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2011年10月13日 (木)

俳句と短歌

父は、前のブログで書いたように、原石鼎が主催していた『鹿火屋』という俳句雑誌に投稿しはじめ、そこの幹部であった市川一男と出会います。一男は、石鼎が昭和16年に病に倒れ、戦後自ら『口語俳句』を主宰するようになります。そして、一男が『定本・市川一男俳句集』を出したおり、『口語俳句』第85号は「市川一男特集」を組みます。

そこには、俳句のお仲間のほか、一男の息子4人や母と結婚して義弟となった父も文章を寄せています。その父の文章のタイトルは、「賢兄愚弟」。一男との出会いや、石鼎の奥さんから母との見合い話をもらったことなどが書かれています。私の知らない時代の一男と父、そして母との出会いが書かれていて興味深かったです。

父は、俳句の大先輩でもあり、リーダーでもあった叔父に、尊敬の念はあるものの、やはり劣等感をずっと抱いていたようです。母の後ろに叔父を見、母をお姫様を授かった家来のような気持ちで接していたのではないかと思います。

言ってしまえば、外に女を作るのは、しかたがないことだったのかもしれません。

自宅に『鹿火屋』の古いのが数年分ありますが、誇りにまみれ、しかも奥の方にあるので、とりあえず、出せた手前のものが昭和12年のものでした(抜書きはこちら「kabiya.doc」をダウンロード)。

大正元年生まれですから、このl頃、父は、25歳くらい。母と結婚するのは昭和16年ですからその4年前くらい。

『鹿火屋』の方針がそうだったのか、父の句も、花鳥風月が対象になっています。昭和12年12月号の句を挙げておきます。

五位なきぬ月うらの世をこがれては

鳥雲や産土神の森あたゝかに

山裏へ廻る道ありて鳥渡る

水すむや殿様蛙流れつく

小松の葉月のひかりにとがりけり

・・・・・・・・・・・

私の中学校1年生の時の受け持ちだった湊嘉晴先生が短歌を教えたいとお母さんたち数人をまとめて、月一回我が家で会合を開いており、母も短歌を始めました。

母が「このみ、このみ」と私のことばかりに感けるので、趣味を持てとの教師ごころから勧めたと記憶します。

毎月提出しなければならないので、一生懸命作っていましたが、それほど上手く(没頭するほどの趣味には)ならなかったと思います。

母も花鳥風月が得意で、いわば柿下人麻呂風で、山上憶良のような人情味は不得意でした。友達のお母さんたちは、日々の日常の家族のことや女心の陰りのようなものを読んでいるのに、母は、そういう人間の機微のようなものを捉えられないといつも思っていました。

夏みかんがあるというだけでなく、夏みかんを剥いた時のあの酸っぱい、しかし清々しい感じを出しているとか、そこに女性の心の機微が見え隠れするというのが良い歌のように思っており、あるお母さんの歌は、そういうのが上手いなぁと子供心に思っていました。

集まるお母さんの人数が減ったり、先生の奥様が母に焼き餅を焼いたりなどいろいろあったようで、この短歌の会も次第に消えてしまったようです。

この先生は、私の成績が下がると「木実の成績が下がった、下がった!」と自転車に乗って住宅に言いふらしたり、「木実は、落っこちるだけで、二葉はこれから(二葉ちゃんという子がクラスにいたような)」とか、随分いじわるなことを言われました。

先生に言わせると、我が家のように、母が私にかかりっきりの家庭と、それができない家庭があり、バランスを取るために、貧しい子や親が働いているとか片親の子を可愛がり、褒めており、私をこき下ろしているのだことでしたが・・。

札幌から戻り、母の介護をするために田無に戻ってから、私も短歌でもやろうかと、先生を訪ねようと思っていましたのに、丁度亡くなられたとのことで残念です。

母の短歌(尾山篤二郎が主宰しており、湊先生がやっていた『芸林』が昭和61年に、合同歌集を出した時の母の短歌(全部の抜書きはこちら「geirin.doc」をダウンロード

裸木の枝に遊べる鳥の声はや春を呼ぶ声にふくらむ

独り参る墓前に昼の陽はたけて小鳥ら遊びいと閑かなり

昼爛けし青葉の庭に風吹きて沙羅の白花しきりに散れり

柿の実の頽れて落ちしを雀二羽尾を振り乍ら仲良く食めり

隣家の媼もこの道好むらし今日も逢ひたり木犀の道

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コメント

初めまして。登別の藤井と申します。
先日、父が亡くなりまして、(父が)ずっと口語俳句を書いていて、いろいろと整理をしながら調べて行くうちに、「このみ」さんのブログにたどり着きました。
2011.3.31の上から4枚目の写真に写っている「藤井一家」が父(藤井以身)と母と私になります。昭和38年に一家で登別に移ってきて、以来呉服店→アパレル&ギャラリーの店を細々とやっています。父は、私が3歳の時よりの分裂症(統合失調症)と俳句で埋め尽くされたような人生でしたが、俳句でご縁をいただいた方々とは、生涯手紙などで交流していた様子でした。ただ、年賀状などを見ると、もうすでにいらっしゃらない方も多く、そのような意味で少しさみしい送り出しでもありました。
「このみ」さんのサイトにある「市川先生との写真」を大きくプリントして四十九日(明日)まで仏前に飾らせていただきました。市川先生とご家族にはいつも本当にお世話になっていたらしく、またこの頃の写真がほとんどないらしく、母(79歳になりましたがとても元気です)が大変な喜びようでした。写真はあまりないけれど、本・雑誌・手紙の類はほとんど残っていました。(「鹿火屋」や「口語俳句研究」なども残っています)
整理ができたら、回顧展でもできたら(店の2Fが小さなギャラリーなので)とも思っています。
ブログに、札幌でのことが書かれているのを、「その頃にお会いできていたらなぁ」とも思いながら読ませていただきました。
突然のメールを長々と申し訳ありませんでした。
「このみ」さんのブログに出会い、とても感動しています。
本当に、ありがとうございました。

もし、ご返事いただけたら、(母も私も)大変うれしいです。

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Mail:hana-koubou@wave.plala.or.jp
TEL :090-7511-0234
〒059-0014 登別市富士町2-11-7 
ブティック花 藤井 彰

投稿: 藤井 彰 | 2012年1月20日 (金) 02時21分

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