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January 23, 2006

あとづけ

Nさんの話を聞いて心配になり、もっといろいろ煮詰めないといけないと、「ものづくりIT工房」でプロデューサ機能を担ってくれるというP社の社長に会いに行った。

Nさんに聞いた話を受け売りでし、Pさんにどう思うかと聞いてみた。ところが、一笑に付されてしまった。

Pさんが言うには、Nさんは大企業に勤めていたからこういう言い方をするが、これは後付けである。実際には、思い込みで作り、売れたら後付けしているはず。大企業だから信用もあり、販路もあるので買う人がいる。

中小企業の場合は、ともかく売れるようにする。製品化したけれど売れないものがあれば、それをブラッシュアップし、売れるようにする。お客が欲しいといえば、それにあわせて作り直す。自分は、プロデューサー機能を果たすといったが、メーカーになるわけではない。ニーズとシーズをつないだら上手くいくもの、ブラッシュアップしたら上手くいくものが必ずあるので、そのつなぎをする。

自分が何故こういうことを言うかというと、IT企業を見ていて、あるいは他業界の企業を見てきて、折角作ったのに売れない製品、良い製品を作っているのにシャイで売り方を知らない企業などを沢山見ているから。今あるものを見つけ出して何かすれば、売れるものが沢山ある。北海道のIT企業は、それなりに技術レベルは高い。自分は調整役、企業と企業、技術と技術のコーディネートをする。技術を製品に、さらに商品にする。自分のような企業が20人、30人といれば、北海道には売れるものがあるし、北海道が元気になる。

・・・とのことであった。

Nさんも、私に、自分の経験を話しながらも、でも、自分のは、大企業のやり方で、どうも中小企業は、こうではないらしいのだが・・・と言っていた。

「ものづくりIT工房」の絵を描いている自分としては、○○の機能を果たします、それには△△が必要です・・・と書ければ簡単だし、分かり易いのだが、実際には、そうではないらしい(私の役割として、絵を書くとしても)。

Pさんには、こういう機能を整えますなどと言わないで、むしろ、こういう半製品があるので、何とかして欲しいというような案件を5つでも10でも出してくれ、そのほうが分かり易いといわれてしまった。

あえて整えてくれるなら、金だし、さらにいえば人のネットワーク拡大であるという。ニーズを探す、あるいは、半製品を製品にして売るにしても、社長同士の信頼関係であり、そうしたネットワークを出来るだけ広げておきたい。公的な事業をやっている残り一年に、そうしたネットワーク拡充に力を貸してくれるほうがよほどありがたいとのことである。

お客に対する信頼は、成功事例を沢山つみあげていけば、自ずと生まれてくる。

・・・まだ咀嚼できていないのだが、私が用意しないといけないと思ったこと、大企業出身のNさんが用意しておかないといけないといった仕組みや機能、これとはまったく違うものを用意して欲しいらしい。ここは、明日以降の宿題にしておく。

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プラウシップ

荒磯先生が北海道中小企業家同友会と連携して北海道産学官連携連携研究会(HoPE)を立ち上げている。

HoPEは、1対1の産学連携では領域が限られ、イノベーションが発生する確率が低いために考え出された仕組みで、ある企業について大学側から「ホームドクター」を1人選び、事業化ニーズに応じて専門のアドバイザーとなる教官を紹介するというシステム。1年前の記事に「アドバイザーには各大学・研究機関から100人以上の研究者」が協力していると書かれている。現在複数の多様な研究会が組織化されている。

そうした流れの中で、2年ほど前に、北のブランドものづくり工房(株)プラウシップが生まれた。地元のゴムメーカー、自動車メーカーのエンジン開発をやっていたCAD会社、それとソフトウェア開発を手がける会社の3社が設立した。共同受注・生産のシステムで、道内の機械メーカーや商社と連携し、大学や道工試などの研究機関のシーズと組み合わせて注文に応じた機械を生産することを目指している。

私が係っているITカロッツェリアは、ものづくりIT工房を作ることを目指しているので、ここと連携したらよいのではないかと、CAD会社社長のNさんに相談しにいった。

Nさんは、自動車メーカーを脱サラして北海道に戻り、経験を活かしつつ北海道でものづくりをしたいと考えて、プラウシップにも参加しているが、北海道には、ものづくりで最も重要な機能が欠けているので苦労しているという。

ものづくりは、①市場調査、②企画・構想、③概念設計、④基本設計、⑤詳細設計、⑥試作、⑦評価1、⑧改良試作、⑨評価2・・を繰り返して商品が出来上がる。①市場調査をすれば、お客さんは、格好よくて、速く走って、しかし安い車が欲しいという。しかし、それを全て叶えるわけにはいかないので、妥協しなければならない。Nさんは、先輩に、ものづくりは究極の妥協だと言われたという。

つまり、②企画・構想で、えいやっと妥協点を見つけ、③概念設計、④基本設計を行う。たとえば、格好よいというので、スポーツカータイプにするが、エンジンは1500CCのなかでもっとも馬力が出せるものにし、鉄のボディにして、価格は150万円くらいにしよう(この事例は私のいい加減なものです)などと決める。そうやってはじめて詳細設計が出来る。

ところが、北海道の製造メーカーに「こんな風なものをつくりたいので知恵を出してよ」といっても、そんなことを言われてもわからない、「こういう形のものを作れ」とか、「ここをこう削れ」と言ってくれといわれるというのだ。

つまり、自分で開発をしたことが少ないので、詳細設計を見せられてその通りに加工することはできるが、ああでもない、こうでもないと妥協しながら商品企画をしたり、およその絵を書くという経験が少ないというのである。

Nさんは、ここが出来る企業が少ないので、プラウシップを設立したゴムメーカーやNさんがエイやっと決めているのだという。だから、「ものづくりIT工房」を私がつくるというのだが、ITをやってきた人で、ものづくりの経験を持たない人がこのエイやっと決めるところを出来るのだろうかと心配してくれた。

また、お客からみた場合、「ものづくりIT工房」が頼んた商品の責任を取ってくれるのかどうか、信頼が置けるのかどうかが心配である。この「工房」が責任を取れるのか、お客からみて、信頼を得られるのかというアドバイスも頂戴した。

プラウシップは、強力なリーダーが居るのではなく、共同受注方式なので、お客からみて安心してもらえるように、荒磯先生などの有識者も入れた評議会のようなものを作っており、そこで、お墨付きをもらうやり方を取ることで、安心感を得ようとしている。また、リスクなどの取り方も、そこで決めているらしい(このあたりはちょっとあいまいです)。

「ものづくりIT工房」は、プロデューサー機能を果たすP社が、農業とか観光とかのニーズを見つけてきて、地元のIT企業などに仕事を依頼し、「工房」の機能を活用して、ものづくりをして提供するという絵を描いている。では、P社は、ニーズを実現するために、エイやっと商品企画が出来るのだろうか、お客への品質保証をやりきれるのだろうか、リスクはどのように分担しあうのだろうか、運転資金はどうするのだろうか。

・・・・ものづくりIT工房の担い手が見えてきたので、少し安心していたのだが、Nさんの話を聞いて、実際に動くものだろうかと心配になってしまった。

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January 22, 2006

リエゾンと教員の比較

荒磯先生から、産学連携学会第三回大会の予講集から、北見工大の宇都さんのものを頂戴した。

北見工大の地域共同研究センターの助教授であったときにやっていたコーディネート活動を宇都さんは、まず、広義と狭義に分けていた。広義には、大学の知的財産の有効活用に資するあらゆる活動を指すが、狭義には大学シーズの技術移転による新規産業の創成と産業界の発展に寄与することであるとしている。

そして、狭義のなかをさらに2つに分けている。

1.プロジェクトの立ち上げから管理、成果の活用まで中心的役割を担うもの。これは、多くの時間を一つのプロジェクトに費やすので、一人のコーディネーターが実施できるプロジェクトの数は限られる。

2.マッチング業務に主眼を置き、大学全体の研究内容に精通することで、産業界からのニーズに迅速に対応する役割。これは、多くのプロジェクトを立ち上げることが可能だが、その進捗状況や成果の活用に関して、コーディネーターが関与する部分は少ない。

宇都さんは、このうち2を主にやっていて、「大学研究者総覧」の作成や産学交流会による大学の研究紹介に多くの時間を費やしたとある。

マッチングの成果指標の一つである共同研究件数は2.5倍に増大したから、一定の成果は得られたが、地域ニーズの掘り起こしという観点からは積極的な活動は行えず、技術相談や交流会への来場者からの依頼に応える形での技術移転のみの対応であったとしている。

