ハルエさん入院
19日、少し寒いが久し振りにお天気だったので、ハルエさんにこぶしの花を見せたくて、散歩につれていく。最初、小金井公園の先の回転寿司に行こうと思っていたのだが、出発が遅かったので、混みはじめているとまずいと思い、公園中央口近くのはずのサンマルクに行こうとした。ところが、入り口が階段になっているので車椅子では入れない。
隣の牛丼やも昼時に大工さんや運転手さんなどが入っているので、ノロノロ食べにくいと思い、結構遠いのと、歩道はあるものの自転車も多いので緊張するが、しょうがないので、ロイヤルまで行く。
ガストもバーミヤンも結構すいていたのだが、ロイヤルは、価格帯が高いのに、結構混んでいた。卒業式帰りの家族なども居たのかもしれない。
そのときの写真。こぶしの前の寒そうなハルエさんと、ロイヤルのなかでの笑っているハルエさん。
続いて、22日(月・休日)に、久し振りに天気なので、散歩に行きたいとのことで、冒険しても良いというので、バーミヤン経由でニトリまで行く。
車椅子だと余り買物できないので、私のシーツだけ購入。本当は、裏から帰るつもりが横路に入ったら、結局駅の方に出た。誕生日に頂戴したお花もいよいよダメになってきたので、フリージアを購入して帰る。
草臥れたので、晩御飯まで眠っており、晩御飯だから起こすと、ここまでは、ご機嫌で、ベットからもちゃんと立ち上がり、トイレに行くので着物の裾をまくれというので、そうした。いつもは、そこから歩いてトイレまで来るのに時間がかかるので、ゴミをしまおうとちょっと目を離した間に、フラフラっと倒れてしまった。
今、散歩に行ったことを書いていて、どうして19日とか22日のように寒い日に出かけたのだろうと思い出しているのだが、確か、暖かかった日の前の日にもベットから起き上がる際転んでいて、必死にベットに持ち上げたのだと思う。
足を曲げないので、丸太ん棒のように転がるのと、確か43キロほどあって、結構重いので、平らなところから立ち上がらせるのは私にはできない。このため、まずは、一度ベットに載せ直し、自分で立ち上がりなおしてもらっている。
この時も、頭を打たないように、椅子のクッションを頭に敷いて、バスタオルをくぐらせて引っ張り上げたのだが、ころんだ時か、私が引っ張った時か、背中に傷がついてしまい、しみるというので、マキロンを塗った覚えがある。
22日の夜も、そのまま起そうとしたのだが、やはり無理で、またバスタオルをくぐらせて、必死にひっぱりあげた。その折、腰を打ったとして、歩くのがとても危なっかしくなった。
それでも、前が15分のところ、30分かけてトイレに行き、椅子にのけぞって座り、腰が痛いのでテーブルの方にかがむのが辛いから、食べさせろと言うので、かに玉をスプーンで食べさせた。食べるのに飽きるというか草臥れるようで、まずいからもう嫌だといって半分くらい残す。
23日の朝は、腰が痛いといいつつも、いつものように自分で食パンを食べる。昼は、ベットに近い椅子に座り、私がラーメンにしたのだが、最近麺類は吸えないので嫌がるため、白いご飯に佃煮と半熟卵にする。やはり食べさせろというので、スプーンで食べさせる。
24日の朝は、食パンを食べ始めるが、痛いというので、途中から食べさせる。食べてすぐ寝る(平常も、テレビを見て起きている時と、寝てしまうときがあるので)が、腰が痛いのだと思い寝かしておく。お昼に起すとまだ眠いから食べたくないというので、私一人がチーズトーストを食べ、ハルエさんの分も作っておく。
今日は、昼に黒沢さんがいつもの買物を届けてくれる日なので、それもあって、起き出してきて、食べるという。チーズトーストを自分で食べれるように、小さく四等分したので、まずいといいながらも3つまで食べる。
黒沢さんが来るのが遅かったこともあって、また寝てしまう。
ここまでは、腰が痛いからだと思い、朝には、シップ薬を貼るが、特に外傷とか、打ち身は見当たらない。前に、転んだのがきっかけで腸閉塞になったので、また腸閉塞でおなかが痛いのか、23・24日と大便も出ていないので、こっちを気にしていた。
一応掛かりつけ医になってくれている医者が水曜日は休みなので、明日にでも相談してみようかと思っていた。
5時頃、トイレに行こうとしたのか、自分で起き上がったものの、またお尻が先に落ちて、落っこちそうだと叫ぶので、二階から降りるとベットにつかまったまま、落っこちている。そこで、なんとか引き上げると、もうトイレに行かない、おむつにおしっこしちゃうというので、それでも良いよと寝かしておく。
ところが、夕食だからとトイレもあるので、食事を作る前に起すと、眠いから嫌だという。ハイちゃんの好きなコロッケだからと言っても、ぐずぐずしている。うるさいとか、眠いとか笑いながら言うのだけれど、ちょっとロレツが回らない。昼に、「こんなまずいの食えない」と文句を言ったときは、言葉は明瞭だったのだが。起きたそうにするので起きるかというと、またもぐってしまう。なにをしたいのか、なんだかよく分からない。
