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2011年3月30日 (水)

道都ゼミ生(2期)

私は、先生に慣れていなかったので、一期のゼミ生が卒業してしまって、次の年には、私は1歳年を取り、逆に1歳若い学生が入ってくる。・・・これが永遠に続くというのがなんだか置いてきぼりを食うみたいで凄く悲しくなった。

彼らは、未来に向かって羽ばたいていくのに、私は、取り残されていく。

最初から学校の先生にとって、こんなこと当たりまえのことなんだろうけど、私は凄く嫌だった。

大学がまだ出来立てということもあって大学らしくないし、また、地元の産業界とのネットワークもなかなか作れなくて、現代産業論を教えているうのに、どんどん世の中から取り残されていくようで、私がここに居る意味が見えなくなった。

学生たちは、個人的には、可愛いけれど、朝電話で起こして学校に来させるとか、彼女が出来ると自慢げに紹介しに来るとか、なんだか保母さんになったみたいで、私は何をしているのだろう!という気になった。

そこで、最初の約束が完成年度は最低限学校に居るということだったので、4年目の終了で辞めることにした。

大変申し訳なかったのが、ゼミ2期生を3年の時に受け持っていながら、卒論を書く大切な4年に放り出すことになってしまった。

実は、一人は事件を起こして退学し、もう一人は謹慎中。ちゃんと授業を受けているのは、確か3人だった。

二人目の子供には手をかけないというが、ゼミ生も二期目になると、少し心が楽ではあった。

放り出した学生のうち、新しい受け持ちの先生とウマがあってくれた子もいるが、合わない先生もいた。だから、辞めてからも(札幌で少し働いていたこともあり)、相談に乗ったり、卒論のアドバイスを外でしていた。

3人のうち、一人は自動車販売会社に就職が決まったというので、とりあえずお祝いに食事をごちそうしたのだけれど、結局自衛隊に行ったらしい。その後は、連絡が取れなくなってしまった。

残りの2人のうち一人は、子供たちにサッカーを教えるのが好きなので、教員になるといっていたが、就職希望などがいろいろ変って、結局、どこも決まらないままだった。

今では、故郷の方に帰って(青森出身だが、今は盛岡に住んでいるようだ)、薬の営業マンをしているらしい。

要領の良い子で人とのコミュニケーション能力もあるから、適職なんじゃないかと思う。今回の震災でもとりあえず無事だったらしい。

もう一人の子は、父親の知り合いの会社で数年修行し、現在は、父親の会社(兄が継いでいる)を手伝っているらしい。

前から付き合っていた彼女と昨年結婚した。

学校にいた時、青森の子は、お母さんが作って送ってくれたという馬肉の炒め物を分けてくれた。馬肉なんて食べたことなくて、気持ち悪いなぁと思ったけど、美味しかった。

前は、時々メールをくれていたが、仕事が落ち着いた頃からくれなくなった。これもそんなもんだろう。

父親の会社に入社した子は、彼女を紹介しに、一度東京に遊びにきたことがあった。仕事の関係で時折東京に来ているらしい。そのうち会おうよと言っているが、どうなるか分からない。

皆、ちゃんと羽ばたいてくれていっている。

まずは、ほっとだ。

自分の生活が不安定な時は、私を思い出すのだろうが、落ち着いてくれば忘れていくのだろう。これも、そんなもんだと思う。

私には、子供がいないので分からないが、子供が大人になっていくって、親にとっては、どんなもんなんだろう。

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