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May 27, 2005

地域(田舎)情報化

地域情報化の勉強会に参加しています。

昨日は、「地域」とは、regionなのか、localなのか、areaなのか、communityなのかといった話がありました。アメリカでは、郷土愛の郷土といったようなニュアンスで、自分の住む場所をlocalと言うとのことで、日本でローカル=「田舎」=(下に見る)というニュアンスはないとのお話もありました。

一般に、「地域情報化」は、地域をエンパワーメントするという言い方をします。インターネットなどで互いに知り合いになったり、情報発信することで地域が元気になるといった意味です。

昨日は、田舎TVをやっている方から、何故地域情報化(田舎TV)をはじめたか、継続しているか(インセンティブ)についての考察が報告されました。その内容は、追ってきちんと発表されると思いますので、ここではさておき、そのお話を聞いていて、次のようなことを考えました。

田舎TVも、富山などでやっているインターネット市民塾も、おばあちゃんなどの一般市民が、田舎での何気ない暮らしを紹介し、それに若い人や都会の人が反応することを通して、自分の暮らしを再認識し、自信を深めるという現象が起きています。

これは、野中郁次郎さんの言う「暗黙知」の「形式知」化、つまり「分節化」にあたると思われます。同質的な田舎の暮らしのなかで、暗黙知であったさまざまな文化(暮らしぶり)を形式知にする。一方で、その作業を通して、無意識であった自分の暮らしを見直すという「内面化」が起こっているわけです。野中さんは、この主観性による知識創造(深層的・根本的)を、形式知の組み合わせ(連結)や暗黙知の移転(共同)による知識創造(表面的・現象的)に比べ非常に重視しています。

田舎・普通の人々に分節化と内面化を促進させる。そのエリアの知識創造力がアップする。これが「地域情報化」のまず第一歩の成果と考えることができるのではないでしょうか。

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May 11, 2005

ハイパーカーだけでは解決しない

『自然資本の経済』のハイパーカーの記述のなかで面白いと思ったのは、ハイパーカーが実用化されてしまうと、燃費も安いので、皆がもっと車を使うようになってしまうのではないかと懸念していることです。そうなると、

  1. 交通渋滞がさらに悪化する可能性がある。
  2. 自動車を前提としてスプロール化が進み高齢者、子供、身体の不自由な人など交通弱者が生じてしまう。
  3. 近所の人々とのつきあいも減ってしまう。
  4. 交通事故が増え続ける。
  5. 駐車場がたくさんできて土地利用に無駄が増える。

・・などの問題をあげています。

これを解決するために、自動車の利用と駐車に伴う「実際の必要コスト」を利用者に負担させる、輸送手段間の公正な競争を促す、賢明な土地利用を促すなどの方策が述べられています。具体的には、自転車利用の促進、カーシェアリング、自動車を利用しないですむよう駅中心に街を開発しなおすことなどがあげられています。

これまで日本の自治体では、道路が狭いことを恥じていました。駅を中心に発達してきた商店街は、十分な駐車スペースを取れないため、郊外の大型ショッピングセンターに客を奪われ、歯抜けのようになって衰退しています。このため、できるだけ駐車場を確保しようとしています。

私の住む西東京市は、西武新宿線・池袋線の駅と青梅街道などを拠点に発達したまちです。昔は畑が多く、道路の多くは農道だったため大変狭いのです。最近2市が合併しエリアが広くなったため、市役所に車で来る人が増えたのですが、十分な駐車スペースがないため、なかなか市役所に入れない車が道路に溢れています。

こういう場合、これまでは、「道路行政がなっていない、・・アメリカでは」などと言う出羽の守が良く居たものです。従来の論議だと、市役所前道路を拡張せよとか、市役所の駐車スペースを拡大することを考えようということになります。

ところが、この本で推奨しているのは、道路をむしろ狭くして、自動車で移動することを嫌いになるようにしなさいということです。駅中心の街づくりをして、歩いたり、自転車で移動しやすいようにすることを良しとしています。

日本では、自転車で通勤する人が増え、駅前の違法駐輪が問題となり、最近ではコミュニティバスが導入されています。これは、この本で述べているのとは、ちょっと逆行のようですが、スプロール化が進んでしまったが故の現象か、あるいは、東京一極集中など別の問題によるのかもしれません。

西東京市の場合、狭い道路に歩道を無理やりつけたので、狭く、その上、目の不自由な人の点字盤も張ってありますので、足の不自由な人や車椅子の人にとっては、とても移動が困難です。ここに自転車が通ると、もう危険そのものです。このため、自転車は、道路を通りますが、自動車事故にあいやすくなります。

この本の考え方に習えば、市役所の周辺は、道路を狭くして(あるいは車を通さないようにして)、歩道を広くとる(歩行者天国にする)のが良いことになります。そこまでは、バスや電車などの公共交通機関を使う。

