2011年3月20日 (日)

ハイちゃんの分骨入れ

昨日吉祥寺に行き、何か良い分骨入れはないか探した。

前にリビンの菊屋で、招き猫や手毬猫があって、貯金箱のようにお尻をゴムで開けられるのがあったので、これも面白いと思ったのだが、同じ猫でも、もっとハイちゃんらしいのはないものかと思ったのだ。

愛嬌のあるものやいじわるそうな猫、トラもあったのだが、やはり陶器だといざという時に壊れるのではないかと思った(地震の後だから思うのだろうけど)。

そうしたら、コベントガーデンという店のアウトレットで、シンガーミシンを模した木の箱があった。

ハイちゃんのシンガーミシンを処分してしまった申し訳なさもあり、一応これを購入してきた。これに今どきは真綿を手に入れられないので、羽二重でくるみ、できれば、ハイちゃんの着物の残り切れなどで袋を作ってのどぼとけくらいを入れられないかと思う。

もっと良いものも見つかるかもしれないので、一応第一候補。Ssinger

TVが公共広告ばかりやっていて、オシムが出てきて、「スピードが命なんだよ」という、言葉が出にくくなったら、すぐに救急車をって。

だから、すぐに救急車を呼び、先生が脳の出血は小さく収まっているって言ったから、素早い対応で褒められると思ったのに、結局、おしっこなどが出なくなって死んでしまった!

脳外科の先生がたまたま宿直で、見るだけの受け入れだったけど、受け入れてくれて、その時は、とても順調で運が良いと思ったのに。

松井外科がいけなかったのかなぁ。

最期に、何にも言葉を発することが出来なかったのが、心残りだったかなぁなどと思ってしまう。

公共広告で、「大人の手が子供を手当できる」というのもやっていて、女の子がお母さんの手に触れて「今日幼稚園でお花を作ったの」というようなことを言っている。

ハイちゃんは、最後は、目と手で表情を表していて、お手手で私の頭をさすってくれたり、強く握り返したりした。

前に入院した時は、ハイちゃん死にたくないようなどと言っていたけど、今度は、たぶん覚悟していたのだろう。

まだ、意識がしっかりしている頃に、斜め前のベッドのおばさんがお昼を食べているのを見て、ハイちゃんにはないと不満そうだったけど、それでも、その頃は、ノートに、ハイちゃんは、栄養剤を管で入れているからだよ、もう少ししたら、ケーキ食べれるからねと言ったら納得して良い子になっていたのだから。

ハイちゃんとは、面白い絵本を見せたら(次のページに面白い絵になる)、わぁっと言って喜んだのだけど、あれが意思を交換できた最期だった。

去年の22日に少し寒いなか、ニトリまで冒険で遠出をしたのが悪かったのだろうか。

でも、車椅子で一緒に散歩をし、いつもと違うところに行くのは嬉しかったみたいだし、わがままを言う(美味しくない!など)は、甘えの表れだったし、たぶん幸せだったと思う。

地震でいろいろ行事がなくなり、すっかり予定が空いてみると、丁度入院から1年目くらいということもあり、ちょっぴり、いろいろ思い出してしまう。

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2010年6月25日 (金)

ハイちゃん自宅に戻る

夜の11時半頃に病院から電話があり、血圧が下ってきたとの連絡あり。

そもそも、人が死ぬとは、どういうことなのか分からず、田無の医者に聞いていた。次第に血圧が下るとのこと。また、ある記事で、足がすぅっと冷たくなるとも書いてあった。昼間見舞った折にも、手が冷たくなっており、暖房器具のある毛布をかけていても、温まらないようだったので、危ないかなぁとは思っていた。

