2008年3月17日 (月)

大内君からのコメント

前の記事で、友達に啓発されて正月に短歌を作ってみたと紹介しました。その友人(大内君)からコメントを頂戴しました(1月15日)。

(湊)先生は短歌は、分かるか分からぬかだ、と言っています。短歌は誰が見ても分からなければなならないし、分かればそれでいいのだ、という意味です。三首とも私には分かります。これを、世代の違う人にも、将来の人にも、どこに住む人にも、およそ日本語を使う人には、分かるものにするために、推敲があります。推敲の参考のために言います。
出会うと言う言葉は、動きの中で使う言葉なので、動かない山に使うと何か変です。
第二首は、動詞が省略されているので論理上意味不明です。存分に富士を見たいと思って多摩モノレールに乗り何度も往復した。位の所から推敲を始めればよいのではないでしょうか。
何を思うか、という問いは、答えが推測できないので論理上無意味になってしまうので、答えを匂わす必要があると思います。また三日月は夕方西空に出るものなのでここは、二十日月とするか、有明の月ぐらいでごまかすかでしょう。一、三首とも、初春があいまいです。何も初春でなくとも歌としては成り立つからです。例えば大寒、です。岡目八目で余計なことを言いましたが、お許しください。

なるほどです。

そこで推敲し、彼に結果をメールしようと思いつつ、もう3月15日になってしまいました。試みたのですが、なかなか難しいです。

忘れないためにブログ化しておきます。

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2008年1月 4日 (金)

正月に短歌

東京の正月は、今年も穏やかな晴天に恵まれた。

前に書いた短歌をやっている中学の友人から年賀状が届き、そこに40年ぶりの同窓会にとして短歌が書かれていたので、私も真似てみることに。

2日の日に年賀状を出しにいったときに、風が冷たかったので、もしやと思っていつもの富士の見える場所に行ってみたら、見えた。空気がきれいなせいか、いつもよりとてもすがすがしい姿であった。

 耳凍る 初春の朝 出会いたる 真白き富士は 屹然と立つ

本当は、これでなんだか嬉しくなったので、そうした思いを入れ込みたかったのだが、上手く入らず、富士が屹然としているというところで終わってしまった。Fujis

出会いたるは人ではないので可笑しいかなぁとは思ったが、普通に暮らしていては見えない富士に出会ったという意識を出してみたかった。

3日も晴れていたので、富士を見るなら午前中と思い、ぐずる母親を置いて、多摩モノレールに行ってみる。春にモノレールに乗った折、パンフに富士が良く見えている写真が載っていたので(春だと見えない)、冬に来て見ようと眼つけていたのだ。

すると、見事に美しい富士が見えるではないか。

そこで、子供のように、見えなくなる駅までモノレールに乗り、また引き返し、降車しても見えそうなポイントを見つけたので降りてみた。多摩川の土手のところだ。目線が低くなると見えないかとおそるおそる行ってみたら、良く見えた。

時間がないのだけれど、写真に撮るなら電線が写らないよう、もう少し土手を歩いたところの方が良いと通りすがりの人が教えてくれたので、土手に下りてみると、確かにそうだった。

土手をもっとあるくともっと見えるのではないかと歩き進んだが、そうでもなかったので引き換えした。

この頃には、昼近くになっていたので、実際、景色としても、朝の凛とした感じがなくなってしまった。

 存分に 富士を見たいと 訪ね来し 多摩モノレール 行きつ戻りつ

 絶景に 時を忘れて どこまでも 歩き続けし 多摩川の土手

行きつ戻りつって電車を往復乗っているというようには見えないで逡巡しているように見えてしまうかもしれないと思い、自分がまるで子供のようだといったフレーズを入れたかったのだが上手くいかなかった。

絶景になどと形容してしまうのはダメで、短歌で絶景さを歌うのだろうと思ったが。また時を忘れても、そうした行動で時を忘れたことを表すのが良いのだろうと思ったが。また、絶景では、何が絶景か分からないだろうとも思ったが。

もう一つ、このごろは、明け方に三日月が出ているので、それを詠んでみた。

 初春の 朝空高く 居残れり 何を思うか 白き三日月 

居残れリと何を思うかがよくないように思うのだが。月が居残っていてなにさというなら、何を思うかではなく、二日酔いかよとかしたほうが大晦日から元旦にかけての人間の様子とあわせて面白いとは思う。しかし、清らかな感じなので、こうはしなかった。本当は、月を見て感じた自分の気持ちを反映すべきなのだろうと思うのだが。

まぁ、とりあえず、時間切れ!

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2007年11月18日 (日)

短歌その2

   市ヶ谷にて

北国の 燃え立つ色に 敵わねど
                 色づきにけり 都の木々も

北国は もう雪ならん 燃え立ちし
                 炎静めて 木々は無言に

釣り人の 背中丸めて 連なれり
                 外堀沿いの 陽だまりのなか

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短歌をつくってみる

大内君に、湊先生の短歌の本(母の所有物)を半年前くらいの同窓会の折に貸してあげたのだが、それを返しに来るとのこと。彼も田無は遠いというし、私も晩御飯というのも面倒だと思ったのだけれど、結局、大内君、香川さんと3人で田無で会うことになった。

大内君が本を出したというので、短歌の本かと思ったら、歯磨きの本だった。なんでも、自分が歯周病になり、歯が抜けて、医者にこのままでは、他の歯も危ないといわれて、慌てて治療方法を探したのだが、何軒目かの歯医者に歯磨きで治せると言われ、それを実行、治ったとのこと。

歯磨きのやり方やその重要性を歯医者は教えてくれない(きっと歯が抜けて、患者が増えることを望んでいるのではないかとの憶測も)。そこで、このことを皆に知らせたいと本を書くことにしたそうだ。

これもその時知ったのだが、彼は、自衛隊に勤務し、仕事は飛行機の整備だったとのこと。本を読んでみると、いかにも、整備の人が書いたような感じだ。歯磨きも、飛行機と同じで掃除が大切というわけで、磨き方についてマニュアルのように分かりやすく図解して書かれている。

その折、湊先生が芸林に書かれていた短歌批評をコピーしたものを送ってくれた。ざっと読んだだけだけれど、懐かしかった。母は、この頃、もう短歌を作らない。残念ながら短歌が身体の一部にまでなっていなかったのだろう。

吟味して読んでから作るべきかもしれないけれど、問題意識が起こらないと勉強しても頭に入らないたちなので、まずは、作ってみようと試みた。

最初は、なかなかまとまらなかったのだけど、先日、3つほど作ってみた。昔の人の短歌って、あおによしとか、あしびきのとか、本当に言う事を飾る言い回しを良く使っているのだけれど(これも、確かちゃんとした専門用語があったように記憶するが忘れてしまった)、そういう言葉も分からない。が、まぁともかく作ってみました。

      月探査衛星「かぐや」からの鮮明な映像を見た後に

小夜ふけて 眼鏡はずして 伸びすれば
                    窓辺に掛かる 霜月の三日月(つき)

月面の 地平線より 上がりたる
                青き地球の 愛おしきかな

月探査 進む時代に なりぬるも
                なお詩誘う ながむる月は

            

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