歩行者天国や歩道を広くするなら、自転車も人と一緒で良いと思いますが、そうではない場合、自転車専用道路を設けることも一考に価するでしょう。デンマークでは、自転車道路があって、冬の結構寒い時期でも、自転車通勤・通学をしているので驚きましたが、これは、市民の賢い選択(原子力発電所は建設しない)によるものです。西東京市では、ここまで出来るでしょうか。

札幌では、いちはやく、カーシェアリングの試みがはじまっています。札幌は、こういうことにいち早く名乗りを上げることが多いです(市では特区を申請しました)。一方、北海道は車社会です。道路の除雪には、多額の費用をかけています。札幌市民は、市内に車を乗り入れさせない、そして、通勤・通学にもデンマークのように自転車を使うといった決断ができるでしょうか。

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ハイパーカー

『自然資本の経済』では、第2章で自動車産業を取り上げています。ここでは、資源効率の高い「ハイパーカー」への転換について述べられています。

「ハイパーカー」とは、①超軽量、②空気抵抗の小さい設計、③駆動方式のハイブリッド化とのことで、究極の車はこれからにしても、日本人にとっては、すでに実用化されているものです。

燃料電池に関して次のような興味深い記述がありました。

  1. 燃料電池の実用化を進めるにあたっては、まず建物で使う。
  2. 送電線が不要になるだけでもコストが低下する。
  3. 自動車で使うには水素補給のネットワークが必要といわれるがまず建物で導入すればそれを活用できる。
  4. オフィスで仕事をしているなど自動車を使っていない間に発電し、売電する(自動車は、動く発電所になる)。

阪神淡路大震災の折に、下水道ネットワークが分断されて使えなくなったという記事を読んだ記憶があります。この話が頭から離れず、歩いていけるエリアやビルで自給自足できる職住近接・都市型産業の実現をイメージし、拙著『新しい時代の儲け方』では、「コミュニティ・ビジネス」という括りでまとめています。

本では、街中の野菜工場、ブティックファクトリーなどを事例としてあげました。本には書きませんでしたが、当時、建設会社フジタのバブルっぽいビルで、下水をバクテリアなどで循環して使い、太陽光で植物を育てているのも印象にのこっています。つまり、あるエリアやビル内で、上水・下水を循環し、太陽光で野菜を育て、できれば牛も育て、朝起きるとビル内の蛇口から絞りたての牛乳が出てきて、野菜工場で採れた野菜が食べられるといったイメージでした。

当時、「コミュニティ・ビジネス」として私が考えていたのは、このほかに、在宅ケア、コンビニの宅配サービス、買い物代行サービス、キンコースなどのビジネスサービスが住宅地に出来るといったようなものでした。これらは、都心に通勤するのではなく、住んでいるエリアに仕事が増えるといったイメージで、上記の野菜工場などがエリアに閉じているのに対し、ネットワーク化を前提としていました。

「コミュニティ・ビジネス」という言葉は、資本の論理でグローバルに展開するビジネスに対し、地域の人が地域のニーズに合わせて生み出す小ビジネスをイメージして使われています。私がこの本をまとめていた時にも、こういう使い方が始まっていました(後で知りました)が、私のほうは、産業再配置・暮らし方の変化という立場でコミュニティに着目していました。

つまり、職住分離でずっと来たけれど、住宅エリアにビジネスチャンスが転がっているヨと言いたかったのです。そのための技術も開発されつつある(野菜工場、下水処理、ファクトリーブティック、インターネット)。そして、コミュニティに着目すると、既存のネットワーク(小中学校、コンビニ、新聞配達店、牛乳配達店、郵便局など)の活用が有効かもしれないとしました。でも、当時は、まだ事例も弱々しく、私のアイデアも十分練れていませんでした。

でも、その後の変化を考えると、まさにコミュニティが重要になりつつあります。そのうえ、燃料電池が建物や自動車に取り入れられ、ビルごとの発電所、動く発電所ができれば、いろいろな可能性がひらけてきそうです。

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May 10, 2005

所有から利用へ

ぜんぜん売れませんでしたが、1998年に『新しい時代の儲け方』という本を上梓しました。そのうちの1章に「所有から利用へ」ということを書きました。もちろん環境問題の高まりが背景にあったのですが、企業の観点というよりも、消費者の観点に着目していました。

つまり、環境問題が厳しくなるため、所有することが面倒くさくなるという点です。いざ捨てるとなると、分別しなければならないし、廃棄コストも負担しなければならない。ならいっそのこと、所有せずに利用したいと思うようになり、そうした消費者の意識変化を察知して、企業がレンタル方式でサービスを提供するようになるのではないかと思ったのです。

にもかかわらずどうしても所有にこだわるのは、思い出があるものとか、心が落ち着くもので、こうしたものは、大切にして、できるだけ長く使うだろう。昔のように修理したり再利用して、なるべく捨てないようにするに違いないと思いました。

また、バブルがはじけた時期だったので、不良債権化した不動産がたくさんあったので、不動産も所有せずに利活用することが主流になるのではないか。土地の値上がりではなく、利活用してそこから利益を生み出せるアイデアを出せるかどうかが勝負になるのではないかと思ったのです。

