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2009年3月 7日 (土)

諏訪地域

法政大学が信州大学と組んで諏訪地域おこし塾をやっており、そこでも遠隔授業を一コマ受け持った。仙北・白山・飛騨の時と同様、客観的なデータを使って自分たちの地域を客観的に見て、強み・弱みを認識し、課題を解決するための方策を考えてみようという趣旨の授業だ。

その折、作成した資料がこれ。やはりデータが多いので5回に分けてある。「suwa-1.doc」をダウンロード 「suwa-2.doc」をダウンロード 「suwa-3.doc」をダウンロード 「suwa-4.doc」をダウンロード 「suwa-5.doc」をダウンロード

その後、3つのテーマに分けて、自分たちの地域の強み・弱みを考えてもらい、課題克服策を討議してもらった。「suwatogi.ppt」をダウンロード

こちらは、統計資料でのみ地域を概観しており、どうしてそのような数値結果となったのかなど実感が分からない。これについては、受講生から教えてもらうこともあった。

1.観光:霧ケ峰への観光客が近年増えている。その理由が分からなかったのだが、これは、ビーナスラインが無料化されたため、他観光地から回遊してくる人が増えたからとのこと。

2.製造業:諏訪市の製造業出荷額が相対的に減少している。これは、受講生によると、セイコー・エプソンが統計の出し方を本社一括でなく、事業所ごとに変更したためであるという。但し、これは統計表からでは分からず、本当にそうなのかの確認は出来ていない。

3.製造業:諏訪地域のリーディング企業の多くが無くなったり、大きく変容したとのことで、調べてみた。添付資料は、各社HPやネットで得た情報による。なお、オリンパスは伊那と辰野に工場があるようで、諏訪地域の企業ではないが一応載せてある。「suwaootekigyo.doc」をダウンロード

まるまる残っているのはエプソンくらいで、他は、事業は受け継がれていても、経営が変わるなどしている。特に、2000年に入ってから、東洋のスイスと言われたこの地域が大きく揺らいだことが窺える。

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2009年3月 6日 (金)

仙北市・白山市・飛騨市

法政大学地域研究センターが文科省の学び直し事業で上記3市と契約し、私は、「礎的なデータを勉強することで自分たちの地域を客観的に把握する」という講義を担当している。

授業はテレビで遠隔で実施する。

その折作成したパワーポイントがこれ。分量が多いので4分割。「3city09-1.ppt」をダウンロード 「3city09-2.ppt」をダウンロード 「3city09-3.ppt」をダウンロード 「3city09-4.ppt」をダウンロード

こちらは統計のみで話しており、実態では分からないことを受講生が教えてくれることも多い。

昨年度の授業の折、白山市は、若い世帯が多いこともあって出生率が高いと話たところ、それもあるが、石川県では子育て支援策が手厚いという情報を教えてもらった。そこで、今年の資料には、子育て支援策を抜書きしてみた。国が一律に提供しているサービスを除いたもの(各市のHPより抜書きしたものなので見落としもあるかもしれない)。地域によって生活の実情が異なるのでそれぞれいろいろな支援をしている。

仙北市は子供を車に乗せて移動することが多いのだろう(チャイルドシート購入助成金)。石川県では、3人以上の子供を持つ家庭を協賛企業が支援するという制度がある。隣の福井県では、子育て支援に力を入れていて、特に父親が育児に参加できるように支援する制度がある。飛騨市では、出産祝金がすごい。

学び直しのような機会に他市の良い制度を自分たちの地域にも(地域にあった形で)導入するよう働きかけたら(考え始めたら)良いと思う。

昨年度には、地域医療についての意見があった。合併後、病院の統廃合が進み、温泉の町の近くに病院がなくなってしまった。温泉地では、修学旅行やスポーツ合宿などを受け入れているのだが、病院が近くにないということで、こういう受け入れが難しくなってしまい困っているという。このあたりについては、まだ良く調べていないが、病院は、地域住民の安全保障ということだけでなく、観光客を確保するためのインフラという面もある。

夕張希望の杜でも、コンビニ診療は止めるように住民に訴えているが、かかりつけの患者と観光客については、夜間の救急を受け入れるとしていたと思う。地域医療は、本当に地域のインフラとして理解し、活用方法を構築しなおす必要がある。

資料4に地域医療に関する興味深いグラフを3つ添付してある。一人当りの医者の数と寿命を比べると比例していない。一方、医者の数と老人医療費は正の相関関係がある。つまり、健康で長生きするには、医者が多くなければいけないのではなく、村上医師が言うように、日ごろから健康に気をつけ予防することが重要ということだ。医者が不要というのではなく、医者を核にしながらも、地域医療ではなく地域の健康づくりをどうするかを考えるべきなのだろう。Ishatojumyo Ishatoiryouhi

ちなみに、これは産婦人科の医者ではなく、医者全体なので必ずしも正確ではないが、医者の数と周産期死亡率をみても、相関関係はない。Ishatoshizan

合併に関しては、合併によってこれまで心理的に遠かった地域を身近に感じるようになったという意見が多いものの、一体感の醸成はこれからというところが多い。白山のように、海側の比較的恵まれた地域と山側の過疎地域と全く異なる地域が合併したケースでは、戸惑いのようなものがあるし、飛騨(古川・神岡)や仙北(角館・田沢湖)のように相対的に同じくらいの2つの地域が反目とまではいかないものの仲良くとは難しいケースも。仙北では、合併前に各地域が競って建物を建ててしまい、あっちの方が得をしたなどと言い合ったりしているという。

