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June 20, 2005

「地域」としての知識創造6-具体化を通して概念が地域のものへ、バイラテラル・マネジメント

小学校の総合学習の例を続けると、次には、それを具体化していかなければなりません。

豆腐づくりの次は、何をやるか、年間のカリキュラムを決めます。

次に、それをやってくれる講師を見つけ出さなければなりません。

さらに、それぞれについて、豆腐づくりであれば、大豆の生産や豆腐の栄養価についての学習準備、学校の家庭科の部屋を使うとして、大豆をどれだけ購入しなければならないか、前もって煮ておく必要がある場合、父兄の誰が下ごしらえをするか、大豆を濾すふきんをどう調達するか。出来た豆腐やおからをどのように処分するか、などなどを決めて準備をしなければなりません。

商品開発の場合、欧米では、設計する人が居て、それぞれの部門が決められた開発を次々と進める方式ですが、日本の場合には、情報冗長性があるので、誰がリーダーではなく、それぞれの部門が重なり合って、互いに連携しながら開発を進めていくことが多く、これが開発のスピードを速めているといいます。

地域での課題解決も、同様に、メンバーが情報を共有していれば、全体のカリキュラムを決める人、ボランティアを頼む人、個々の授業についての準備を進める人が重なり合いながら連携して計画を進め、かりにある部門で問題が生じれば素早く修正をかけられると思われます。

こうして、「子供は地域で育てる」という大きな概念から、「小学校の総合学習カリキュラム」が形になりました。この総合学習カリキュラムの作成と実施を通して、この地域に、この考え方が理解され、他の分野(たとえば、校庭の使い方、公園の使い方など)でも、この概念が敷衍されていくことになると思われます。

そして、公園の使い方を検討するにあたっても、総合学習カリキュラムづくりと実施を通して得られたノウハウが生きてくることになります。

なお、ここで使いました「子供は地域で育てる」というコンセプトは、三鷹市のものです。

野中先生は、以上のような組織的な知識創造のプロセスは、トップダウンマネジメントでもボトムアップマネジメントでもなく、「ミドル・アップダウン・マネジメント」であるといいます。これは、全ての成員が上下左右に働きかけて、組織全体で情報・知識を創り、それを組織全体で実現していくというものです。

総合学習の例でみたように、地域の場合には、もともとトップやボトムがないため、表している内容は同じですが、むしろ「バイラテラル・マネジメント」とでも言ったほうが良いように思われます。

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「地域」としての知識創造5-情報冗長性、多様な視野、正当性

商品開発の場合、異質な個が集まって対話することにより、情報冗長性が生じる(専門領域でない分野についても知識を得る)。これによって、お互いが相手の領域に踏み込み、それまで気がつかなかった問題点が新たに生み出される。

これは、地域で解決すべき課題を検討する場合にも当てはまると思われます。

先の例で言えば、小学校の総合学習をどのようにするかについて、学校の先生や父兄だけでなく地域のさまざまな職業や立場の人が参加していれば、小学校の教育に期待する内容がそれぞれ異なり、多様な視野からの検討が加えられることになります。

たとえば、海外経験の長い商社マンが加わっていれば、世界のなかの日本について考えさせたいと言うでしょうし、年配の人がいれば、農業のように食糧が育つことを理解させたい、あるいは、ものづくりを体験して欲しい、地域の一員であることを意識させたいなどなど。

一方で、危ないことはさせたくない、小学生には無理だ、中途半端に教えると却ってよくないなどの反対意見もあるでしょう。また、誰が教えるのか、費用はどうするのか、場所はどうするのかという問題も出てきます。

こういうなかで、たとえば、「子供は地域で育てる」という考えが生まれ、地域の人にボランティアで先生になってもらおう、そして授業を通して、いろいろな人に感謝する心を持つようにしようという大枠が決まってきます。

その後、具体化させるにあたって、ソバ屋が先生になり、ソバ打ち体験をしようとなる。でもただソバを打つだけでは学習にならないので、ソバが育つまでを自習してはどうかと教師が意見を言う。ところが栄養士から、ソバアレルギーの子供がいるかもしれないというアドバイスが出て、豆腐作りに変更になる・・といった具合だ。

また、学校に部外者が入って事件がおきている今日、父兄ではない地域の人にどこまで門戸を広げるのかといった問題をクリアする必要があります。この場合、「子供は地域で育てる」という考え方を地域で共有する(正当化する)ことが大切です。

企業の場合には、社長だが、総合学習の場合には、校長、教育委員会、市長や議会などでの公認が必要になってくると思われます(地域によって、誰がリーダーシップを発揮するか異なるでしょう)。

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「地域」としての知識創造4-異質なメンバー

野中先生が企業組織の知識創造について整理した10の命題について、組織を「地域」に読み替えて考えてきましたが、余りにも抽象的な話になってしまうので、命題3までで辞めることにします。

個人の知識創造が組織の知識創造になることについて、具体例を挙げて説明している箇所を読みながら、重要と思われるポイントについて抜書きしていくことにします。

まず、個人の知識創造を集団の知識創造にするためには、対話をするための場が必要でしたが、そこに集まる個人が異質な方が良いと書かれています。異質な個人の集まりだと、視点の移動が活性化され、互いに刺激しあう度合いが高いからとのこと。

企業の商品開発の場合には、開発担当者だけでなく、生産、販売、マーケティングなどの部門からなるプロジェクトチームを作るのが良いといった具体です。

地域の場合には、たとえば、小学校の総合学習を考えるにあたっては、学校の先生や父兄だけでなく、商店街の人や市役所の人、NPOの人などが参加したほうが良いということになります。

商品開発チームの例では、メンバーは10~30人くらいとのことです。これも、地域の課題解決にあたっても、コアメンバーはこのくらいが妥当なのでしょう。ロス・メイフィールドさんの3つのネットワークの類型でも、創造的ネットワークの大きさは最大12とされていました。

日本では、商品開発にあたってよく合宿が行われ、夜なべで議論されることが多いです。地域でも、役所の会議室などで時間を区切って議論するのではなく、夜まで談義ができる設定が必要といえましょう。

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June 14, 2005

「地域」としての知識創造3-場と対話

フェーズ2:集団レベルの知識創造

命題3:集団という場の設定は、創造的対話を通じて、集団成員間の暗黙知の共有を促進し、集団レベルの概念を創造する契機となる。

ここでは、個人的な知識創造が集団レベルの知識創造になることを考えます。

しかし、その前に、そもそも個人の知識創造の多くは、まったく孤立したなかで行われるのではなく、本来、他者と相互作用しながらなされていくものとここでは考えます(デカルトなどの合理論では純粋な知識=真理があるとしていますが)。

個人の知識である暗黙知を集団が共有するには、まず、個人間の相互作用の場を設定することが基本です。

個々人の暗黙知を概念化するうえで重要なのが対話で、対話を通して、個々人の暗黙知(パースペクティブ)は互いに葛藤し、相対化され、時に収束していきます。

  • パースペクティブというのは、遠近法や遠視画法などという意味です。野中先生は、このことばを認知的技能としており、物事を真なる関係ないし相対的な重要性の点でみる能力と定義づけています。図と地の配置と観点とも言っています。さらに「認識における本質抽出(比較)と観点(視点/次元)創造の能力を含む概念」ととらえたいとしています。・・・個人のものの捉え方といったような意味でしょうか。

集団での対話は、個々人の様々なパースペクティブを取り込み、自らのパースペクティブが全体のなかでどのようなものなのかと認識させることにつながります。個々人の暗黙知の認識は、他人の暗黙知との対比において、はじめて自覚的な顕在化を志向します。こうして、互いのパースペクティブの共有、そしてそこから新たなパースペクティブが創造されます。

創造的対話が行われやすい場(①決め付けるのではなく、修正や否定が可能である。②上下関係にかかわりなく自由に意見が言える。③否定のための否定をしない。④対話に時間的連続性がある-対話がスパイラルに進展し、肯定・否定・止揚のプロセスが反復される。)を生み出し、維持するうえで、リーダーシップ機能が重要です。

リーダーは、時に「図」となり自己のアイデアを強調するが、時に「地」となってメンバーのアイデアを際立たせ、その過程でもっとも有望な概念を収斂させていく。そして、議論のための議論に終わらないよう、言語(概念化)する役割を果たします。

概念化、すなわち情報創造プロセスは、メタファー、アナロジー、モデルという形の意味情報から形式情報への変換が行われていくプロセスのことで、このプロセスにおける概念生成の方法論には、①演繹法、②帰納法、③発想法があり、特に③が重要と言います。

