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2010年5月13日 (木)

大学改革トップセミナー準備

大学改革トップセミナー(全私学新聞、ナガセ、法政大学が協力して開催)の司会を仰せつかったので、にわか勉強をした。

大学とは、本当にヘンなところだが、今、改革を進めようとしているらしい。

1.秋田の国際教養大学は、中嶋学長のビジョンを下に出来たもので、教授会の弊害をなくし、トップダウンの経営ができるようになっている。良く知らないのだが、日本の大学では、教授会の権限が強いので、時代の変化に対応した機動的な意思決定ができないようだ。要はガバナンスが出来ていない。一方、私が居たようなオーナーが強い大学は、機動的だがワンマン経営で、オーナーが歳を取って時代と合わなくなっても、改革が進まない。教授会が牛耳っているような多くの大学は、改革ができるのだろうか。

2.少子化で希望者が皆大学に入れる時代となり、大学は、選ばれた人が自発的に勉強する場所から、誰にでも分かるように教育する場所に変ることを迫られているらしい。

やたらと大学院が出来ているのは、そういうことだったんだと納得。つまり、かつての大学(自ら自発的に勉強する)のは大学院になってからで、学部では、高校の一つ上という感じらしい。

このため、唯我独尊的な授業ではなく、体系的に学生の理解が進むように教えることが望まれている。大学の先生は、これまで研究者であり、研究の蓄積の一部を学生に教えれば足りたという時代から、教えるプロにならなければならない。難しそうにすると偉そうだった(分からないのは学生が悪い)のから、分かりやすくしなければならない(分からないのは先生が悪い)。それには、いろいろなツールも必要だし、コミュニケーション能力も求められる。

このため、FD(ファカルティ・ディベロプメント)、つまり大学の先生の能力(特に教える能力)を高めることが課題になっているらしい。

小中高までは、先生になるには免許が居るし、おそらく教え方の指導もあるだろうし、指導要領などもある。ところが、大学の先生だけは、免許がない。このお陰で私は食いつないでこれたのだが、実際には、どう教えたらよいのか当惑の連続であった。

もちろん、学生の学力レベルの問題、問題意識を持っていないなどの問題もあるのだが、ワークショップ的にやる方法とか、上手い資料映像の作成方法などツールの問題もあった。

現在は、こうしたことは全国私立大学FD連携フォーラムなどで、研修を受けることができるようになっているらしい。

でも、多くの昔からの先生(偉い先生ほど)は、こうしたことへの認識自体が出来ていないのではないだろうか。こういう先生に認識させたり、研修を受けさせたり、授業評価が低い場合降格させるとか辞めさせるといったことって出来るのだろうか。

大学は、これまで象牙の塔で、特に一人ひとりの先生方は、蛸壺のような聖域にいて、誰も評価しないできた。どんな教え方をしているのか、どんな研究をしているのかは、同じ大学の同僚にも、上司(なんてあるのかなぁ)にも本当のところ分からない。研究は、学会の中では評価されるけれど、それは勤務している大学とは別。学会の評価だって、政治的に決まることも多いだろうし。逆に言えばやりたい放題なのだけれど、これがサラリーマンの世界から来た私には今ひとつピントこなくて、損をしてしまった。

3.SD(スタッフ・ディベロプメント)。これは、研究所に居た時にも感じたことだが、事務局部門がしっかりしているかどうかが本当はとても重要だ。今、大学は、研究だけでなく、教育(学生募集~教育~就職)、地域貢献の3つの機能を果たすことが期待されている。研究も、競争的資金でお金を得なければならない。地域貢献は、産学連携による研究開発やベンチャー支援だけでなく、疲弊した地域経済の建て直しや人材育成なども期待されている。

これまでの大学事務員は、言われたこと、決まっていることをこなすのが主な仕事であったが、これからは、より戦略的に考え、行動しなければならない。企業であれば当たり前のことだが、こうしたことが出来る人材を養成、あるいは獲得する必要に迫られている。

4.大学の経営基盤も大変だ。歴史のある大学は、卒業生や父母、企業などからの寄付の比率が高い。国際教養大学などは、秋田県・秋田市が出資して作られた大学なので、地方財政が厳しいなか、将来的には、交付金に頼らないようにすると言っているが、どのような方策を考えているのだろうか。

アメリカの大学などでは、知財やベンチャー支援(株を持つなど)で儲けているところもあるようだ。イギリスでは、社会企業家的なベンチャーを大学が生み出すことで評判を高めようとしている。大学自体非営利なので、何か新しいビジネスモデルを生み出すと面白いのだが。

5.英語は国際語なので最低限英語を自在に操れるようにするというのが、今回の3つの事例に共通している。英語で授業を受け、英語で、ディベートや発表が出来るようにする。これに加えて、中国語やドイツ語などもう一つ言語を操れるようにする。

これは、これからの時代大事なことなのだろうと思う。若いうちに集中して学び、留学などをして身体から自然に言葉が発せられる環境に置くということも重要だろう。

私は、英語が出来ないのだけれど、1ヶ月とか海外出張してくると、自然と英語で喋れるような気がした。少なくとも、3ヶ月そういう環境にいたいと思ったこともある。最初は日常会話だけで、必要に応じて難しい言葉も覚えるのではないかと思った。

英文添削を受けると、日本語でも、正しい日本語を書いたり、喋ったりできないのに、英語で、正しく書いたり、話したりすることって出来るのだろうかと思ってしまう。でも、おそらく、最初は滅茶苦茶でよくて、だんだん正しく、難しい言い回しを覚えていくのではないかと思う。私は、頭が悪いので、そうした身体で覚えることにもう一度チャレンジしたいものだ。

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