つまり、簡単に大学のリエゾン機能といっても、少なくともこの予講集に書かれているだけで、次のような役割がある。

1.知財の管理・活用

2.大学シーズの技術移転による新規産業の創成と産業界の発展への寄与

(1)プロジェクトの立ち上げから成果の事業化までのコーディネート

(2)マッチング機能

  ①大学の研究成果の紹介「総覧作成」、「交流会開催」

  ②産業界からの技術相談などへの対応(大学の研究者などの紹介)・マッチング

  ③研究シーズを理解したうえで、地域ニーズの掘り起こしをして積極的にマッチング

宇都さんは、その後学科の教員となり、地域ニーズであるほたての廃棄物処理の問題を扱っている。これは一教員の研究範囲を超えており、学内研究グループの組成や組織を超えた連携が必要であり、コーディネーターの協力を得ながら地域ニーズに応える体制づくりに取り組みつつあるという。

よくわからないが、漁業、内臓に含まれる高濃度のカドミウム処理のための研究、そうした廃棄物処理施設、処理業者、自治体などの協力体制なのだろう。

荒磯先生がいる北大のリエゾン部には、最近、ホンダを止めて道立工業試験場に勤務していたS氏と、道内の経済誌記者であったK氏とがメンバーに加わった。彼らが持っていた従来からのネットワークを頼りに、こういうことを大学でやってもらえないかと言う相談が寄せられるようになっているという。

北見工大、帯広畜産、室蘭工大、北大水産学部(函館)は、どちらかというと、もともと地元の産業にマッチした単科大学からスタートしたため、比較的敷居が低く、地元の企業が駆け込み寺のように大学を利用しやすいようだ。しかし、北大は、もともとは地域の農業のための大学であったにも係らず、かなり敷居が高くなっている。

IT企業、それもかなり大手の企業に聞いてもても、社員の場合、北大出身者でないと、北大の先生のところにちょろっと聞きに行くなどの付き合いは敷居が高くてやれていないらしい。

だから、リエゾン部にSさんやKさんが来たことは敷居を低くしたという面ではまず、一つよかったといえる。確か総覧のようなものはすでにあって、彼らは、地域ニーズに合わせて、先生を探してつなげている。彼らの前職での経験や荒磯先生がこれまで学内の情報を得ているので、どの先生が適切かを考えてつなげているらしい。同じ分野の先生が複数いる場合には、産学連携に積極的な先生、毛嫌いしている先生などなどを勘案しているようだ。

最近では、大学も産学連携しろと言われており、研究者のなかにも産学連携しようと思っている人も増えている。しかし、どうやったらよいか分からないので、そういう研究者のほうが荒磯先生に相談を持ちかけてくる。そうなると、適切な企業を見つけたり、経済産業省や道の産学連携制度を探してプロジェクトを見つけてきて応募するのを手伝う。

たとえば、魚のDNAを光にあてて、食中毒を起こす菌がついているかどうかを調べるという場合には、水産の研究者、検査機械をつくるメーカー、画像処理をする研究者、函館市などを絡ませる(この例は、誰がどう持ちかけて組成されたか確認しないで述べている)。

また、同友会企業の有志とリエゾン部とがHOPEをやっており、毎月1回飲み会をやりながら、地域ニーズの掘り起こしをし、それに必要な先生や企業を集めてプロジェクトを組成するということもやっている。

ここで言いたいことは、リエゾン部といっても、これだけ多様な機能を果たす必要があり、それをやりとげるためには、多様な要件を備える必要があるということである。ここを整理することが、オーケストラの構成と楽譜をつくることにつながる。

そしてオーケストラが上手く機能するための体液の濃度の一つは、産学連携を良しとする文化風土である。

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January 17, 2006

戦略的な顧客との共同開発

小企業は、所在地や価格の安さ、顧客サービスなどで顧客をひきつける。伝統的なベンチャー企業は、革新によって顧客を集める。シリコンバレーの顧客へのアプローチは、提携パートナーや外部委託先と同じように、顧客は革新のプロセスに深く絡んでいる。

顧客は、たいていの場合は、シリコンバレーに存在し、起業家と密接に作業する。顧客が新しい製品のβ版のテスト場となり、顧客のニーズを取り入れた最適な製品を作るために重要なフィードバックを行う。

顧客が起業家に協力するのは、その競争相手よりも早く最新の技術を試す機会が与えられるからである。

また、顧客のアイデアが価格や販売戦略、後続商品の開発に影響を与える。

++++++

顧客との共同で商品をブラッシュアップする・・。情報関連では一般の消費者までバグの発見にかりだされることがあるが、地域集積により、互いがこれによってスピードをあげられるなら良い方法だ。

札幌地域で、こうしたことはやれないものだろうか。

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中小企業とベンチャー

第6章シリコンバレーにおける四種類の起業家精神には、伝統的な大企業経営者、中小企業経営者とシリコンバレーの経営者の比較が載っている。

札幌で出会っているIT企業経営者のほとんどは、中小企業経営者である。この本によれば、リスクの最小化を望む経営者である。決して、世界を変えたいとは思っていないだろう。

シリコンバレーの経営者は、強いリーダーシップの発揮とビジョンの提供に加え、自分がやろうとしていることを効果的に伝える人でなければならない。

また、外部資本を受け入れ、スピードある成長を目指す。会社を支配するのではなく、市場を支配することを考える(世間に対する影響力)。

札幌地域には、アミノアップ化学、イチゴで株式公開したホーブもあるし、流通企業などには公開し、首都圏や海外にも進出している企業もある。だから、北海道の気質として、小企業経営者というわけではない。

また、若手による新しいIT企業が生まれていないものでもない。

だが、現在のIT企業経営者の多くは、この本の分類によれば、小企業経営者である。だから、今のままでは、世界を変えようというクラスターにはできないだろう。

とりあえずは、こういう性格のクラスターにしておき、いつか変わることを期待するのだろうか。

シスコシステムズがしたようにR&Dを買収でまかなうA&Dのようなやり方・・・シスコシステムを補完するための市場である程度実証された技術を買収でまかなうという方式のようにして地域を活用して大きくなることはできないものだろうか。

たとえば、ソフトフロントのSIP技術をそれぞれ開発する小企業を買収するなり、連携するという方式で大きくなる、スピードをもって市場を制覇する・・というようなことは出来ないのだろうか。

データクラフトがデータを小企業に開発させ、スピードをもってシェアを拡大するということは出来ないのだろうか。

砂を幾ら積み上げても砂でしかなく、城はできない。

でも君が代では、さざれ石の巌となりて、コケの生すまでなので・・・う、う~ん。

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January 16, 2006

シリコンバレーの奥義

第二章では、「奥義」が書かれている。

一般には秘密で手に入れることが難しい重要な組織の知識が、クラスターの中では良く知られているという説(空中の奥義)は、シリコンバレーにいると共感できる。・・・サッポロバレーには、こうしたことはあるのだろうか。親しい経営者同士ならあるのかもしれない。それが働いている人、学生などなどにまで広がっていないように思われる。ゴルフはするし、飲み屋は同じなのだけれど、仕事に関係のあることや知識などはどうなのだろうか。

競争相手が何をしようとしているか、ある仕事に対してどの企業が優秀か、どの企業が信頼できるかなどの情報を得るのは難しくない。これはやる価値がある仕事かどうかの判断。新しいチャンス。何が欠けているのか、何が生まれつつあるのか。・・・これらはどうなのだろうか。

新製品の発表や特許取得:同じ時代精神の中で同じような問題に取り組んでいる人には、その情報が持つ意味がよく分かる。その結果、先制措置を取ることもできる。このサイクルによって、地域全体が先端的になる。

マーシャルの奥義(ミステリー)は、製造業の研究からなされており、ギルドや協会、職人ネットワークなどを指していた。縄張り。ミステリーは、身体にしみ込んだ暗黙知の具体化である技能や熟練などを指すことばでもある。マーシャルは、それをつかう機会を与えられるなど、現場で習得するような知識が空中にあると言った。

この2章の著者、ジョン・シーリー・ブラウンとポール・ドゥグッドは、このミステリーは、どこへ知識が流れ、どこへ流れないかの限界を示すといっている。シリコンバレーで重宝されるような情報は、人々がその知識を活用できる技能、熟練や実践に接していなければ、そう簡単に広まるものではない。共有化された実践がなければ、知識が伝播することは難しい。「粘着性」。工場を見学しても、見たものを活用するために必要な基盤となる実践を共有していないから。

ロータスノーツなどのグループウェアがコミュニケーションのための能力を提供しても、それを実践することを広めるのはたやすくない。逆に、実践を広めることが活用できる知識を広める鍵となる。

