暗黙知の獲得
暗黙知は、SECIモデルのように、一旦形式知化されてから内面化されることによって、レベルを高めるだけでなく、暗黙知のままレベルを高めることがあると思います。
その一つは、野中先生の言葉では「共同」と呼ばれるもので、寝起きを共にしながら、観察、模倣、師の生徒へのコーチングなどを通じて長期的に伝授していくとされています。
最近では、職人の世界でも、座学(形式知を教える:図面化する、素材について学ぶ)が併用されています。しかし、宮大工の小川三夫さんによれば、カリキュラムにそって順番に教え込むと最初の覚え方は早いが途中で止まってしまう。むしろ、ある程度やらせておいて、問題意識が出たところで教えたほうがその後の伸びが速いと言います。
棟梁が兄弟子などと話しているのを聞いていて、耳がピクッと動いたときが教え時であるとのことです(問題意識が出来たので聞き耳を立てるようになる)。
昔の職人の世界は、たとえば掃除が1年続くので、早く仕事を覚えたくてジリジリする、あるいは、刃物を研がせて、親方が研いたのと見せ比べ、未熟さを知らしめるというようなことをやりました。このため、早く上手くなりたい、どうしたら上手くやれるかなどの問題意識が生まれたのです。ポラニーが言うように個人の主体的関与、「思い」があってこそ知識を獲得できるわけです。
しかし、教わったからすぐに出来るというわけではありません。なかでも、暗黙知の場合には、やってみせる、型をなぞらせる、喩えで話すといった教え方になりますから、教わったことをすぐに理解し体得するわけには行きません。
有名なオイゲン・ヘリゲル『弓と禅』は、ドイツの哲学者が弓道の奥義を究める過程を記したものです。形式知から入ろうとするヘリゲルが師の暗黙知的な教えを体得しようともがき苦しむ。
その結果、彼が掴んだのは「弓と矢と的と私とが互いに内面的に絡み合っているので、もはや私はこれを分離することができません」といったものでした。自分が的を狙っているのではなく「それ」が的を狙い当てるという感覚(弓・矢がひとりでに動いていく)とのこと。
ポラニーが「ある物事を暗黙知の近接項として機能させるときには、我々はそれを身体の内部に統合し・・・その物事のなかに潜入することになる(内面化、住み込み)。このことによって、心と身体、理性と経験、主体と客体、知るものと知られるものという伝統的な二分法は崩壊する。・・・科学は我々の全人的な関与と暗黙的な方法によって知識を生み出そうとする個人の意図的努力の結果なのだ」と言っていることと(おそらく)同じなのだろうと思われます。
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Comments
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Posted by: blackmart alpha | August 12, 2014 03:56 AM