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2011年8月18日 (木)

このみ庵夏バージョン

5月末から、菅生さん、先生が来てくれて、懐石の練習と茶室もどきづくりが始まった。

菅生さんは、懐石をつくるならということで言われるのだけれど、私は日常の暮らしのことを考えてしまい、最初は、台所(レンジがじゃま、洗剤等が不要、鍋が足りない等々)、鰹節(血合い抜きがない)、調味料(千鳥酢、味噌、有機しょうゆ)などを整えるので大変だった。

5月22日(日)にまず、山下さん不在で、台所をどう使えるかを試すために菅生さんが来てくれる。(筍の梅和え、筍の煮物、ホウレンソウの胡麻和え、豆腐とわかめの味噌汁)

6月11日(土)青松園のバーゲンに行ってみる。分からないので、菅生さんにお願いして、6月13日(月)味噌などをデパートで買う。

6月19日(日)から、山下さんも加わって、本格的に習い始める。前日に、食材の買い物にも出かける。(よもぎ麩の味噌汁、鯛のお造り、里芋の煮物、塩鮭の焼き物:これはおかずとして)。この日は、鰹の血合い抜きがなくて、マグロの血合い抜きで出汁をとったが先生には不評。

この日は、先生が来られるというので、障子も張り替えておく。先生が水差、色紙、掛け軸、替え茶碗、茶杓、茶筅、茶杓、蓋置などを貸してくれ、あるもので、雰囲気を作ってみてくれる。いろいろ貸してくれるとは言われるが、それなりには購入しないといけないらしい。

早速、次の日(20日)に、荻窪の亀屋に行ってみるも、選べない。

先生にお電話して、30日に一緒に行ってもらい、数点購入。

7月1日(金)に、菅生さん経由で依頼した炭(夏用2箱)が届き、昨日購入した亀屋さんの道具が届く。

9日(土)に、浜田(かつての大門堂)に茶巾と花釘を買いに行く。

15日(金)菅生さんと待ち合わせて、池袋西武に材料を買いに行く。

17日(日)先生、菅生さん、山下さんが来て、懐石の練習第二回目。鶏団子、いんげん付け合せ、さわら焼き物、焼きなすの味噌汁、漬物、きゅうりの酢の物。

この日は、亀やさんで購入した、風呂に灰を入れてくれたり、配膳棚を組み立ててくれたりして、らしくしてくれる。

山下家の食器を朝届けてくれる。

18日(月)くたびれたが、鶏ひき肉が残っているので、心配なので、復習し、黒沢さんにもらってもらう。

22日(金)に菅生さんが、私が余り材料に触らなかったからと特訓に来てくれる。また、魚を切れるようになるためのためしも。鶏肉を取ってあると思ったようだが、使ってしまったというので、再度購入してきてくれる。鯛も。

ガス台が温度センサー付きなので、思うようになすなどが焼けない。鶏団子にいんげんの付け合せ、焼きナスの味噌汁、鯛のお造り、きゅうりの小口切り。ごはんを炊き忘れて、冷凍でごまかす。

草臥れたのでぼーっとしていて、折角の特訓のメモをとれずにいる。

7月26日、ひばりが丘の西友に葭簀が残っていたので、買ってきて、つけてみる。

30(土)・31(日)は、裏庭のゼニゴケのところをはがしたら、結局草だらけになったので、なんとかしてみようと、榎本園芸に行き、結局、玉竜と木屑?を購入して、手入れしてみる。

8月は、山下さんが夏休みでもあり、暑いので、菅生さんに申し訳ないからと、自習することに。今度は、料理だけでなく、お茶も飲んでみようというので、急遽、火をどうしたらよいか分からず、1日に先生にお電話。そうしたら、やる気になって、ハンズに火起しを買いに行く。

そうなると、いろいろ不足していて、3日に浜田にお茶(粉)と枝炭と竹箸、ハンズに温度センサー付き魚焼き器を買いに行く。

魚屋機器でナスを焼いてみたが、ガステーブルが汚れるだけで、上手く焼けない。

6日(土)に先生が、羽、柳沢先生の扇面と色紙、灰しゃじを貸してもらう。帰りに鯛と血合い抜きの鰹節を恵比寿の三越で購入。

7日(日)は、山下さんと息子さんが来て三人で自習。鯛の刺身も、冬瓜も息子さんがやってくれたので、9時半から初めて、12時には食べられる。火がシュンシュンとは起きないが、お茶の真似事をする。

