« 2010年6月 | トップページ | 2011年3月 »

2011年2月27日 (日)

ASTAでコンサート

昨日26日(土)は、初めて、田無のASTAでコーラスのコンサートに参加しみあした。

前に、純子ちゃんたちのコーラスを聞きに行ったことはあるのですが、その時は、何の違和感もなく、卒業の歌だったので、感動しました。皆が楽しそうに歌っているのが好感もてました。

まさか、自分が歌う立場になるなんて。

普段の練習(公民館の部屋や純子ちゃんの家)とは、全然違って、声が通らないので、いつも以上に皆声を張り上げていました。

風邪もだいぶ調子よくなっていたので、今日は上手く歌えるかと思ったら、二回目の雛祭りの後、痰が絡んでしまって、声が出なくなってしまいました。

咳払いしてはいけないと言われているので、しょうがないので、口パクとニコニコするのに専念しました。ちょっと残念。でも、他の皆には、私が調子はずれで大声を出さなかったので、良かったかもね。

皆にお化粧をしてもらいました。

今度からちゃんとやろうかなぁ。夏になるので下着もちゃんとしないと嫌われるかなか。などと、小さいころのような気分になりました。

自分では、何とも思っていなかったのですが、結構疲れていたみたいで、家に帰って衣装を洗濯し、ちょっと横になったら眠ってしまいました。

それから、野口先生がハイちゃんにご挨拶しなくてはなどと言ってくれていたので、純子ちゃんに案内を出してもらったところ、妹さんの病院に行っていたので、タクシーで駆けつけて下さいました。でも、ちょうど終わってしまったところで、楽屋にまで来てくれたのですが、却って悪いことしてしまいました!

先生、お元気で、来年見に来て下さいね。

松山君も試験監督などで忙しくて来れませんでした。子供の頃は、デブデブと馬鹿にしていた松山君ですが、今では、教授ですし、奥さんと御嬢さんには、コーラスで世話になりっぱなしなので、会ったら、どんな顔してお礼を言おうかなどと思っていたので、ちょっとほっとです。

コーラスも最初は、分からないので、却って上がりませんでしたが、昨日は少し上がりました。お茶と同じで、最初は天才ですが、なかなか、そのあとが伸びません。まぁ、ボチボチやります。

体操の内山さんが来てくれたり、小塩くんのお母さん(彼女もコーラスやっている)も来てくれたり、故郷、地元、人との付き合いってこんな風なのですね。

これまで、地元では、誰も知らないのだからと、汚~い格好でウロウロしていたのも、そろそろ心がけを変えないとね。

| | コメント (0)

2011年2月25日 (金)

コーラス

もうすぐ2月も終わり、ハイちゃんの誕生日の3月4日が来ます。今日、貝で作ったお雛様(昔ハイちゃんが誰かにもらった)を飾りました。

この間買った、桃と菜の花は、すぐ痛んでしまい、桃が少しと黄色いチューリップになっています。

そういえば、今日、庭の福寿草が咲きました。

ハイちゃんの誕生日には、ケーキをお供えしてあげよう(誕生日だけケーキを食べる)と思いつつ、一昨日シュークリームを食べてしまった。

今週土曜日には、初めて、アスタの二階でコンサートをやります。まだ音が取れていないところもあるけど、あとは度胸。音響が良くなさそうなので、どんな感じになることやら。

黒沢さんが最初来てくれると言っていたけど、結局、姉妹たちに会うので田舎に旅行とかでダメになりました。

ちょっとがっかりなような、ほっとしたような。

先日のボニージャックスと歌うというイベントの時の記念写真をスキャンしてみました。

Bonny

| | コメント (0)

2011年2月 5日 (土)