慌ててタクシーで駆けつけると12時、それから次第に血圧が低下、呼吸が穏やかになり、手や身体が冷たくなる。26分に臨終。ふぅん、死ぬってこんな風なんだと思う。

看護士が身体を綺麗にしてくれる。爪も切ってある。手を拝ませて数珠を持たせてある。葬儀屋を呼び、自宅に到着。水ぶくれしているので、玄関に入れるのが重そうだ。

先日、カエルのお守りを購入し、ハイちゃんが帰りますようにと拝んでから、あぁそうだ、死んでから戻ることもあるのでと、わざわざ「元気で戻りますように」と拝んでいたのだが、結局、死んでから戻ることになった。

座敷に安置し、その夜は、隣で眠った。

水ふくれで顔が2倍になったが、看護士がしてくれたのだろうか、口が笑っているようで、まるで、円空仏のような顔になった。Enkubutsu

いろいろな段取りがスムーズに進み、12日朝死亡だが、その夕方7時から8時に通夜、次の日の夕方3時出棺ということになった。

自宅での花葬としたので、ご近所の方々も結構来てくれた。昭男さん一家ほかがいろいろと手伝ってくれた。会葬者への礼状は自分の今の気持ちを綴った。「chouji.doc」をダウンロードHaruesougi20100612_025s

火葬場で、結構骨がしっかりしている方ですねと言われ、骨壷に一杯だった。そんなことを聞くと、まだまだ元気で生きるはずだったのではないかと、またちょっと可哀相になる。

ハイちゃんは、散骨してといっていたので、そのつもりでいたが、余りにも骨がしっかりしているので、粉々にするのも可哀相な気がする。係累は私しかいないので、海に撒き、残りをペンダントで持つのと、小さな壺にでも入れておけばよいと思っていたのだが。

まぁ、当分、自宅に置いておけばよいかと思う。

いつも、和室のベッドで寝ていて、私は、行ってくるよとか、二階にいるよなどと断って、勝手に動いていたので、なんだか、生活スタイルは余り変らない。

昨日、昼間は、玄関にヤモリが居て、夜新聞を取ろうと外灯をつけたら、カエルが居た。これはハイちゃんなんだろうか。

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ハイちゃんは死んでしまいました

ブログはご無沙汰でした。

この間の闘病と私の気持ちは、別に記しました。一覧表はこれ「toubyouki.xls」をダウンロード 、詳しいのも別途作成しました。

結局、このブログに記していた入院から10日間くらいは、意識もしっかりしていて、反応、対話があったのですが、その後は、昏睡状態が続いてしまいました。時折、しっかりして、目も開け、誰を見ているかを区別しているようだし、手を握り返してくれることもあったのですが、結局、寝てしまったからか、心臓機能、腎臓機能が弱り、最後は、尿が出ないで顔も身体もパンパンに腫れ上がってしまいいました。

苦しそうだと、延命治療するのは、却って可哀相にもなりました。でも一方で、できることは他にないだろうかと、人工透析の可能性なども田無の医者に相談もしてみましたが、高齢なのでとても難しいということもあり、もうやりようが無いとそれなりに納得しました。

それでも、顔のつやも良く、頭もしっかりしていたので、なんだか不意に死ぬことになり、それが可哀相です。最後に食べたいものを食べるとか、何か言うとか、そういう区切りをさせてあげられなかったのが残念です。

でも、当人も、それまでも漠然とは死ぬことを考えていたでしょうし、入院してからも、何考えているのと聞いたとき、「死ぬこと」と言ったこともあり、それなりの覚悟はしたのかもしれません。

私も、毎日見ているし、髪も染め、顔色も良かったので、母が弱っているということを実感していなかったのですが、考えてみれば、96歳ですし、自宅に居た時も寝ている時間が増え、前は必ず見ていたテレビ番組も見なくなるなど、いろいろと弱っていたのだろうと思います。

後は、気力で(おそらく母親として私が心配でなど)生きていたように思います。

ということで、ある意味では突然だったのですが、それなりの大往生だったのかと思います。

入院している折には、意識があるうちは、なんとかボケないよう、意識を保つようにと、話しかけたり、紙に書いて意思疎通を図りました。その後も、昏睡状態ながら、何か分かっているかもしれないと、歌をうたったり、話しかけたり、手を握ったり、頭をさすったりしました。

