江川坦庵
伊豆の国市は、韮山等が合併してできた新しい市ですが、それにあたって、郷土の歴史上の人物、「江川坦庵」の歌を作り、そのコーラスのコンペをやっています。
それにあたって、一泊し、観光してきたことは述べました。
坦庵さんは、幕末、黒船が来たのに対応し、西洋式の砲術を普及させたり、鉄製の大砲を鋳造する施設(反射炉)建設などをしました。また、農民を兵隊として組織化したとのこと。
ちなみに「三島女郎衆はの~え」というのは、単なる掛け声かと思っていましたが、農兵が語源とのこと。歌いながら行進したのが、その後、いろいろ変化したらしい。
反射炉は、土地の持ち主が土産物店を経営しており、説明しながら、土産物屋に誘導するのがあからさま過ぎて、ちょっと嫌になる。
一方、江川邸は、昔の役所ってこんなに自然に囲まれていたんだという、良い暮らしぶりが分かる。また、ここでは、新しい技術などを学ぼうと、幕末のいろいろな人たちが出入りしていた。寝泊まりしながら、勉強したようだ。歌詞にある、まさに誇りも高き「江川塾」である。ジョン万次郎を抱えて、通訳や翻訳などをさせていたらしい。塾生には、佐久間象山、橋本左内、桂小五郎などがいたらしい。
ちょうどスマイル大学を始めたばかりということもあり、スマイル大学も、時代の潮目にいろいろなところから有志が集まって、学んで散っていくという幕末の塾みたいになりたいなぁという思いを強くした。
また、思わぬところで茶道に出会った。8代というから啐啄斉と思うが、ここの竹で作った花入れがあり、一つは、どこだかの博物館にあるらしい。「しからみ」という銘とのこと。利休さんが、秀吉と一緒に小田原まで来ており、そんなご縁なのか、しがらみなのか。
中の様子は、こちら。
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