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April 27, 2005

ネットワークの生態系

ロス・メイフィールドさんのブログに「ネットワークの生態系」について書かれた記述があります(2003年)。これに関した記述はブログのなかに幾度かあって、最初は、クレー・シャーキーがブログはベキ法則に従っていると評論したことに対する反論として始まったようですが、だんだん洗練されてきました。

彼によると、ブログに代表されるネットワークには、階層性があって、人々はそれを使い分けているとしています。

  1. 政治的ネットワーク:ネットワークの大きさが1000以上、リンクの配置はベキ法則、ブログの性格は出版
  2. 社会的ネットワーク:ネットワークの大きさは最大150、リンクは正規分布、ブログの性格はコミュニケーション
  3. 創造的ネットワーク:ネットワークの大きさは最大12、リンクはフラット、ブログの性格はコラボレーション

そして、人々がリンクしあうことが「ソーシャル・キャピタル」であるとしています。我々はネットワークの時代に生きており、インターネットのお陰でネットワークするためのコストが劇的に低下したため、ソーシャル・キャピタルの価値を劇的に増加させていると述べています。

実は、現在「地域情報化」についての勉強会に参加しています。そのなかで、「地域情報化」ってなんだろうとずっと考えていました。

地域情報化という名前の下で、たとえば、ICカードに村民の健康データを入れるとか、テレビ電話で遠隔地の人が医者と相談できるなどの実験がなされたこともあります。

あるいは、パソコン通信を使って、地域が元気になるという話もありました。パソコン通信がはじまった頃には、一般の市民が大学教授に直接話しができる、政治的な問題について市民が議論できる・・それによって市民一人ひとりの能力が高まるという夢も語られました。

インターネットが普及して、また改めて地域情報化が注目され、さまざまな事例が紹介されています。しかしながら、個々の成功事例はともかく、それをまとめて地域情報化といった場合、何を意味し、何を目的にするのかが私にはよく分からなかったのです。

しかし、どうやら、次のようなことのようです。

  1. インターネットという道具が普及したおかげで、さまざまな階層のリンクがしやすくなった。
  2. 地域共同体がなくなって、一緒に住んでいるけれども、バラバラに暮らしている人々がつながりやすくなった。
  3. 人がつながることはソーシャル・キャピタルの増加である。
  4. つながりが深く、広く、重層的になるにつれ、閾値を超えて地域が動きはじめる。
  5. イタリア北部のように、ソーシャル・キャピタルである市民共同体が育てば、政治的にも経済的にも発展する。

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April 24, 2005

高野の午睡

ずい分以前のことですが、岡山のバイオ企業林原の研究所に訪問した折、「林原の午睡」と書かれた額が飾ってありました。案内して下さった社長さんのお話によれば、高野山の僧侶は昼寝をしていても、日本中から人が尋ねてくるため、全国の情報を知っていたとの話にちなんだもので、この研究所が人体研究の総本山となることを目指しているとのことでした。

実は、この研究所には、それを実現するための呼び水があるのです。

  1. 生理活性物質の大量生産技術があるので、珍しい生理活性物質を見つけた研究者が協力を求めてくる。
  2. 細胞株が収集されており、これを内外の研究者が利用しにくる。

高野山も林原研究所も、それぞれの分野で魅力あるノードなので、皆がリンクしたいと思ったためにハブになったのです。

ところで、高野山に全国からいろいろな人が来たのは、真言宗の教えもさることながら、人々を高野山にリンクさせる仕掛けがあったからではないでしょうか。それは、高野聖の存在です。高野聖は、半僧半俗の遊行者で、諸国を巡り、弘法大師信仰と高野山参詣および納骨を勧めたとのことです。

高野聖は、もともとは、高野山が火災その他で荒廃した折に、復興資金を喜捨で集めるために全国に派遣されたとのことですが、その後も諸国を勧進し、納骨と宿坊によって参詣人を集め、高野山を経済面で支えたと言われます。

我が家にいろいろな宗教の人が勧誘に来られますが、大概が玄関でお断りしていることを思えば、教えを説いて喜捨までさせる、納骨までしたいと思う気にさせるというのは、並大抵のことではないと思います。よほどお話が上手で人を惹きつけられなければ無理でしょう。

地域振興などを考える場合、良いものをつくれば売れると考え勝ちですが、それを広める、売りに行く、あるいはその地域に行って見たいと思わせることが重要です。

ネットワークの構造が結果としてベキ法則になっているとしても、

  1. ポルノ映画(コストが安いのでたくさんつくられる)の俳優が結果としてハブになっているようなケース
  2. Googleや林原研究所のようにノードの魅力がリンクを増やすケース
  3. 高野山のようにノード自体も魅力的だが、リンクを貼りたくなるよう働きかけを行ったケース

など、ハブの出来方にはいろいろなケースがあるといえます。

前に、ネットワークの四大陸について述べましたが、高野聖のおかげで、島だった人々が少なくともIN大陸になってつながったわけです。そのなかには、高野山が提供するサービスを単に消費する(IN大陸)の人だけでなく、互いに学びあうことに参加する人(中央大陸)も出てきたと思われます。

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生物の違い

多くの生物の細胞は、同じような構造を持っていることが明らかになりつつあるそうです。

  1. 原始的細菌と多細胞生物の細胞とでは、大きさが違うものの、同じようにベキ法則に則っている。
  2. 分子間の経路の長さ(隔たり)も同じで、いずれも三次と小さい。
  3. 大半の細胞は、同じハブを持つ(リンクの多いほうから10番目までの分子は同じで、最大のハブはATP)。