発想法(アブダクション)は、仮説からはじまるようです。仮説の本質は比較にあり、類似性がさらなる類似の可能性を提示していく推論の形式を発想法というとのこと。演繹と帰納がタテ関係の推論であるのに対し、類推はヨコ関係に広がる推論であり、その基本がメタファーとのことです。

概念化や発想法は面白いのでメモりましたが、これはさておき、個人の暗黙知を集団の共有にしていくためには、次のことが必要ということになります。

  1. 場を設ける←対話するため。
  2. 対話をする←互いのパースペクティブを相対化するなかでそれを共有するとともに新しいパースペクティブを生み出す。
  3. リーダーが必要である←対話を上手く進める。
  4. 対話から生まれたものを概念化する←意味情報から形式情報へ。

これを地域にあてはめるとどうでしょうか。ある課題について、フランクに話し合える場を設け、それをしきれるリーダーがいることが最低限必要となります。

これまでの流れからいえば、市役所内、あるいはテーマごとに市役所のメンバーと市民が必要に応じてさまざまな場を設けて対話する訓練ができていることが重要と思われます。それは、市町村合併問題のような大仰なことだけでなく、たぶん公園の使い方、子供達の下校の方法、市民サッカークラブの運営、商店街活性化などなど、そうした日常的な問題への取り組みが重層的に行われていることが地域集団の知識創造のインフラとして重要と言えるのではないでしょうか。

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June 13, 2005

「地域」としての知識創造2-ゆらぎ、触発

命題2:ゆらぎないしカオスの創発は、組織成員の原点遡及的な学習への誘因と情報・知識創造の可能性を生み出す。

命題2’:ゆらぎないしカオスの創発は、地域成員の原点遡及的な学習への誘因と情報・知識創造の可能性を生み出す。

地域の人々が思考しはじめるのは、阪神大震災のような災害に見舞われたとき、あるいは税制改革で財源が大幅縮小したとき、合併問題が生じたときなどなど地域の存亡に係わる大きな問題に当面したときというのが分かりやすい。

しかし、三鷹市の場合、SOHOタウンを目指したり、市民が市の長期計画を策定したなどで著名だが、大きな事件があったわけではなく、職員の自発的勉強会からスタートしている。「サラリーマンが住むベットタウンで、地域に産業が無い」「現在は税収が安定しているが定年を迎えたら財政が困窮する」という問題意識から始まった。

そのゆらぎをもたらしたのは、大学の先生の講演会であったのかもしれないし、NTTのINSの実験(各家庭の声を直接聞く経験)だったのかもしれない。あるいは、何かの本を読んだ一職員が感動し、彼のリーダーシップに皆がついていったのかもしれない。

いずれにせよ、現在の問題を解決するためというよりも、何かに触発され、より良い地域を実現したいという思いからスタートすることもある。問題は、そうした感度を持つ人が居る、それを具体的な動きにしていくだけの仲間やリーダーシップを持った人間が居るということだろう。・・・これは、ソーシャル・キャピタルの一つかもしれない。

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June 12, 2005

ユートピアかもしれない日本の田舎

東京財団では、市区町村職員の研修プログラムを実施しています。

HPによると、「問題発見と解決の手法を勉強する」らしい。現在第二回目が実施されているのですが、それに参加している人の話で面白かったことをメモっておきます。

最初にアメリカ人の先生から「問題発見と解決手法」を学ぶらしいのですが、その時、参加している複数の人が当惑したというのです。

というのは、自分達の自治体には、ことさら問題がないというのです。もちろん現在三位一体改革が実施されていますから、お金がないのは確かですが。参加者は、一生懸命問題を発見しようとしたとのことですが、重箱の隅をつついた話になってしまうそうです。

そのうち、彼らは、問題発見からではなく、こういう町にしたい、こういう暮らしがしたい、というビジョンから発想すべきなのではないかという考えにたどり着きました。そのビジョンを実現するには、もちろんいろいろな課題があるわけで、その課題を解決するためにどうしたらよいかについて考えたらよいのではないかと考えたのです。

私に話をしてくれた人の町では、地域通貨を実施したり、最近では地域リーダーの育成に取り組んでいます。こうした事業をやった折にも、問題(マイナス点)があったからはじめたのではなく、もっとこうしたら町がよくなる、もっとこうしたら楽しくなる・・という役場の若手のプラス発想からはじまったと言います。

彼は、研修がはじまってから2ヶ月くらい、問題を発見できないことにずっと悩んでいたそうです。ようやく、ビジョンから発想すべきではないかという解を得て、すっきりしたとのこと。

イギリスなどでは、財政が破綻し、小さな政府にしたために、教育や福祉にお金が回らなくなり、見るに見かねてNPOなどが登場してきたわけです。しかし、今現在、日本の自治体は、まだまだ目に見える形で困ったことは起きていないわけです。

もちろん近い将来、財政改革や高齢化が進展し、日本の自治体もこうしたことに当面するのだと思いますが、現在の問題点を探せといわれると「無い」というのは事実なのでしょう。ある意味、これまでの全国あまねく平等にという国の政策は行き着くところまでいって、とくに地方(田舎)は、もしかしたら理想の地域が実現しているのかもしれません(同じ地方でも大都市は問題を抱えていると思いますが)。

アメリカ人の先生が「現在の問題点を探せ」と言ったのか、それとも「将来起きるであろう課題も含めて探せ」と言ったのか、本当のところは分かりません。

もし前者であれば、日米では自治体の現状がずい分違うということになります。もし現状が違うなら、マイナス点を改善するという発想ではなく、プラス思考で課題に取り組むという姿勢はとても大切です。アメリカやイギリスのやり方を鵜呑みにすると日本の実情と合わないことになります。

逆に後者であれば、日本の自治体職員は、現状に甘んじ将来に向けて危機意識がない(視点が狭い)ということになります。

彼らは、7月からポートランドに研修に行きます。自治体職員の目で日米の自治体を比べ、上記の発見が本当のところどうだったのか、報告してもらうのが楽しみです。

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June 11, 2005

「地域」としての知識創造1-成員個人の思いと自律性

それでは、いよいよ、「組織としての知識創造」の組織を地域に置き換えて考えていくことにしたいと思います。それにあたって、6月6日に列挙した命題10について一つづつ検討して行くことにします。

まずは、フェーズ1:個人レベルの知識創造の命題1と2です。

命題1:組織的知識創造の源泉は組織内の個人的知識創造であり、その個人的な知識創造は組織成員の意図(思い)と与えられる自律性とによって促進される。

命題1’:地域的知識創造の源泉は地域内の個人的知識創造であり、その個人的な知識創造は地域成員の意図(思い)と与えられる自律性とによって促進される。

ここで「地域」といった場合、具体的に何を指すのかが問題です。地域は、さまざまなものの集合体です。たとえば、行政(地方自治体)、議会、市民(企業、商店街、業界団体、NPO、個人などなど)という見方ができます。

地方自治体(市役所、町役場)の場合、命題1にみるように、成員の思いや自律性が発揮できる組織であるかどうかが鍵のようです。いわば、エクセレント・カンパニーのような組織です。

たとえば、良い結果をもたらす試みであれば失敗を恐れずにやることが許されるといった自治体文化があり、思いのある職員がかなり自主的に企業家精神を発揮できるような組織です。

上手く行っている自治体の場合、首長がそうした試みに反対する保守派に対し、ある程度の防波堤になってくれている。そして、市民がそうした試みを支援し、議会もそれに賛成するといったような体制が取れていることが多いです。

思いのある職員が自治体のなかだけでなく、市民をも上手く巻き込み、地域全体の支援をとりつける。あるいは、逆に、市民の間にあるニーズを自治体職員が汲み上げ、それを行政に活かすということもあります。

自治体の職員は、小学生の父親であったり、地元サッカークラブのメンバーであったりします。そうしたいろいろなサークルが重なり合うことで情報が上手く行き来しているようです。

地方自治体ではなく、商店街や任意の集まりが主体となって知識を創造することもあると思いますが、その場合には、基本的に個人は自由なので、思いのある個人が自律的に動くのは言うまでもないということになります。

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ヒューリスティック

職人(熟練)の凄さは、単に上手に加工できるということだけではなく、新しい課題が生じた時に、これまでの経験から類推して、それを乗り越える方法を見出せることです。

コンピュータが発達し、何でもやってくれると思いがちですが、コンピュータは、決められた処理しかやれません。新しい素材や新しい形状を加工するには、人間が試行錯誤しながら手がけるしかないのです。

