2006年10月28日 (土)

諸法無我

Kouyou_1 山形にある千歳建設の会長千歳栄さんが書かれた小冊子が出てきた。

千歳さんとは、(株)玄社長の政所さんのご紹介でお目にかかった。私の『新・職人の時代』がとりあげたテーマについて、3人で鼎談する企画であった。この頃は社長さんだったように記憶するが、HPを見ると現在は会長さんになられているようだ。

政所さんのHPは無いが、地域に入り込んで地域活性化に奮闘されておられる。ネット検索するといろいろな事例が出てくる。

千歳建設は、普通の住宅やビル建設も手がけるが、お寺や旧県庁などの文化施設も手がけている。このため文化財を今日に活かすことの意味を深く考えられ、また従業員の教育に力を入れられている。また、山形の文化、信仰、風土への造詣が深く、頂戴した小冊子は、千歳さんが考えたり感じたことについてまとめたもの(社内報に書かれたものをとりまとめたもの)。

今改めて拝見すると、千歳さんが理解した言葉で書かれているため、仏教のことや信仰のことがとても分かりやすく書かれている。

今日の閉塞感を切り開くためには、仏教の思想・・というより、過去における東洋・日本の哲学者の思想を勉強する必要があると思うが、それにあたって、入門書としてとてもよい。

我々は、歴史などで、最澄とか空海とかを知るが、お坊さんとして習うので、自分とは関係ない人と思いがちだ。しかし、仏教もこれら著名な人々の教えも、今の言葉にすると哲学・世界観や人間観・社会観であり、政策論議をするにあたっては、避けて通れないものだ。

今日、パラパラと読んで面白かったのは、Aと非Aという話だ。

これは、難波田春夫という元早稲田の先生の説で、「人間は、AはA、BはBと識別し、分別する。これは人間の思惟としてはしかたがないが、実在の相は違っていて、Aは非Aによって存在する。一切のものごとは全て相衣相俟であり、相互に他を俟ってのみ存在することができる。」というもの。

仏教で言う三法印:諸行無常、諸法無我、涅槃静寂のうちの諸法無我(すべてのことがらは単独では存在しないで、一人の人間も、また一つの集団も全て存在するものは他に依存している)の考え方に通じている。

諸法無我の説明( )は、読むとそうだろうなぁと思うのだけれど、Aと非Aという言い方は、視覚的に私に訴えてくる。絵画の手法で輪郭線を描かずに、背景とモノとのせめぎあいで描く方法のことを教えてもらったことがあるが、そんな感じだ。

私自身がなんだか部屋いっぱいにある風船のような見えない空気に取り囲まれているような気がする。私が実存するのではなく、風船の隙間が私といったような感じだ。Anona

この小冊子は、どこに分類してよいか分からないけど、取っておくことにした。この間購入した梅原猛の『神殺しの日本』の傍に置いておこう。

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