このように、全ての生物の構造が同じなのに、なぜ生物ごとに細胞に違いが生じたのかという疑問に答えるために、43種類の生物の代謝ネットワークを比較したところ、その全てに現れる分子は、わずか4%に過ぎないことが明らかになったそうです。つまり、ハブは共通でも、リンクの少ない分子は、生物ごとに違うというのです。

バラバシは、「生命とは、一人の建築家の設計になる家が建ち並ぶ、大規模郊外の町のようなものかもしれない。建築家は同じでも、施工者が違い、インテリアデザイナーが違えば、床の素材、窓のサイズやその作りかたといった仕上がりが微妙に違ってくる。航空写真で見ればどの家もそっくりに見えるだろうが、近づけば近づくほど、個々の違いが見えてくるのである」と述べています。

これを地域に当てはめると、基本的な構造は同じでも、ハブ以外のノードに特色を出すことでその地域らしさが出てくるということでしょうか。

たとえば、同じ東京都下の三鷹市は人口17万人、私の住んでいる西東京市は最近合併してほぼ同じ程度の19万人となりました。しかし、市民意識がだいぶ違うように思います。前者では、市民が町の長期計画を策定し、それを市議会が受けるといった市民参加型の政治を行っています。一方、後者では、合併したばかりとうこともあるのですが、農家、商家、サラリーマンと考え方も異なっており、まとまりに欠けています。

それぞれの地域がどう進化するかは、ハブ(たとえば行政)以外のノードやそのリンクの仕方によってくると考えればよいのでしょうか。

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断片化するウェブ

同じネットワークでも、向き付けされたネットワークでは、四大陸に分裂しています。向き付けされたネットワークとは、たとえば、食物連鎖が代表です。たとえば、ラッコはウニを食べ、ウニは昆布を食べますが、昆布はウニを食べません。新しい論文に引用された論文からは、新しい論文を発見することはできません。

このような向き付けされたネットワークでは、

  • (1)中央大陸(どのノードも他のすべてのノードとつながっている)
  • (2)IN大陸(IN大陸にあるウェブページから中央大陸には行けるが、そこからふたたびIN大陸には戻れない)
  • (3)OUT大陸(中央大陸からOUT大陸にあるノードには行けるが、いったん中央大陸から出ると、OUT大陸からは戻れない
  • (4)島(相互リンクしあうページの孤立したグループ)

・・と四大陸に分かれます。

ネットワークのリンク形態が具体的にそうなっているというわけではありませんが、現在の日本における情報の流れは、まさにこのようになっています。日本の政策や情報のほとんどは、(1)の中央大陸のなかで生み出されます。地方は、中央(東京)の情報を得たいと思い情報収集に励みます。しかし、中央(東京)は、地方の情報を得たいと思っていないので、地方と中央(東京)という関係では、(2)のINの関係となっています。他方、中央(東京)から地方には、情報が一方通行で流れてきます(3)。地方の住民レベルの情報は、(4)の島となっています。

地方がこうした情報の流れを変えたいと思っても、情報欲求に向きがある以上、それは無理です。地方分権が進み、A地域は、中央(東京)の情報ではなく、他の地域の情報を得ようと思ったり、B地域と連携して何かやろうという発想になれば、互いがリンクしあい、(1)の中央大陸の住民になります。

先進的なA地域の取り組みが注目され、他地域や中央(東京)がそこから学ぼうと思えば、A地域がハブになることもあるでしょう。

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意図してハブをつくる

ここで、ハブの出来方について整理しておきたいと思います。

個々のネットワークは、小さな中核部分からはじまってリンクが増えていき、そのなかからたくさんのリンクを獲得したノードがハブになるわけですが、たくさんのリンクを獲得したノード自体が(1)必ずしも優れているとは限らないし、(2)ハブになろうと意識しているとは限りません。結果としてベキ法則がみられるというだけです。

地域のエンパワーメントを考えるにあたって、このネットワークの構造を応用しようとすると、「優れたノードにすればハブになれるのではないか」と考えがちです。つまり、検索機能に優れたGoogleが後発であるにもかかわらず、一夜にしてハブに躍り出たことを成功事例として思い浮かべるからです。

しかし、ハリウッドの例にみられるように、ハブをつくるなら、コストがかからないので多作なB級映画にたくさん出演し、しかし、たまにA級映画にも出演するノードの方がA級映画にだけ出演するノードよりもハブになりやすいことを思い起こす必要があるのではないでしょうか。

つまり、速いスピードで成長するネットワークを選んで古参のノードになれば、ハブになれる可能性があります。問題は、「速いスピードで成長するネットワーク」として何を選ぶかです。

たとえば、少子化ですから、子供たターゲットにするのは良くありません。逆に、高齢者、なかでもまもなく定年を迎える団塊の世代は、非常に速いスピードで成長するネットワークになりえます。たとえば、北海道のある町が全国の団塊の世代を一気にネットワーク化できれば、一夜にしてハブになることが可能です。全国の団塊の世代を外部村民にしてみてはどうでしょう。

この人たちは、他のさまざまなネットワークとリンクしているはずですから、団塊外部村民ネットワークは大きな力を発揮する可能性があります。団塊の世代をくすぐるコンテンツを見つけ出していち早くノードを立ち上げれば、ハブになれるに違いありません。