コンピュータが新しい問題を解く場合、一連の規則的手続きに従って、しらみつぶしに当たって解決や結論を出すのに対し、熟練した職人の場合、最適な加工方法がひらめいて、試行錯誤するにせよ、格段に早く解を見つけ出すことが可能です。

これは、「発見法的推論=ヒューリスティック(heuristic)」と呼ばれるもののようです。

野中先生の本から抜書きすると「ヒューリスティックとは、現在与えられている認識のパターンから、仮説的にある種の予想を立てて、その予想に従って探索的施行を遂行して、その結果を『望ましさ』の尺度で評価すること。全ての可能な経路をしらみつぶしに探索するのではなく、その問題領域に即して、何らかの『発見法的探索』が行われる」とあります。

・・・と分かった気でいたのですが、ネット検索してみますと、私が「コンピュータ対職人」と記述したことは間違っているようです。私がコンピュータとしたことは「アルゴリズム」による探索のことで、ヒューリスティックな探索をするコンピュータもあるらしい(前述の野中先生の本から抜書きした文章も、よく読むと、サイモンらがそういう人工知能をコンピュータ上に実現した話のなかに書かれていました)。

そうなると、「コンピュータ対職人」ではなく、「アルゴリズム対ヒューリスティック」ということになります。また、ヒューリスティックとは、職人(熟練)に限らず、人間が経験に基づいて判断する仕方を指すようです。では、ヒューリスティックで発見する解が熟練者のほうが未熟練な人より正解に近いのでしょうか、残念ながら、このことについて書かれたものにはまだ出会っていません。

ということで、ここはお預け。

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ところで、もう一つメモっておきたいことがあります。

師が弟子に暗黙知を伝える場合、メタファーを使うことがあります。たとえば、例のヘリゲルに師が弓の射方を教えるにあたって「的を射ろうと焦るのではなく、葉から雪が落ちるようになるまで待て」といったようなことを言います。

よく分からないのですが、ある程度の水準に到った職人は、自分の課題の解を探すに当って、自分でメタファーを見つけ出すような気がします。ニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て万有引力の法則を発見したというのが本当かどうか知りませんが、ある程度まで突き詰めて考えていると、ひょっと見た何かなどからヒントが湧いて、解の糸口が見付かる、もやもやとしていたものが見えてくるという経験は誰しも持っているのではないでしょうか。

SECIモデルでは、メタファーなどによって暗黙知が分節化され形式知になり、それがまた内面化されて暗黙知が高まると言いますが、一人の人間のなかで、形式知を経由せずに暗黙知のレベルを高めることができるように思います。

職人は、他の人との対話をしながら視点を変えて問題を別の角度から見るのではなく、自分一人で、視点を変えて考えることが出来る人なのではないでしょうか。あるいは、一人ではなく、たとえば加工する対象物と対話しているのかもしれません。

職人が凄いのは、たとえば、300年前に作られた茶碗とか箱とかと対話できることです。先人の見事な細工物を見て、その先人の力量を理解し、何故そのような加工を施したのか、どのように加工したのかを類推し、学ぶことができます。

新しい加工対象が目の前に現れたとき、職人はこれまでの経験(追加的に知識を得ることもあると思います)を踏まえ、加工物と対話し、もっとも望ましい加工方法をおそらくヒューリスティックに見つけ出す。その場合に使われる知識のデータベースは、加工に関することだけではなく、葉から雪が落ちることだったり、リンゴが木から落ちることも含んでいるのだろうと思います。角度を変えてものごとを見直すというのは、加工のデータベースだけでなく、たとえば景色のデータベースを探ることなのかもしれません。

以上は、まだ思いつきの段階の話です。

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June 09, 2005

暗黙知の獲得2

関満博さんとの共編『モノづくりと日本産業の未来』では、第二章「職人の実態」を書かせてもらいました。そこに、職人の三条件を挙げました。

  • 職人とは、訓練の積み重ねによって、モノづくりに必要な技能(いわゆる手技、腕)を備えた人のことである。

  • この技能とは、単なる運動能力を挿すのではない。素材のこと、道具のこと、モノづくりの全過程のこと、さらにその製品の使われ方など、自らの仕事に対して統合的な知識を持っていて、ときとところに応じた判断ができ、その判断に基づいて具体的に身体を動かすことができることを挿している。

  • そのうえ職人は、新しい課題が生じた時に、これまでの経験から類推して、それを乗り越える方法を見出すことができる。

この三条件は、私が職人についていろいろ勉強するなかで抽出したものです。しかし、それぞれについて根拠のようなものがあったわけではありません。

たとえば、「訓練の積み重ねでモノづくりに必要な技能が備わるのはどうしてなのだろう」、「なぜ新しい課題が生じた時に、これまでの経験から類推することができるのだろう」と思いましたが答えを得られていなかったのです。

しかし、その後、前者については、鈴木良次『手のなかの脳』、第三章「手の技能は学習によって獲得される」を読んで分かったような気がしました。後者については、野中先生がサイモンの研究について説明するなかで、「発見法的推論=ヒューリスティック」について触れており、これも分かったような気がしました。以下では、これについて紹介します。

あかちゃんがおもちゃに手を届かせる場合、制御対象(あかちゃんの手)、コントローラ(脳の運動野)、センサー(目)、比較器(脳の連合野)、目標(おもちゃまで手を届かせる)と考えます。

おもちゃに手を届かせるという動作は、脳のなかでは、最適な軌道の計画、逆キネマティクスの計算(手先の位置から関節の角度を求める)、逆ダイナミクスの計算を行って必要なトルクを計算し(関節を目標どおりに回転させるに必要な回転力を計算する)、求められたトルク(筋肉への収縮指令)を脊髄の運動ニューロンに送り、運動の制御を行っている。

最初は上手くいかず、届かなかったり、行き過ぎたりしてやり方を修正します(フィードバック制御)。この場合、誤差がなくなるまで、制御信号を修正するのですが、センサーから比較器まで信号が戻るまでに時間がかかるため、あかちゃんの動きはぎこちないものになります。

ところが、大人になるとこの動作をスムーズに行うことができるようになります。フィードバック制御に頼って動かしていた手の動作と相似の仕組みが小脳のなかにできて、あとはそれを使ってあたかもフィードバック制御を行ったかのようにして運動指令が行われるからとのこと。

フィードバック制御を使った動作は、結果をみてやり方を修正するのに対し、結果がどうであれ、とにかくあらかじめ決めたとおりに動かしてしまうという制御方法をフィードフォワード制御というそうです。これによると、フィードバック制御に比べ時間的な遅れが少ない。

実際には、手の動きを脳に伝えるフィードバック信号は、目だけでなく、筋肉内のセンサー、皮膚感覚を通しても送られている。誤差の修正はこれらからの情報も使われているとみられています。

手を使うと脳が発達し、脳が発達すると熟練が高まるという関係がなんか分かった気がします。

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June 08, 2005

暗黙知の獲得

暗黙知は、SECIモデルのように、一旦形式知化されてから内面化されることによって、レベルを高めるだけでなく、暗黙知のままレベルを高めることがあると思います。

その一つは、野中先生の言葉では「共同」と呼ばれるもので、寝起きを共にしながら、観察、模倣、師の生徒へのコーチングなどを通じて長期的に伝授していくとされています。

最近では、職人の世界でも、座学(形式知を教える:図面化する、素材について学ぶ)が併用されています。しかし、宮大工の小川三夫さんによれば、カリキュラムにそって順番に教え込むと最初の覚え方は早いが途中で止まってしまう。むしろ、ある程度やらせておいて、問題意識が出たところで教えたほうがその後の伸びが速いと言います。

棟梁が兄弟子などと話しているのを聞いていて、耳がピクッと動いたときが教え時であるとのことです(問題意識が出来たので聞き耳を立てるようになる)。

昔の職人の世界は、たとえば掃除が1年続くので、早く仕事を覚えたくてジリジリする、あるいは、刃物を研がせて、親方が研いたのと見せ比べ、未熟さを知らしめるというようなことをやりました。このため、早く上手くなりたい、どうしたら上手くやれるかなどの問題意識が生まれたのです。ポラニーが言うように個人の主体的関与、「思い」があってこそ知識を獲得できるわけです。