でも、眠いと私たちでも口が回らないことがあるので、ただ眠いのかと思い、一人でテレビを見ながら食事をする。途中でまた起きたそうに動くので、ハイちゃん起きるかと聞くと、まだ寝てると返事をする。
後片付けをして二階に行き、明日、医者に話すにあたって、整理しておこうと11時頃からメモを書き始めたが、ちょっと心配になって、ネットで脳梗塞とか検索すると、時間との勝負だとのこと。
このところ、夕張のことなども勉強したため、救急を夜呼ぶのに気が引けたので、7119に掛けるが、看護士が話中でと数回言われ、ともかく119を掛けたほうが良いとのことで、119を掛ける(1時頃)。
すぐに来てくれたのだが、そこからなかなか受け入れ先が見つからず、3時頃になって、吉祥寺の松井外科病院がベットに空きがないが検査だけならと受け入れてくれる。検査の結果、左脳の言葉をつかさどる辺りに1センチくらいの出血があるとのこと。
検査だけでなく、受け入れてくれることになり、まずはほっと。
血を抜き取るのかと思ったら、手術はしないで、薬などで抑えるという。出血が大きくならなければ良いとのこと。でも、しゃべりは戻らないのだろうかと少々心配。ハルエさんは、自分はちゃんと話しているつもりなので、どうしてこんな目に会うのかわからないようで、ちゃんと話せるよ、嫌だよと怒っている。耳が遠いので、紙に「ハイちゃんの脳に出血していて、上手に話せない。お薬で抑えるから、良い子にしていて」となだめる。ともかく、お預けして、一旦私は家に戻る。
次の朝、入院の手続きをし、様子を見に行く。管をはずそうとするので、手にグローブをはめられ、暴れたからなのか、看護婦さんが針を刺すのを失敗したのか、ひじの辺りが出血して青くなっている。でも、25日の朝は、まだ目を開けて、嫌だねとか、ハイちゃんは良い子だからというと、ニコニコしてそうハイちゃんは良い子だなどと話をする。耳が遠いので大声を出すと悪いので、ノートとマジックを用意し、何故入院しているかをもう一度書いてみせると、ちゃんと字を読んで、理解する。
午前中再検査があったので、午後にもう一度行く。先生にお話を聞くと、昨日に比べて、出血が大きく広がっていないとのことで、まず安心。黒沢さんが3時に見舞ってくれた時も、嫌だねぇとか、木実はどっかに行っちゃったと文句を言っていた。私が4時に行った時も、穏やかな顔である程度話ができた。
だから、なんとなく、落ち着いて、明日、明後日と、だんだん良くなるのだろうと思っていた。ところが、26日に、面会時間の3時頃に行くと、眠っている。看護婦さんによると、午前中は起きていて、オムツを替えるときには、痛いねぇなどと文句を言っていたというが、今は眠ってしまった。起してくれたほうが夜起きないのでよい。相部屋の一人のおばあさんが看護婦さん来てヨなどとしばしば訴えるのだが、ハイちゃんがそれに答えるのでとのこと。それでも、この日は、目を開けないのだけれど、明日は美容院に行ってからくるよとか、今日はおならばかりしているなどと言うと笑ったりして反応を示してくれた。私の頭をグローブのままなでてくれたり、上手いものを食わせろなどといつもの調子で話す。
ところが、27日には、眠り込んでいて、いくら話しても、ハイちゃんと呼ぶと分かってるよとか、何度か起すとうるさいねとか言うが、全然目を開けてくれない。グーグーいびきをかいている。
看護婦さんに、安定させるために睡眠薬とか与えているからこんなに眠るのかと聞いたら、睡眠薬は与えていないで、頭の病気なのでそうなっているとのこと。なんだか、心配になってきた。
おそらく、日曜日も先生とかは居ないだろうが、明日は、もしかすると起きているかもしれない午前中に行ってみようと思う。月曜日になったら、もう一度先生に相談してみよう。
まぁ、じたばたしてもしかたながいのだが。
意識がしっかりしていれば、来るのが遅いと言って怒ったり、お前はお母さんを邪魔にして追い出したのだろうなどとイヤミを言ったりしそうなのだが、こうも反応がないとなんだかとても心配だ。このまま目が開かなくなっちゃうのだろうか。
友人によれば、くすりで抑え、時間がたてば、だんだん出血部分が小さくなり、リハビリでよくなると言ってくれるのだが。また、呆けてはいないで、反応はちゃんとしているのだが。右手が少しきかなくなっているようなので、自宅に戻ってきても、自分でベットから起き上がったり歩けるかどうかも心配だ。筋力も弱ってしまうだろうし。
現在は点滴なので便は出ないのだろうか、前の2日分も心配だが。
桜が咲いたり、暖かくなったら、いろいろなところに車椅子で出かけるのを楽しみにしていただけに、桜の時期にこうなっちゃうのは、可哀相だ。
考えてみると、転んだから出血したのか、出血したので、転んだのか分からない。前々から兆候はあったのかもしれない(時折ことばが直ぐでないことがあった、水分をなかなか取ってくれないので血液ドロドロだったかも)。
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