『自然資本の経済』には、アグファゲバルト社(コピー機)、ユナイテッド・テクノロジーズ社の一部門であるキャリア社(空調装置)、インターフェース社(カーペット)などの事例があげられています。単なるリースなら、日本にもすでにたくさんありますが、前に書かれていたような、閉じた循環サイクルを構築する意図で徹底しているケースは知りません。

たとえば、札幌エリアが「ナチュラル・キャピタリズム首都宣言」をし、できるかぎりの財をこうした仕組みで提供する実験場になれば、新しいビジネスが生まれるエリアになれるのではないでしょうか。「北の大地」は、もともと空気が清浄である、水がきれいというイメージが出来ているのですから、そこから新しい産業を生み出すのは、ブランドともマッチするように思います。

ただ、実際には、暖房温度を必要以上に高め、それが豊かさであるというような錯覚から抜け出ないでいるエリアなので、難しいかもしれませんが。

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サービスとフローに基づく経済への移行

4つの戦略の一つとして、消費者が財を購入する経済から、リースまたはレンタルでサービスを利用する「サービス経済」に移行すべきであるとしています。

これによって、変化する顧客の選好をよりよく満たせるようになるし、資源の効率的利用と循環型生産様式による原材料の再利用が自動的になされるように経済構造を再構築することができるというのです。

この考え方は、1980年代半ば以降、スイスの産業アナリスト、ワルター・ヘッセルと、ドイツの化学者、ミハエル・ブラウンガルトが独自の立場からそれぞれ主唱しはじめたそうです。

たとえば、洗濯機を例にとると、消費者は、洗濯機をリースし、衣類を洗濯するサービスを利用するための料金を毎月支払う。コピー機のようなカウンターがついていて、メーカーが定期的に保守点検する。洗濯機の所有権は、ずっとメーカーにあるため、製品が故障した場合には、無償で交換または修理するのは、メーカーの責任である。洗濯機は、修理、再利用、再製造のたびにメーカーに返却されるので、閉じたサイクルを形成しやすくなる。

サービス経済の下では、製品はずっとメーカーのものなので、企業は、原材料の消費を極力抑え、製品の耐久性を伸ばして維持・管理を容易にしようと努力するようになる。また、景気変動による影響も少なくなるし、つくりすぎて在庫一掃のための割引セールもなくなるとしています。

この本によれば、サービス経済では、雇用が増加するとされています。その箇所を抜書きすると、

「製造業においては、労働力の約4分の1が鉄鋼などの素材の生産に費やされ、残り4分の3が組立に費やされているが、投入されるエネルギーは、この逆である。したがって、製品を再利用し、製品の耐久性を延ばせば、素材生産に要するエネルギーが減る代わりに、素材を用いた組立に多くの労働力が必要となる」とあります。

素人考えでは、資源を再利用して組み立て直すにせよ、たとえば使われていた炭素繊維を熱して再成型しなければならないので、エネルギーコストはそれほど減らないのではないかと思います。また、マクロ的には、相対的に組立部門の比率が高まるにせよ、現在のような新製品の生産量が無くなるので、組立部門で働く労働者がかなり不要になってしまうように思います。ただ、これはもう少し読み進むと私の間違いが分かるのかもしれません。

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4つの戦略

この本では、ナチュラル・キャピタリズムの4つの戦略をあげています。

  1. 資源生産性の根本的改善
  2. バイオミミクリ(生物模倣)
  3. サービスとフローに基づく経済への移行
  4. 自然資本への再投資

 上記4つの戦略は、相互に関連しており、相互依存的であり、4つの総合戦略に総合的に取り組むことで、環境破壊の緩和、経済成長の促進、雇用の増大を実現することができるとしています。

1.資源生産性の根本的改善
 資源をより効率的に利用することによって、①資源の枯渇を遅らせる、②汚染を減少させる、③有意義な仕事を創出して全世界の雇用を増やす→その結果、生態系の社会の双方を破壊する最大の原因は消え去り、企業と社会にとってその対策費が不要となり、諸費用は軽減する・・とあります。

 この本をここまで読んだ限りでは、①と②は分かるのですが、③の具体的イメージが私にはまだわかっていません。後続の章を読んで分かったらまた述べることにします。

2.バイオミミクリ
 
産業システムの仕組みを生物を模倣したプロセスにデザインし直すことにより、生産工程や原材料の特性を変えてしまうこと、閉じたサイクルのなかで絶えず原材料が再利用できるようにすること・・とのことです。

 これは、最近における日本の消費者なら、なんとなく理解しやすくなっていると思います。テレビで流れるCMでも、中古家電を分解し材料ごとに分けてリサイクルする、さらにリサイクルしやすいように設計を変更するという内容のものが流れているからです。

 前に触れたように、動物と植物の同化作用のサイクルなんて、本当に自然は素晴らしい設計がなされていると感嘆します。

3.サービスとフローに基づく経済への移行は、次の記述で触れることにします。
4.自然資本への再投資は、いわずもがなでしょう。

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労働生産性が高まり人間が余っている

第二に面白かったのは、産業革命以降、労働生産性が著しく上昇したきた結果、今日では、人間が有り余っているという話です。

これに対し、自然資本はタダと思って浪費してきたため、恐ろしく欠乏してしまった。産業革命で起こったことを当てはめて考えると、今度は資源生産性を高める必要があるというのです。