しかし、教わったからすぐに出来るというわけではありません。なかでも、暗黙知の場合には、やってみせる、型をなぞらせる、喩えで話すといった教え方になりますから、教わったことをすぐに理解し体得するわけには行きません。

有名なオイゲン・ヘリゲル『弓と禅』は、ドイツの哲学者が弓道の奥義を究める過程を記したものです。形式知から入ろうとするヘリゲルが師の暗黙知的な教えを体得しようともがき苦しむ。

その結果、彼が掴んだのは「弓と矢と的と私とが互いに内面的に絡み合っているので、もはや私はこれを分離することができません」といったものでした。自分が的を狙っているのではなく「それ」が的を狙い当てるという感覚(弓・矢がひとりでに動いていく)とのこと。

ポラニーが「ある物事を暗黙知の近接項として機能させるときには、我々はそれを身体の内部に統合し・・・その物事のなかに潜入することになる(内面化、住み込み)。このことによって、心と身体、理性と経験、主体と客体、知るものと知られるものという伝統的な二分法は崩壊する。・・・科学は我々の全人的な関与と暗黙的な方法によって知識を生み出そうとする個人の意図的努力の結果なのだ」と言っていることと(おそらく)同じなのだろうと思われます。

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暗黙知とは

知識創造の元になる暗黙知についてちょっと考えてみたいと思います。

野中先生の本では、まず、①客観的知識と②主観的知識に分けています。

1.客観的知識(形式知)

認識論(エピステモロジー)や知識論(セオリー・オブ・ノリッジ)では、①知識の性質(人間の知識とは何か)、②知識の起源、③知識の信頼性などについての議論が展開されてきたとのことです。認識論は、「確実な知識」を確立することを目指し、その方法には、①演繹的正当化主義(合理論)と②経験的基礎づけ主義(経験論)の2つのアプローチがあるそうです。・・・ここは単なる紹介です。

2.主観的知識(暗黙知)

客観的知識の追求は、言語化された知識(命題)を問題にしてきました。しかし、命題の形で表現できる知識はわずかでしかありません。マイケル・ポラニーは、暗黙的知識について最初に?取り上げた人です。

ポラニーは、人間が新たな知識を獲得できるのは、経験を能動的に形成、統合するという個人の主体的な関与によってであるとしました。

知識とは、主体と対象を明確に分離して、主体が外在的に対象を分析することから生まれるのではなく、個人が現実と四つに組む自己投入(コミットメント)から生み出されるとしました。

暗黙的知識は、語ることができる分節化された明示的知識を支える語れない部分に関する知識で、この個人的な知こそ、自らが経験を能動的に統合していく場合には、明示知を生み、これに意味を与え、これの使用を制御するとのことです。

ポラニーによれば、暗黙知から知識が生まれる仕方は、次のようなものです。彼は、①近接項から②遠隔項への転移に注目しました。

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たとえば、顔の諸部分から顔全体へと注目する場合、顔が遠隔項(焦点)、諸部分が近接項(細目)で、近接項が暗黙知にあたる。細目は、ただ従属的にのみ意識されているに過ぎず、語ることのできない知識にとどまる。それにもかかわらず、暗黙的に働く従属的意識こそ細目から意味のある全体への認識の条件となる。直観のひらめきは、新たなパターン認識への方向づけに役立つ従属的意識からほとばしり出るのである。

この場合、ある物事を暗黙知の近接項として機能させるときには、我々はそれを身体の内部に統合し、あるいはそれを包含しうるように身体を拡大し、その物事のなかに潜入することにになる。このことをポラニーは、「内面化」(一般的には「住み込み」)と呼んでいる。

このことによって、心と身体、理性と経験、主体と客体、知るものと知られるものという伝統的な二分法は崩壊する。・・・科学は客観性の諸原理に基づいて知識を生み出すということよりは、我々の全人的な関与と暗黙的な方法によって知識を生み出そうとする個人の意図的努力の結果なのだ(創造の哲学)。

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野中先生は、実際には、直観(総合)と理性(分析)は、相互作用をしながら、人間の知識を創造していくと考えるのが妥当であろうとして、例の4象限に向います。

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June 06, 2005

組織としての知識創造

これまで述べてきたことは、知識が個人の認識プロセスのなかでどう生成されていくかということでした。これ以降は、個人の集合としての集団、集団の集合としての組織という多層レベルにわたる全体としての知識創造を扱います。

この本では、組織的知識創造のモデルを3つのフェーズに分けるとともに、10の命題が挙げられています。詳しい説明を飛ばし、命題の列挙とそれに関連する説明でポイントと思われる箇所を抜書きします。

フェーズ1:個人レベルの知識創造

  • 命題1:組織的知識創造の源泉は組織内の個人的知識創造であり、その個人的な知識創造は組織成員の意図(思い)と与えられる自律性とによって促進される。
    ・組織は知識を自ら創ることはできない。知識は組織を構成する個人が主体的につくり出すのであり、組織は個人の知識創造を支援する状況ないし文脈を創造ないし演出するのである。

  • 命題2:ゆらぎないしカオスの創発は、組織成員の原点遡及的な学習への誘因と情報・知識創造の可能性を生み出す。
    ・我々は、日常性の中断や矛盾に直面したときに本質的な思考をするきっかけを持つ。既存の前提を問い直し新たな前提(パラダイム、スキーマ、パースペクティブなど)をつくり出す。

フェーズ2:集団レベルの知識創造

  • 命題3:集団という場の設定は、創造的対話を通じて、集団成員間の暗黙知の共有を促進し、集団レベルの概念を創造する契機となる。
    ・暗黙知の共有を促進するためには、まず個人間の相互作用の場を設定することが基本である。
    ・コミュニケーションは、時系列的な情報のやり取りからは形成されない。コミュニケーションには、同時性のある共有行為の起こる場の発生が伴う。一瞬にして体を伝わる波としてコミュニケーションが成立している。

  • 命題4:集団レベルの概念創造を通じて、個人的知識は組織的知識創造へ向って増幅される。

フェーズ3:組織レベルの知識創造

  • 命題5:組織的知識創造の不可逆性、活性化、組織の信頼とセルフ・コントロールは、情報冗長性に依存する。
    ・個と個の間で余剰の情報が共有されたとき、総合の相手の思いを感知しあい、暗黙知の共有が促進される。このとき、一方の個は他方の個の領域に踏み込んで、問題点を指摘することが可能になる。
    ・それは、異なるバックグラウンドを持ち、異なった視点を持つ別の個からの指摘であり、それまで認識できなかった問題点が新たに生成されることが多い。
    ・情報冗長性は、組織成員がそれぞれの領域を侵しあい、問題点を生成させながら学んでいくことを可能にする。
    ・情報が共有されている場合には、すべての個が問題を提案することができ、リーダーとなりえる。組織は、一方でヒエラルキー(階層構造)の側面を持ちながら、他方ではヘテラルキー(非階層構造)の側面を持つといえる。

  • 命題6:組織的知識創造の効率は、最小有効多様性に依存する。
    ・情報冗長性は組織的知の創造の潜在性を有してはいるが、他方において情報処理の負荷を著しく増大させる。このバランスをいかに確保するかが課題となる。
    ・重要な方法論の一つは、鍵になる情報・知識の保有者は誰でどこにいるのかということである。組織が情報創造を効率的に行うためには、既存の情報・知識にすぐにアクセスできる必要がある。
    ・組織の成員間に最小有効な連結をつけることが必要である(一例は、ハイパーキューブとよばれる組織構造)。

  • 命題7:組織的知識は、組織に先行的に共有されている価値観(企業文化)によって正当化される。

  • 命題8:組織はゆるやかな意味ネットワークの生成によって、成員の知識を組織的知識に体系化する。その体系化のあり方は戦略的問題であり、それにより資源配分が展開される。
    ・以上のプロセスを通じて、個人の暗黙知に端を発する知識創造は最終的に形式によって表現されるようになる。しかし、それはさらに一つの形として結晶化されなければならない。また、形式知として結晶化する過程は、経験を積み上げて内面化していく過程であり、そうした内面化を通じて人間は新たな暗黙知を獲得していく。
    ・新しく得られた概念は、既存の企業理念、事業、製品、技術などの概念と関係づけられ、意味のある概念体系を生成していく。こうした関係づけのあり方、したがって組織の概念体系の組み方は、まさに組織の戦略的側面である。それによって、概念の結びつきが決定され、資源配分の重点があきらかになる。

