2012年3月29日 (木)

トリムポピーの会長さんになってしまった

誘われて入った高齢者の体操「トリムポピー」の会長さんになってしまった。

最初、順番からHさんが指名され、だったら、PCとかでお手伝いできると手を挙げたのだけれど、その方が絶対嫌だというので、手を挙げた私と黒沢さんだけ残ってしまったのだ。

毎月、会場を抑えるのが一番の仕事なのだけど、最初の4月1日がスマイル大学なので、忘れてしまいそう。

また、最初、ニコニコと大人しい人だと思っていたOさんは、結構いろいろと自分で先に先にとやる方のようで、チームワークが思いやられる。

このほか、総会と言うのにも出るらしい。

面倒くさそうだが、まぁ、言っちゃったのでしょうがない。1年間、会場を取るのと、金曜日、少し朝早めにいかなければならない。なんとか、無事に終わりますように。

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執筆

お茶といえば、先日、利休忌にやる「茶カブキ」で執筆(しひつ)をさせてもらいました。

でも、はやり、字がまっすぐ芯が通っていません。
また、弥生を入れ忘れ、後から入れたら、やはり芯が通っていません。

お正客をやった大谷内さんが当てられたのですが、私の字で申し訳なかった。

丁度辰年の方だったので、本当は、当たったのはよかったのだけど。

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ワンコインお茶のレッスン

確か1月から、ワンコインでお茶のレッスンを自宅で始めました。

黒沢さん、内田さん、新田さんが生徒で、体操のお仲間です。

内田さんが、小金井公園などでやっている茶会にちょっと行ってみたいので、飲むための作法を最低限教えて欲しいという。新田さんは、前から習いたいと思っていたみたいだ。黒沢さんは、おつきあいかな。

お茶を飲むことを覚えるにも、本当は、立ててみると分かることもあるのだけど、皆さん足も悪いし、どうしようかと思う。でも、新田さんくらいから、やってみようか。

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江川坦庵

伊豆の国市は、韮山等が合併してできた新しい市ですが、それにあたって、郷土の歴史上の人物、「江川坦庵」の歌を作り、そのコーラスのコンペをやっています。

それにあたって、一泊し、観光してきたことは述べました。

坦庵さんは、幕末、黒船が来たのに対応し、西洋式の砲術を普及させたり、鉄製の大砲を鋳造する施設(反射炉)建設などをしました。また、農民を兵隊として組織化したとのこと。

ちなみに「三島女郎衆はの~え」というのは、単なる掛け声かと思っていましたが、農兵が語源とのこと。歌いながら行進したのが、その後、いろいろ変化したらしい。

反射炉は、土地の持ち主が土産物店を経営しており、説明しながら、土産物屋に誘導するのがあからさま過ぎて、ちょっと嫌になる。Hansharo

一方、江川邸は、昔の役所ってこんなに自然に囲まれていたんだという、良い暮らしぶりが分かる。また、ここでは、新しい技術などを学ぼうと、幕末のいろいろな人たちが出入りしていた。寝泊まりしながら、勉強したようだ。歌詞にある、まさに誇りも高き「江川塾」である。ジョン万次郎を抱えて、通訳や翻訳などをさせていたらしい。塾生には、佐久間象山、橋本左内、桂小五郎などがいたらしい。

ちょうどスマイル大学を始めたばかりということもあり、スマイル大学も、時代の潮目にいろいろなところから有志が集まって、学んで散っていくという幕末の塾みたいになりたいなぁという思いを強くした。

また、思わぬところで茶道に出会った。8代というから啐啄斉と思うが、ここの竹で作った花入れがあり、一つは、どこだかの博物館にあるらしい。「しからみ」という銘とのこと。利休さんが、秀吉と一緒に小田原まで来ており、そんなご縁なのか、しがらみなのか。

中の様子は、こちら

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長谷川さん退職

長谷川さんが伊藤忠を定年退職するというので、一江さん、元子さん、碩さんと5人でお食事会をしました。

伊藤忠の役員食堂?(一般の社員食堂より高級)でお食事しました。

そのあと、絵画館近くのカフェでお茶しました。

美枝子さん、碩さんには、それなりに毎年あっているので、変化を感じませんが、一江さん、元子さんは、久し振り。私も凄い貫で嫌になりますが、皆それぞれ歳をとったもののまぁまぁ元気でした。

OL時代を思い出して楽しくおしゃべりしました。
また、絵画館前の銀杏並木は、例の朝テニスをしていた場所でもあり、懐かしく、マーケティング企画が入っていたマンションを覗いてきました。Once Upon a Timeです。

Scitoho  Skaigakannmae




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坂元さんのお祝い、美江子宅訪問ほか

1.スマイル大学の告知のため、1月末には、仙人の家で実施されているまちづくりの勉強会に行き、2月には、FM西東京の交流会に出席しました。

前者では、三幸タクシーの社長さんにご挨拶ができました(FM西東京の交流会で社長さんがスマイル大学の宣伝もしてくれました)。後者では、以前、法政大学院で授業を受けてくれていた佐藤議員が、押してくれ、森田議員が参加してくれることになりました。

