歴史と現実
生まれ故郷の西東京市でソーシャル・キャピタル拡大に尽力するというのは、実はなかなかやりにくい。それなりにしがらみがあるからだ。そうかと言って、長い間サラリーマンをしてきているので、地元の力関係も知らなければ、コネもない。
縁あって、札幌エリアのソーシャル・キャピタルを考えている。しがらみがない分、冷静に見ることができる。どうやら、その地域には、その地域なりのしがらみやドロドロがありそうだ。
札幌エリアにおいても、新聞、雑誌、本など活字になって物語として語り継がれていることと、その実態は、ずいぶん異なっているらしい。
物語を読めば、成功しているのに、どうしてそれが積み重なっていかないのか不思議であった。だが、少し実態を齧ってみると、「あんな自分のことだけ考えているやつはいない」とか、「あいつには昔、幾度も騙された」とか、「最初はきれいごとでやれていたが、今は変質してしまっている」などなどあるらしい。
だから、「今あいつが新しい提案を打ち出しても、誰も乗らない」、「彼を実力のある人材とは認めない」といった具合だ。
このため、ポツン、ポツンと成功(したように見える)事例はあるのだが、その実績が積み重なることもないし、人望と実行力があるように見える人材を担ぎ上げて地域の顔にしていこうという動きもない。地元の人々は、冷ややかに「またやってるヨ」とか「まだやってるヨ」と見ているだけなのだ。
まだ齧りはじめたばかりなので、上記も本当かどうかは分からない。地元の人々に寛容性がないのかもしれないし、出る杭は嫌われる風土なのかもしれない。小さなエリア(人口は多いが経済基盤的には)にも係わらず、新興勢力と伝統勢力の仲も悪いらしい。
一方で、こういう現実を知りながら、成功(したように見える)事例を文字化、物語化し、ブランド化している図太さもあり、それはたいしたしたたかさである。
富山の薬問屋が地域に寺子屋を作り、知の還流を行ったことも、今日歴史として読むから美しいが、現実は、もっとドロドロしていたのだろう。そういう互いのライバル意識や反目などがあるなかで、100年後にみるとソーシャル・キャピタルが高まったと言えるようになるには、どうしたら良いのだろう。
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