ところが、現状では、土壌の肥沃度を低下させ、水や化学物質を大量に使用する農業や石油産業への補助金など、資源とエネルギーを非効率にする産業に税金が使われている。その結果、資源やエネルギーが実際よりも安くなり、無駄な使われ方を助長し、労働生産性がさらに高まって、失業を増やしている。労働者にとっては、自らの税金で結果として自分の首を絞めるという皮肉な結果となっている。

こうしたなかで、オランダ、ドイツ、イギリス、スウェーデン、デンマークでは、雇用を増進するために、労働への課税から資源利用への課税へと移行する税制改革がすでに実施されているとのことです。

日本では、少子化でまもなく(推計では2008年がピーク)人口が減少ししはじめ、高齢化も進むことから、介護ロボットをはじめ、これまであまり進んでこなかった生活分野でも、労働生産性を高めるための技術開発に力が注がれています。このため、単純に人的資本が有り余っているとは言いにくいけれども、これまでの産業分野では、こうした傾向は正しいといえるでしょう。

単純な労働はすでにかなりの部分機械に置き換えられ、判断を必要とする労働においても、エキスパートシステムなどによって、かなり置き換えられつつあります。この本では、人的資本のなかには、労働だけでなく、「人間の知能、知識、知恵、組織能力、文化」なども含めて考えており、これまでの貸借対照表では、除外されてきたとしています。これも実際に計算できるかどうかは別として、きちんと考えるべきであるとしています。

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生態系が供給するサービスという考え方

しばらくは、『自然資本の経済』を読みながら、気になった箇所を紹介することになるかと思います。

この本では、これまでの資本主義では、ヒト、モノ、カネを「資本」と考えてきたが、これに「自然資本」加えて考えるべきであるとしています。これまで自然資本は、タダとみなしてきましたが、これを貸借対照表に取り入れるような考え方をすべきである(実際に計算するのは難しいにせよ)というのです。

こうしたことを述べているなかで、私が気に入ったところを紹介しましょう。

まず第一には、「生態系が提供してくれるサービス」という考え方です。

「森林は、木材という資源を提供するだけでなく、水の涵養や洪水の管理というサービスをも提供している。健全な環境は、きれいな水や空気、雨、海洋で生命を生み出す力、肥沃な土壌、河川流域の回復力などを自動的に供給するだけでなく、廃棄物処理、極端な天候に対する干渉機構、大気の循環といったあまり目立たないサービスも提供している。」

生態系が破壊され、こうしたサービスが提供されなくなることによって、経済的な繁栄に歯止めがかかってしまう。漁船の数が少ないから漁獲量が低下するのではなく、魚が減少したため漁獲が制限されている、ポンプが足りないから水不足なのではなく、帯水層の涸渇によって水不足になっている。これを回復するには、多大なコストがかかってしまうと書かれています。

環境問題というと、排気ガスを少なくして空気をきれいにする話であるとか、自然資本というと木材などの天然材料を思い浮かべていたのですが、「生態系が提供するサービス」という考え方が私には、新鮮でした。

実際、自然というのは、たいしたもので、動物が吐き出す二酸化炭素を植物が取り込んで成長し、動物にとって必要な酸素を吐き出している。人間を含む動物にとって、自然は、空気清浄サービスを無償で提供してくれているのです。

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May 09, 2005

ナチュラル・キャピタリズム

昨日まで、札幌エリアについて、生命科学を援用して地域が元気になるにはどうしたらよいかを考えてきました。

生命科学が気に入ったのは、たとえば、病気について悪者(悪い遺伝子)を探すのではなく、文脈のなかで遺伝子がどのような働きをするかを考えるところにありました。同じ働きをする遺伝子が、環境(相互作用)によって、良い働きもすれば悪い働きもするという考え方です。

同じ言葉が文脈によって、良い意味にもなれば、悪い意味にもなるのと同様の見方です。たとえば、「好き」という言葉は、「音楽が好き」という場合には、良い響きですが、「戦争が好き」、「女好き」となると、悪い意味、あるいは良くないニュアンスが強くなります。

昔の考え方では、たとえば、札幌エリアが病気(経済発展しない)なのは、札幌エリアの企業がわるい、人が悪いなどと考えましたが、企業や人が悪いのではなく、十分な働きをさせるための環境になっていないと考えるわけです。

そして、十分な働きをさせる環境(相互作用が起きやすい)として、「ソーシャル・キャピタル」という言葉に行き当たりました。ソーシャル・キャピタルを増やすには、ネットワーク化が有効であるというヒントも得ました。

確かに、札幌エリアでは、ネットワーク化がソーシャル・キャピタルを増やしていました。しかし、まだ、札幌エリアの企業や人は、十分な働きをするだけの環境を得ていません。どのような文脈ならば、札幌エリアの企業や人は、十分な働きをするようになるのでしょうか。

これまで、地域活性化などというと、すぐに産業活性化をイメージし、また、シリコンバレーと同様、起業を促進しようという話になりました。ホリエモンが大きなお金を動かすほどになったのに、札幌のIT企業は駄目だというような言い方をしがちでした。

でも、これは、文脈を間違えているのかもしれません。

札幌エリアにまったく別のミッションを与えると、別の相互作用が働いて、既存のIT企業も活かされることになるのかもしれません。このミッションは何だろう?