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ハブはどのようにして出来るか

『新ネットワーク思考』では、ハブがどのようにして出来るかについて、前述のように(1)成長している、(2)魅力的なノードを優先的に選択するという法則をあげています。そして、ハブがあるために、「友達の友達は友達」であるとして調べると、多くの人はわずか数人の人を介して知り合いであることが知られています(小さな世界)。

では、ハブになるのは、どんな魅力があるからなのでしょうか。きっと立派な人・有名な人がハブになっているのではないかと思いがちですが、この本であげられている事例をみるとちょっと拍子抜けします。

たとえば、ハリウッドのネットワークのノードは俳優であり、出演した映画をリンクとして互いにつながれているはずです。調べた結果、上位10名は、皆ポルノスターであったといいます。また、エイズ感染を調べた調査によれば、魅力的で性の手柄を誇る男性同性愛者デュガがハブになっていました。彼は、年間およそ250人と関係を持ち、10年間で少なくとも2500人と性交渉があったとみられています。

つまり、検索エンジン、俳優、同性愛・・と、それぞれのネットワークは、固有の特徴を持っており、リンクを獲得するスピードもそれぞれ異なっているということです。

このことは、たとえば、人口規模でみると、北海道のなかで札幌がハブとなっていますが、演劇では、倉本総さんのいる富良野がハブになっている可能性があります。

あるいは、札幌がハブにみえるのは、札幌が政治経済のハブだからではなく、実は、すすきのの歓楽街がハブであって、表向きの理由を無理やりこしらえて、本州の出先を札幌に設立しているだけかもしれません。

デュガが大きなハブになれたのは、彼が魅力的であり、かつ性の手柄を誇るというハブの性格も重要ですが、彼の職業がフライト・アテンダントであり、北アメリカの東海岸と西海岸をまたにかけて移動したために、主要都市を結ぶ役割を果たしたことがあげられます。つまり、飛行機がなかったら、このハブがこれほど大きく成長しなかったと思われます。

倉本さんをハブとする演劇ネットワークを大きくするには、飛行機代金が安くなるとか、高速ネットッワーク網が発達するなど、リンクを張りやすい(ネットワークの拡大を促進するような)インフラの充実がポイントかもしれません。

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80対20の法則

パレートの法則(これもベキ法則が働いている)は、80対20の法則として知られています。これは、たとえば、蜂の全個体のうち20%が80%の蜜を集めてくると言う話です。

ところが、この働き者の20%を取り除くと、残りの蜂もまた80対20の法則になるというのです。

都市人口についても同じような法則がみられ、たとえば、北海道についてみると、まさに上位20%の人口が80%を占めているとのことです。

だからといって、都市順位が構造化されていると悲観する必要はないのではないでしょうか。蜂の例のように、上位20%を切ってしまえば、残りのなかにまた上位20%が出来るのですから、たとえば、北海道は道州制でまず独立し、札幌市が独立し・・と切り離していけば、残った地域にまた20%が生まれます。

言い換えれば、エイやっと北海道のなかを10くらいに分断してしまえば、それぞれに上位20%が出来き、全体としてもっと強い地域になるのではないでしょうか。もっとも、その後改めて北海道の都市を並べてみれば、また全体としてはベキ分布になっているのでしょうが。

ただ、空間の配置が変わると、ゆらぎが生じ、別の都市同士が影響しあって、新しい変異が生まれるかもしれません。

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新参者が勝つには

『新ネットワーク思考』では、検索エンジンでは後発のGoogleを取り上げ、新参者がハブになる可能性を述べています。

それは、「何が魅力か」ということです。リンク数の多さだけでノードが選ばれるのではなく、別の魅力の高さでも選ばれると考えると、「金持ちがもっと金持ちに」なるとは限らず、トップが入れ替わることもありえることになります。

問題は、ノードを切り替えるコストです。インターネットの場合には、リンク先を切り替えるのにそれほど手間がかかりません。一方、都市の場合には、新しい魅力を作り出すにも時間とお金がかかりますし、新しい魅力ある都市が誕生したからといって、そう簡単に移動できません。

しかし、人々の価値観が変わり、それにふさわしい地域が選ばれて大移動が起こる可能性がないとは言えないのではないでしょうか。

確かに、田舎には高速インターネットが無い、病院が無いなどの地域間格差がありますが、それでも、ユニバーサル・サービスという考え方がありますし、光ファイバーがノードまでなら来ている地域もそれなりにあります。

20代から下になると、田舎に住んでいることを昔ほど恥ずかしいとか、嫌と思っていないようです。トイレはだいたい水洗ですし、ちょっと車を飛ばせばスーパーはあるし、テレビは行き渡っているので、文化的生活はそれなりに満たされています。むしろ、東京の人混みや道路の狭さや空気の悪さを嫌っています。渋谷の女子高生の間では、方言を使うことが可愛らしいと思われているとの話もあります。

スローライフやLOHASが憧れの生活となりつつあり、一気に地方分散が進むかもしれません。

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April 23, 2005

金持ちはもっと金持ちに

M.ミッチェル・ワールドロップ『複雑系』新潮社を読んだ時もそう感じましたが、アルバート=ラズロ・バラバシ『新ネットワーク思考』NHK出版を読んだ時にも、こうした最先端の理論の世界を、あたかも推理小説を読むように引き込ませて読ませるなんて、なんて凄い書き手なんだろうと感心しました。バラバシさんは、自らこの分野の研究者であると同時に、サイエンス・ライターの経験もあるという訳者あとがきを読んでなるほどと思いました。