  • 命題9:組織的知識は知識創造の一回的産物ではなくて、再び新しい組織的知識創造の起源になる。すなわち、組織における形式知と暗黙知は上向的な相互循環・補完関係を持つ。
    ・「知識は頭の中だけでなく、外界(もの、他者、状況など)にも存在する」(ノーマン)
    ・市場における顧客との相互作用から獲得される知識は、主として解釈された情報であり、このような情報は企業の創造した概念のフィードバックとして、また企業が概念を創造する前段階の市場調査などを通じて獲得されるものである。企業の意味ネットワークは、企業内の知識と外界との知識の相互作用を通じてその内包と外延を広げていく。

  • 命題10:組織的知識の真理性は、組織の指導者ならびに成員の志の高さに依存する。

よく理解していない私が、抜書きしているので、このブログを読んだ方には、チンプンカンプンかもしれません(済みません)。ご興味を覚えた方は、この本を直接読まれることをお薦めします。後半には、キャノンや松下などの製品開発の事例が載っていますので、上記命題について具体的に理解が進むと思われます。

この本は、1990年が第一版ですので、それからもう10年以上経っています。この考え方に触発されていろいろな研究者が事例を増やしたり、理論を深めていると思いますので、現在では、修正されている箇所もあるのかもしれません。学会の外にいると、こうした情報を暗黙には手に入れなれないというもどかしさがあります。

私は、この本が出た頃に職人の役割について勉強しており、例の四象限の分類について大変興味を覚えました。日本では、職人の育て方は、暗黙知から暗黙知へという共有のみでしたが、ヨーロッパでは、共有と分節化(図面化、学校で教える)を合わせて使っていました。どちらが良いのか考えていたからです。

しかし、野中先生の関心が大企業の組織であり、当時大企業が嫌いで、フレキシブルなネットワーク化に興味があったため、それ以上深く勉強しませんでした。ところが、現在、地域の情報化を勉強するにあたって、組織論を勉強するなかで、もう一度この本を読み直してみましたら、ここには、すでに「場」の重要性についても触れられていました。

また、当時、職人がどのように知識を自分のものにするのかに関心があったのですが、この本には、個人のなかで知が生まれる過程についても、過去の学説も含め、触れられていました。実は、職人を勉強したあと、行き詰まってしまい、この研究の続きを棚上げしていたのですが、早く勉強していれば、違った展開をすることが出来たように思います。

また、その後、産業集積について勉強するなかで、伊丹先生の場の本を読んでも今ひとつピンときませんでしたが、この本を勉強していたら、読み方が違ったかもしれません。「大企業の話だ」と決め付けて真摯に勉強しなかったことを悔いています。

というわけで、紹介ばかりで恐縮ですが、勉強ノートを作成中です。これを地域に応用することをこれから考えて行きます。

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知識と情報

野中先生は、知識と情報を次のように考えているようです。

  • 情報とは人間の「知」のフローとしての形態を指し、他方、知識とはそのストック形態を指す。
  • 情報はメッセージないし意味のフローであり、知識をゆらがせ、再構成し、変革していく。逆に知識は情報フローから生み出される体系化された情報ストックである。
  • 情報は、暗黙知を明示化、さらに形式化するときに必要な媒体ないし原材料であり、情報創造とは、メタファー→アナロジー→モデルという暗黙知と明示知の相互作用を促進するプロセスそのものと考えられる。
  • 情報には、①意味的側面と②形式的側面がある。メタファーは、最も豊かな意味情報といえる。これに対し、モデルは、形式情報といえる。
  • 組織にとって、「驚き」を与え、それによって解釈の次元を提供するような意味の創造は、人間同士の対話からもたらされることが多い。
  • それゆえ、組織における継続的な情報の創造を促進するためには、人的相互作用のなかで概念の関係やネットワークが柔軟に廃棄あるいは再構築されていく必要がある。
  • 組織は、有効な情報創造のために、冗長性(リダンダンシー)や不安定性(ゆらぎ、カオス、ノイズなど)を必要とすることを意味する。

田舎TVのおばあさんの例から暗黙知と形式知、分節化と内面化についての話をはじめたわけですので、これにちょっと当てはめて考えてみたいと思います。

おばあさんが暗黙知として持っている田舎の普通の暮らしの知識。これをインターネットTVで紹介することを通して明示化する。それを見て、都会の人や村の若者が感心、評価する。これは、たぶん都会の人にも刺激(驚き)を与え、彼らの暗黙知の形式知化が起こったと思いますが、一方でおばあちゃんの方も、これまでなんでもないと思ってきた暮らしぶりを評価されることは驚きであり、自分の暗黙知を見直す(内面化する)ことになったと思われます。

この事例では、TVに写すことが言語化にあたると思われます。メタファー→アナロジー→モデルという経緯ではなく、いつもの生活をTVに写すという作業を通して、編集しなおすことが形式知化であり、これは、形式知化の方法としては言語化するよりも手軽かもしれません。

野中先生が知識と分けて述べている「情報」は、この事例では、都会の人からの「評価」ということになると思われます。田舎の人と都会の人がネットTVを通して出会えることが知識創造を刺激することになったと言えるでしょう。

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SECIモデル(暗黙知と形式知の相互作用)

知の創造の種類として有名な四象限があります。

  1. 共同:暗黙知→暗黙知(Socialization)
    ・職人が職人芸を移転する場合。
    ・記述できないいままに起居を共にしながら観察、模倣、師の生徒へのコーチングなどを通じて長期的に伝播。
    ・相互作用として知を共に作るというよりは、一方から他方へ知を移転する側面が強い。
  2. 分節化:暗黙知→形式知(Externalization
    ・メタファー→アナロジー→モデルといった過程を通して暗黙知が形式知化される。
  3. 連結:形式知を組み合わせて新たな知を創る(Combination
    ・形式知を分類する、加える、組み合わせる、カテゴライズするなどして新しい知識を創る。
    ・コンピュータが得意とする分野である。学校教育で行われる知識創造は、この方法によることが多い。
  4. 内面化:形式知→暗黙知(Internalization
    ・形式知となった言語の意味を理解し、実践することを通して新たな暗黙知を築きあげる。

暗黙知と形式知は、相互作用によって知をスパイラルに創造していきます。これを四象限の英語の頭文字を取って「SECIモデル(セキ・モデル)」と呼んでいます。

暗黙知と形式知は長期記憶に保存されており、分節化、内面化という概念化プロセスは、短期記憶(作動記憶)に相当すると考えられます。概念化プロセスは、長期記憶に蓄積されている知識を活性化させる情報創造の過程であり、長期記憶は、概念化を契機として活性化して利用される知識の倉庫とみなされます。

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暗黙知から形式知への変換プロセス

この本では、従来の組織理論を概観し、これらは、①人間の諸能力の限界に注目、②人間を情報処理者とみなす、③環境の変化に対する組織の受動的な適応を重視しているとし、そうではなく、①人間の可能性や創造性に注目、②人間を情報創造者とみなす、③環境の変化に対する組織の主体的・能動的働きかけを重視すべきであるとしています。

ここから、「組織的知識創造理論」に入るのですが、その前に、知識創造についてまとめた箇所があるので、ここで述べられていることを紹介しておきます(私のメモ)。

  1. 対話:暗黙知を形式知に転換する過程は、個人的知識を語ることの可能な知識に変換していく過程であり、このプロセスでは、人と人との直接的かつ継続的相互作用が重要な役割を果たす。
  2. メタファー:とりわけ、対話のなかで用いられる有効な変換手段の一つがメタファー(隠喩)である。
    ・メタファーは、概念の共通属性を分析や総合によって捉えるのではなく、想像や象徴によって直感的に物ごとを理解する知の方法である。
    ・我々の長期記憶の中にあるかけ離れた領域の知識を活性化し、通常関係がないと思われる概念を組み合わせる創造的な認知プロセスである。
    ・異なる概念の並置は、我々に本質的にどこが類似しているかだけでなく、どこが異なっているかを比較させ、不均衡、矛盾、ズレを生み出すことによって新しい意味を創造する。
    ・メタファー的概念創造過程は、新しい仮説や経験を生み出し、新しい世界認識の可能性を示唆する。
  3. アナロジー:メタファーに含まれている矛盾を調和させる手段がアナロジー(比喩)である。
    ・アナロジーは、二つのものの共通性を通じて未知のものを削減していく役割を果たす。
  4. モデル:メタファーによって認知された矛盾、アナロジーによる解消の過程を通じて、暗黙知は明示化され形式知へと転換される。ここで形式知は、一つのモデルに近いものとして表される。
    ・モデルにおいて矛盾は解消され、一貫性のある論理的手段を通じて、体系的な表現が可能となるため概念の移転は容易になる。
    ・企業活動におけるモデルの典型的な例は、製品コンセプトを具体化するプロトタイプであり、さらに形式化したものが製品仕様(スペック)といえよう。