活用できる知識と無味乾燥な知識。活用できる知識は実践から来る。新しい発明やアイデアは、実践のなかから生み出され、その実践を共有する人々の間で最も伝わり易い。ワトソンとクリック(+無名の協力者)。

実践の共同体(Lave+Wenger):親密な共同作業を伴い見識や判断を共有する小グループは、その実践の過程で必然的に知識を発展させ、浸透させる。しかし、それは短所でもあり、共同体の外から知識を手に入れることは難しい。知識は、実践の共有が終わるところで行き詰る(印象派の画家同士のみ)。実践は理論に先んずる(見慣れると理解される)。

企業は、情報コストがかからないのではなく、異なる実践に基づく多様な共同体の集合体である。異なった意味解釈システムを持つ。このような状況のなかで知識を伝播させるのは難しい。知識の伝播という観点からみると、企業組織の長所は、知識の流れのコストをゼロにするのではなく、異なるグループ間に知識が流れるようにするための高い初期コストを喜んで負担するところにある。

知識の流れに対する内部の障壁。革新は、多様な共同体の独創的な組織をつなぎ、市場に提供できるまでにしっかりと洗練されたものを作り出す系統だった過程である。革新的な企業は、科学者とエンジニア、エンジニアとデザイナー、デザイナーとマーケティング担当者というように、多様な共同体を寄せ集め、それぞれの異なった実践と信条体系を調和させることによって成功する。だから、一つの共同体しかない企業は、複数の共同体を持つ企業よりも、発明から新製品の開発までの過程をたどる備えが足りないといえる。

企業の内部で行き詰ってしまう知識が外に流出する。その知識を門前で待ち構えているVCが道筋を用意しているので、企業が内部の調整機能をより早く効率的に作動させないとその知識をすべて失いかねない。

知識は、雇用主を超えて、地域のなかにある同じような仕事をする人々を結びつけている組織に流れていく。この組織を「実践のネットワーク」と呼ぶ。実践の共同体とは異なり、必ずしも一緒に働いているとは限らない。病院や大学の血液の研究ネットワークなど。ML、学会誌など。顔を見たことがない広がりの場合もあるし、クラスターのように近接していることもある。クラスターだと実践のネットワークからすぐに行動がうまれやすい

局地は、知識の移動コストを下げ、流動性を高める。地理的にも分野的にも近い人々は、そのアイデアが何を意味し、それをどのように活用すべきかを分かってしまう。

スピンアウトだけでなく、スピンインもある。ビットバレー企業はこれが盛んだが、札幌では、アウトはあるがインはない。大企業がいるからスピンアウトもインもあるのだが。仲間内で小さく別れているだけである。

パットナムのような共同体からではなく、信用は、実行から生まれる(コーエンとフィールズ)。信頼できる実践は、共同体やネットワークを構築し、そこから信用が生まれる。

マトリックスではなく、生態系である。全体の環境に好ましいことが、必ずしも個々の企業にとって良いこととは限らない、死ぬ企業もある。情報が流れ出ないように孤立すると死ぬこともある。生態環境を養う企業は、生態環境から養われている。

知識の生態系が参加者の間に接点を作り、それがクリティカルマスに達して自立的な活動力を得るまでに時間をかけて発達してきた。これは経路依存性があるので、簡単に真似られない。

「なぜ」「どこで」というマーシャルに欠けている集積について論じたこの箇所は、今日は紹介にとどめるが、「知識が実践を通して伝わる」という重要なポイントを指摘している。これは、サッポロバレーを強化するにあたってのヒントになりそうな気がする。

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シリコンバレーの10の特徴

この本の第一章で、シリコンバレーという生息地の10の特徴があげられている。以下紹介する。

1.ゲームの有利な規制:アメリカのシステムが他国よりもベンチャーにとって有利である。・・・これについては、日本も制度的には遜色なくなっている。

2.知識集約:新しい製品、サービス、市場、およびビジネスモデルについてのアイデアで一杯の大釜である。アイデアは、起業家、既存企業の人々、大学の教員や学生、ベンチャーキャピタリスト、移民などから生まれる。・・・ここは札幌と違う(アイデアはあるのかもしれないがそれが顕在化していない、ここで学んだ人は本州に行ってしまう、移民も少ない)

3.良質で流動性の高い労働力:才能をひきつける磁石である。多くのエンジニア、科学者および起業家はシリコンバレーで教育を受け、絶えず厳しい仕事をするなかで技能が磨かれ進歩してきた。地域の大学は、教育と訓練において重要な役割を果たしてきた。流動性が高いので知見がコミュニティに行き渡る。・・・ここも札幌と違う(一時期エンジニアをひきつけたこともあったが、また逃げてしまった。大学は地元産業に対して教育と訓練を意識してはいない)

4.結果志向型実力社会:民族、年齢、年功、経験は必須条件ではない。成功した起業家は年齢、世代、民族などバラバラである。実力主義。移民起業家に障害はない。・・・日本では、逆に異端者は、本流の仕事を得られないので起業家になっていることが多いが、それは、パチンコや不動産など特殊な分野である。・・・本来札幌のような開拓地こそ、シリコンバレーのように実力主義であって欲しいところだが、逆に東京以上に形式主義かもしれない。これは道庁や北電など役人天国であるからかもしれない。ITクラスターも、北大出身という妙なプライド(北海道だけで通じる)があるような気もする。Y社長のように異端者の企業のほうが面白いのだが。

5.リスクテイクに報い、失敗を大目にみる風土:計算されたリスクテイキングと楽天的な起業家精神。有限責任。ストックオプション。・・・これら制度は日本でもすでに導入済み。・・・札幌は、確かに、分派して独立する傾向は強い。しかし、それはたぶんに独立の気風というよりも、好き嫌いなどの子供じみていることが多い。

6.開放的なビジネス環境:企業秘密は守るものの、知見の共有化によりすべてが利益を受けるという傾向。全員が勝者となるWIN-WINの知見の交換にオープン。・・・札幌では、これが意外になされていないのではないか。自分のことしか考えていない。あるいは、系列化されていて地域として分断されている。・・・たとえば、知クラで生まれた知見を公開することによって、地域全体の底上げが出来るようになると良いのだが。ユーザビリティ・ブームでも良いかもしれない。仮に、I社の製品だが、S社が仲間で使いはじめたシステムが非常に便利で、これが共同開発のデファクトになって、I社が儲かるのもよいが、むしろ、サッポロバレーの企業がこれによってラピッドに共同開発できるようになって、これが地域全体のスピードを高める(付加価値を高める)ことになったら素晴らしいのではないか。

7.産業と相互に交流する大学と研究機関:研究機関と大学は、先端的な研究成果とよく訓練された経験豊かな科学者とエンジニアの供給源。近くにオフィスを構えることはハイテク企業にとって有利。シリコンバレーでは、産学の間で双方向にアイデアと知識が交流している。教員が会社のコンサルタントやアドバイザーになったり役員になったり、大学を休職したり。企業は、研究のスポンサーになる。セミナーや会議を通じて、産学が定期的に交流している。・・・札幌では、小樽商大の先生が取締役になったり、北大の先生が企業を起こしたりという動きが出ている。また、昔からの顔なじみでの産学も進んでいる。しかし、欧米でみられるような、産学の組織的交流はこれからである。・・・ITに限っていえば、A先生・Y先生が企業とのつながりの窓口であったこともあり、他の先生は遠慮しているというか敬遠しているようなところがある。産のニーズを大学のカリキュラムに繁栄させたり、産が学の講師をしたりなどもっと進めるべきである。異業種の先生との連携もこれからの課題だ。

8.ビジネス、政府と非営利的組織間の協力:産学間だけでなく、会社と業界団体、労働評議会、サービス組織との間の協力がシリコンバレーのコミュニティにおいて一貫した成果をもたらした。ジョイントベンチャー・シリコンバレー・ネットワーク。シリコンバレー・インデックスを作成。・・・札幌では、NCFがこれを目指していたはずなのだけど、現在は、メンバーが個々に活動しているだけだ。ここには、ネットデイをやっている人、農業の情報化をしている人、コミュニティ放送をしている人、ボランティアにITを活用している人などなどが参加していたのだが。・・・もう一度これを再生することはできないものだろうか。

ビズカフェは、NCFの活動のなかから、ビジネスそれもITに特化して生み出された運動であった。これが2年弱で終わり、当初借りていたバラックの場所に建てられた伊藤組のビルにビズカフェ2が設けられ(大家のご好意によるらしい)、NPOにもなり、新たな活動がはじまった。しかし、ビズカフェ2の求心力がすっかりなくなり、若手の勉強会の場やネットによる情報発信に止まっているように思っていた。