最初は、病院の言うままにお任せにしていたのですが、人工呼吸から自呼吸に変るのに一度失敗してからは、モンスターだと嫌われるので、文句は言わないけれど、ちゃんと見ているからネと、主治医の処置や、看護士の対応などをできるだけチェックし、記録に止めていることを知らしめてヘンなことはさせないゾという態度を示しました。

また、もう一つの意見として、医療のことは分からないので、田無のかかりつけ医にこういうことになっているが、どうかという意見を聞くようにしました。

何か私に落ち度があって、ハイちゃんがこんな目にあってしまったのではないか、という思いもあったからです。ご近所や親戚に、私のせいだと言われないようにという気持ちもありました。

「脳出血が治まっているので、体力を快復させるために、最初に鼻から栄養剤を入れたら、心臓・腎臓機能が弱っていて、上手く循環しないで昏睡に」・・・という最初の段階(この頃はお任せで、後からそうだったことを知った)が問題だったのではないかというのが少し気にかかります。

しかし、この最初の段階で、すでに循環が上手くいかなかったわけで、これが結局、その後、強心剤や利尿剤を投与して快復を待つも、最後の段階で上手く機能しなかったのにつながるのだろうと思います。高齢で、循環が上手く機能しない、というのが結局の死因であり、しょうがなかったのかなぁと思います。

こうして、2ヶ月半、いろいろ格闘し、亡くなることにそれなりに納得しましたので、ハイちゃんが死ぬことを受け入れることができました。

意識があるうちに、頭をなでてくれたことや、昏睡ながら手を握り締めてくれたことが、身体に残っています。

結局、「うんと可愛がってもらった」という記憶があるので、なんだか心は安定しています。

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2010年4月29日 (木)

ハイちゃん快復しないままの誕生日

ハイちゃんは、強心剤で一度快復したものの、先週の自己呼吸の失敗でまた昏睡し、そのまんまだ。今日少し薄目をあけてくれるものの、まだまだだ。

私の誕生日までに、少しは目途がついてくれるかと期待していたのだが。

黒沢さんに、救急で連れて行ったのが悪かったのではないか、朝までまって、すがひろさんに紹介してもらって、もっとよい病院に入れたらよかったのにとのことだが、脳出血は、一刻を争うと思ったのだけれど。

脳出血は、治まっているのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう。1ヶ月異常も寝ていては、リハビリも難しくなるし、褥の心配もある。なんとか意識を快復し、せめてリハビリに向って欲しい。でも、今の感じでは、そこまで行けるとしても、相当時間がかかりそうで、それがさらに快復を遅らせそうで心配になる。

そうかと言って、この間の自己呼吸化は、リハビリとはいっても、やり過ぎだろう。ちゃんと管理して、ゆっくり丁寧にやってもらいたいと、次回は念を押そうと思うが、早くその段階までは快復して欲しい。

元気にリハビリに向うおばあさんをみるとうらやましくなる。

連休が始まり、これも心配だ。担当の先生が不在の日にちが長くなるからだ。なんとか上手く過ごせますように!

ハイちゃんのせいにしないで、自分の人生も考え、充実させておかないと。 

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2010年3月28日 (日)

ハルエさん入院

19日、少し寒いが久し振りにお天気だったので、ハルエさんにこぶしの花を見せたくて、散歩につれていく。最初、小金井公園の先の回転寿司に行こうと思っていたのだが、出発が遅かったので、混みはじめているとまずいと思い、公園中央口近くのはずのサンマルクに行こうとした。ところが、入り口が階段になっているので車椅子では入れない。

隣の牛丼やも昼時に大工さんや運転手さんなどが入っているので、ノロノロ食べにくいと思い、結構遠いのと、歩道はあるものの自転車も多いので緊張するが、しょうがないので、ロイヤルまで行く。

