人は、「大事なことは言葉にできない」と考えてきた(書かれたものは正確ではない)。

宗旦「茶の湯とは耳に伝えて目に伝え、心に伝え一筆もない」

2.言葉を借りずにコミュニケーションはできないので、隠喩が使われた。

如心斎「茶の湯とはいかなる事をいふやらん 墨絵に書きし松風の音

・松風とは、釜の煮え音か?釜には松風という図柄のものもある。

3.『不白筆記』より

(川上不白は、江戸の水野家茶頭職となるために、京都の千家如心斎のもとで長期間にわたり修業を続けた。同書には、師如心斎より伝えられた茶道の奥義が多様に書き記されている。不白は、覚え書、記録、メモ帳として書き記しているが、その一行一行は、師如心斎から学んだことを幼くして(8歳)父を亡くした如心斎の嫡子啐啄斎に伝えるために書かれたとのこと。)

(1)茶の湯のワザは角なるものの円きがよし。この一句、至極の伝授なり。大切ともうすべく候。

(2)随流いわく、算崩しの様なるがよし。是も角なるものを崩したるものなり。

(3)宗旦いわく、柿の木に雪の降りたる様なるがよしと。是も角なるものの円きものなり。

・規矩(きく)正しい茶の湯の手前、作法の技のなかに自由自在な心がある?

(4)宗旦いわく、金銀の延べたる中に茶の湯あり、馬屋の中に茶の湯あり。

(5)宗旦を侘びたるものとばかり見るべからず。珠光に竹柱の台子あり。宗旦に爪紅(つまぐれ:花で爪を赤く染めた:ホウセンカ)の台子あり。工夫すべし。

(6)宗旦いわく、心だにまことの数奇に入るならば、習はずとても茶の湯なるらん。

・数奇の心を得るには、茶の湯を習うことが必須と反語なのでは?

(7)利休道歌にいわく、茶の湯には梅、寒菊に黄葉み落ち、青竹、枯木、暁の霜

本当には分かっていないだろうけど、下線を引いた「墨絵に書きし松風の音」、「柿の木に雪の降りたる様なるがよし」、「暁の霜」というのが気に入っている。

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