日本でも、こうした最先端の科学をこんな風に書いてくれる人がいたらよいのにと、アメリカをうらやましく思いましたが、こうした本をすぐに日本語で読めるというのも、なかなかたいしたもんなのかとも思います。

さて、『生命とは何か』に書かれていることを地域活性化に応用するのは一旦終了し(これ以上読み込めないということもあり)、今度は、この『新ネットワーク思考』から得られたことを応用してみたいと思います。

この本では、さまざまなネットワークに広くみられる構造について書かれています。そのポイントは、それぞれのノード(中継点)がリンクしている(つながっている)数の分布をグラフにしてみると、大半のノードはごく少数のリンクしか持たず、ごく少数のノードが莫大なリンクを持っている(ベキ法則にしたがっている)というものです。莫大なリンクを持つ少数のノードをハブと呼びます。

では、何故このような構造が現れるのでしょうか。それは、(1)ネットワークは成長している、(2)優先的選択が行われることによっているからです。

個々のネットワークは、小さな中核部分から出発して、新たにノードを付け加えて成長しますが、その際、新しいノードは、すでにたくさんのリンクを獲得しているノードを優先的に選択するというのです。このため、新参のノードよりも古参のノードの方が、少ないリンクのノードよりもすでにたくさんリンクされているノードの方がリンクの増え方が速くなり、これがハブに成長するのです。

言い換えると、「金持ちはもっと金持ちになる」という現象が引き起こされることになります。

これについては、多くの人がショックを覚えました。インターネットが発達すると、誰でもが情報発信できるようになるとか、距離を克服するので田舎にいても仕事ができるなど、平等化が進むというユートピアを描いていたのに、まったく反対の構造が現れることが示されたからです。

丸田一さんは、都市の構造もベキ法則にしたがっていることをあげ、不平等な世界が常態であることを受け入れ、地域は、内発的な発展を志向すべきであるとしています。

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April 21, 2005

少数コントロール

「少数個しかない成分が細胞の増殖をコントロールする」というちょっと不思議な話です。

分子が2種類で、XがYをYがXを触媒する場合を考えます。そして、Xの方がYよりも速く増殖するとします。すると、しばらく経つと、Xの割合の方が多くなります(Yが0になってしまうと、Xも増えなくなるため、Yが最低1個あるとします)。

こうした状況下で、何か変化が生じると、Xのようにたくさんある分子では、変化の向きが多様なので相殺されてしまう。しかし、Yのように少ない分子では、変化の向きが決まり、変化したYに触媒されてXにも変化が及ぶため、細胞全体が大きく影響されることになります。

このように、互いに触媒しあう分子では、数の少ないほうの分子の変化が全体の性質に支配的な影響を持つのです(その変化が良い方向の場合もあれば、悪い方向の場合もある)。

数の多いほうではなく、少ない方の変化が全体に影響を与えるというのは、面白いと思います。

ある地域で、大多数がいろいろ言う(変革しよう、止めよう、外と連携しよう、連携しない・・)が結果として現状維持、そのなかで少数が何か行動すると、地域全体が大きく変わる・・はずです。でも、ほとんどの地域でそうしたことになっていないのは、大多数と少数が触媒しあっていないからでしょうか。あるいは、少数コントロールが働くのは、増殖している場合なので、現在の地域に当てはめることが無理なのかもしれません。

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パラサイト分子

ハイパーサイクルは、変異に対して強い構造ですが、パラサイト分子が生まれると困ったことになります。

parasite パラサイト分子というのは、自分は触媒されて増殖するが、他を触媒しない分子のことです。たとえば、Aにより触媒されて自己複製できる変異体B’は、Cの複製を触媒しないのです。このため、B’が増えてもCが増えないので、ハイパーサイクルが壊れてしまうのです。

もっとも、もともとのA、B、Cからなるループの分子が減少し、B’を触媒するAも減少するので、次第にパラサイト分子B’も増えることができなくなってしまいます。

こうしたことは、人間社会でもよく起こることですが、これを地域に当てはめてみると、次のようなことが言えるのではないでしょうか。

ハイパーリンクを地域と考え、Aを企業、Bを市民、Cを行政とみなします。企業、市民、行政がそれぞれ互いを触媒し、良い循環が出来ている地域は、パワーが生まれる。しかし、たとえば、要求のみして義務を果たさないパラサイト市民ばかりになると、行政の負担が増し、適切な産業育成策が行われず、地域が疲弊してしまうと考えられます。

これは、先述の、パットナムの市民共同体が政治・経済のパフォーマンスが良い(市民共同体がないとパフォーマンスが悪い)というのと合い通じるところがあります。

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ハイパーサイクル

  • 細胞が精巧に出来た機械ではなく、多くの化学成分が集まっていて、多くの反応が進行していくシステムとみなすと、エラーも生じるだろうに、どうしてきちんと複製や増殖をすることができるのだろうか。

この問への解答として、「ハイパーサイクル」という考え方がなされています。Hyper

ハイパーサイクルというのは、Bの複製をAが触媒し、Cの複製をBが触媒し、Aの複製をCが触媒するというものです。これらは、互いにその複製を強化するので、このループとして速い速度で増えていく。仮にエラーが生じて変異体A’とかB’とかが生まれても、それは互いに触媒しないので複製機能が弱い。互いに触媒しあうもともとの分子のほうが増殖が速いので、変異に対して強いというのです。