ガストもバーミヤンも結構すいていたのだが、ロイヤルは、価格帯が高いのに、結構混んでいた。卒業式帰りの家族なども居たのかもしれない。

そのときの写真。こぶしの前の寒そうなハルエさんと、ロイヤルのなかでの笑っているハルエさん。

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続いて、22日(月・休日)に、久し振りに天気なので、散歩に行きたいとのことで、冒険しても良いというので、バーミヤン経由でニトリまで行く。

車椅子だと余り買物できないので、私のシーツだけ購入。本当は、裏から帰るつもりが横路に入ったら、結局駅の方に出た。誕生日に頂戴したお花もいよいよダメになってきたので、フリージアを購入して帰る。

草臥れたので、晩御飯まで眠っており、晩御飯だから起こすと、ここまでは、ご機嫌で、ベットからもちゃんと立ち上がり、トイレに行くので着物の裾をまくれというので、そうした。いつもは、そこから歩いてトイレまで来るのに時間がかかるので、ゴミをしまおうとちょっと目を離した間に、フラフラっと倒れてしまった。

今、散歩に行ったことを書いていて、どうして19日とか22日のように寒い日に出かけたのだろうと思い出しているのだが、確か、暖かかった日の前の日にもベットから起き上がる際転んでいて、必死にベットに持ち上げたのだと思う。

足を曲げないので、丸太ん棒のように転がるのと、確か43キロほどあって、結構重いので、平らなところから立ち上がらせるのは私にはできない。このため、まずは、一度ベットに載せ直し、自分で立ち上がりなおしてもらっている。

この時も、頭を打たないように、椅子のクッションを頭に敷いて、バスタオルをくぐらせて引っ張り上げたのだが、ころんだ時か、私が引っ張った時か、背中に傷がついてしまい、しみるというので、マキロンを塗った覚えがある。

22日の夜も、そのまま起そうとしたのだが、やはり無理で、またバスタオルをくぐらせて、必死にひっぱりあげた。その折、腰を打ったとして、歩くのがとても危なっかしくなった。

それでも、前が15分のところ、30分かけてトイレに行き、椅子にのけぞって座り、腰が痛いのでテーブルの方にかがむのが辛いから、食べさせろと言うので、かに玉をスプーンで食べさせた。食べるのに飽きるというか草臥れるようで、まずいからもう嫌だといって半分くらい残す。

23日の朝は、腰が痛いといいつつも、いつものように自分で食パンを食べる。昼は、ベットに近い椅子に座り、私がラーメンにしたのだが、最近麺類は吸えないので嫌がるため、白いご飯に佃煮と半熟卵にする。やはり食べさせろというので、スプーンで食べさせる。

24日の朝は、食パンを食べ始めるが、痛いというので、途中から食べさせる。食べてすぐ寝る(平常も、テレビを見て起きている時と、寝てしまうときがあるので)が、腰が痛いのだと思い寝かしておく。お昼に起すとまだ眠いから食べたくないというので、私一人がチーズトーストを食べ、ハルエさんの分も作っておく。

今日は、昼に黒沢さんがいつもの買物を届けてくれる日なので、それもあって、起き出してきて、食べるという。チーズトーストを自分で食べれるように、小さく四等分したので、まずいといいながらも3つまで食べる。

黒沢さんが来るのが遅かったこともあって、また寝てしまう。

ここまでは、腰が痛いからだと思い、朝には、シップ薬を貼るが、特に外傷とか、打ち身は見当たらない。前に、転んだのがきっかけで腸閉塞になったので、また腸閉塞でおなかが痛いのか、23・24日と大便も出ていないので、こっちを気にしていた。

一応掛かりつけ医になってくれている医者が水曜日は休みなので、明日にでも相談してみようかと思っていた。

5時頃、トイレに行こうとしたのか、自分で起き上がったものの、またお尻が先に落ちて、落っこちそうだと叫ぶので、二階から降りるとベットにつかまったまま、落っこちている。そこで、なんとか引き上げると、もうトイレに行かない、おむつにおしっこしちゃうというので、それでも良いよと寝かしておく。