9日(火)は、中沢に行く日でもあり、お料理はせず、おにぎり購入で山下さんと唐物のお点前を楽しむ。浴衣をきてやる。それなりに、落ち着いた空間でなかなか。前の日は、掛け軸を真ん中にして、花をひょうたんの花入れに入れたのだが、今回は、扇面をかけ、花は床の間に置いてみた。Scimg0992

12日(金)体操が休みだし、綾子さんが空いているというので、黒沢さんの誕生日ということで食事会。ちょうどハイちゃんの月命日でもある。綾子さんがお赤飯とマカロニサラダ、おしんこを持ってきてくれたので、私は、前日から用意して、白玉、冬瓜、肉団子、キュウリの酢の物を作ってみたが、白玉は芯があり、冬瓜は、山下さんの息子さんの真似をして皮を少し残して、重層で柔らかくするのをやってみたら、溶けてしまった!

食後、ともかく、薄茶を飲んでもらった。

と、まぁ、このみ庵の夏のバージョンは、いったん出来上がり。

その後、炭を洗ったら、風呂場が大変なことになったりした。

しばらく行事がないので、片づけた。風呂を隠すのをボール紙と障子紙で作ったがちょっといまいち。

★この間、めまいがしたり、右手の指が利かなくなったり、耳が遠くなったり、いろいろありました。

★田無ソメ研がらみでも、ぞうさん名刺作成、ツイッター講座などもやりました。

★子育てタクシーをまとめ、海士町にも行ってレポートをまとめました。

まぁ、なんだか、怒涛のような6~8月中旬まででした。暑いですが、もう秋の気配です。夕方暗くなるのも速くなりました。あっと言う間に9月ですねぇ。いろいろやり残したことがあります。さて、しっかりしないと!

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ハイちゃんの散骨

前記事が4月だから随分ご無沙汰してしまった。

ハイちゃんの散骨は、梅雨時前の方が良いと思って5月最期の土曜日にしたのだけれど、台風が来て、海があれて中止になった。そこで6月最期の土曜日に変更、ところがまた台風が接近している。船もどんな時間になるかいろいろ不明なので、大げさにしないで、昭男兄ちゃんと文男兄ちゃんだけにお願いしていてよかった。

ハイちゃん、随分前から、お墓ではなく、散骨と言っていたのに、やっぱ嫌なのかなぁ、どうしようと思い悩んでいて、アッそうだ、死んでから、小平のお墓に報告に行っていたなかったことを思い出した。

散骨するにせよ、おじいちゃん、おばあちゃん、一男さんほかが眠っているのだから、ここに挨拶しておかなかったので、ハイちゃんが心残りなだけでなく、お墓の人たちが怒っているのかもしれないと思い至った。

そこで、慌てて、散骨の前日、文男兄ちゃんにお墓の場所を聞き、暑い日だったけど、残りの遺骨(散骨屋さんに渡した残り)と遺影を持って、お水だけ持って、お墓詣りに行ってきた。家に咲いている花(アジサイだったか、金魚草だったか)を持って行ってきた。

途中の電車の中で、なんだか、ハイちゃんが、久しぶりに一緒に出掛けたのではしゃいでいるようだった。

お墓を少しきれいにし、遺骨と遺影を飾り、お水をかけて、ハイちゃんは、去年死にました。報告が遅くなってごめんなさい。ハイちゃんは、そこに入ると、カツさんに悪いし、そこも、そんなに居心地良くないだろうから、海に散骨すれば、自在に世界を周れるんだから、明日、散骨します・・というようなことを報告した。

そうしたら、帰り道は、ハイちゃんとってもおとなしくなった気がした。

もっと早く来てあげればよかったと思ったけれど(生きているうちにも)、それでも、これで、なんとなく、皆の気持ちが治まったような気がした。

暑いので、帰りに、コーヒーを飲んだけど、ホント、ハイちゃんは、大人しかった。

次の日も、波は高かったけど、ピーカンのお天気で、髪の薄い昭男兄ちゃんが気の毒なくらいだった。

昨日のこともあり、心穏やかに楽しく散骨できた。

散骨に参加できなかった進君、美恵子ちゃん、アイ子姉さんに出した手紙を添付します「sannkotsuhoukoku.docx」をダウンロード

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