あれから半年以上経ちました

ハイちゃんが死んでから、半年以上経ちました。

お陰さまで、ふつうに暮らしています。

葬儀後のいろいろな手続きがだいたい夏に終了し、秋から、なんとか自分自身が次に踏み出さなくてはと、先方には、悪いような気がしましたが、大本先生に紹介して頂いた藤沢町に連絡、その後、月一回くらい取材を兼ねて遠方の現場を回りました。それにあたっては、木村俊昭さんが月一回開催している勉強会とそのMLの情報に助けられました。

備忘録的に記しておきます。

1.9月:佐々木先生が関係する創造都市のセミナーが横浜であり、社会包摂という言葉を知る。わらび座の人と知り合えた。

2.9月:岩手県藤沢町(大本先生のご紹介)訪問。

3.10月:KMTのMLで情報を得て、北本のバスツアー→そこで知った古着をアートに使う芸術家にこれまで捨てがたかった服を5~6箱送る。でも、どうやら、イベントごとに集める色とか素材とか決めるようなので、あれはいつ使われるか分からないけど。まぁこれで家は少し片付いた。

4.10月:学芸出版社のセミナー(まちづくり)で京都に行き、その足で香川の丸亀商店街、わははネット訪問。

5.11月:大学院の授業始まる。

6.11月:わらび座を訪問。可児市の取り組みを知る。

7.12月:KMTのMLで知った情報で海士町のセミナーに行く。これまでの冷凍設備の話ではなく、人材育成の話で面白かった。調べると、随分、Iターン者がいろいろやっている。冬が厳しいみたいなので、温かくなったら訪問しようと思う。

8.1月:授業は1月20日で終了。最後は、聴講生だった高澤さんがやっている新宿ゴールデン街のお店に行く。

●この間、お茶で、和室を使って、仲間でお茶事の練習をしてはどうかという話が出て、先生が家を見に来てくれた(9月)し、私の方で貸し出す道具は決めました(11月)と言われたので、それなりにせっせと片づけたのだが、未だに先生から連絡なく、なんだか落ち着かないままになっている。

●また、小学校の友達である純子ちゃんが主宰しているコーラスの仲間に入れてもらう。これが結構練習が多く、この間に、西東京市の文化祭、ボニージャックスと歌うふれあいコンサートなどのイベントもあり、慌ただしく過ごす。

●また、一人で体操に週一回行っていたが、丁度週二回にしたいと思っていた折、お向かいの松本さんが誘ってくれて、黒沢さんなど地元の高齢者がやっている体操にも入れてもらった。

★夏は草取りと水やり、秋は落ち葉の掃除、エアコンやレンジフード、網戸などなどが壊れるといったことも忙しさが気を紛らわしてくれました。

★暮れの掃除、年賀状、お正月の支度、豆まきなどもちゃんとしました。

「母が亡くなり、時間的に自由になりました」と言っても、仕事関係の人からは「では一緒にやりましょう」というお声は一つもかからない。まぁ、考えてみれば当然で、友人たちも、もう還暦で、自分の立場も微妙だし、若い研究者も次々と育つなか、体調は悪いし、動きは遅いし、ブランクはあるし、特にコンテンツも持っていないのだから、喜んで受け入れてくれるものでもないのだろう。

当然のことであるが、自分で自分の道は切り開かなければならない。

ただ、そんな折、お茶やコーラスのお仲間、ご近所の人たちが温かく見守ったり、誘ってくれたのは、有難かった。股関節、喘息に加え、最近では、時折めまいもしてしまうし。もう、こういう趣味だけで暮らせと神様が言っているのかなぁと思う。

しかし、やっぱりそれでは、精神的に辛いように思い、来年度の授業も受けることにしてしまったし、田無ソーシャルメディア研究会にもお仲間にしてもらった。また、前田さんのSMLにも、定期的に記事を載せさせてもらうことにした。これで、一人だとダレてしまう自分を当面支えることが出来るだろう。

もう暫くは、自分の中では、地域政策などを巷で考えることを本業にしていたいと思う。

| | コメント (0)

« 2010年6月 | トップページ | 2011年3月 »