設計科学 その18
④「機械論vs有機体論」
○上記のメタファーは、旧科学論で馴染みのものである。生物を「分子機械」であるとする分子生物学の物理科学還元主義的解釈もこのメタファーを利用している。だが、新科学論は、このメタファーが根本的に失敗しているとみる。なぜなら、機械論のメタファーが機械の部品も、その部品の時空的配置も、その過程や機能も、ことごとく工学的設計図の産物であるという論点、すなわち「ハードウェア化されたプログラム(設計図)」という機械の特性を見出しているからである。
○機械と有機体の相違は(以下それぞれ前者が機械、後者が有機体)、(1)プログラムの外在性と内在性、(2)プログラムを構成する記号の進化段階の相違(数学的言語記号と遺伝記号)、(3)プログラムの創発様式の相違(自由発想と突然変異)、(4)プログラムの選択様式の相違(主体選択と自然選択)、(5)プログラムの選択基準の相違(目的合理的な最適化とW.D.ハミルトンのいう包括的適応度の最大化)など、すべてプログラムに関連する諸特性の相違に帰着する。
○太陽系の構造と機械の構造と生体の構造と社会の構造を比較するとすれば、「法則により生成する構造」と対比される「プログラムにより構築される構造」という意味で、機械の構造は、太陽系の構造よりはるかに生体や社会の構造に近似している。
○「法則的に生成する構造」と「プログラム的に構築される構造」との理論的識別がない、つまり「法則」と「プログラム」の区別がない旧科学論は、この近似性・同型性を見抜けなかった。機械は、有機体に先立つプリ生命の存在者ではなく、人工物というれっきとしたポスト生命の存在者である。この明白な事実の理論的含意を旧科学論は、解き明かすことができなかったのである。
○だが、新科学論は、「プログラム不在型システム」と「プログラム外在型システム」と「プログラム内在型システム」を差異化することができる。
○物理科学的システムは、プログラム不在型システムであるが、機械は生物は社会と同様、プログラム不在型システムではない。だれ一人として疑うことのない旧科学論の「機会論vs有機体論」が、じつは失敗したメタファーだと断ずる所以である。
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