地域に応用すると、たとえば、NPOのA、B、Cが互いに触発しあう、活動で協力しあうなどするとNPO全体が速く普及すると言えそうです。

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コミュニティ効果

細胞分裂について「コミュニティ効果」というのが知られているようです。

  1. 未分化の細胞から、細胞分裂とともに、さまざまなタイプの細胞への分化が起こる。
  2. しかし、ある段階まで細胞分化が進むと、その細胞は同じ細胞しかつくれなくなる(分化が決定されたという)。
  3. この「決定」は細胞の数に依存する(まわりにそれと同じ細胞が十分にあると、その細胞は、自分と同じタイプの細胞しかつくらない。しかし数が少ないと、異なる細胞に分化する)。

つまり、細胞一つを取り出して研究しても駄目で、細胞が他の細胞との相互作用のなかで分化の仕方を変えていくので、ここを見て研究すべきであるというのです。

また、腎臓をつくる実験では、細胞数が300個だと30%しか生成されないのに対し、800個では100%生成し、逆に1500個だと筋肉、神経など別の組織が混ざったような細胞集団ができてしまうとのことです。つまり、細胞数が少なすぎても、多すぎても正常な臓器ができないわけで、細胞の数が重要であるそうです。

これは、人間の集団にも当てはまりそうな気がします。

  1. 地域を活性化しようという志の高い人(幹細胞)は、いろいろな活動に興味があり、福祉だったり、環境だったり多様な事業をはじめる。
  2. しかし、NPOなどの自発的組織の場合、ある程度の影響力を発揮できるようになるには、会員数や賛同者などがたとえば800人くらいは必要なので、組織が目的を達成できるまでは、それに専念する。
  3. しかし、その組織も、たとえば1500人も集まると、意思統一して力を発揮しづらい。
  4. そこで、意欲のある人(幹細胞)は、分派して別の活動をはじめる。

ここで、意欲のある人(幹細胞)は、本来そういう人であったというよりは、仲間との相互作用を通じて、その気になったと考えることもできます。

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住民満足度の高い北海道

生物システムは、しばしば、各要素があたかも全体を知っているかのように振舞うそうです。

たとえば、成長を通して、臓器全体の大きさがある段階になると、それ以上細胞は分裂しなくなり、それにより、適切な臓器の大きさで成長が止まります。

逆に、肝臓移植などで一部を切り取られた場合、ふたたび増殖をはじめてその大きさを回復します。

つまり、細胞集団全体の性質が個々の細胞の成長に影響しているわけです。このことを地域に応用すると、どんなことが考えられるでしょうか。

たとえば、ある地域が市民が満足できる程度に経済発展すると、成長が止まり、逆に災害などで貧しくなると再び成長をはじめて豊かさを回復する・・と考えられないでしょうか。

北海道は、いろいろな歴史的経緯があるのでしょうが、地方のなかでも相対的に国の支援が多かったので、いわば働き以上の文化的な生活をしています。おまけに空気とか食べ物とかが美味しいわけで、住民満足度は非常に高いのです。このためあくせく働くインセンティブが働かない。

おそらく、財政が絞られると、ようやく細胞が活性化しはじめるのではないでしょうか。

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April 20, 2005

自発的組織への参加率

前述の中野さんは、「解説」の最後に、世界価値調査のデータをあげ、日本について述べています。

1990年に実施された調査によると、「教会、教育・文化活動、政党からスポーツ・娯楽活動に至る15種類の自発的組織に一つでも所属している人の率は、アメリカでは82%に達するのに、日本では36%しかなく、先進国ではイタリアと並んで最低水準にある」とのことです。

中野さんは、日本は、アメリカに比べ集団主義といわれているのに、このデータでみる限り、個人主義といわれているアメリカよりも、市民共同体に参加する人が非常に少なく、危機的な状態なのかもしれないと結んでいます。

Jリーグが「百年構想」を掲げて、各地にサッカーを中心としたスポーツクラブをつくりたいとしていますが、市民共同体がないなかで苦戦しています。サッカークラブが日本における市民共同体づくりのきっかけの一つになることを期待したいと思います。

日本では、檀家制度がありますが、これも今では、葬式仏教になってしまいました。宗教が地域の市民参加に結びついているのは、創価学会くらいです。

地方自治体は、これまで中央の政策を代行するのが中心で、それに対応してお金も流れてきたので、市民生活と自治は乖離していました。このため、20歳になって選挙権が与えられても、一票の意味を身体で感じることができません。

最近は、禁煙が時代の流れなので見かけなくなりましたが、昔はよく、「たばこは自分の町で買いましょう」というポスターを見かけました。市民は、たばこを買うくらしか、地方自治に参画できないのです。

北海道に人口1万5000人の栗山町があります。一次産業人口が約2割を占める小さな町でも、就業・就学者の約2割が札幌市、岩見沢市、近隣の町に働きに行ったり、働きに来ており、隣がどんな暮らしをしているのか見えなくなっているといいます。