ところが、夕食だからとトイレもあるので、食事を作る前に起すと、眠いから嫌だという。ハイちゃんの好きなコロッケだからと言っても、ぐずぐずしている。うるさいとか、眠いとか笑いながら言うのだけれど、ちょっとロレツが回らない。昼に、「こんなまずいの食えない」と文句を言ったときは、言葉は明瞭だったのだが。起きたそうにするので起きるかというと、またもぐってしまう。なにをしたいのか、なんだかよく分からない。

でも、眠いと私たちでも口が回らないことがあるので、ただ眠いのかと思い、一人でテレビを見ながら食事をする。途中でまた起きたそうに動くので、ハイちゃん起きるかと聞くと、まだ寝てると返事をする。

後片付けをして二階に行き、明日、医者に話すにあたって、整理しておこうと11時頃からメモを書き始めたが、ちょっと心配になって、ネットで脳梗塞とか検索すると、時間との勝負だとのこと。

このところ、夕張のことなども勉強したため、救急を夜呼ぶのに気が引けたので、7119に掛けるが、看護士が話中でと数回言われ、ともかく119を掛けたほうが良いとのことで、119を掛ける(1時頃)。

すぐに来てくれたのだが、そこからなかなか受け入れ先が見つからず、3時頃になって、吉祥寺の松井外科病院がベットに空きがないが検査だけならと受け入れてくれる。検査の結果、左脳の言葉をつかさどる辺りに1センチくらいの出血があるとのこと。

検査だけでなく、受け入れてくれることになり、まずはほっと。

血を抜き取るのかと思ったら、手術はしないで、薬などで抑えるという。出血が大きくならなければ良いとのこと。でも、しゃべりは戻らないのだろうかと少々心配。ハルエさんは、自分はちゃんと話しているつもりなので、どうしてこんな目に会うのかわからないようで、ちゃんと話せるよ、嫌だよと怒っている。耳が遠いので、紙に「ハイちゃんの脳に出血していて、上手に話せない。お薬で抑えるから、良い子にしていて」となだめる。ともかく、お預けして、一旦私は家に戻る。

次の朝、入院の手続きをし、様子を見に行く。管をはずそうとするので、手にグローブをはめられ、暴れたからなのか、看護婦さんが針を刺すのを失敗したのか、ひじの辺りが出血して青くなっている。でも、25日の朝は、まだ目を開けて、嫌だねとか、ハイちゃんは良い子だからというと、ニコニコしてそうハイちゃんは良い子だなどと話をする。耳が遠いので大声を出すと悪いので、ノートとマジックを用意し、何故入院しているかをもう一度書いてみせると、ちゃんと字を読んで、理解する。

午前中再検査があったので、午後にもう一度行く。先生にお話を聞くと、昨日に比べて、出血が大きく広がっていないとのことで、まず安心。黒沢さんが3時に見舞ってくれた時も、嫌だねぇとか、木実はどっかに行っちゃったと文句を言っていた。私が4時に行った時も、穏やかな顔である程度話ができた。

だから、なんとなく、落ち着いて、明日、明後日と、だんだん良くなるのだろうと思っていた。ところが、26日に、面会時間の3時頃に行くと、眠っている。看護婦さんによると、午前中は起きていて、オムツを替えるときには、痛いねぇなどと文句を言っていたというが、今は眠ってしまった。起してくれたほうが夜起きないのでよい。相部屋の一人のおばあさんが看護婦さん来てヨなどとしばしば訴えるのだが、ハイちゃんがそれに答えるのでとのこと。それでも、この日は、目を開けないのだけれど、明日は美容院に行ってからくるよとか、今日はおならばかりしているなどと言うと笑ったりして反応を示してくれた。私の頭をグローブのままなでてくれたり、上手いものを食わせろなどといつもの調子で話す。