ところが、先日ビズカフェを動かしているYさんに話を聞きにいったら、IT産業振興はしていない、ITを活用して何か面白いことをやろうと思っている。学生など若い人が集まり、株式公開する企業ではないが、小さい企業を作る動きも増えている。SNSもはじめる、現在いろいろしかけている・・・とのことであった。若い人たち中心に、ノリの良い動きがまた始まるなら、それは地域の体液の濃度を高めるので嬉しいことだ。

IT業界を活性化させるなら、学校でのITを普及させる、ITでの学習を増やす。生涯学習にイーラーニングを使うなどなどあってよさそうなものだ。ETプロジェクト(ITでおもちゃをつくる競争)のようなものもある。バラバラに行われているものを戦略的に使えないものか。・・・もっとも、まずは、N財団とIT協会などなど、業界に係る組織の役割と機能を整理しなおす必要もある。

9.高い生活の質:・・・札幌は、相対的に日本のなかで生活の質は高い。問題は、大学卒業生が行きたい大企業(もしくは高成長企業)が地元に少ないことだ。親元を離れて欲しくない女性は、相対的に残るが。全てが起業家になるのは難しい。しかし、大企業が数社あれば、まずそこに勤め、何かのきっかけでスピンアウトすることもあるだろうに。東京などに行き、親のことや生活の質の高さからUターン、Iターン希望をする人はいる。その受け皿として、NECや富士通などの子会社、下請け大手はいるのだけれど。

10.専門的なビジネスインフラ:・・・これは、札幌では、非常に少ない。シリコンバレーは幾度もの波を通して、こうした専門的なビジネスが発展したのだが、札幌は公開企業も少なく、こうした専門ビジネスが成り立たない。札幌にUターンし、専門ビジネスをしている人々も、おそらく半分以上の稼ぎを本州でしている。・・・これは、ニワトリと卵だが、仕事が増えなければ、こうした企業も増えない。・・・9と10は、あると良いのだが、これが先にあってもベンチャーが増えたり、成功するわけではない。

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シリコンバレーの特徴

シリコンバレーの特徴

1.確かにここから重要な発明がなされたけれども、シリコンバレーを特徴づけているのは、発明ではなく、「これらの技術を開発し、市場に出し、利用するこの地域で誕生した会社である」。スタートアップ企業による技術の開発と商品化の物語。新たな富を形成する新しい技術に特化した企業。

2.集積のメリット。発端はなんであれ、いったん産業が起これば、技術の流出、技能の蓄積、生産を補完する要素である利便性、多様なフィードバックによる競争上の優位性。シリコンバレーはエレクトロ二クス企業に始まり、ITのそれぞれの波で繰り返されたプロセスであった。・・特定の産業活動に従事する人々、企業や制度の独特の集積。

3.数多くの小さなネットワークから構成される巨大なネットワーク。企業内部の境界は穴だらけ。

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January 15, 2006

シリコンバレーとサッポロバレー

チョン・ムーン・リーほか編著『シリコンバレー-なぜ変り続けるのか』をもう一度読み直している。前に読んだときには、気が付かなかったことが気になるところがある。

その一つ。

シリコンバレーにも歴史があり、その過程で大企業が生まれており、それがその後のベンチャー企業群誕生にとって大きな役割を果たしたことである(第三章)。

1.軍需産業(~1950S)

ヒューレット・パッカード(以下HP)が生まれたのは1939年で、スタンフォード大学の学生2人がガレージで始めた。確かに、HPは、学生ベンチャーであったが、HPが大きくなったきっかけは、第二次世界大戦とそれに続く朝鮮戦争による軍事産業であった。

2.集積回路(60S~70S)

続いて、1959年の集積回路の発明により、フェアチャイルドを生んだショックリー半導体研究所、そしてフェアチャイルドから生まれたインテル、アドバンスト・マイクロ・デバイシズ(AMD)、ナショナル・セミコンダクターなどの半導体会社が誕生した。

フェアチャイルドやAMDも軍事・宇宙向けの仕事をしていた。

70年代には、計算機や腕時計のすべての機能を持ち合わせたシングルチップが生まれ、この業界が否定的だったので、自ら計算機や腕時計に乗り出した。これは10年ほどで止めるが、このことによって、組み立て部品とテスト装置だけの供給者から消費財生産者にもなった。

3.パソコン(70S~80S)

国防と集積回路の波が技術基盤を確立し、それが次の波を生んだ。自分達でコンピュータを作ろうと集まった若者のなかから、アップルが生まれ、パソコンへの関心の高まりのなかから、サン・マイクロシステムズのようなワークステーションの開発が進んだ。

4.インターネット(90S~2000)

冷戦後の国防支出の縮小や半導体・コンピュータの世界的な競争激化でシリコンバレーは衰退したが、そこにインターネットが登場し、再び、ネットスケープ、シスコシステムズ、ヤフーなどが生まれた。

つまり、シリコンバレーは、技術の波に上手くのって、ベンチャーが誕生・成長し大企業になっていったのであり、①次々に波に乗るうまさ、②ベンチャーが誕生する風土、③ベンチャーが発展する風土・・などがある、あるいはそうしたインフラが波を通して厚みを増したという面では、確かにすごい。

しかし、今からシリコンバレーを作ろうと考えた時に、①軍需産業という巨大で先端的なものに資金が出るような市場があったこと、②波の発展過程で、「シリコン」バレーと呼ばれるように、製造業が育っていたことを無視できない。

つまり、中小企業だけの地域、大きな需要がない地域、製造業が発達したことのない地域・・・これがサッポロバレーなのだが・・・とは、歴史、つまり技術や産業のバックグラウンドが全く違うということを理解しなければならない。

サッポロバレーの物語では、1976年に北大の青木教授のゼミ生がマイコン研究会を始めたのを最初とし、すでに30年目なのだが、70年代当時、この北の大地には、軍需産業のような大きな需要もなければ、HPのような大企業も居なかった。

つまり、たまたまサッポロにマイコン少年が居て、仕事を得てそれがビジネスには成っていったけれども、地域には、それらをめくるめくほど大企業に仕立てるようなお客がいなかった。

その後、日本でも、コンピュータ化が進み、インターネットやケータイが発展するという大波は押し寄せ、その効果でサッポロバレーにも仕事は流れてきたのだが、ほとんどが首都圏企業の下請けの仕事であった。もちろん、なかには、独自技術を持つ企業もあるし、相対的に優れたエンジニアが沢山集積している地域ではあるのだが。

まずは、歴史が違うこと・・・残念ではあるが、これを事実として冷静に認めることが必要である。・・・逆に言えば、サッポロバレーは、サッポロバレーの歴史しかないのであり、ほかに真似がたいはずである。そして、歴史は、今の第一歩から始まるのであり、やるとやらないとでは、後々(それが歴史)大きく違ってくる。これは、今生きているものとしてわずかな希望である。

++++++++++

第一部シリコンバレーの現在のところに、シリコンバレーのハイテク経済に占めるソフトウエア関連の雇用が92年の7%から98年の14%に成長したとある。しかし、ハードウェアが依然として最も有力であるとしている。もっとも、労働集約的な製造工程はアジアなどに移転された。

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オーケストラのように

昨日、三谷幸喜の有頂天ホテルを見て帰ってきたら、「スマステ」でそれに合わせて帝国ホテルを特集していた。

帝国ホテルの裏側を取材したもので、お客様をもてなすために、ランドリー、ベルボーイ、コンシェルジュ、料理係り、客室係りなどなどがそれぞれ真剣に工夫をし、対応をしていることが描かれていた。

そして、取締役の人が「オーケストラを奏でるように」とホテルのサービスを称していた。

つまり、オーボエやタンバリン、チェロやバイオリンがそれぞれの受け持ちをきちんとやりとげ、全体として素晴らしい音楽になるように、サービスを提供するという意味だ。

地域のITクラスターの活性化もこのオーケストラのようになると良い。

吉田民人先生が言うプログラムがオーケストラの楽譜にあたる。

産官学と一言で言うけれど、産にも、他産業もあれば、IT産業のなかにもいろいろな産業があり、そのなかにもいろいろな企業がいるし、支援産業もある。官も周知のようにいろいろだし、役人それぞれも皆それぞれの顔をしている。学もしかり。こういう奏者がそれぞれの役どころで最高の演奏をし、全体として素晴らしい音楽を奏でられると良い。

