どれも中途半端
5日(土)は、着物を着てお茶のお稽古に。
このところ、着物を上手に着れるようになったと先生たちに言われ、嬉しくなって、チャラコンチャラコン、チャラチャラチャラコンと着物を着て出かけるのが唯一の楽しみになっていたのだけれど。
たまたま、寄り付きで待っている時間が長かったので、唐物という手前の袱紗を復習していたこともあり、唐物のお手前をやらせてもらった。ところが、めっちゃくちゃ。唐物の手前自体が分からないのはさておき、「姿勢」が悪い、「茶筅通し」が悪いなど、基本的な動作がどうもめっちゃくちゃだったみたいだ。
北海道に行っている間お稽古をお休みし、しかも、股関節手術をしたこともあり、7-8年のブランクがあるし、座れないというハンデがあったので、どうやら、先生方は、私の作法がとてつもなく悪くても、見て見ぬ振りをしてくれていたようだ。
ともかく、復帰し、しばらくは、雰囲気に慣れ、すこしづつお手前を思い出すようにと思って寛大に見てくれていたのだろう。
お手前の間は、座椅子なしに正座していられるようにもなり、「ずいぶん良くなりましたね」などと復帰を褒められていたので、お手前もちゃんと出来ているのだろうとうぬぼれていたのだが。
こういうお稽古の先生は、良いところを見て褒めてくれるようで、そういうレベルの褒め方だったようだ。至らなさに顔が赤くなる(気持ちとして)と同時に凹んでしまった!
今は、主婦なのだが、主婦としてみると、お料理もお掃除も半人前だし、本当は、まだ仕事もしていたいのに、こちらも主婦業に逃げている。教えて頂いていて北海道では結局やれなくて、とっても失礼をしている書道もそうだ。電子ピアノも友達に便宜を図ってもらった購入したのに、すこしも弾いていない。
スケッチもやりたいと本も何冊も購入し、絵の具も用意したのに。
う~ん、どれも中途半端で嫌になってしまう。もう直ぐ誕生日ということもあり、焦る。
今日、NHKで先輩が母校を訪問するという番組をやっていて、郷ひろみが後輩たちに、将来の夢(目標)と現実とのギャップを書かせ、まずは3日間、夢に近づくために1歩から始めるという授業をやっていた。
郷ひろみなんてバカかと思っていたが、自分が単なるアイドルで歌も踊りもできないことに気づき、歌や踊りのレッスンをNYで受けようと英会話からはじめたとのこと。いろいろな言い訳で逃げないで目標に向かってきちんとするというのは、今の私にとって本当に必要なことだ。
母のせいにしているけれど、考えてみれば、一人で暮らしても、掃除・洗濯・買物・料理はしなければならない訳で、家事に逃げてはいけない。まぁ、ゼロからはじめたのだから、ここまでは、主婦業の勉強中(留学中)と考え、本当は、何をしたいのか決めて、一歩づつでもやらなければダメになる。
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