アナロジーとメタファーは、しばしば混同されるが、メタファーにおける意味の連結は直観によることが多く(翔んでいる)、イメージ的である。アナロジーによるそれは、より構造的・機能的であり、合理性に基づくことが多い。メタファーでは、概念間の相違を明確化することができないが、アナロジーは、それを可能にする。

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ゴミ箱モデル

マーチ、オルセンおよびコーヘンは、組織内外の出来事や事柄の多くが複雑で不透明になった今日、すべての組織は、意思決定の曖昧さに直面しているとして、「ゴミ箱モデル」を提示しました。

従来、組織は、目標や問題を確認した後、しかるべき人たちが集まって様々な解決策を考え、検討し、もっとも良いものを選択し、実施するものと考えられてきました。

しかし、今日では、意思決定に参加する人々は、たまたまゴミ箱に捨てられたゴミのように、たまたまその場に居合わせたに過ぎず、問題自体も、たまたま選択されたにすぎない・・というように偶然であり、したがって、そこから得られる解も偶然であるというのです(よく分からないのでかなり意訳しています)。

ゴミ箱モデルでは、組織を意思決定のシステムとしてよりも、曖昧な事象を「意味づける」認識システムとして捉えているとのことです。

ゴミ箱モデルは、合理主義に基づく理論が排除していた組織における「曖昧さ」あるいは「ゆらぎ」に着目し、新しい組織認識論を提示した点で評価されます。しかし、野中先生に言わせると、「基本的に環境への受動的な適応の理論」であって、「組織は主体的にイノベーションの努力を行うという仮定を排除している」としています。

ゴミ箱モデルは、教育機関や公的組織における現象の分析に基づいての理論なので、企業組織にも当てはまるかどうか疑問であるとも言っています。

大学というのはヘンな組織です。それでも私立大学の場合には、お客様は生徒とその家族ですから、サービス業として少しは明確です。馬鹿な息子・娘に大学卒業免状を与えるのが仕事ですので、厳しいなかにも最後は下駄を履かせてでも卒業させるのが使命です。お客様が当大学を選んでくれるよう、就職率を高めるのも、在校生が楽しい学生生活を送ってくれるのも大切なことです。

でも、大学のセンセイは、自分が給料を貰っている大学の経営を良くすることよりも、自分の業績をあげることに血眼になっています。講師よりも助教授に、教授になるためには、論文を書かなければなりません。ところが論文審査をするのは、それぞれが入っている学会なので、センセイは、自分の大学よりも、自分の入っている学会での人事に勤しむことになります。

オーナー経営者が全てを決定している場合もありますが、一般的には、全てのことを教授会が決めます。心は、その大学にないのに、また、経営センスなど全くないのに、たまたまその大学に在籍している教授たちが経営方針に当ることを決めるのです。さらに、文部省の方針などというものもあります。

日本とアメリカとでは、大学の仕組みも異なるでしょうが、日本の大学の状況を考えると、意思決定はまさに曖昧で、偶然的です。おそらく、地域について考えると、意思決定はもっと曖昧なものにならざるをえないでしょう。

ゴミ箱モデルは、「分析したら曖昧であった」で終わっているのでしょうか。野中先生は、曖昧さの活かし方を論じているようなので、そこまで読み進めてから再考することにしましょう。

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実験主義

エクセレント・カンパニーにみられる8つの項目のうち、1.行動重視、つまり実験主義は、非常に重要だと思います。

シリコンバレーが成功している要因は、1000に3つしか成功しないなら、分母を大きくして成功する数を増やすというものです。人間は完璧な予測などできないのだから、数を打って当るものを見つけ出そうというのです。

エクセレント・カンパニーは社内で実験をし、駄目ならすぐ止めるというのですが、シリコンバレーは、それを地域全体でやっているのです。エクセレント・カンパニーが書かれた頃には、それほど進んでいなかったオープン化、ネットワーク化の動きがシリコンバレーのモデルを生んだともいえます。

良き時代の日本の大企業(ぎしぎしに管理していない)では、企業の方針としては没になっても、担当者がどうしてもやりたくって、こっそり温めていた研究や企画が後に日の目を見、それがその企業を救うこともありました。

良く刑事ドラマで、全体の方針に疑問をもつベテラン刑事がこっそり自分なりの捜査をし、真犯人を突き止めるというストーリーがありますが、日本人は、こういうのが好きなのかもしれません。

「こっそり」やるのではなく、これをルール化しているのがエクセレント・カンパニーというわけです。真犯人を挙げるという目的が明確で、警察官としてやってはいけない価値観が共有されているなら、捜査は自主性を持たせたほうが結果良しというものです。

北欧では、しばしば、国として解決しなければならない課題について、地域ごとに解決方法を実験し、成果をあげたやり方を他地域も導入するということが行われています。在宅介護や産学連携などでそうしたことがなされました。

日本の地域も、実験主義を宣言し、失敗を恐れずにいろいろやってみる(もちろん、ただやるのではなく、そこから何を得るかを考えながらやる)・・といったチャレンジ性と柔軟性を持つと面白いのではないでしょうか。

議員や首長のアイデアで、「ただ場当たり的にいろいろやる」というのではなく、何を解決するために、こういう実験をし、良ければ本格採用するし、悪ければその原因を探って次につなげるという態度が前提です・・念のため。

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June 05, 2005

企業文化→「地域」文化

ピーターズ&ウォーターマン『エクセレント・カンパニー』は、かつて興味深く読んだ覚えがありますが、すっかり忘れてしまいました。野中先生が要領よく紹介しているので、これを紹介しましょう。

世界の超一流企業43社に共通にみられる特徴として、次の8項目を挙げています。

  1. 行動重視
    ・実験主義、試行錯誤主義のこと。これらの会社では、意識的に多数の実験が行われている。新製品のアイデアは詳細なプランを持たずに即テストされ、うまくいかなければすぐひっこめられる。
  2. 顧客との密着
    ・エクセレント・カンパニーの原動力は、技術、製品、戦略ではなく、顧客である。会社は顧客から多くのことを学ぶ。
  3. 企業家精神の尊重
    ・管理者は企業家のように行動する。
    ・新しいアイデアが奨励され、自己充足的なグループ間の競争が促進されている。
    ・自律性と企業家精神を育て、金銭以外のインセンティブを多様に活用している。
  4. 人を通じた生産性向上
    ・社員を生産性向上の源泉として扱っており、人間を尊重し、信頼して仕事を任せる文化を持っている。
  5. 価値観に基づく実践
  6. 基軸を離れない多角化
  7. 簡素な組織と小さな本社
  8. 緩急自在のコントロール
    ・何か問題が発生したら、臨時タスクフォースを結成する。少人数で短期間のチームを流動的かつ臨機応変に活用することで、組織の柔軟性を保っている。

エクセレント・カンパニーは、厳格なコントロールを行いながら、同時に、自律性、企業家精神、革新の発揮を奨励する。この一見矛盾したことが、価値の共有によって可能となっている。

つまり、組織に独特の「ものの見方」や「仕事のやり方」、すなわち「企業文化」によって、中央からの厳格な指令と個人の最大限の自主性の共存を可能にしているというわけです。ピータズ&ウォーターマンの研究は、企業文化の重要性に対する認識を高め、その後、企業文化の研究が盛んに行われるようになったとのことです。

この企業文化については、「サイモン2」のところでも触れましたが、「地域」文化に転用することが可能と思います。

北海道では、官主導のもとで屯田兵によって開拓された地域と民間人が一旗あげようと思って開拓した地域とでは、地域文化が異なっているようです。後者の代表が十勝で、この地域は、相対的に企業家精神に富んでいます。

北海道のなかで早くから開け、文明の窓口になった函館や小樽には、文化人的な人が多いようです。

良い地域の目指し方は地域によって異なると思いますが、良い文化を活かすとともに、新しい時代にあった地域文化を創るという観点も必要でしょう。

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企業家的「地域」

ベストは、現在を「新しい競争」の時代と規定し、従来の競争の時代には階層的企業が中心であったが、新しい競争の時代には、「企業家的企業」が中心を占めると言っています。新しい競争における戦略的行動の中心は、市場反応的活動ではなく、市場創造的活動であるとしています。