まずは、楽譜を描かなければならないし、そもそもが、自分達が楽譜を演奏しているのだということを理解してもらわなければならない。

産官学連携は、まだ最初の試みの段階なので、どんな機能が必要でそれがどんな役割を果たさなければならないかがまだ明確になっていない。たとえば、同じ弦楽器でもバイオリンとビオラが必要であること、バイオリンとビオラは同じように見えるがどう棲み分け、どう協調したら1+1が2以上になるようにするかがまだ分かっていない。オーケストラの構成と楽譜が出来ていないのだ。

A社長は、業界のなかで重要な役回りなのだが、支援企業のB社の社長が嫌いである。しかし、楽譜としては、A社長は第一バイオリンだとしても、B社長は、華やかなトランペットであって、この曲を盛り上げるには必要な機能だ。A社長が重要であっても、B社長をきちんと配置しなければならない。

道庁のC課長は、本来は、ベースであってくれなければならないのに、ピッコロになってメロディーを奏でてしまったりする。

人間の身体と同じように、指揮者がいるのではなく、全体の濃度などによって、それぞれのパートや奏者が自らの分をわきまえるようにしなければならない。体調が崩れると健康な細胞が癌になってしまうので、体調を崩さず、全てのパートが最適に演奏できるような体液の濃度にしなければならない。

体液の濃度とは、たとえば、札幌地域の起業家風土のアップとか、楽しみたい度のアップなのかもしれない。

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January 14, 2006

産学連携事始より

荒磯先生の連載から再度、産学連携を学とする場合のポイントとなるテーマで私が関心を持ったことを整理しておこう。

1.同床異夢のように、産と学とでは、同じ研究といってもスタンスが異なる。

  • 学:自分でテーマを決め、次から次へとテーマが生まれてくる。
  • 産:目的が外から与えられ、目的が達成されると終了する。
  • 学:研究したことを公表したい。
  • 産:知財などにして公表したくない。

○これは何学になるのだろうか。

○担い手間のコンフリクトをどのようにコントロールするかというテーマなのだろうか。

○担い手間のコンフリクトは、産と学の間だけでなく、産と産の間でも起こる(IT産業と他産業、同じIT企業間)。まして官というプレーヤーが増えれば。官の場合には、国、道、市もあれば、国のなかでも省間があり、道のなかでも部ごとや人同士のコンフリクトがある。

2.企業のイノベーションプロセスのどこにどう学が絡むと効率が高まるのか。

○最初の段階でのフリートーク、知財の活用、モード2の共同研究。

○これは企業イノベーション論、知財活用論、それとも知的生産プロセス論のどれになるのだろうか。

3.比較産学連携論

○オウルと札幌、オウルとシリコンバレー、札幌と岩手とで、産学連携のやり方に違いがある、あるいは成果が異なるのは何故か。

4.産学が連携してイノベーションを起こす仕組み。

○大企業は、シーズから、中小企業はニーズからの方共同研究が多い(大分大学伊藤正美氏)。どうやってマッチングしやすくするか(リエゾン機能)

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January 03, 2006

産学連携事始め10

○産学連携が10年経ち、貴重な経験を次世代に引き継ぐ必要がある。体系を持った教育が必要だ。産学連携教育といえば、MBA、MOTが真っ先に浮かぶ。ベンチャー起業となると、こうした教育は不可欠である。特に、理系の大学院生へのMOT教育は重要である。もう一つ、インターンシップも学生に企業の実態を体験させ、産と学の双方が刺激しあいながらお互いを理解するうえで有効な手段である。

○しかし、MBA、MOT、インターンシップは、産学連携研究および事業を実践する人材育成法であり、産学連携のいわば出口に近い位置にある。産学連携の企画・立案に携わる人、そして最も困難な「産学の融合による新たなアイデア創出」にかかわるコーディネーターの教育・人材育成には、体系だった方法は確立されていない。先輩の成功話を聞くくらいである。国立大学の法人化以後、産学連携に関係する若手教員も増え、産学連携のテキストに対する要望が高まっている。

○もし、大学や高専に「産学連携学科」を作るとしたら、どんな科目が必要か。一つの試みを表にまとめてみた。複合科学であり、実際の産学連携活動にはさまざまな「相」がある。しかし、それらの諸相に共通して求められる基礎部分があり、その上に産学連携の実践が載っていると考えられる。病理学や生理学などの基礎医学を土台として外科や眼科などの臨床医学が発展することに例えられるのではないか。

○産学連携学は、突き詰めると「連携学」になるとも考えられる。湯本長伯氏は「創造は異種融合から生まれる。産学連携の神髄はここにある」と連携融合による社会のブレークスルーを強調している。単に経済を活性化するだけでなく、文化発展にも寄与する可能性を秘めている。

○産学連携学科に必要な科目

1.産学連携社会学

2.比較産学連携学

3.企業イノベーション学

4.知的財産活用学

5.産学連携システム学

6.知的生産プロセス学

7.産学連携政策学

8.産学連携教育学

・以上で連載は終わる。上記の8つは、連載の最初に書かれていた内容である。産学連携が文化発展にも寄与する可能性を秘めている・・というところがちょっとまだよく分からないが、産学連携学についての荒磯先生の事始めは、良くできていると思う。

・・先生には、先生の第一案であるこれを正月休みの間に批判するなりして、次の段階にいけるようにしますと言ってしまったが、ここまでのところ、全部納得する。問題は、その具体化である。HOPEは一つの結実だが、自分の担当のIT産業について、より具体的な検討を行い、かつそこから荒磯先生の第一案を膨らませなければならない。

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産学連携事始め9

○コンフリクト(衝突・矛盾)のマネジメントと言えば、産学連携分野では、利益相反などの知財をめぐる問題と受け止められる。しかし、コンフリクトは、あらゆる場面に避けられないものとして現れる。産学連携は、産と学という異質な世界を融合しようというのだから当然である。産学連携のプロセスは、産と学との間のコンフリクトマネジメントであるとさえいえる。

○社会のニーズに応えるための産における研究と、自由な知的探究心を駆動力とする学における研究の間に基本的なコンフリクトがある。リエゾン機能、技術移転組織、インキュベーション施設、ビジネススクール、ベンチャー支援等へのファンドがこのコンフリクトを回避する。論文による知識の共有化を目的とする学と、特許として知識を独占的なものとしたい産の基本的使命との間のコンフリクトは知財権の運用によって回避される。

○守秘義務を持つ産学連携研究とその中での一般的な学生教員の間にもコンフリクトが存在する。これを回避するには、共同研究の範囲、研究室のオリジナリティ、研究費の出所などを明確にすることが必要となる。

○企業イノベーションにおいて、研究段階と前開発段階で威力を発揮する学も、製品開発、事業展開では有効性がほぼ無くなってしまう。これは産と学との構造上のコンフリクトであり、企業内での研究者の待遇の保障や役員としての位置づけなどを明確化しておく必要がある。

○産と学とが共通の目的を獲得する瞬間が産学連携の醍醐味である。しかし、そこに至る過程は種種のコンフリクトが錯綜して横たわる。特に地域産学連携では、研究者の専門と共同研究テーマが一致しないケースが多い。単純なテーマの発展形ではなく、創発の過程が必要であり、研究者と研究それ自体にコンフリクトが生じる。これらを吸収しつつ、混沌から産学共通テーマを生み出す仕組みとして生まれたHOPEでは、産と学から放出された種子が融合し、やがて事業化へと発展する生命的過程を連想させる。

○産学連携の仕上げは、製品化し、経済効果を挙げることであるが、新規技術をベースとする事業と、ファイナンスとの間にコンフリクトがある。投融資の過程で、従来型の保障の条件が得られにくい。金融側にも、特許を担保として認めるなどの改善があるが、技術評価に困難さを抱えている。これに対する解答が、産学連携完成の最後のバリアを壊すものとなろう。

・・産学連携をコンフリクトの連続として捉えることは、とてもユニークな発想でよいと思う。長い間、産学連携で苦労され、HOPEを結実させた荒磯先生ならではの見方だ。

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産学連携学事始め8

○「産学連携力」は、結果で判断されている。共同研究は何件か、特許出願件数は、ベンチャーは何社、産学連携を基にした売り上げはなどなど。しかし、総合的な産学連携力は、そのプロセスをも含むべきである。

○産学連携を生み出すスタートは何か。「シーズとニーズのマッチングである」といわれることが多い。そのためにシーズ集を作ろう、企業のニーズ集も欲しい、マッチングセミナーを開こうと考え、この10年間、全国で多大や努力が払われてきた。しかし、学の産学連携実務者の会員が多い産学連携学会の報告には、シーズ集が見事に活用されたとするものは余りみられない。

