昔の書き物
前記事に書いたように、叔父の昔の本が話題となり、本棚を探していたら、なんと、昔の私の書き物も出てきた。
1.図書館短大時代に、図書館と貸本屋(昭和43年当時は、貸本屋の方が盛んだった)を比較したもの。短大は、卒論の制度がなかったのだが、論文書きに憧れて、自主的に落研のメンバー有志でやったもの。
このうちのエッセンスは、のちに、学者の人が抜書きしていて、論文名だけは、CiNiiでネット検索すると出てきたりするのだが、内容などは、すっかり忘れていたのだ。
青焼きのや、ガリ版刷のが出てきた。
確か、馬籠の貸本屋さんの集まりにも行ったりした記憶がある。
2.落研の時にガリ刷で作った「ごんずい」二号や、『なじみ』1号が出てきた。
後者は、女性と落語を取り上げ、落語の中の女性を調べたり、女性が落語を演じる難しさを当時出てきたハナシカガール桃乃はな代さんにインタビューしたりしている。
はな代さんをネット検索したら、一応出てましたが、分からない、速記が雑誌に載っていると書いてありました。
また、当時本牧亭で、若旦那の恋煩いの話(崇徳院)を女性版に書き換えて演じたのだが(プロの前座で)、その時の原稿やアンケート(これは学園祭で取ったのだろうか)なども出てきた。
・もとの崇徳院の良さを壊している
・女性が女をやると観ている方がはずかしい
・もっと女性の憎めない点、馬鹿さ、突飛さを出した方がよい
・女性の主体性がはっきり認められるようになた現代を扱った方がよい
・現代センスで新作をやり題材を広めてほしい などなどの意見が寄せられている
本牧亭は、確か宝井馬琴(当時琴鶴きんかく)さんの前座の前座だったように記憶する。
この人は、清水の人で、その後、上司だった竹内さん(清水の人)の関係で確か場違いなところで出会った。これも世間は狭い話に通じる。
4月に、落研のメンバーと合うことになっているので、見せてあげよう。
まぁ、昔のことを言うようになったらおしまいだが。
この頃は、青春もあって、東大落研と都立大落研と一緒に勉強会をしたりした。
このほか、いとこの知り合いが落語を習っているので、そこにも出かけていき、馬琴さんとは、そこで知り合ったのだと思う。馬琴さんは、講談なので、落語は、おなじ同好会でやっていた落語家さんだかに教わったのだが、名前が浮かばない。
こうしてみると、いろいろとお世話になった人がたくさんいて、名前も忘れているくらいだからいい加減なもんだと思う。
3.明治学院大学で作成した卒論「今日における日本の家族制度-婦人問題を中心として』
表紙に黒い板のようなものをつけた原稿用紙に書いたもの。
先生が、丁寧に、コメントを紙のしおりのようなもので書いてくれている。
結局、たいした出来ではなかったのだが。
一度読んでみようと思う。
結局、今も博士論文かけずにいるけれど、この辺りから、ちっとも進歩してないみたいな気がして嫌になる。
図書館短大当時、社会学の先生だった柿崎先生のご紹介で、明治学院大学に編入させてもらった、その先生が川本先生。確か、川本先生の現地調査にもついて行って、大学院生の女性と男性の先輩たちに出来が悪くて笑われたのがトラウマになっているように記憶する。
千葉での調査は面白かったのだけれど、どこの農家でも、スイカやジュースを出してくれるので、頂かないと、汚いと思っていると思われるのではないかと、無理して飲んだりするのだが、おしっこがしたくて困った記憶だけある。
確か、村のお祭りにも呼んでもらった。
当時、君津製鉄所が出来て、漁村が変化するというような内容だった。
ということは、農村社会学なので、川本先生ではなく、柿崎先生の調査だったのだろう。川本先生はたしか家族社会学だった。
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