ハイちゃんの分骨入れ
昨日吉祥寺に行き、何か良い分骨入れはないか探した。
前にリビンの菊屋で、招き猫や手毬猫があって、貯金箱のようにお尻をゴムで開けられるのがあったので、これも面白いと思ったのだが、同じ猫でも、もっとハイちゃんらしいのはないものかと思ったのだ。
愛嬌のあるものやいじわるそうな猫、トラもあったのだが、やはり陶器だといざという時に壊れるのではないかと思った(地震の後だから思うのだろうけど)。
そうしたら、コベントガーデンという店のアウトレットで、シンガーミシンを模した木の箱があった。
ハイちゃんのシンガーミシンを処分してしまった申し訳なさもあり、一応これを購入してきた。これに今どきは真綿を手に入れられないので、羽二重でくるみ、できれば、ハイちゃんの着物の残り切れなどで袋を作ってのどぼとけくらいを入れられないかと思う。
TVが公共広告ばかりやっていて、オシムが出てきて、「スピードが命なんだよ」という、言葉が出にくくなったら、すぐに救急車をって。
だから、すぐに救急車を呼び、先生が脳の出血は小さく収まっているって言ったから、素早い対応で褒められると思ったのに、結局、おしっこなどが出なくなって死んでしまった!
脳外科の先生がたまたま宿直で、見るだけの受け入れだったけど、受け入れてくれて、その時は、とても順調で運が良いと思ったのに。
松井外科がいけなかったのかなぁ。
最期に、何にも言葉を発することが出来なかったのが、心残りだったかなぁなどと思ってしまう。
公共広告で、「大人の手が子供を手当できる」というのもやっていて、女の子がお母さんの手に触れて「今日幼稚園でお花を作ったの」というようなことを言っている。
ハイちゃんは、最後は、目と手で表情を表していて、お手手で私の頭をさすってくれたり、強く握り返したりした。
前に入院した時は、ハイちゃん死にたくないようなどと言っていたけど、今度は、たぶん覚悟していたのだろう。
まだ、意識がしっかりしている頃に、斜め前のベッドのおばさんがお昼を食べているのを見て、ハイちゃんにはないと不満そうだったけど、それでも、その頃は、ノートに、ハイちゃんは、栄養剤を管で入れているからだよ、もう少ししたら、ケーキ食べれるからねと言ったら納得して良い子になっていたのだから。
ハイちゃんとは、面白い絵本を見せたら(次のページに面白い絵になる)、わぁっと言って喜んだのだけど、あれが意思を交換できた最期だった。
去年の22日に少し寒いなか、ニトリまで冒険で遠出をしたのが悪かったのだろうか。
でも、車椅子で一緒に散歩をし、いつもと違うところに行くのは嬉しかったみたいだし、わがままを言う(美味しくない!など)は、甘えの表れだったし、たぶん幸せだったと思う。
地震でいろいろ行事がなくなり、すっかり予定が空いてみると、丁度入院から1年目くらいということもあり、ちょっぴり、いろいろ思い出してしまう。
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