○大分大学の伊藤正美氏は、「工学系の分野といえども、大学内の学術的発想による研究成果が直接「産」のニーズを満たす技術になるか疑問がある」と指摘し、次のような分析を示している。大分大学における03年になされた「共同研究73件」の研究報告と大学の研究者データベースに記載された研究テーマとの関連を見ると、一致するものは47%あり、これを「メインストリーム型」と名づける。残りの53%は、企業のニーズに対し、研究者の幅広い知識を応用する「ニーズプル型」の共同研究である。さらにこの分類を大企業との共同研究に適用すると、74%がメインストリーム型となり、県内中小企業との共同研究に当てはめると逆74%がニーズプル型であった。

○これは、中小企業とのマッチングは、研究者DBに記載されているシーズからは起こらないことを示している。つまり、一般に考えられている産学連携スキームは、地域中小企業との産学連携にはおおむね当てはまらない。

○では、何が産学連携のスタートになるのか。コーディネーターが橋渡しをすると考えることもできる。しかし、少数のコーディネーターが何百人もの研究者の能力を掌握するのは至難の業である。ほかにどんな方法があるか。今、産と学をニューマンリレーションでつなぐ糊のような組織が全国で生まれている。これは有力な産学連携のスタートになる。理想的スキームとして図のようなスリーステッププログラムを持ったサロン型組織が考えられる。

第一段階:アイデア創出サロン。ここは、産と学とのフェイス・ツー・フェイスの文字通りのサロンで、気楽な会話からアイデアを生み出す。企業経営者のイノベーションへの意欲と研究者の一般的知識の活用がカギになる。

・企業経営者、技術開発責任者と大学、公設試等の研究者、金融、行政等の担当者にコーディネーターを加えた懇談会。研究者とコーディネーターが幅広い人的ネットワークを持つことが重要。

第二段階:研究プロジェクト。サロンから生まれたアイデアがどうしたら実用技術になるかを研究する。

・事業アイデアに関連する複数企業と専門研究者によるプロジェクトチームの結成。技術動向、マーケット調査、事業化の可能性調査を比較的オープンに議論する。コンソーシアム的なかたち。議論の進展に伴い、守秘契約等が発生し、弁護士や弁理士の参加も必要となる。精神のプロトタイプの確立までがこの段階の範囲。

第三段階:事業化プロジェクト。プロジェクトから生まれた技術実用化する。

・開発企業を確定し、専門研究者との契約を行う。商品開発とその事業化を目指す。知財や製造・販売に関する他社との契約が発生する。完全にクローズしたチームである点「研究プロジェクト」と明確な相違がある。開発研究支援とともに、事業化支援が必要のケースもある。

このような組織は、岩手大学を中心とするISN、北海道のHOPEをはじめ、全国各地でそれぞれの地域性を踏まえ成長している。

・・荒磯先生は、モード1のみを志向していなかった。ちゃんとモード2の必要性を理解していた。そして、大分大学の分析は、大企業と中小企業とで産学連携のあり方が異なることを示している。

・前の書き込みで、守秘義務のようなことを懸念したが、上記のINSやHOPEでは、そうしたことも段階的にきちんと整備されているようだ。

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産学連携学事始め7

○産学連携といえば、大学のシーズを企業に移転し、秦事業を創造すると考えがちである。しかし、地域の産学連携にかかわる人はこのパターンを地域に持ち込んでも、地域全体の活性化にはつながらないと考える。

○島根大学の北村寿宏氏は、「地域との相互支援型の連携システムによるビジネス化」を試み、そのステップとして、①地域の問題の抽出、②それを解決するための実践、③事業化への検討と実施、④法的な面への支援を挙げている。地域における産学連携は、地域の求めるもの(地域ニーズ)に対して学が支援するパターンも重要なのである。

○地域連携は各地で確実に進んでいる。その成果は、「地域に特殊なもの」として過小評価されていて、そこに普遍性があり、わが国の産学連携の重要な成果であるという認識はまだ低い。もったいない話だ。地域連携が上手くいっている徳島の例を紹介する。

○徳島大学地域共同研究センターの佐竹宏氏を中心として10年にわたる地域連携システムの構築が見られる。地域共同研究センターと密接な関係を持つ組織として、①徳島県技術移転連絡会議、②産学連携推進懇談会、③徳島創造パートナーズ、④徳島大学ベンチャープラットフォームがある。これらが、産学官連携に必要な研究推進、技術移転、知財の権利化・保護、インキュベーション、リエゾンの機能と官(公)・財団、企業、金融などの組織との必要な組み合わせによって形成された組織体である。04年末には、県、銀行、地域企業の出資によるベンチャーファンドが設立された。

○地元の企業の高度化を大学が支援して事業発展を目指すときは、企業の代表者や技術者がメンバーの「創造パートナーズ」が産と学の間のノリのような機能を果たす。ベンチャー起業を目指すときは、「ベンチャープラットフォーム」が学・投資家・金融・法律家・企業人・経営者・官・TLOなどを束ねて必要な支援を行う。まるですべてを吸い込むブラックホールである。

○徳島大学における産学官+金融ネットワークの図は、全国の多くの地域に見られるものである。その意味で、これは地域連携のスタンダードといえる。しかし、地域によっては組織だけあって、連携機能が弱いケースも多々ある。徳島では何が違うのか。それは必要とする機能に応じて組織が作られてきたことだ。組織が先にあって機能させようとしたものではない。産・学・官・金融を取り持ち、目的に応じて変幻自在に組み合わせを変えることのできる組織を持つことが地域連携成功の鍵である。

・・このその7で荒磯先生が言われていることは全面賛成だ。北欧のサイエンスパークを見てきたときに感じたことと同じだ。そこでも、必要に応じて機能が加えられてきていた。EUの大会などがあり、他地域の動向も分かるので、他者にあって自分のところにないものを加えているという効果もあるようだった。しかし、いずれにしても、先生も言うように、地域の担い手が自ら欲しい機能を工夫してつくりあげていく(決して中央のイメージ図にあわせるのではなく、また他地域を単に真似るのではなく)ことが必要である。

・・北欧では、地域が小さい規模であることもあって、大学が地域との連携に積極的な役割を果たしていた。徳島大学がこうしたスタンスを取っているのはうらやましい。北欧では、産のための学であり、産は、学に、必要な機能を要請して学がつくりあげられてきた。ところが北大のようなところは、もともとは地域のために出来た大学であったのだが、国や世界を向いた研究をすることが最も重視されるので(それはそれで大切)、地域の要請を聞こうなんてことは、本当には思っていない。今は、それでも、地域にお金が流れているので、いうことを聞くにせよ、また、個々の先生が良い人であるにせよ、大学の立場としては、そうではない。国立大学の二期校のほうが、あるいは単科大学のほうが、地域との連携としては良いスタンスなのだろうと思われる。

・・ところで、創業パートナーズなどで企業の開発という大切な秘密が漏れないのだろうか。おそらくきちんとなっているのだろうが、そうした配慮も必要である。札幌ITカロッツェリア事業の落としどころとして中核事業体をつくろうとした折、企業が最も懸念したのは、事業をする立場から考えて、開発とか試作品作成のように非常にセンシティブな機能をこんなわけもわからないあいまいな機関には、頼めないということであった。

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産学連携学事始め6

○学術研究は、とうとうと流れる川に例えられる。源流では研究者のひらめき、アイデアの湧き出し口がある。支流を集め大河となって流れ続ける。流れの行き先は研究の深化であり、産業化ではない。しかし、この川の流れには、必ず産業化の可能性を秘めた「旬」の魚が泳いでいる。この魚を釣って、産業技術化し、事業化まで進み、さらに新産業創出を展望するまでの大料理が産学連携の過程である。

○大料理の方法は?レシピは?厨房は?わが国では未発達であった。「産」と「学」のギャップの中に、この大料理のシステムとそれに乗って料理が確実に進むプロセスを新たに構築することが産学連携を実践する上での最大の課題である。産も学も多少は変わらなければならないが、それよりはるかに重要なことは「新たなシステム」の構築である。

・・荒磯先生は理系の大学教授なので、モード2を理解はしていても、どうしてもモード1の考え方なのではないか、とこのたとえを読んで感じてしまった。これは、読みが浅いのかもしれないが。

・・同じ料理というたとえを経営者のI氏から聞いた。これは、札幌IT企業が持つさまざまなシーズをITの顧客であるニーズ産業の要望にあわせて、如何ようにも料理すると言ってくれたのだ。そのためには、札幌IT企業がどのようなシーズを持つのか、あるいは、どのような文脈でならシーズを活用しようと思うのか(好き嫌い、企業系列などなど)、また、道外も含め、ITのニーズ産業がどのような要望を持っているのかをまず知る必要がある。あるいは、I氏を含めた3者がざっくばらんに話し合うなかで、I氏が筋を読み取るのかもしれない。

・・I氏はここでは料理人なのだが、ITの場合には、大学の研究者は二の次になっている。もし、研究者の持つシーズがIT企業の持つシーズよりも産業界から遠いのだとすると、その料理人の水準はものすごく高くなければだめかもしれない。高い水準というのは、長期の開発期間とコストに耐えられる企業体力かもしれない。料理でたとえると、ひよこを連れてきて、成鳥になるまで育てる時間である。

・・ともかく読み進めよう!