彼は、企業家的企業の特徴として、次の3つをあげています。

  1. 企業家的企業は、価格競争ではなく、新しい商品、新しい市場、新しい技術、新しい供給源、および新しい組織形態を創造することによって競争する。
    ・階層的企業にとって競争領域は与えられるものであるのに対し、企業家的企業は自ら競争領域を選択する。
  2. 企業家的企業は、単に費用最小化によって利潤を極大化するのではなく、製品と工程および組織における革新に基づいて戦略的優位を追求する。
    ・革新の源泉は、専門エンジニアに限らず、組織が集合的に企業家的役割を遂行する。
  3. 企業家的企業は、継続的に革新を追及し学習する組織である。

ここで言う企業家的企業は、企業家的「地域」と読みかえることが可能ではないでしょうか。

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June 04, 2005

ポートフォリオ・マネジメントの「地域」への適用

このブログは公開ですが、実際には、こっそり勉強中の段階であり、備忘録になっていることをお許し下さい。

さて、野中先生が自論である「知識創造の経営」を述べるにあたって、これまでの経営理論をサーベイしているのを使って、それら理論の地域への応用を考えつつ俄か勉強しています。もう少しお付き合い下さい。

今回は、経験的知識を科学的に使おうとした「経営戦略論」についての紹介です。

ボストン・コンサルティング・グループ(以下BCG)がある製品の生産に習熟するにつれて、その製品の単位当りコストが低下する「経験効果」を提唱、さらに、製造コストに止まらず、管理、販売・・などを含んだ総コストにもみられると主張されるようになりました。

BCGは、これを洗練し、企業の製品群を市場成長率と市場占拠率の二次元マトリックスに位置付け、①花形商品(高成長、高シェア)、②金のなる木(低成長、高シェア)、③問題児(高成長、低シェア)、④負け犬(低成長、低シェア)としました。そして、金のなる木を資金源として花形商品や可能性のある問題児に資金を集中する一方、負け犬や有望でない問題児を切るという資源展開の理想的なあり方が描かれました。

さらに、たとえば、花形事業には、将来のウェートを高くした業績評価をし、企業家精神旺盛なリーダーを配置し、負け犬事業に対しては、将来よりも現在にウェートを置いた業績評価をし、着実で経験豊かな葬儀屋型リーダーを配置するというように、業績評価や人員配置などをも分析的に行うマネジメント(戦略経営)が生み出されました。

これは、「地域経営」を考えるにあたっても、活用しやすい考え方です。

地域を二次元マトリックスに分類してみる。たとえば、産業について、その産業の成長性とその地域のシェアを指標にする。

たとえば、北海道を例にとると、観光が④負け犬、農業が②金のなる木、ITが③問題児、①がYOSAKOIの祭りといった感じでしょうか(数字的裏づけなしのイメージ例です)。地域の場合、企業のように簡単に産業を切るわけにはいかないでしょうが、それぞれに異なる資源配分をするなど戦略を考えるヒントが得られると思います。

たとえば、③問題児であるIT産業に対しては、どうしたら花形産業になれるかについての戦略が必要となります。農業が本当に②金のなる木かどうか分かりませんが、現在の優位性(高シェア)を維持するために市場の変化(たとえば安全性)にきちんと応えられる体制を整える必要があるなどです。

あるいは、同じ北海道の観光産業を取り上げ、地域ごとにこの二次元マトリックスを当てはめてみる方法もあります。たとえば、①花形は、ラベンダーの十勝、②金のなる木は、すすきのがある札幌、③問題児は、木のおもちゃ館で小さいながらファンを得て伸び盛りの西興部、④負け犬は、交通網の発達で通過点になってしまった小樽などと位置付けられます。

そして、たとえば、③西興部は、成長性は高いが観光地としての規模は小さいので、近隣の町々と連携しドイツのメルヘン街道のように線としての観光地化を図る、④小樽は②金のなる木である札幌との連携を深めて生き延びるなど、それぞれの象限に合わせた戦略を考えるきっかけを得られると思います。

ただ、このマトリックスは、そもそも「経験効果」を基にしているわけですが、地域の場合も、この経験効果が働くのかどうかの裏づけが必要かもしれません。北海道の農業の全国シェアが高いのは、早くから大規模農業に取り組んできたので生産性が高い、YOSAKOIを主催してきたなかで、催事開催のための習熟度が高いなどなど。

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コンティンジェンシー理論→環境に「対応」から「働きかける」へ

サイモンは、「組織内の効率」を高めることに焦点を当てていましたが、その後、企業経営の課題は、「組織と環境」との最適な関係のあり方に焦点が移りました。これがコンティンジェンシー理論と呼ばれるものです。代表的な理論には、次のようなものがあります。

  1. バーンズ&ストーカー
    ・組織の管理システムには、①機械的管理システム(官僚的組織における管理システム)、②有機的管理システム(非官僚的組織における管理システム)とがあり、現実の組織は、この2つの理想型の連続線上に位置する。
    ・すべての組織に普遍的で有効な唯一の理想的な管理システムは存在せず、組織の有効性は組織の諸特性と環境との適合性の度合いによって決まる。
  2. ローレンス&ローシュ
    ・タスク環境の不確実性の程度が違えば、有効な組織特性も相違する。
    ・企業の各部門は、それぞれの不確実性に対応した組織特性を持つようになるので、部門間に差異が生じる(分化)。他方、組織は、全体に関する共通の決定を行うために、一定の統合水準を達成する必要がある(統合)。
    ・組織全体のタスク環境の不確実性の程度に応じて、有効な「分化」の程度や「統合」のための機構や組織過程が相違する。→不確実性の程度が高い環境下にある効率的な企業は、組織の分化の程度が高く、それに応じてより複雑な統合機構と高度なコンフリクト解決様式を採用している。

これらの理論は、最適な組織構造は市場環境や技術環境などによって条件づけられるということを論じており、いわば結果を分析しています。しかし、実際の経営で必要とされるのは、そもそもなぜ組織と環境との間に不適合関係が生じるか、そしてどのように組織と環境を適合させていくかが問題です。こうした問題について解答した研究のうち、ガルブレイスの情報処理パラダイムが紹介されています。

  • 不確実性は、目標達成に必要な情報の量と組織がすでに保有している情報の量の差である。
  • 不確実性が増大するに従って組織に課せられる情報処理負荷が増大する。
  • 情報処理のための戦略の類型には、①機械的モデル、②情報処理負荷の削減戦略、③情報処理能力の拡充戦略がある。
  • 組織の情報処理負荷が増大していくにつれ、組織は①から②、③をとることによって組織の有効性を向上させることができる。組織の有効性は、情報処理に対する組織化戦略とそれがもたらすコストとの関係によって決定される。

コンティンジェンシー理論の意義は、次のように整理されそうです。

  1. 個人や集団の動機づけを中心としたミクロ組織論に代わって、組織全体を分析単位とするマクロ組織論を誕生させた。
  2. 環境特性に応じた最適な組織構造のデザインという視点を導入した。

これに対し、次のような批判的な意見が出されるようになりました。

  1. 組織は単に受動的に環境に適応するのではなく、戦略の策定・遂行を行うことで主体的に環境に適応している。
  2. 環境と組織の関係は1対1の対応ではなく、組織の構成要素間に適合性があれば、異なる組織特性が同一環境下でも同程度の有効性を発揮しうる。

野中先生は、「環境変動にダイナミックに適応する組織は、情報処理を効率化するのみならず、情報を『創造』しなければならない」として、以下で組織の能動的・主体的な環境創造について述べていくことに繋げています。

「地域」も現在大きな環境変化に当面しています。環境変化にダイナミックに適応するには、地域も組織と同じように、(1)個々人や集団のモラルやインセンティブのみを問題にするのではなく(この地域の人はやる気が無いなど)、(2)情報処理を効率化する構造を考える必要があるし(たとえば、190万都市札幌の組織構造はどうあるべきか)、さらに(3)能動的・主体的な環境創造(こういう生活を実現したいという問題発見と実現のサイクルなど)に取り組む必要があると考えられます。

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サイモン2→「地域」の記憶・意味ネットワーク構築?