ところが、27日には、眠り込んでいて、いくら話しても、ハイちゃんと呼ぶと分かってるよとか、何度か起すとうるさいねとか言うが、全然目を開けてくれない。グーグーいびきをかいている。

看護婦さんに、安定させるために睡眠薬とか与えているからこんなに眠るのかと聞いたら、睡眠薬は与えていないで、頭の病気なのでそうなっているとのこと。なんだか、心配になってきた。

おそらく、日曜日も先生とかは居ないだろうが、明日は、もしかすると起きているかもしれない午前中に行ってみようと思う。月曜日になったら、もう一度先生に相談してみよう。

まぁ、じたばたしてもしかたながいのだが。

意識がしっかりしていれば、来るのが遅いと言って怒ったり、お前はお母さんを邪魔にして追い出したのだろうなどとイヤミを言ったりしそうなのだが、こうも反応がないとなんだかとても心配だ。このまま目が開かなくなっちゃうのだろうか。

友人によれば、くすりで抑え、時間がたてば、だんだん出血部分が小さくなり、リハビリでよくなると言ってくれるのだが。また、呆けてはいないで、反応はちゃんとしているのだが。右手が少しきかなくなっているようなので、自宅に戻ってきても、自分でベットから起き上がったり歩けるかどうかも心配だ。筋力も弱ってしまうだろうし。

現在は点滴なので便は出ないのだろうか、前の2日分も心配だが。

桜が咲いたり、暖かくなったら、いろいろなところに車椅子で出かけるのを楽しみにしていただけに、桜の時期にこうなっちゃうのは、可哀相だ。

考えてみると、転んだから出血したのか、出血したので、転んだのか分からない。前々から兆候はあったのかもしれない(時折ことばが直ぐでないことがあった、水分をなかなか取ってくれないので血液ドロドロだったかも)。

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2010年3月 4日 (木)

ハルエさんの誕生日寅年

今日は、ハルエさんの96歳の誕生日。綾子さん、黒沢さんがお祝いをしてくれました。ケーキとお花を頂戴し、千代田鮨は自費で宴会。

去年は確か、おからのサラダを作ったのですが、今年は、残っていた苺とセロリ、キュウリ、レタスでいつものサラダを作りました。評判よし。Cimg0723s_2 Cimg0724s

朝6時に初めて椅子をつかってシャワー。そのまま髪も洗いました。椅子でもおっかながって手すりにつかまっているし、お尻は結局立って洗うのでゆったりしてもらえない。髪も洗面台よりも頭を下げられないので顔が全部濡れてしまうのでどうだろう。

ミストサウナは、入ろうと思ってすぐに浴室が暖かくなるのは良いのだが、洗う私がびしょぬれになるので、結構大変だ。ハルエさんを拭いて、すぐ着替えさせなければならないが、私もびしょ濡れなので自分の身体も拭いてすぐ着替えなければ風邪をひいてしまう。

お祝いをしてもらうのが嬉しいが、朝6時から、お風呂、サラダづくり、トイレの世話、宴会、茶碗洗い、掃除、洗濯、生花と続けさまに仕事をしていて、なんとなく疲れた。

せっかくなら、100歳まで元気でいてもらいたいものだが。

なお、この頃ハルエさんのボーイフレンドの塩飽くんご無沙汰だが、風邪をひいたとのことで、奥さんが2日夜にケーキを届けてくれた。

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2010年2月23日 (火)

ハルエさんと散歩

車椅子をレンタルしてから、ハルエさんは、散歩が楽しみになったようだ。

しかし、このところ寒かったのでなかなか出かけられなかった。

今日は、久し振りに暖かいというので、散歩へ。

小金井公園で梅祭りが終わってすぐなので、まだ大丈夫だから梅に行き、お昼を前に行ったクラ寿司にするか、新しくできた浄水場の側のイタリアレストラン(さいぜりあ)にするか聞いたら、後者が良いとのことで、向台小学校の脇の道→サイクリングロード→柳橋からは武蔵境へ通じるバス通りを通ってサイゼリアで食事。