○産学連携システムには、どのような機能が必要か。

1.産業技術化の可能性を持った研究、及び研究者を発見するリエゾン機能

・この機能は、学からの視点からだけでは動かない。産が今欲しいものは何か、将来必ず必要になるものは何か、事業として、地域として何が優位性を持てるのかなどの、産がまさに解決しなければならない問題点に立ってはじめて産業技術の種を探し当てることができる。

・産からの要請と学からのこたえは、異なる文化の中にある。産学連携の第一歩は、これら二つを同じ目的の下に融合する「リエゾン機能」からスタートする。具体的には、「シーズ発掘」「プロジェクト研究のコーディネーション」「地域や分野における戦略的テーマ設定」となる。

2.発掘された産業技術のコアを知財として確定し、企業への移転を図る「技術移転機能」確立させなければならない。TLOや大学の知財本部がこれを担当し、「産業技術化研究」が始まる。

3.ここから生まれた事業化可能な技術は、第三番目の機能、「事業化支援機能」により経営、法規面を整え、ベンチャー企業や新規事業展開へと進む。

4.仕上げの第四機能は、「資金提供機能」である。VCや銀行・信金などの活発な活動が期待されるが、わが国では、まだ不十分(新規起業に関する社会的評価が低い、金融機関の技術評価基準が未整備などの理由から)。政策投資銀行など官系の新規事業支援強化を図り、フィンランドのような国営VCの出現が望まれる。

・・確かに、資金提供機能、事業家支援機能は重要だが、その前に、技術移転機能が出てくるところが、これは確かに教科書どおりなのだが、どうしてもモード1の枠組みである。モード2の場をつくることがまず何より必要である。

・・最大の問題は、リエゾン機能である。産と学との両方の文化・言葉を理解し、ニーズとシーズを結びつけると化学反応が起こることを発見する力・システムをどうするかである。現在の方法は、MOTなどの人材を育成し両方の言葉が分かる人を増やす方向だ。第三者であるこういう人が増える(コーディネーター)、あるいは、研究者自身がビジネスのことを念頭に置くようになることは必要である・・そして、これは流行である。

・・確かに、アメリカのベンチャーは、大学研究者が自ら起業する、あるいはベンチャーが大学で教えることによって活性化している。しかし、もしかすると、日本では、本田宗一郎がやったように、経営者が問題意識(次のニオイを感じ、しかし、それを実現する技術が分からない場合)を持ち、学の扉を叩くことの方が実態に合っているのかもしれない。そうなると、敷居を低くする、扉を叩けるようにすることが必要なのかもしれない。リエゾン機能は、お客である企業の方を向いて、ただし研究者のDB・電話帳を持っていて、きちんと適切なところにつなげることが大切なのかもしれない。リエゾン機能が、研究者の方を向いて仕事をしてはいけないのである。あくまで、研究者の売り込み人ではなく、企業の代理人にならなければならない。

・・「地域や分野における戦略的テーマ設定」は、今の私にとっては重要な課題である(IT分野に限るが)。しかし、これはリエゾン機能なのだろうか。地域を経営するという観点では絶対に必要で、これは政策論として重要であり、発案者が居て、それを産学官が政策化していく必要があり、もし絞り込めるなら、大学のカリキュラムや人材もそれにあわせるくらいのことが求められる。

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産学連携学事始め5

○わが国の産学連携現象の引き金となったのは、シリコンバレーモデル。この成功のキーワードが「産学連携」と「起業家精神」。日本は、これに習い、大学に企業との連携を任務とするリエゾンオフィスを置き、TLOを設置し、知財について日本版バイドール法をつくり、VCが活発に活動しはじめた。これらの動きはベンチャー企業の設立に有効に働いたのは確かである。

○しかし、日本では、ハイテク企業の集積は東京一極集中の傾向があり、地域テクノポリスはなかなか生まれてこない。その理由として、資金や経営ノウハウの脆弱性と共に、起業家精神が弱いことがあげられている。99年のグローバル・アントレプレナーシップ・モニターによれば、先進7ヶ国にデンマーク、フィンランド、イスラエルを加えた10ヶ国中、日本の起業家精神の指標は、最下位から二番目という低いものであった。最下位は、実はフィンランドである。

・フィンランドが最下位とは知らなかった。ただ、以前訪問した折、「やはり大企業が生活が安定していてよい」、「起業家精神のある人はアメリカに行ってしまう」という意見を聞いて、なんだそうなのかと思った。

○ノキアで名高く、経済競争力も世界トップクラスにランキングされているこの国では、どのようにしてテクノポリスが形成されたのだろう。米国とフィンランドを、国家インフラ(集中型か分散型か)と社会文化(リベラルか保守的か)という指標で分類すると、米国は分散・リベラル、フィンランドは集中・保守となり、後者では、地域イノベーション推進のためには、国としての政策が必要である(斉藤尚樹氏ほか地域イノベーションの成功要因及び促進政策に関する調査研究、文科省、04年)。

○ノキアを要するオウル市のテクノポリスは、オウル大学とオウル市・民間・国の開発基金の出資による公開有限責任会社であるテクノポリス、および研究開発センター(VTT)の三社を基本骨格としている。テクノポリスは、設立当初、企業に産学連携機能を提供するレンタルラボ的なものであったが、現在では、管理会社の機能を持つ。国との連携も緊密である。

・公的な資金が入っているいわば第三セクターなのに、株式公開してしまうところがすごいなぁと思った。オウルの経済活性化、雇用拡大のために設立された機関なのに、株式公開して得た資金で、首都のヘルシンキ近くに進出したり、インノポリという首都圏にあるサイエンスパークをも買収した。オウル市民だったら、なんだかだまされたような気がしないのであろうか。札幌の経済活性化のための機関が東京に進出してしまったら、結局人材が流出し、一極集中を促進することにつながってしまいそうに思える。それとも、市民が皆動こうとしないので、情報のみが行きかいやすくなって良いのだろうか。

北欧では、ある地域で成功したモデルを他地域にも展開するとか、国の政策に取り入れることが良くあるが、これも、オウルで成功したので、全国展開することを国が支援(促)したのかもしれない。テクノポリスをはじめとする多様な機関が切れ目のない支援をしており、確か海外市場へのマーケティングまでやっていたと記憶する。国をあげての支援とはいいながら、当初はオウル市の政策であったのであり、札幌のことを考えると、第三セクターであるテクノポリスが何故これだけの実績を上げられたのかが不思議だ。

○貿易産業省下に技術庁があり、大学、公的研究機関、企業における開発研究への融資を行うとともに、州ごとに他の省庁と融合した地域雇用経済活性センターを持ち、各地域できめ細かな支援を行っている。最後のステップとして、企業に対する資金援助にも国営ベンチャーキャピタルとでも言うべき機関(SITRAほか)が機能する。

○このように、フィンランドでは、地域行政、国レベルの行政が一体となり、民間、大学との間に切れ目のない支援システムが出来上がっている。シリコンバレーとは大きく異なるシステムである。

○産学連携の先進地域に学ぶことは有効ではあるが、その国・地域の風土や人々の気質を無視することはできない。「比較産学連携学」では、出来上がった形のみを知るのではなく、それを成立させた条件を探りださなければならない。国と地域の性質を見極めた、「産学連携政策論」を民間と大学が積極的に提言することが必要である。

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産学連携学事始め4

○高付加価値経済への転換を図るうえで、「事業戦略ー研究開発戦略ー知財戦略」の連携を強める「三位一体の知財経営」が企業に推奨されるなかで、学と知財は避けて通ることのできないパートナーとしてお互いを見ることとなった。

○これはわが国の大学の100年を超える歴史上初の出来事といってよい。日本の大学は、伝統的に知財に無関心であった。大学の研究者は論文作成を最大の目的としている。研究費の獲得もプロモーションも論文数がモノを言う世界なのである。