そこで、栗山町は、「クリン」という地域通貨を導入し、これによって市民が参加するイベントなども増え、同じ共同体の住人であるという意識が生まれはじめたとのことです。

地域において、市民共同体を増やし、地域を身体で感じられるようにする(閾値まで上げる)ことが、政治や経済のパフォーマンスを高めるうえでは必要といえそうです。

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北海道の社会指標

パットナムのソーシャル・キャピタル指標を作ってみる前に、既存のデータで北海道の地域的特色を見てみましょう。

  1. 北海道は、2002年の統計では、生活保護世帯の比率が3.34%と全国平均の1.86%に比べて非常に多い。これまでは全国一であったが、この年は、大阪が3.40%とトップに踊り出た。
  2. 離婚率は、全国平均が2.27%のところ、北海道は2.76%で、沖縄の2.83%、大阪の2.81%についで高い。
  3. 女性の喫煙率も確か全国的にみて高く、全国平均が11.5%のところ、北海道は20.6%となっている。

これらの指標からは、互いに助け合わずに国の補助を得る、すぐに離婚する、寂しいので喫煙する・・など、人間関係が希薄な印象がうかがえます。

札幌は、よそ者に住みやすいと言われていますが、互いに干渉するなど人間関係のドロドロが無い代わりに、人間関係が希薄で、非常に醒めた地域であるといえるのではないでしょうか。

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札幌のソーシャル・キャピタル

中野剛充さんのHPに「ボーリング・アローン訳者解説」が掲載されています。

中野さんによると(富沢の意訳)、パットナムは、イタリアでの実証研究から、近代化が個人主義を生み、これが共同体を崩壊させたというこれまでの考え方を排し、ルネサンス以来の平等で水平的な市民共同体の伝統が原動力となって、北イタリアの経済発展と民主化がもたらされたとしています。

また、アメリカについて調べた結果でも、ソーシャル・キャピタル指数の高さは、活発な民主主義や経済的繁栄、高い教育水準、治安の良さなどと高い相関関係にあり、人種的・性的な寛容と経済的・市民的平等をもたらしているそうです。

そして、パットナムによれば、「現在においてアメリカにおける自由と平等の最大の脅威は社会から孤立した個人によってもたらされるものであり、その処方箋として必要とされているのが市民的共同体なのである」(中野さん)とのことです。

ソーシャル・キャピタル指数についてまだ勉強前なのですが、北イタリアと南イタリアの比較では、前者が「平等で水平的な市民共同体の伝統」があるのに対し、後者は「権威主義的で垂直的な社会的伝統」としていることを考えると、札幌は、むしろ前者に近いように思えます。

札幌(北海道)は、「平等で水平的な市民共同体」に近いのだけれど、「伝統」がないのかもしれません。北の大地で100年開拓するなかで、互いに助け合う文化ではあると思いますが、それが散在しているような印象です。あるいは、国から自治を勝ち取った経験が無いので「弱い」共同体なのかもしれません。

一方で、アメリカについて、昔は「市民的共同体」があったのに、現在では「個々バラバラ」になってしまったという考察を応用すると、札幌(北海道)は、個々には共同体が出来ているのだけれど、共同体同士が互いに連携しあって全体としてのパワーになっていないような印象があります。個々というのは、ある商店街であったり、あるNPO団体であったり、サッカークラブのことで、それらが互いに干渉しあわないといった感じです。

インフォーマルなネットワークはあちこちにあるのですが、それが重なり合わない、あるいは共鳴しあわないようなのです。

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April 19, 2005

ソーシャル・キャピタル

知人が私のブログを読んでロバート・パットナムの『哲学する民主主義』という本を教えてくれました。まだ、購入していないのですが、ネットで検索すると、次のようなことが書かれているようです。

イタリアでは、70年代に中央集権から州への分権が行われ、約20の州が出来た。ところが、同じ制度下にも関わらず、州によって政治・経済のパフォーマンスに大きな差が生じている。これは何故だろうと調査をし、格差の原因は、「市民的共同体」、あるいは「ソーシャル・キャピタル」の違いであると考えました。

「ソーシャル・キャピタル」というのは、信頼、規範、ネットワークといった社会組織の特徴のことで、それによって人々の協調行動が活発となり、社会の効率性が高まるというのです。

パットナムは、その後、『Bowling Alone』(一人でボーリングをする)という本も出していますが、市民参加の概念を行政への関与や労働組合活動のような政治的な活動だけでなく、教会活動やボーリング・クラブ、近隣との付き合いのようなインフォーマルな社会的・文化的活動まで含めて考えているようです。

この本では、アメリカにおける市民社会の衰退について書かれていますが、テレビの普及に代表される「娯楽の私事化・個人化」が市民社会を脅かしているとの考えから、このタイトルをつけたようです。

ボーリング・クラブを含むインフォーマルな関係と活動の濃密さが「ソーシャル・キャピタル」を形成し、それが活発な市民社会と民主主義の維持と育成に本質的な役割を果たすとしています。

パットナムの考え方は、何故札幌の閾値が上がらないのかを考えるヒントを含んでいるように思います。

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異端者の濃度が高まるとスイッチがオンになる

「細胞生物学では、シグナル分子の濃度がある閾値を超えると、化学反応を通して、ある遺伝子が発現し、それによってあるタンパク質が作られ、細胞の状態が変わる」と考えるそうです。

さらに、「Aという遺伝子が働いてA’というタンパク質をつくり、Bという遺伝子が働いてB’というタンパク質ができると、今度はA’とB’とが反応してある機能が発現する」というように、遺伝子発現の組み合わせによる働きを考えるとのことです。