2.2月11日には、綾子さんが、民生委員で勲章をもらったパーティがあったのに、参列しました。Ayako

3.支部茶会が26日に御成門であったので、そのついでに、美江子ちゃんの芝公園の高級マンションを覗いてきました。行けるかどうか分からなかったのと、途中に本当に店が開いていないので、手ぶらで立ち寄りました。

ちゃんとお尻まで美味しい(たぶん高級な)いちごをご馳走になってしまいました。休みの日に急に押しかけて、申し訳なかったけど、快く出迎えてくれて嬉しかったです。きっと慌てて片づけたかもしれない。

東京湾が見え、東京タワー、スカイツリーも見え、なかなか凄い立地です。でも、それほど羨ましいと思わなかったのは、何故なんだろう。

4.2月には、アスタでコーラスのコンサートがあったのに加え、3月11・12日と伊豆の国市のコーラスイベントもあったので、結構忙しかったです。後者は、純子ちゃんの知り合いの青梅のメンバーや純子ちゃんが教えている工芸高校卒業生の母親のグループの方々も応援に来てくれました。

相変わらず、音程がずれているらしいのですが、外部の方が、助けてくれて、なんとか無事終了しました。8組参加で賞が5つ、なのに、どれにも入りませんでした。いちごとか、いろいろもらえるらしいのを目の当たりにして、急に賞を取りたかったなぁと思ってしまいました(さもしい)。

日帰りも出来たのですが、折角の温泉ですので、半分ぐらいが一泊して温泉やお料理、富士山やいちごがりなどを楽しみました。

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田無スマイル大学をはじめました

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今年は、何が動きたいと思っており、法政大学院での授業が結構受けが良かったこともあり、これを地元でもやってみたいと思うようになりました。でも、授業をそのままやるのも、面白みがないし、受講生をどう集めたらよいのかも分からないしと、ソメ研の鈴木さんに相談したところ、話に乗ってくれ、いろいろとアイデアを出してくれました。

ということで12月くらいから準備を始め、3月から4月までの日曜日9時から午前中「地域イノベーター養成講座」を始めました。

講座名は、これなのですが、ソメ研メンバーなどが、いろいろな講座をやれるようにと、「田無スマイル大学」という大きななかに、いろいろな講座があるというスタイルにしました。戸田さんが、またまた、良いマークを考えてくれました。

チラシをつくったり、そうだバッチを作ろうといろいろ調べてバッチを作ってみたり、こういうの好きなので遊んでしまいました。

ほとんど、鈴木さんのFacebookによる広報とソメ研メンバーが広報したり、のぞき風に参加してくれたのですが、やってみると、面白くて、皆結構本気になってきてくれています。出入りがありますが、約20人くらいが参加し、遠くは平塚や竹ノ塚から朝9時に集まってきてくれています。

年齢は、いわゆる高齢者から20代までの男女で、いろいろな立場の方々がおられるので、議論が活発です。

8回講座の3回までが終わったところ。残り5回を有意義に、皆が飽きずに終えられるかが課題です。

急遽交流会も開催することにしたので、その食事の手配やら、次の進め方の手配やらで、毎週なので、結構忙しく過ごすことになりました。

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2012年1月 1日 (日)

辰年 新年

いよいよ新年になりました。

年末には、一人暮らしですし、掃除しなくても良いのですが、神様が素通りされても困るので、玄関周りを掃除したり、昨年末にやってからやっていない上の方や狭い隙間の掃除などをしました。日頃、懐石料理練習のため、掃除していたので、窓ガラスや台所などは、やらなくても済みました。皆さまのお蔭といったところでしょうか。

紅白を見ながら、風呂に入り、洗濯をし、明日のお雑煮用にと、出汁を取ったり、買ってきた蒲鉾などを切ってもりつけました。

今朝は、寝坊してしまったので、慌てて、お雑煮を作り、おせちを出して食べてから、散歩に行きました。

タコ公園でラジオ体操他をやって、小金井公園へ。金曜日の体操が2週間ほどお休みで、買い物や掃除など働いてはいたのですが、ストレッチなどをやってみると、身体が固くなっていました。

小金井公園では、子供たちと親が凧揚げをしていました。

なんとも、穏やかな雰囲気でしたが、水飲み場のコンクリートにしゃがんでいたら、地震がありました。あれま、お正月にと思いましたが、震度3でたいしたことではなかったようで、よかったです。

ところが、花小金井から帰ろうと西武線に乗ったら、井荻の辺りでパンタグラフの電線から火が出ているとのことで、電車が動かず、田無と本川越間の運転に変わってしまいました。田無まで帰れたので私は大丈夫でしたが・・。

