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2010年4月29日 (木)

ハイちゃん快復しないままの誕生日

ハイちゃんは、強心剤で一度快復したものの、先週の自己呼吸の失敗でまた昏睡し、そのまんまだ。今日少し薄目をあけてくれるものの、まだまだだ。

私の誕生日までに、少しは目途がついてくれるかと期待していたのだが。

黒沢さんに、救急で連れて行ったのが悪かったのではないか、朝までまって、すがひろさんに紹介してもらって、もっとよい病院に入れたらよかったのにとのことだが、脳出血は、一刻を争うと思ったのだけれど。

脳出血は、治まっているのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう。1ヶ月異常も寝ていては、リハビリも難しくなるし、褥の心配もある。なんとか意識を快復し、せめてリハビリに向って欲しい。でも、今の感じでは、そこまで行けるとしても、相当時間がかかりそうで、それがさらに快復を遅らせそうで心配になる。

そうかと言って、この間の自己呼吸化は、リハビリとはいっても、やり過ぎだろう。ちゃんと管理して、ゆっくり丁寧にやってもらいたいと、次回は念を押そうと思うが、早くその段階までは快復して欲しい。

元気にリハビリに向うおばあさんをみるとうらやましくなる。

連休が始まり、これも心配だ。担当の先生が不在の日にちが長くなるからだ。なんとか上手く過ごせますように!

ハイちゃんのせいにしないで、自分の人生も考え、充実させておかないと。 

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2010年4月 8日 (木)

ハイちゃん昏睡状態続く

昭男さんにメールしたのを写します。

3日(土)に循環器系が上手く働かないので、手などが腫れているとメールしましたが、その後、4日(日)、5日(月)は、お話も出来、「いないないばぁ」という幼児向け絵本を見せたら表情豊かに笑っていました。腫れも少し落ち着いてきたようで安心していました。

ところが、6日(火)には、一転して、息苦しそうで、ハイちゃんと呼びかけるとくぐもった声で返事はするのですが、目も開かないし(若干開けるけど見えないらしい)、手の腫れは著しい。

急に暖かくなったし、時間的なこともあるかと思って、一時間くらいしてからもう一度行っても同じくらい。看護婦さんに熱があるのではと聞くと、無いというし、一進一退ありますよと言われてしまう。

そこで、介護保険の所見を書いてくれて、先日健康診断もやってくれた内科と循環器科の田無の医者に病院の帰りに寄って、「寝たきりにせずに、起すとか食べさせるとかすれば器官が動き出すのではないのだろうか、今の先生は脳外科の先生だけど、循環器の専門家ではないので」と相談するが、お歳だし、先生も用心しているのだろうとのこと。先生にご相談してみたらと、心不全か、肺炎か、栄養状況はどうか、腎機能はどうかなど聞いてみるとよいとのアドバイス。

今日7日(水)、快復してくれていることを祈って行ったが、やはり昏睡状態でした。昨日から呼吸が苦しそう(喉が狭くなっているとのこと)なので、今日は、パイプを鼻に入れており、呼吸は昨日よりは楽そうだが、全然反応なし。

ここまで昏睡してしまうと、起すとか食べさせるなどの話は当然無理で、ともかく様子を見るしかないので、よろしくと言って戻ってきました。

肺炎は今のところ大丈夫とのことだが、心臓機能が弱っているのと、腎機能も弱っておしっこも少なくなっている。鼻にも管を入れたので感染症を起すリスクも高まっているとのこと。

ちょっと危ないかも。ハイちゃんは根が強いし、五黄の寅だし、頑張ってくれることを祈るけど。

ショックで、この日は、自宅で食事を作る気がしなくて、田無でステーキを食べ、ホワイトワインを飲んでまたほろ酔いに。

夜、黒沢さんに容態を知らせる。近所のKさんという昔うちによく来ていたズウズウしいおばさんが無くなったとのこと。ハイちゃんが弱った時、憎たらしいKさんより先に死んじゃうの可哀相、負けないでと思っていたので、ヘンな話だけどちょっと嬉しくなる。Kさんが身代わりに先に往ってくれたので、ハイちゃんは快復するんじゃないかという気に勝手になって、なんだが妙に元気になる。

ハイちゃんは、強いから、絶対快復するヨという気になった。

そこで、今日は、お天気が良いこともあり、午前中体操に行き、シャワーも浴びて、洗濯もし、返却期日の本の重要箇所を写し取り、公明党の機関誌向け履歴などを作成・送信してから、病院に行く。

祈りながら、奇跡を願って行ったのだけど、結局、なんだか、もっとひどいことになっていた。熱があるようで、水枕になり、口からちょっと血の混じった液を出している。

やっぱ、ダメかなぁ。

大変だろうけど、家でちゃんと(嫌々ながら)介護してあげるから、もう一度戻ってきて欲しい。楽しかった、車椅子での散歩をもう一回したい。

ハイちゃんは、この家の太陽だったから、ハイちゃんが居なくなると、この家は、なんだか嫌だ。空虚?喪失感?不安?