これを地域に応用すると、どのようなことが考えられるでしょうか。

よく、地域活性化には、「よそ者、ばか者、若者」が必要というようなことを言われます。これは、昔からの価値観に捉われない人が刺激になって地域が活性化されるといった意味です。

1.地域のなかで従来の価値観に捉われない人が何かを始めると、最初は異端者として無視されるか、嫌われるけれども、それに同調する人がだんだん増えてある閾値を超えると、化学反応が起こり、NPOなどの組織(タンパク質)が生まれる。

2.さらに、A’という活動とB’という活動が互いに刺激しあって、次の段階の動き(たとえば行政を動かす、あるいは新しい事業が誕生する)につながる。

・・といったようなイメージではないでしょうか。

札幌には、個々にはさまざまな動きがあるのですが、それが形にならないのは、まだ閾値を超えていないのかもしれません。どうやったら遺伝子の働きをオンにする濃度が高まるのか、濃度が高まりにくい条件があるのか・・こんなことも考えてみたいと思います。

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April 18, 2005

無用の有用性

生命科学の考え方を地域に援用するにあたっては、金子邦彦『生命とは何か』を参考にしています。しかし、私にとっては難解なので、間違えた使い方をしているかもしれないことをお断りしておきます。

さて、そのなかに「無用の有用性」について書かれた箇所があります。遺伝子は状況に応じて多様な機能を使い分けるし、ある機能を果たす遺伝子は一つとは限らない・・というように、生物システムは非常に複雑なのだが、これは、環境が激変したときにも対応できるようになっているのではないかというのです。

クラスのなかで成績の悪い子供でも、運動会では一等賞を獲ったり、1年生の時には成績が悪かったけれども、2年生になって理科の観察を通して勉強が面白くなり、一気に成績も上がるというのと同じでしょうか。あるいは、成績の悪い子が、遠足で台風に会ったときに、リーダーシップを発揮して皆をまとめあげたということと似ていると思います。

これを地域に置き換えると、どういうことが言えるでしょうか。

サッポロバレーは、小粒の企業ばかりなので駄目だと切り捨てるのではなく、それが活きるチャンスがあるかもしれない、あるいは、環境が激変するとむしろ成功するかもしれない・・と考えるのも一つでしょう。

第一次産業というこれまでは、もう無視してもよいのではないかと思われていた産業がIT化によって大きく変わりつつあります。北海道は、第一次産業では日本でトップクラスです。ここに札幌のIT企業が活躍できるチャンスが生まれるかもしれません。

東京の目、あるいはグローバル経済の基準でみると、北海道には、無用と思われるものしかありません。しかし、環境が激変し、無用のものが有用になる未来が足元に来ているかもしれません。

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地域を考える方法論

無謀、あるいは意味の無いことかもしれないのですが、ここでは、地域を考えるためにいろいろなことに挑戦してみようと思っています。

昔はたとえば頭が悪いと遺伝だからしょうがないなど、何でも遺伝子のせいにしてきました。しかし、最近の生命科学では、遺伝子は、状況によって多様な働き方をすると考えられています。たとえば、病気をもたらす「悪い遺伝子」があるのではなく、ヒトにとって有益な働きをする遺伝子が環境や他との相互作用のなかで悪さをすると言うのです。

この考え方を地域にも応用してみたいと思います。

たとえば、サッポロバレーでは、インターネットというビジネスチャンスを上手く活かしきれず、せっかく株式公開した企業も事業を縮小する方向にあります。この場合、昔の言い方だと、札幌のIT企業のA社長、B社長に力がなかったと考えます。しかし、そうではなく、札幌という環境や他との相互作用の問題で上手くいかなかったのではないかと考えるのです。

A社長、B社長が東京・渋谷にいたら、あるいは福岡にいたら違っていたかもしれない。その場合、東京・渋谷と札幌、あるいは福岡と札幌とで、何がどう違っていたのだろうかを考える方法です。

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April 17, 2005

地域で何かが始まるとは

ここで「地域」と言っているのは、単に空間を指しているのではなく、そこに人が集まっている(住んでいる、あるいは働いている)ことを前提としています。

昔は、「地域」というのは、村落共同体でした。農村であれ、漁村であれ、生活していくためには、その地域に住んでいる者同士で揉め事が起きないようルールを決め、また助け合う必要がありました。ところが、今日では、ある地域に住んでいるからといって、生きていくために互いに係わり合う必要性は薄れています。

本当は、選挙で首長を選び、議員を選び、私たちの税金で道路が出来たり、小学校が運営されているのですから、お互いに係わり合っているのですが、日常的にはそうしたことをほとんど実感せずにいます。地域は、夫の仕事の関係でたまたま引っ越した、たまたま昔から住んでいるに過ぎないのです。

同じように人が集まっていても、地域は、会社とは異なります。会社は、ある目的のために設立され、社員は、給与のため、あるいはその仕事が好きで働いています。会社は、このように目的があって人々が組織化されていますが、地域には、人が集まっていても、その人たちは共通の目的を持っているわけでもなく、組織化もされていないのが常態です。

そうした地域の人々が自分たちの地域を意識し、地域のパワーを高めようと思って動くようになるには、何が必要なのでしょうか。

最近では、生命科学の成果をさまざまな分野に援用することが流行りなので、私も真似をしてみようと思います。生命は、必要な元素が含まれた濃縮スープがゆらぎ、化学反応が起こることによって生まれたと言われています。これを地域に援用すると、まず、ゆらぎによって、地域の人々に化学反応を起こさせる必要があるのではないでしょうか。