ちょうど手元にポール・ホーケン、エイモリ・B・ロビンス、L・ハンター・ロビンス著『自然資本の経済』(原題:Natural Capitalism-Creating the Next Industrial Revolution)がありましたので、次回以降、しばらく、これを読みながら、考えていきたいと思います。

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May 08, 2005

第二ステージに向かうための道具

NCFや札幌市の電子会議室の取り組みをみると、インターネットの衝撃がいかに大きかったかがうかがえます。

一人ひとりが世界とつながる、いろいろな能力のある人々と知り合える、組織に属していなくても市民の横のつながりによって自分たちの企画を実現できる、一市民の発案が政策となって実行される、こうしたことを通して市民に政治への参加意識が生まれる・・・といったことが新しい時代の到来を予感させ、参加した人々を興奮させたと言えます。

この興奮の体験がその後の活動にもつながっており、ソーシャル・キャピタルを増加させたといえるでしょう。

しかしながら、まだまだ人間関係が疎であったり、せっかく地域を元気にする試みがいろいろあるのにそれが全体のパワーにつながっていないような感じがあります。

従来からの解決方策だと、それぞれの活動をブリッジすることを誰かが考え、実行すれば良いとなります。しかし、細胞生物学を援用すると、もう少し人々の間にゆらぎが起こり、もう一段化学反応が起こる方策を考えることになります。つまり、ソーシャル・キャピタルの水準をもう一段高めるためには、再度人々が興奮するような仕掛けを考える必要があります。

インターネットの普及の初期だったからこそ、新しい時代の予感(直接民主主義的なビジョン)が新鮮で、人々を興奮させたのだと思います。インターネットがこれだけ普及した現在、次にどのような道具で、どのような予感を感じさせれば、人々は興奮してくれるのでしょうか。

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さまざまな活動間の連携が薄い

どんな活動でも、ある時期盛り上がりますが、だんだん退いていくのが一般的です。単に飽きるとかくたびれる場合もあれば、その活動の役割が終わる場合もあると思われます。

札幌エリアの産官学(個人)のネットワークであるNCFの活動も、'96~'97年あたりには、大変盛り上がったようですが、現在では、MLが残っている程度です。それぞれの人たちは、NCFでの体験をベースに新たな活動に向かったり、日常に戻っており、何か必要があると連携しあうという形になっています。

個人的なネットワークは生きていますので、必要があれば相談もするし、助け合うこともあるのですが、平常では、まったく別々に活動しています。これは、当たり前といえば当たり前なのですが、札幌エリアのいろいろな活動がバラバラに行われていて、それが全体としてのパワーに結びついていかないような印象があります。

NPOだけでなく、たとえば、札幌エリアでは、コンサドーレ札幌があり、ユースやファンクラブ、コンサドールズというダンスチームもあります。また、YOSAKOIソーラン祭りもあります。最近では、日本ハムファイターズも札幌を本拠地にしました。

こうしたいずれも札幌エリアを元気にするための仕掛けがあるのですが、これらは、それぞれ頑張っているけれども、ほとんど接点がないのです。

確かに、YOSAKOIソーラン祭りの白い恋人会場(コンサドーレのオフィシャルパートナー石屋製菓)では、コンサドールズが踊りを披露しています。また、日ハムの応援歌「Go!Go!ファイターズ」の踊りをYOSAKOIソーラン祭り組織委員会が振付をし、踊りの指導も請け負っているなどの係わりが生まれています。しかし、そのほかは、ほとんど見当たりません。

本当に関係を持つ必要がないのかもしれませんが、関係を持った方が互いにとってメリットがあるのではないか、と一度考えてみるのも無駄ではないように思います。個人的な印象では、自分たちよりも成功している、元気があるところと組むのを怖がっているような感じも受けます。飲み込まれるのが怖いのでしょうか。相手をよく知ろうともせずに、拒絶するような印象を受けます。

良く分からないのですが、北海道では、競争を嫌い、それぞれの縄張りをそっと守るというような体質があります。少ないパイを取り合わないという暗黙の約束事があるようなのです。そうかといってある分野で独占になるというのではなく、同じようなことをそれぞれ趣味的に(俺のやり方で)やっているのです。競争することで個々に力をつけ、パイを拡大するのではなく、小さなパイをさらに小さく分け合って俺は俺のやり方でやると閉じこもっているのです。

  1. 競争によって互いに磨きをかけあって全体のパイを大きくする。
  2. 競争によって優れたものが勝ち残り、劣るものが消える。
  3. 同じようなことをやっている同士が話し合って共闘する。
  4. 異なることをやっている同士が相乗効果を発揮するように共闘する。