長野県諏訪地域についても法政大学が契約して似たようなことをやっているのだが、学生たちが諏訪地域をテーマにして議論した折には、仲の悪い地域を無理して仲良くさせ一体化を醸成するより、反目しあっている地域の競争心を煽り、結果として地域全体が改善される方法を考えるべきという意見があった。これは面白い考え方だと思う。

たとえば、花一杯運動のようなことをやって、各地域に競争させる、結果としてこの地域が端からみると、花の多い地域になり、観光資源になるというような考え方だ。

今年度の受講生からは、結局、地域には仕事がなく、結果として若い人が高校・大学から都市に出向き、故郷に戻れないのだという。また、若い人が出会うチャンスも少ないので、結婚のチャンスも少なく、だから子供も生まれないという意見があった。グローバル経済のなかで、地域の産業・雇用をどう考えていったらよいのだろうか。

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公共空間としてのコンビニ

公明新聞から依頼されて書いた書評です。鷲巣力『公共空間としてのコンビニ-進化するシステム24時間365日』朝日新聞社。09年1月26日の紙面に掲載されました。「konbini.doc」をダウンロード

私は、勤め人であった間は、コンビニ大好き人間、誘蛾灯に誘われる蛾のように、店の灯りに吸い込まれていたものです。おにぎりやデザートなど新しい商品がつぎつぎと出るので、毎日行きたくなるし、チェックしていないと落ち着かないという感じでした。

コンビニがあれば、親がいなくても子供が育つと思いました。昔は、親がご飯食べさせないヨというのが叱るときの切り札でしたが、コンビニが普及してからは、このせりふの意味が無くなってしまいました。

しかし、年金暮らしで専業主婦になってみると、コンビニはなかなか高価で、最近では足が遠のいています。

また、「地域イノベーション」や「住民自治」などを考え始めると、コンビニだけが地域の拠点になっていることがどうにも不自然に思えてきました。郊外型のスーパー(ショッピングセンター)とコンビニのお陰で町の商店街が壊滅的な打撃を受けています。商店街が歯抜けのようにもろくなって困っていると、コンビニが出来てその穴を埋めてくれます。商店街の個々の店は、確かに経営努力をしていないところも多いので(夜は早くに閉めてしまう、最近では住んでいない店も、売れ残りをごまかして売りつける、小家族になっているのに束で売っているなどなど)、近代的な経営をしているコンビニに適わないのは商店が悪いと思ってきましたが、それにしても、これではまずいと思い始めています。

著者は、安全(夜町が明るい、災害時の拠点)、憩いの場(最近では高齢者がコンビニでのみ会話など)、最近では宅配も(高齢者世帯向け)というプラスの面(公共空間)に期待しています。書評にも書きましたが、全国にコンビニ約4万店、これに対し、小学校、公民館、郵便局がそれぞれ2万前後、交番が6600でしかなく、地域の拠り所になるのは、コンビニでしかないのかもしれません。

確かに、コンビニの店主は、それぞれの土地の人です。しかし、コンビニ成功の鍵は、やはり本部です。地域の産業を考えると、工場誘致などを除くと、やはり、一次産業、飲食・小売業・サービス業となります。ここをもう一度地域として再生させる必要があると思います。やる気がない、地主的になっている商店主は、市場から退出してもらうとして、少しやる気があるなら、地域ニーズをもっと理解し、それに対応することで成長できる余地はまだまだあると思います。

たとえば、高齢者が買物カートを押してスーパーまで出向くのは大変です。歩道が広ければよいのですが、狭い上に、視覚障害者用のブロックがあり、自転車が通る道です。近くに顔見知りの商店街があれば助かります。

商店は、小口需要に対応すること、鮮度管理をきちんとすること、共同仕入れなど工夫して安く仕入れられるようにすること、地産地消を図ること、配達をすることなどなど、本来やるべきことをきちんとやれば、まだまだ需要は回復すると思います。個々の店の努力に加え、歯抜けのところには、やる気のある商店主に貸す、車が通らないようにして共通カートを設ける、たまり場も用意するなど商店街としての魅力も協力し合って作るようにする。

何も言葉を返さなくても買物ができるスーパーやコンビニは、確かに便利だったのだけれど、やっぱこれは過渡期のように思う。

確かに、品揃えが豊富なことは、高齢者にだって心躍るところもある、顔見知りだとわずらわしいこともある。高いよとか、腐ってたよとか言い合えるなら良いのだけれど、今は、高かったり腐っていた経験があると黙って買わなくなり、気まずいので裏道を通るようにしてしまう。店は、どうせ浮気する客だと思ってうらんでいる。客と店との間に信頼がないからだ。商店は、客の文句は有難いと思い、聞く耳を持つ、客は、商店街がなくなると困るので、愛のムチとして文句を言うという関係に持っていかないと。

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