ゆらぎを起こすきかっけは、サッカーのファンクラブでもよいし、インターネットを使った市民塾でもよく、それによって地域の人々同士がリンクしあい(ネットワーク化)、互いに影響しあえる(相互作用を起こす)ようになることが最初の一歩ではないかと思われます。

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April 16, 2005

サッポロバレー

2001年4月に札幌に来た頃には、「サッポロバレー」が華々しく雑誌などに取り上げられていました。

日本では、1996年に、ヤフーやインフォシークなどアメリカのネットベンチャーが日本法人を設立し、ネットビジネスが始まりました。外資だけでなく、ホリエモンのオン・ザ・エッヂ(ライブドアの前身)が96年、楽天が97年に設立されるなど、日本でも次々とベンチャーが誕生しました。そして、アメリカの「シリコンバレー」や「シリコンアレー」などネットベンチャー集積地になぞらえて、東京渋谷に「ビットバレー」という名前が付けられ、さらに各地に「○○バレー」が誕生しました。

そのなかでも、札幌のIT企業の集積は、歴史があること、技術力が高いこと、企業間連携が進んでいることなどから、もっとも成功しそうと期待され、注目度が高かったのです。

北海道は、製造業の比率が低いため、特に札幌エリアでは、従来から新しい産業として情報産業の育成に力を入れてきました。そこにインターネットという新しい波が来て勢いづいていました。札幌なら都市機能を享受しながら大自然で遊ぶこともできる・・と、若くて優秀な技術者も流入してきました。そして数社が株式公開するなど、札幌が新しい次元にステップアップするかに見えました。

しかし残念ながら、この勢いは尻すぼみになってしまいました。株式公開した企業も、大手の傘下に下ったり、規模を縮小してリストラをするに至っています。本州から来た優秀な技術者は、戻ってしまいました。

ビットバレーでは、株式公開して得た利益をもとに、単にサッカークラブや野球チームを購入しているだけでなく、まだ株式公開していない企業を買収して業容の拡大を図ったり、次世代ベンチャーのエンジェルになるなど、産業基盤の厚みが増す結果となっています。

サッポロバレーがせっかくの好機を地域経済発展に結び付けられなかったのは、経営者の問題なのでしょうか。そうではなくて、札幌、あるいは北海道という地域の問題なのではないでしょうか。

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まず札幌を念頭に

縁があって4年間札幌で暮らしました。

それまでは、東京都西東京市(最近になって合併するまでの田無市)で生まれ育ちました。田無は、青梅街道の宿場町ですが、私が育った頃は、昔ながらの農家、街道沿いの商家、それと戦時中ゼロ戦を作った中島飛行機の社宅があった関係で勤め人が住む町でした。私は、その社宅(戦後社員が買い取った)で、よくある東京郊外に住むサラリーマンの家庭で育ちました。

このため、「田無」という地域を意識してはいるものの(23区外なので、電話番号も03から始まらない!)、学校も勤め先も都心であり、帰ってきて寝るだけの地域でしかありませんでした。つまり、東京に居る間は、「地域」なんて意識して考えたことがありませんでした。

ところが、札幌で暮らすようになると、東京-北海道、あるいは東京-札幌と、「地域」=「地方」を意識するようになりました。さらに、北海道-福岡、あるいは北海道-フィンランドなど、他の地域をも意識するようになりました。また、同じ北海道でも、札幌という大都市とたとえば栗山町、西興部村などより小さな地域も考えざるをえなくなりました。

そこで、このブログで「地域」を考えるにあたっては、私としては、札幌を念頭にして考えることにします。札幌は、人口190万人であり、「地域」として把握するには、ちょっと大きすぎるかもしれません。しかし、とりあえずこれで進めてみます。

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regional innovation

今日からこのブログを立ち上げます。
構えてしまうと進まないので、肩の力を抜いてヨチヨチ歩きですが、歩き出してみます。

このブログでは、「どのようにしたら地域がパワフルになるか」について考えていきたいと思っています。

1.なぜ、地域がパワフルにならなければならないか。
 これは、三位一体改革をはじめ、いろいろな意味で地域が自立・自律しなければならなくなっているからです。

2.パワフルとは何か。
 「パワフル」という曖昧な言葉を使っているのは、私自身、この問題のゴールや尺度が見えていないためです。本当は、経済的にも自立できることを目指したいのですが、それは現実から言うと荷が重すぎます。しかし、少なくとも、現在よりも、各地域に産業が発展するなど稼げるようになることを目指しています。
 しかし、その前に、そこに住んでいる人々が「パワフル」になる必要があるのではないかと漠然と考えています。ただ、これは、個々の人々が「パワフル」になるのか、それとも地域の空気が揺らいで運動がはじまるのか、という問題があります。この辺りについても、考えていきたいと思っています。

3.パワフルのトリガー(きっかけ)は何か。
 地域がパワフルになるためには、何かトリガーがあるのではないかと思います。人、事件、仕掛け・・。ここでは、きっかけとしては、多様なものを考えたいと思っています。地域情報化、産学連携、サッカー、野球、漁業、農業、災害などなど。事例をあげて考えることもやりたいと思います。

4.地域とは何か。
 言うまでもありませんが、ここでの「地域」は、地方自治体とは限りません。自治体のこともありますが、もっと小さな民間の試みも含めていますし、行政の枠を超える場合もあります。

それでは、どうぞよろしく。

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