1や2が嫌なら、3や4について考えてみても良いのではないかと思うのですが。

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May 07, 2005

人間がリズムをつくっていない

YOSAKOIソーラン祭りを主催している長谷川岳さんは、名古屋で生まれ育って北大に来ました。その時、ここでは「人間がリズムをつくっていない」と感じたそうです。名古屋では、人のつながりが濃いし、祭りがあり、経済も元気、なのに札幌では、自然がメインで人間は黙々と従っている。土佐のよさこい祭りを見たこともあり、札幌にも祭りが欲しいと思ったと言います。

YOSAKOIソーラン祭りは、毎年6月に開催されますが、長い冬を乗り越えてやっと春がきたご褒美との位置づけとのこと。祭りのために、冬の間準備をする。そうでもしなければ、長い冬を耐え切れずノイローゼになっていただろう、YOSAKOIをはじめたのは、この地で暮らすための長谷川さんなりの生活の知恵であったとのことです。

一方で、開催日が吹雪になっても平気で座ってみている土地の人を見て、その忍耐強さに圧倒された。北海道の人は、タフなのだけれども自分からは仕掛けない、これが暗く見える、人間がメインになれる仕掛けが必要だと思ったのだそうです。

私は、以前、「北海道の次の100年を考える」という調査をしたことがあります。その折、北海道は、アメリカと同様、フロンティアスピリットがあると期待していました。「道産子魂」というのは、それとイコールだと思い、起業家精神旺盛なのだと思ったのです。ところが、そうではなく、小柄で丈夫な農耕馬と同様、黙々と働く意味なのでがっかりしました。

長谷川さんが偉いのは、私のようにがっかりするのではなく、人間がリズムをつくるまちにしたいと動いたことです。

北海道の人は、心の底で本州人を嫌っています。本州資本がやってきて、北海道人を馬のようにこきつかい、利益は皆持っていってしまったという開拓以来の歴史があるからです。だから、本州人が上手い話を持ってきても大変用心深いところがあります。「もう乗せられないぞ」と思っているのです。

北海道はしがらみがなく、外から来た人でも受け入れてくれるので暮らしやすいと見えます。普通に暮らすにはそれでよいのですが、何かしようとすると、よほど誠意や実績を見せないことには、仲間として認めてくれません。私が一人で空回りしたのは、そんな背景もあるのではないかと推察します。

にもかかわらず、本州の人への憧れのようなものもあり、本州の講師を招いて驚くほどの講演会を開催しています。情報に遅れないようにするのは良いことですが、勉強だけして納得している、著名人と名刺交換したことで偉くなったような気がしているところがあります。

悪口はさておき、こうしたことを考えると、本州人である長谷川さんが言い出した祭りが札幌で根付いたことは、大変大きなことです。

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札幌は住みやすいか

前の2つの記事(事例)のように、札幌では、インターネットを使うことを通して出会った人々がインターネットのもたらす可能性(自分たちでまちを変えられる!)に興奮し、さまざまな活動をはじめていますし、そこから派生した市のコールセンター事業を通して行政に参画できるようになっています。

これらの歴史は、まだ数年でしかありませんが、着実に根づいているように見受けられます。NCFの活動や市民電子会議室がなかった場合を考えてみると、情報化によって、確かにソーシャル・キャピタルは増えたと言えるのではないでしょうか。

では、札幌は住みやすいまちでしょうか。既存のデータを使ってちょっと見てみましょう。今回は、全国の13大都市(札幌市、仙台市、さいたま市、千葉市、東京23区、横浜市、名古屋市、大阪市、京都市、神戸市、広島市、北九州市、福岡市)平均と札幌との比較です。

sapporo 図(クリックすると拡大します)のように、人口密度が非常に低く、住宅が広く、空気が澄んでいて、犯罪・火災・交通事故も少なく、市役所職員は良く働き、投票率も高くて意識が高く、医者の数も平均並みで、大変住みやすいことが分かります。

人口でみると、北海道の人口が横ばいから減少傾向にありますが、札幌市は人口が増え続けているのもうなづけます。sapporo

しかし、一方で、生活保護世帯は非常に多く、離婚率も高く、生まれる子供の数も少なく、有効求人倍率も低く、大学進学率も低く、財政的にも弱いというマイナス面もあります。私なりに言い換えると、経済基盤が脆弱で、人sapporo 間関係が希薄という感じです。

実は、このブログを立ち上げた最初の思いは、札幌に対する上記のマイナス・イメージでした。一生懸命人とのつながりを持ちたい、あるいは、一生懸命産業活性化につくしたい・・と思うのですが、空回りしてしまって成果に結びつかないのです。前にも書きましたが、サッポロバレーは、砂のようで、手ですくって団子にしたかと思うと、スゥーット指の間からこぼれ落ちてしまうといった感じなのです。