この頃外に食事に行くと、甘えて自分で食べず、食べさせてくれといっていつまでも食べようとしない。車椅子だと前のめりになりにくいため、自分で食べるとこぼしてしまうこともあるのだが。しょうがないので、対応している。

久しく写真を撮っていないので、カメラを出したが、充電していなかったので持っていけなかった。そこで、戻って来てから良いお顔を撮ろうと思ったのだが、早く家に入りたい、日が当たってまぶしいと文句を言って、良いお顔をしてくれない。しまいには入れ歯を出して怒る(身体が不自由なので、嫌がらせの一つ。このほか、つばを吐きかける、頭突きをするなどがある)。最後は、プイと横を向いた連写となりました(6枚のうち2枚)。

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でも、これも含め、ハイちゃんにとっては、散歩は楽しくてしょうがないのだ。

ブログをしばらくご無沙汰していたが、これで、近所のレストランはかなり制覇した。食べ方が汚かったり、わめいたり、のろいので、一度行ったところには、しばらく行かないようにしていることもあるのだが。

アスタ(ココス2回、天ぷらや、釜飯や→サーティワンアイスクリーム)、ジョナサン、墨花居、回転すしのくら、木曽路、ガスト、バーミヤン、そしてサイゼリア。

これまでは、サミットの食事スペースで、購入したパンとコーヒーを食べていたのだが、最近、マンションの工事が再開して、12時から13時の間は、工事関係者がたくさんいるので、早めに行けばよいのだが、昼時間にかかるとちょっと悪い気がして落ち着かないので敬遠している。

車椅子で入れる比較的スペースのある店、見晴らしの良い店などを選んでいるのだが、ハイちゃんに言わせると、みんな同じようだとのこと。子供が居ると喜ぶ。

そうそう、この頃は、遠出も挑戦している。

多摩湖の修理が終わったとのことなので、秋の良いお天気の日に多摩湖へ。この日は、いちいち駅員さんに板を出してもらうのがわずらわしいので、平日の昼間なので電車も空いているため、一人でやってみますと言ったものの、結構大変で、危なかった。親切な人が乗り降りで助けてくれたので助かった。

おにぎりは田無で買っていったのだが、現地の売店が皆休みで飲み物が買えなかったため、ご機嫌悪し。

そこで、次回は、駅員さんの手を煩わせた。元旦午前中なら電車も空いているだろうし、富士山を見せたいとモノレールに向う。しかし、どこに行くか言わないとまずいので、高幡不動と言ってしまったら、ここは初詣客でごった返していて、結局不動尊は途中で諦めた。駅でカレーを食べ、戻ってきてからまた同じ駅でアイスクリームを食べて、帰ってきた。

ハルエさんは富士山はそれほど喜ばなかったが、遠出の冒険も楽しかったようだ。

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2008年3月17日 (月)

母の誕生日

「haichan.AVI」をダウンロード 「haichan2.AVI」をダウンロード ビデオは少し前のものです。

母が3月4日に満94歳の誕生日を迎えました。2年前に入院手術をしてから二度目の誕生日となります。前日の3日には、いとこ夫婦が来てくれて、庭に花を植えてくれました。

4日には、ご近所でいつもお世話になっている二人の方々と一緒に小僧寿しでお祝い、見事な花束を頂戴しました。

3日には、私の友達が別件で訪ねてくれ、お返しなのですが、おいしい和菓子も頂戴し、また母のボーイフレンドの一人もケーキを持って訪ねてくれましたが、いとこ夫婦と食事中だったのでお菓子だけ頂戴してしまいました。

いとこ夫婦も母の大好きなケーキを届けてくれましたし、お菓子だらけで、うれしいような私は体重が増えてしまうと心配な状況でした。

いずれにせよ、母は、だいぶ元気になり、私が基本的に側にいることが薬のようで、心的にも落ち着いています。まずは、ありがたいことです。いろいろな方に感謝!

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