親父の墓参り
父と母が離婚し、私は、母の戸籍に入ってから、父とは縁が切れ、老人ホームで亡くなったところまでは風のたよりで聞いていましたが、実際、どのように、どこで葬られているのかは、知りませんでした。
でも、母が亡くなり、散骨も済ませてみますと、少々気になり、父の実家(77歳の従兄が継いでいるはず)の電話番号を探しましたが、ずっと留守電で、FAXを入れても返事もありません。
梨農家なので、忙しいのか、不義理をした娘を無視しているのか、あるいは、当人が入院しているのか・・・分からないので、諦めようかとおもいましたが、天気がよかった6日(木)に、やっぱ行って来ようという気になりました。
住所でネットを検索して場所を探り、ともかく出かけてみました。高崎駅からバスで30分くらいとのことで、上野から高崎は、新幹線に乗れば結構近いので、ダメもとで出かけました。
ここは、3つくらいの時に一度遊びに行ったくらいで、近くに小川があったことは覚えているのですが、それ以外は覚えていないし、現在の当主の顔も分かりません。
離婚成立の折に、父の妹から、「鬼、悪魔・・」といった罵詈雑言の手紙を貰っていることもあり、これまで出かけるのに、躊躇していたということもあります。
実家は、すぐに見つかり、小川もありました。お留守でしたが、長く留守というようでもなかったので、きっと梨山にでも出かけているのだろうと思いました。辺りに人はいないので、道路沿いに、梨などの売店があり、そこに父の実家と同じ苗字の店があった(バスから見えた)ので、そこの店で恐る恐る聞いてみました。
売店の方がとても親切で、私の従兄に当たる方はお元気で、今は繁忙期で朝から晩まで梨山に居ること、また両親が離婚したといっても、親の世代のことだから大丈夫だよと励ましてくれました。でも、梨山までは、車がないととても行かれないとのことでした。
そこで、墓参りがしたいのだけど、その家のお墓がある場所を知らないかと聞いてみたところ、なんと、バス停近くにあるとのことでした。
ここから遠いお寺かもしれないと思っていたので、ラッキーでした。一度家を出た父がそこのお墓に埋葬されているかどうかも分からなかったのですが、ともかく、探して見ました。
田舎のことで、同じ苗字のお墓がいっぱいあるので、無理かなぁと思いつつ、巡っていきましたら、なんと、実家のお墓の脇に、父だけのお墓が出来ていました。
本当に運が良かったというか、父と母が呼んでくれたのか、めぐり合うことができました。
実家が見つかるかどうかも分からないし、お墓も見つかるかどうか分からないので、母の小さ目の遺影と分骨したもの、友達がくれたお線香とマッチ、それに駅で購入したワンカップ大関だけ持って行ったのですが、まぁ、一応墓参りができました。
母が亡くなって散骨したことの報告と離婚してからの娘としての不義理を謝り、これで一応の区切りができました。
従兄に会ったら、お礼をしなくてはいけないかもしれないと思い、一応10万円持って行ったのですが、会わずに帰ってきました。お金も後から送ろうかとも思いましたが、今更かもしれないし、今後も縁を持とうとはお互い思っていないだろうと思い、お手紙で墓を立ててもらったお礼とお参りできてよかったことをお知らせするに留めました。
会わなかったのも、これも幸いだったかもしれません。おそらく、お目にかかっていたら、イヤミの一つも言われ、嫌な思いをしたかもしれないからです(まぁ、覚悟はしていったのですが)。これも、父母の思いやりだったかもしれません。
(その後の経緯)
私が出した手紙と行き違いに従兄の奥さんからお手紙が届きました。繁忙期にも拘わらず、きれいな文字で丁寧なお手紙でした。私のFAXを見て驚き、今は、梨の繁忙期なので、11月の父の命日の頃にでもお出でくださいとの文面でした。そこで、おそるおそる、梨山の方に昼時にお電話しましたら、奥さんが兄弟姉妹はいろいろ言ったろうが、世代も代わっており、過去のことは別だからとご親切に言って下さいました。
内心は、母は散骨してしまったのでこれで終わりだが、はて、父には墓を建ててもらったとなると、お礼とか、毎年何かするとか、どうするんだろうなどと少々戸惑っていますが(田舎のしきたり・常識が分からない)、お世話になったこともあり、一度11月頃にお邪魔しようと思っています。
売店の方が親切にして下さったので、お礼に梨を注文し、宅急便で届いたので、ご近所のいろいろな義理に活用しました。
こうして、いよいよ、父母私の3人での暮らしは、終わりました。
3枚目は、母の遺影と分骨を並べ、久し振りのツーショットにしてみたのですが、やっぱ母は嫌なのか、遺影の写真が光って写っていません。
離婚が平成元(1989)年12月14日に成立、平成3(1991)年11月18日死亡、大正元(1912)年9月8日生まれですから、79歳で亡くなったことになるのですが、お墓には81歳とあり、数え歳で書かれていたのでしょうか。
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