ところが、「情報化による人と人とのネットワーク化がソーシャル・キャピタル増加につながる」というテーゼを得たので、改めて調べてみたら、既述の通り、かなり素晴らしい実績がありました。テーゼ通りにやっているのに、何故、札幌エリアの弱点は克服されていないのだろう。これが次の疑問です。

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市役所での活用

札幌エリアの情報化の歴史について、情報産業政策と市民生活へのIT活用について述べてきました。これに加えて、札幌市におけるIT活用について紹介しておきたいと思います。

札幌市では、1997年に「札幌市情報化構想」を定めました。その基本コンセプトは、「情報という縁で結ばれた街をつくる」で、双方向コミュニケーションの構築と新たなコミュニティの創出を目指していました。町村合併と都市化で巨大化してきた札幌市にとって、地域コミュニティをどのようにつくるかということが大きな課題として意識されていたようです。

当時、藤沢市がすでに市民電子会議室による市民間、市民と市役所間のコミュニケーションに取り組んでおり、そのノウハウを入れ込んだ電子会議ツールが開発されていました。そこで、札幌市でも、このツールを活用し、1998年から開設に向けての実験(子育てのML)、1999年「政策研究電子会議(社会実験)」を開始し、2000年に札幌市電子会議室「eトークさっぽろ」を本稼動させました。

実験を通して、市民同士、市民と職員のコミュニケーションスキルが高まるとともに、たとえば、子育ての話から税制の問題や産業振興策にも触れなければならなくなるため、縦割りでは対応しきれなくなり、自発的に市役所内の情報交換の場である「@る~む」という会議室も生まれました。

また、「発想庵」という電子コミュニティも生まれました。これは非公開で、職員が問題意識を持った場合に自由につくれるもので、そのテーマに関心のある市民やその道のプロなどを交えてあるテーマについて研究するというものです。たとえば、「さっぽろライフ」という研究会では、本州の幸せと北海道の幸せは違うだろうということで議論し、ライフスタイルブックを編集することに結びついたそうです。

こうして始まった「eトークさっぽろ」では、毎年いくつかのテーマごとに会議室が設けられました。その一つ「札幌市HP編集会議」を例にとると、市民から「使いにくい」、「こういう情報も欲しい」などの苦情や要望が寄せられます。

単に知りたいなら情報を提供すれば終わりですが、「こういうサービスが欲しい」という要望に対し、「サービスを開発して提供する」、「それが具体的に成果として現れる(この場合、HPが変わる)」、「広報からリリースされる」ことを通して、意見を言った人は、満足感や役割感、行政に対する信頼感を感じるようになります。こうした感覚が、新しい改革への期待感、政策への参加意識、新たな課題の発掘につながっていくと思われます。(市役所HPにある5つのインデックスは、この会議室から生まれました。)

電子会議室を通して、職員も市民から生の意見を接することでやる気が出たり、市民の方も、職員が一生懸命なのをみて、単なる苦情を言うスタンスから励ましあう、あるいは前向きの提案をするように変わっていくなどの変化がみられたとのことです。

「eトークさっぽろ」は、2001年度までの事業として一旦終了しています。私自身は、この経緯を体験していないのですが、小さなことでも、自分の意見が政策に反映され、自分たちのまちが暮らしやすくなる体験は、自発的な市民を生み出すうえで(ソーシャル・キャピタルの増加)非常に重要なことと思われます。

ただ、実際には、190万人もの市民に網をかけるのは、難しいかもしれません。前に書いたネットワークの階層性のように、コミュニケーションのための社会的ネットワークは、最大150人までなのではないでしょうか。経験した方の感想でも、やはり、実験段階のコミュニケーションが一番実りある会議であったようです。ここでの興奮を体験した人々は、その後もNPO活動などを積極的になさっているらしいです。

ちなみに、前の記事のNCFとの関係では、NCFのメンバーは、この会議室でもずい分活躍したり、支援したようです。

札幌市では、その後、コールセンター「ちょっとおしえてコール」(民間委託が話題となっています)をCRMの一貫として開設しました。ここでは、単に問い合わせに答えるだけでなく、市民からたくさんの問い合わせがあった内容については、サービスを開発、提供するなど政策に反映する姿勢となっています。

(資料)淺野隆夫「IT活用による地域メディアづくり-自治体がメディアになるということ」『IT社会とこれからのまちづくり』(平成13年度地域活性化フォ-ラム講演録)(財)地域活性化センター、淺野隆夫「電子会議室とWebが作り出す新たな市民メディアの考え方」『都市問題研究』平成14年10月号

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May 06, 2005

渦のようなネットワーク形成

今回は、市民によるIT技術活用の動きについて紹介しましょう。

札幌エリアでは、1984年からパソコン通信が行われていたようです。通信自由化が1985年ですから、かなり早いといえます。1990年には、北海道新聞社が子会社を設立してインターネットの商用サービスを始めました。93年には、札幌医大の先生を中心に、WIDEプロジェクトと共同でインターネットの普及促進が図られました(NORTH)。

当時のNORTHがどちらかというと、線を引くことに重点が置かれていたのに対し、インターネットを活用するという動きも出てきました(最近では、NORTHはシニアのITリテラシー向上を支援しています)。