いろいろあり、何があってもおかしくないのが世の中なんでしょう。

これまで平穏だったのが、ラッキーと思う必要があるのでしょう。

残りの人生も気になり始めましたので、今年は、少し自分で動いてみようと思います。失敗を恥と思わず、修正すればよいと思うことにして。弱虫このみですが、「一歩」踏み出す覚悟です。

それでも、世の中なにが起こるか分かりませんが(明日怪我や病気になるかもしれない)、そう思いつつ、前に進もうと、思っています。Tatsu

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2011年12月 1日 (木)

野口先生がハイちゃんにお線香をあげに来訪

昨日(11月29日)に、野口先生(中学校の時の英語の先生、2年の担任)が、母にお線香を上げに来てくれました。

先生とは、母が入院しているころに出会ったり、亡くなってからも出会い、一度お参りに行くとのことでしたが、私が不在だったり、先生の方も、妹さんが亡くなったり、先生ご自身が体調を崩されたりなどで、延び延びになっていたのです。

律儀に、約束を果たして下さり、お菓子と、島根のご実家の墓まいりに行ってこられたとのことで、島根の名物の蒲鉾まで下さいました。

お茶をお出しして、少しお話をしました。

野口先生も、その後いろいろな学校でお仕事をされたのでしょうが、田無中学校の2年間が・・丁度油が載っていたのでしょうか、とても鮮明に記憶されていて、おまけに田無に住むことになり、縁が深くなられたようです。

地元で中学の先生に会えて、おしゃべりができるなんて、なんだか嬉しいです。

改まったお礼もナンなので、藤沢町のりんごを購入し、おすそ分けしようと思っています。

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里見の利吉さん、典子さんと会う

前に、父の墓を探しに、実家の里見に行き、運よく墓を見つけることができたことを書きました。

当時は、梨の繁忙期だったこともあり(父の実家は、梨農家)、手紙が入れ違いとなり、その後、会えなくて残念だった、父の月命日の11月18日にでもいらっしゃいと丁寧なお手紙を頂戴し、行き違いを謝る電話もしたこともあり、11月18日に、もう一度、父の墓まいりに行ってきました。

高崎駅まで御嬢さんの小雪さんU味噌汁の冷めない距離に暮らしているとのこと)が運転して典子さんが出迎えてくれました。

お墓まで行くと、利吉さん(叔父の長男、私にとって父方の従兄にあたります)が、墓参りの用意をして待っていてくれました。こちらからも花を持って行ったのですが、花も飾ってあって、綺麗になっていました。線香をあげ、白いお団子を添え、私も一つ食べました。

本家のお墓にも参り、その後、近くの寿司屋でお料理をご馳走になりました。お寿司にうどんがついている定食に、さらにおしんこと天ぷらまでつけてくれて、お腹がいっぱいになりました。

そのあと、梨山に連れて行ってもらいました。随分と広くて、これを70代の二人で見ているというのだから、大変だろうと思います。昼間の作業用の家は、小屋というよりも、ここで住めるぐらいの立派なもので、たくさん賞状が飾られていて、梨の品質が良さそうです。お客さんから送られてきた、絵手紙や、絵画も飾ってありました。丹精込めて作っている、大切なナシ園であることが分かりました。

利吉さんは、どことなく、父に似ているのに、とても実直そうで、なんだか不思議な感じでした。

その後、実家の家に行き、仏壇で父の小さな位牌もあるのを拝み、お茶やみかんを頂きました。

帰りの車のなかで、典子さんがいろいろと父が亡くなるまでの話をしてくれました。

八王子の老人ホームではなく、病院だったそうで、高崎から遠いので、こちらの病院やホームに移したいと政治家にまでお願いしたそうですが、病院が離さなかったといいます。普通は、3ケ月で移動させられると言いますが、そういう制度がまだ始まる前だったのかもしれません。梨の忙しい時以外は、月2回くらい見舞いに行ってくれていたようです。

東京ー高崎は、新幹線を使わないと2時間くらいかかり、そこから八王子までまた1時間以上かかるので、大変だったと思います。

父の兄弟のおばさんたちがうるさいから、長男の嫁としてやらざるをえなかったのでしょうが、随分貧乏くじをひいたと思ったことでしょう。

どうして、従兄が叔父の面倒をみるのかと、高崎の裁判所に何度か呼ばれたとのことです。

最期の方は、スリッパを食べちゃうなど、ちょっと分からなくなってしまい、見舞いに行くのが怖かったとのことでした。

元気なうちは、父のことですから、看護婦さんなどに良い顔して楽しんでいたかもしれません。姉妹や利吉さん・典子さんらが見舞ってくれたのなら、少しは寂しさもまぎれたでしょう。

最期は、可愛そうな気もしますが、私も、最後は一人ですし、まぁ、人間そんなもんでしょう。

ともかく、利吉さん、典子さんには、感謝です。

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