でも、一方でなんだか受け入れてしまっているようなところもある。

食事を作る張り合いもないので、作り置きしてあるカレー等でごまかすものの、ちゃんと食事をしているし、テレビを見ている間、ハイちゃんのことを忘れてちゃんと笑っている。

これは何なんだろう。

話せていたうちは、頭が呆けないよう、元気を出してもらうよういろいろと工夫を凝らしたり、栄養を鼻から取れなくなってからは、何が別の方法はないかと考えたり、昏睡になった最初は、自分が病院のやり方をちゃんと監督しなかったのがいけなかったのかと後悔したりしていたのに、今は、もう素人では何もできない状態になってしまったからだろうか。

それとも、どこかでハイちゃんの強さにまだ期待して、絶対戻ると思っているのだろうか。

それとも、もう覚悟しないといけない状態だと醒めているのだろうか。

あるいは、寂しいので、紛らわすために、宙に浮きつつなんだか動いているのだろうか。

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2010年4月 4日 (日)

ハイちゃんの容態とこれからの暮らし

ハルエさんが入院してから12日。

最初は、脳出血で上手くしゃべれない、右手に力が入らない。これがもっとひどくなるのではないかということが心配でハラハラしていた。

しかし、出血は治まっているとのことで、入れ歯も抜いていることもあり、何を言っているかよく分からないものの、まずは、安心。頭はしっかりしているようなので、ホッとする。

一週間目からは、鼻から栄養を与えるとのこと。鼻に管を入れるのを嫌がって大変だったらしいけど、これでだんだん元気になるかと思い、もう直ぐ大部屋にも行ければ、テレビも見れて飽きないからと励ます。

ところが、木、金と行くと、手がむくんで腫れ上がっていたり、血圧が高いので、薬で抑えていたり、だんだん小さくなっている。薬が4種類ほど処方されている。心配になって土曜日に先生に伺うと、心臓機能が弱く、循環が上手くいっていない、また、お腹の調子が悪く、便が出ないので、鼻からの栄養を止めているとのこと。土曜日には、目も回りが赤くただれている。

栄養剤を与えているようだが、お腹がすくのか、飴頂戴とか、向かいの人が昼食を食べているのが羨ましいみたいだ。私は、この時は、まだ鼻から栄養を取っていると思っていたので、ちゃんと栄養は取っているから、口から食べるのは、もう少し待ってねなどと言っていたのだが。

ハイちゃんは、食い意地がはっているので、口から入れれば、腸も動くのではないかと思うけれど、先生に言わなかったのが今思うと失敗。まぁ、先生としては、いろいろやっている最中なので、素人が言えば嫌な気がするかもしれないが。

今のところ、薬で調整しながら、体調が回復するのを待つしかないようだ。訳がわからないでここに居るのでハイちゃんが可哀相だが。

それでも、昨日も「何を考えているの」と聞いたら「死ぬこと」というので、「せっかくなら100歳まで生きて、お祝い金を貰わないとね、黒沢さんたちも当てにしているヨ」というと、笑う。また、「これからお茶のお稽古に行くので、今日は、着物を着てきた」と言うと、いつもと同じように「早く行きなさい」と母親になる。頭は、ちゃんとしている。

桜が咲いたら、うんと一緒に散歩しようと思っていたのに。

昨年は、私が喘息ぶり返しとめまいでやっぱり連休前後の良い季節に散歩に連れていかれなかった。まぁ、歳を取ると、いろいろなことが予想外の展開になる。右上がりにはならないし、横ばいも難しい。刻一刻を楽しむしかないのだろう。今日、明日にと思っていたことが叶わない。まさに、今日は今日、否、今は今しかない!

入院したおり、最低2週間と言われ、それでもその後リハビリなどでかかるだろうが、少なくとも、2週間で元気になると思っていたので、長期化しそうだし、それも回復の目途が立たないのは、なんともやるせない。ハイちゃんも可哀相だ。

2週間と思い、張り切っていたのだが、なんだか、どっと疲れてしまった。

一方で、2週間の猶予で自由時間を得たような気がして、これまで出来なかった遠出や外食やお茶を楽しんだりしていたのだが、これも虚しくなってしまった。2週間で戻ってきたら、もっとトイレの世話や食事の世話などが大変になり、おそらく外出がもっとできなくなるから、今のうちにと焦っていた面もある。

しかし、入院し、いつどうなるか分からない不安のなかで1ヶ月、もしくはそうとう長い間過ごさなければならなくなった。平常の生活を一人で続けなければならない。もしかすると、本当に一人で暮らすことになるための予行練習かもしれない。

もし、そうだったら、ハイちゃんにもっと美味しいものを食べさせたり、遊ばせてあげたかったのに、残念だ。このまま行っちゃったら、ちょっと可哀相だ。なんとか、頑張って欲しいものだ。どうしたら、頑張って貰えるだろうか。リハビリを嫌がるのを頑張らせることはできるけど、心臓の機能やお腹の機能は、どうしようもない。

私の方も、一人でも、きちんと生活しなければならない。ハイちゃんのせいにして出来なかった勉強をちゃんとやろう。これから本当に一人になった時に、自分らしい生活をするには、やはり、何か自分の分野が必要だ。お茶と思っていたけれど、昨日お稽古に行ってみて、息抜きだし、お茶の世界は好きだけれど、これが私の世界ではないと思った。

結局、友達にも、先生にも、愚痴をこぼせなかった。お兄ちゃんにメールでハイちゃんの容態を伝えるに止めた。でも、やるせなかったので、恵比寿で、石焼ピザを食べ、赤ワインでほろ酔いにして家に戻った。

62歳だけれど、本当は、弱虫で大人になっていないので、しょうがない。



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