サイモンの組織論が問題発見型ではなく、与えられた問題に対する情報処理型であるので感心しないというコメントを前に書きました。

しかし、彼の個人の思考の情報処理過程についての考え方は、気に入っています。

  1. 記憶のアーキテクチャとその機能
    ・人間の記憶には、短期記憶と長期記憶とがあって、後者には、①特定の時間や場所に依存している「エピソード記憶」、②特定の時間や場所に依存しない「意味記憶」があり、意味記憶における諸概念はそれらの関係を示す連結によって結合され階層的構造をなしている。この構造が「意味ネットワーク」である。
    ・長期記憶は、目や耳で感じる「現実環境」とならんで、あたかも「第二の環境」のように作用する。
  2. スキーマ(知識の枠組)と知識表現
    ・感覚器官を通じて入力される膨大な情報から何らかの意味構造を抽出するために、入力情報の特徴が検出されると、関連すると想定されるスキーマが呼び出され、新たに意味抽出のために働く。
    ・入力情報にさまざまな既有知識を意識的に関連づけることを精緻化という。精緻化された情報は、長期記憶に保存されやすく、また検索されやすい。
  3. メタ認知とモニタリング機構
    ・単に入力情報をその場で処理するだけでなく、自らの処理の仕方を長期的に監視しそれを適正化しようとする内部情報処理機構を持っている(メタ認知)。
    ・メタ認知をもとに、認知方略全体を再構成するのがモニタリング機能である。
  4. 発見法的推論(ヒューリスティック)
    ・現在与えられている認識パターンから、仮説的にある種の予想を立てて、その予想に従って探索的施行を遂行して、その結果を「望ましさ」の尺度で評価する。すべての経路をしらみつぶしに探索するのではなく、その問題領域に則して何らかの発見法的探索が行われる。

これは、確かに、与えられた問題に対する処理の話ですが、人間の記憶がどのようになされていて、入力された情報をどう判断するか・・・人間にとっての価値判断の仕方を述べているといえます。同じ「リンゴ」という言葉でも、ある人にとっては、懐かしい田舎のリンゴ畑と関連づけられており、別の人にとっては、齧って歯を折り失恋したという苦い経験に意味付けられている場合があります。「リンゴ」という言葉や絵を見て、懐かしくなる、悲しくなる、憤りを覚えるなどなど、反応が違ってきます。

この考え方は、企業組織にとっての価値観(何が良いことで、何をしてはいけないか)にも、地域の価値観(文化・文脈)にも応用が利くのではないでしょうか。

昔の村落共同体では、言い伝えや風習によって、その地域にとって良いこと、やってはいけないことが明らかでした。しかし、現在の地域では、そうしたことが風化しているはずです。新たに地域の記憶・意味ネットワークを構築することが求められているように思います。

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サイモン:組織=人の限界を克服する情報処理システム

二人目はサイモンです。彼の組織論は、人間の認知能力には限界があり、それを克服するために組織構造(階層システム)を構築し、組織内情報処理を単純化するというものです。

経済学では、完全な合理性に基づいて最適化行動を行う「経済人」を前提にしますが、彼は、①知識の不完全性、②予測の困難性、③行動の可能性の限界から、制限された合理性に基づいて満足化行動を行う「経営人」を前提としています。・・・人間に対するこの考え方は頷けます。

しかし、サイモンが「情報」の意味よりも、「情報処理能力」を重視し、望ましい組織を最も効率的に情報処理できる構造と考えたことには、ちょっと首を傾げます。

野中文脈によれば、この考え方は、「問題の発見」については考えず、「与えられた問題の解決」をいかに効率よく行うかというアプローチだが、通常、問題は与えられるというよりも、人間のさまざまな経験やコミットメントのなかから発見、あるいは創造されるものであり、現実の組織論としては限界があるということになります。サイモンが描く理想的な組織に近づくにつれ、組織成員間の相互作用の機会は減少し、組織的に創造性が発揮される余地は減ってしまいます。

野中先生は、「分からないことが多発する環境下では、企業が主体的に情報を創造し環境に対し積極的な提案をする必要性は高まってくる。・・そのような組織になるためには、人間のあらゆる限界を基本とする人間観ではなく、人間が基本的に持っている可能性・創造性を基本とする人間観に基づいた組織理論の確立が必要である」としています。

前述のように、私は、サイモンが前提とする人間観(経済学で言う全能的な「経済人」ではない)について頷いたのですが、・・・限界はあるものの、問題発見とその解決を図っていける創造性に基づく人間観を前提として組織を考えるべきであるという野中先生の意見がここまできて分かりました。

これを「地域」に応用するとどう考えたらよいでしょうか。

地域についても、与えられた問題について情報処理能力が高いよりも、人間の経験やコミットメントのなかから問題が発見され、それを解決していけるような地域が望ましいということになると思われます。いわば、こうした地域がソーシャル・キャピタルの高い地域ということになるのでしょう。

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June 03, 2005

バーナード→「地域」は個人の制約を克服?

野中郁次郎さんが出てきたところで『知識創造の経営』を読み直すことにしました。この本では、主に大企業・製造業を念頭に置いて、知識創造の経営について論じられています。昔、野中先生に、「先生、是非、中小企業や産地などを対象にこの理論を深めて下さい」とお願いしたことがあります。その発展形態が「場の理論」なのかもしれませんが、その吟味も追々やっていこうと思っています。

まずは、この本でこれまでの主な経営理論について、知識・情報観を野中先生が整理しているので、これを利用しながら、「地域情報化」のヒントを得たいと思います。最初は、バーナードです。

この節を読んで面白かったのは、当時、NJベルの社長であった彼がハーバード大学で連続講演を頼まれ、その原稿をもとに幾度も推敲して『経営者の役割』という本を著したことです。経営者としての暗黙知を形式知にする機会を得て、自らの経験を一生懸命理論化したとのこと。これは、田舎TVのおばあさんと同じ体験です。

彼は、「組織は個人の制約を克服する手段である」と考えました。そして、組織(協働)成立の3要素として、①コミュニケーション、②貢献意欲、③共通目的をあげています。「地域」と「組織」が異なるのは、かつては、村落共同体であり、③共通目的があり、②貢献意欲があったにせよ、現在一般的には、③共通目的はなく、したがって②貢献意欲もないことです。

組織と個人を結びつけ、ダイナミックなものにする過程が①コミュニケーション過程であるとし、「組織の構造、広さ、範囲は、ほとんどコミュニケーション技術によって決定される」としています。ムラの範囲は、コミュニケーションが通じる範囲(同じモノを大切に思うなどの文化)と言い換えられると思いますが、新たに地域が何らかの「共同体(コミュニティ)」になるためには、同じ文脈で理解しあえる(コミュニケーションができる範囲)を作り上げることが必要と考えられます。

地域情報化の道具の一つとして「地域通貨」を含めることがあります。地域通貨は、同じ地域に住みながらもこれまで疎遠であった人同士が、助け合いを通して知り合えるツールです。地域通貨は、範囲のなかった地域に、コミュニケーションをもたらし、範囲を作り出すものと言えるのではないでしょうか。

野中先生は、バーナードの知識観として、西欧で重視される「論理的精神構造」だけでなく、「非論理的精神構造」(直観、ノウハウ、カンなど)を重視していることに着目しています。しかし、組織における価値創造に触れているものの、組織の道徳的側面に触れているのみで、今日必要とされる「組織が成員個々人の暗黙的な行動知をどのように組織的知識の創造に結びつけ、またそれをいかに具体的な組織構造・管理システムや製品に形づけて、主体的に環境に働きかけていくかという側面」を扱っていないとしています。

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ここでちょっといたずら。

この野中先生の文章を引用しながら「組織」を「地域」に置き換えてみましょう。

地域が成員個々人の暗黙的な行動知をどのように地域的知識の創造に結びつけ、またそれをいかに具体的な地域構造・管理システムや製品に形づけて、主体的に環境に働きかけていくかという側面」となります。

ついでにバーナードの「組織」の定義を「地域」に置き換えてみます。

地域は個人の制約を克服する手段である」

二つともなんかヘンですが、ここではそのままにしておきます。・・・というのは、もう少しこの本を読み進むと「意味的側面からとらえた情報とは、文字通り何らかの新しい意味をもたらすものである。それは『驚き』を生み、それによって視点が動き、何かが『見え』てくるような情報である。意味の根底には、何らかの『差異』の存在があるといわれる。ベイトソン(1973)は、情報の基本単位は『差異を生む差異』といっている」と書かれているのを見つけたからです。

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