94~95年に、札幌市の外郭団体である札幌エレクトロニクスセンターが「ハイパー風土記札幌」というプロジェクトを実施したのがそのきっかけです。このプロジェクトは、当時の通産省の補助事業によるもので、郷土の情報をデジタルで保存するとともに、その作成を通じて地域におけるコミュニケーションの促進やIT技術の普及促進を図ることを目的にしていました。

これを制作するにあたって、広く市民に呼びかけ、産官学民から多様な人々が集まりました。制作に携わった約400名の人々は、インターネットを使った共同作業に大変興味を覚え、新しい時代の予感を感じ、事業を超えて人的ネットワークをつくることになりました。これが、ネットワーク・コミュニティ・フォーラム(NCF)'96です。

NCF'96 は、電子メールでの情報交換とオフラインのでのミーティングを中心とし、必要があればテーマごとに店を開く方式で進められたようです。

その結果、誰かが思いついた企画を横のつながりで成し遂げられる面白さ、意思決定から実行までのスピードの速さ、何かやるたびに集まった人々のいろいろな能力が引き出される発見の楽しさなどがメンバーを興奮させました。

官庁や企業などの組織ではなく、さまざまな能力を持つ個人が知り合い、連携すればかなりのことが出来ること、インターネットは、こうしたことがやりやすいことを身体で理解したのです。

NCFでの興奮を体験した人々は、その後、さまざまな活動に散っていきました。たとえば、小中学校にボランティアでインターネット環境を整える身体障害者の人たちのITリテラシーを高めて自立を支援するNPO法人の人たちにIT活用方法を指導する、IT活用を通して付加価値農業に取り組む、市民のためのメディアづくりに取り組む(など)、自然エネルギーを普及するなどなど。

NCF-NPO これらには、NCFメンバーが自ら立ち上げたNPOもあれば、志を同じくするNPOに積極的に参加しているケースも含まれます(図をクリックすると拡大されます)。

また、NCFの有志が「シリコンバレーでは、カフェで起業家とエンジェルがビジネスプランについて話をし、そこで支援が決まる」という話に憧れて、札幌にもこうしたビジネスカフェを作ろうではないかと動き、実際にカフェを作ってしまいました。

ここでは、もちろんカフェとして使えますが、そのほかに、セミナーや講習会、起業家がビジネスプランを発表する会などを開催し、ビジネスマン同士の交流や学生が産業人と交流する場づくりをしています。こうした中から、アジアのIT集積地との交流事業なども生まれました。

NCFの'97年のフォーラムで「渦のような運動を目指す!」とありますが、まさに渦から飛び散った水滴が多様な活動に降り注いでいった感があります。

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札幌エリアに集積する情報産業

前回の記事で地域情報化とは、ソーシャル・キャピタルを増加させるための仕掛けとの理解が進みました。

そこで、札幌エリアの情報化について調べてみました。札幌エリアでは、「情報産業政策」と「市民生活へのIT利用」とが相乗効果を発揮し、かなり成果があがっていることが分かりました。

まず、産業政策からお話しましょう。

北海道は一次産業が主要産業で、公共投資依存の建設業はありますが、製造業の比率が少ないため、新しい産業として情報産業に力を入れてきました。情報産業なら東京などから遠いというハンデを克服できるのではないか(半分正解)という期待もありました。

情報産業に力を入れるようになった背景には、北大工学部の学生たちがマイコンが生まれた70年代後半に、面白がってつくった製品が大手企業に売れ、それをきっかけに起業したという歴史も影響しています。

札幌市では、80年代後半にテクノパークを造成し、当初は、地元の情報産業の企業の集積を図り、ついで、本州の大手企業を誘致しました。それまで、北大を出ても地元に就職先がないため、東京で働いていた人たちが、札幌に仕事先ができるなら戻りたいとUターンしてきました。なかには、北海道に憧れてIターンしてきた人もいました。

北海道の人たちは、できることならゴミゴミした東京などではなく、空気のきれいな北海道で暮らしたいと思っている人が多いのです。このため、大手N社がテクノパークに開発センターを置くと、大手F社の社員も辞めてこちらに転勤してしまうというようなことが起きたそうです。そこで、これでは困ると、F社も開発センターを建てるというように、多くの企業の開発センターが立地することになりました。

ITcluster 札幌エリアには、もともと官公庁の受託などをしてきた汎用系の情報処理企業、北大マイコン研究会から誕生し、そこから派生した企業群、本州企業の開発センター、ゲームソフトなどコンテンツ制作企業、ウェブ制作などインターネット関連企業などが集積しています。これらをシリコンバレーになぞらえて、「サッポロバレー」と呼んでいます(もっと狭い定義にする場合もあり)。(図をクリックすると拡大します)

北海道全体では、情報関連産業の売上高は、3000億円、働く人が1万7000人、うちそれぞれ約8割が札幌市となっています。ともかく、情報産業に従事する人がかなり札幌エリアにはいるということになります。

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