・・国のプロジェクトで産学連携をやっている現場からみると、すでに産学連携している研究者では、論文よりも知財という考え方はだいぶ定着しているように思える。これは、特許をとる手間やコストを私が係わっている国の事業でまかなう仕組みになっているからということもあるのだろう。ただ、そのため、安易に特許を出し、その維持にお金がかかるので、あっさり取り下げる(取り下げるにも金がかかる?)ようなケースもある。

・・今でも、論文数が評価基準なのだろうか、競争的資金導入の金額とか、特許数なども評価されるようになっているのではないのか(要チェック)。

○産が「多額の税金を使った研究結果をすべて論文で公表し、公知の事実にしてしまえば喜ぶのは外国企業ばかりだ。税金をなんと思っているのか」と言えば、学は「税金を使えばこそいち早く論文化して成果を還元するのだ」と考える。特に世界をあいてにしているトップ研究者は、日本と外国の経済問題などほとんど関心がない。

○知財というものが何であるか明確にして、産と学とが連携できる戦略を持たなくてはならない。2000年当時、知財戦略の重要性を見ていたのは、現・知財戦略本部事務局長の荒井寿光氏など極めて少数の人であった。わが国において、知財政策が形を現してきたのは、01年に経済産業省と特許庁による「産業競争力と知的財産を考える研究会」発足からといえる。02年、総理主導の「知的財産戦略会議」が発足し、同年7月「知的財産戦略大綱」ができ、11月「知財基本法」の成立、03年7月「知財推進計画」の決定などが進展した。04年4月、国立大学の法人化を契機に、大学の知財が原則として機関帰属となった。

○機関帰属は、産と学とが知財戦略を共有するうえで有効な手段である。しかし、学の現場で大きな混乱を招いていることも事実である。山形大学知財本部の足立和成氏は、次のように問題点とその対策を述べる。

○まず、機関帰属の問題点として、大学における職務発明の基準を定めることの難しさを指摘し、教員は学生の教育の傍ら自らの学問的好奇心によって自発的に研究活動を行っているのであり、ここから生み出された知財を一律に職務上創出されたものとするのは無理があると結論する。このような点に対し、山形大学では、①機関帰属にかかわらない柔軟な対応、②機関帰属の場合の発明者への補償、③大学・教職員個人の通常実施権の確保といった対策を行っている。

・・北大ではどうなっているんだろう。機関にのみ帰属だと、研究者が自由に使えないのだろうか。先生で東大に移った方がいるが、その場合、特許はどうなっているんだろう。個人で特許を取ったり、維持するのは手間とお金がかかるのだが、これはどうするのだろう。大学の知財本部がやってくれるのだろうか(個人の場合も)。これらも要チェック

○室蘭工業大学の飯島徹氏ら国立大学法人・地域共同センター教員有志による研究会は、「特許として知に付加価値を進めるプロパテントの基本意識と、大学の現在持ち続けている知的生産プロセスが正反対である」点を指摘し、大学の知の生産・継承システムにおいて、出口論に偏りがちな現状から入り口論である「(各種学会論文の)著作権」の付加価値化が必要であるとの提言がなされている。

・・出口が論文や特許だとして、入り口論が著作権の付加価値とは、どういうことだろう。

○知財戦略が整備されたとはいえ、その円滑な運用な緒に付いたばかりである。産学連携を支えるために「知財活用論」を活発に戦わせる必要がある。

・・知財から逃げていたけれど、もう少し現状を勉強しておく必要がありそうだ。

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産学連携学事始め3

○企業が新製品を開発するプロセスは、研究段階→開発段階→試作品作成→生産と表せる。学に蓄積している科学技術を効果的に産に移転するためには、これら企業イノベーションの各フェーズと学の関与を考える必要がある。

・東北大学の長平彰夫氏の研究。開発の前段階として「アイデア創出・探索」、「アイデア評価」、「製品コンセプトの明確化」、「製品開発の計画立案」を行うことにより開発の成功確立が格段に高まるとする「フロント・エンド・オブ・イノベーション(FEI)モデル」が提唱されている。これらの各フェーズで学はどうかかわっているのか。「研究段階」での産学連携が通常であるが、大規模アンケートの結果、新規性の高い製品開発では、「アイデア創出・探索段階」での産学連携の有効性が確認された。(産学連携学会第三回大会予稿集より)

この結果は、イノベーションのスタートを学がリードできることをデータを持って示したものである。学のこの能力はどこから生まれるのか。小樽商大の瀬戸先生は、イノベーションに重要な「異分野間の融合」の環境が学に備わっていることを指摘している。

つまり、わが国では、農水省=農業、厚生労働省=医薬産業、総務省=IT産業といった縦割りの構造が産における異分野の融合を難しくしているが、学は学部間あるいは学ー学連携により容易に実現できる環境を持っているのである。しかし、この連携は自然には生まれにくい。学の研究者は専門化し細分化する傾向が強いからである。

瀬戸氏は、学における異分野融合の具体的方法として「大学発ベンチャー」と「大学教員のアライアンス」が有効であると説く。

学が潜在的に持っているイノベーション創出能力を引き出すためには、産のイノベーション構造を分析し、どのフェーズで学の持つ能力を連携するかを明らかにする必要がある。その際、蛸壺から研究者が外に出るためのモチベーションを十分に考える必要がある。

官の支援を活用することも有効である。金融機関との連携も必要になろう。単に「学の敷居が高い」と嘆いてみても何も起こらないのである。

産学連携学の基礎として、「企業イノベーション論」は不可欠である。さらに、これら一連の産からの働きかけが学にとって異分野融合による新領域創造の芽を育むことにつながることを忘れてはならない。

・長平先生の論文を読んでいないのでなんともいえないのだが、「アイデア創出・探索」に産学連携の有効性が確認されたというのは、具体的には、何を指すのだろうか。企業の経営者あるいは研究者が良く知っている大学の先生のところに行って会話をし、そのなかから当りを探るのだろうか。それとも、日ごろから会合などを通して知見を得られていることがヒントにつながるのだろうか。

・・大学は、確かに異分野間の融合が「可能」な場所ではあるが、実際には、蛸壺である。企業にとって、A先生のところに一度行ってしまったら、B先生のところへは行きにくい世界でもある。ある企業が行きつけの先生とアイデア創出・探索に有効な会話をかわすことは可能であろう。あるいは、その企業の本来とは異なる別の分野の先生のところを訪ねることも可能なので、企業にとって異分野融合を果たすことは可能かもしれない。

・・確かに、企業にとって、大学にリエゾン(窓口)があってくれて、こうした問題を議論したい、こうした問題を一緒に解決して欲しいときに、適切な先生を紹介してくれることはとっても有難い仕組みといえる。

・・荒磯先生言うように、企業のイノベーションにとって、いつ大学の知を活用したいものなのか、活用すると効果が生まれるのかを研究することは産学連携を考えるうえで必要なことは確かだ。

・・金融機関は、本来、どの企業がどんな技術を持っているか、どんな分野に進出したいと思っているか、あるいは、地域のどの先生がこの分野に詳しいかなどの知識を総合的に持っており、仲人役を果たせる力を持っている。ただ、金融機関が単なる日々の業務に追われるだけの部署しかないと、融資先以外の情報を蓄積していないかもしれない。昔のように余裕のある時代には、そうした次につながる情報を持ち、ニーズやシーズをつなげる役割を果たして、金融機関にとっても次の商売を生み出してきたものだが、こうした機能が今低下してしまっているように思われる。

・・官は、「支援」機関であることに徹してくれるなら、産学連携を促進するうえで、とても良い立場であると思う。モード2の知的生産の場を作るための政策(資金出し:あるいは仲人役を雇用)は、それなりに促進材料になる。問題は、補助金が大学や企業のモラルハザードを招いたり、逆に自由さを縛ってしまう可能性があることだ。

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January 02, 2006

産学連携学事始め2

○産の研究と学の研究とはその趣がかなりちがう。

産:①目的が外から与えられる。②目的達成により研究が終了

産における産業技術化研究は、突き詰めれば人間の生活向上へのニーズを出発点としている。実現可能なニーズで事業化が見込まれると判断された「モノ」を作り出す研究が基本である。ここで「モノ」は、形があってもなくても良いが、どちらにしろ研究の目的は明確に外から与えられ「モノ」が出来た時点で研究は一応終わる。

学:①知的探究心により研究テーマが決まる。②一つ問題が解決するとまた新しいテーマが生まれる。③研究は自己発展的に継続し深まる。

一方、学の研究はおおむね研究者の知的探究心から生まれる。つまり、研究の目的は個人の頭から生まれてくる。独創性が命であり、それがなければ論文も書けず評価もされない。一つ問題が解決するとそこから新たな研究テーマが生まれ、研究は自己発展的に深まる。

○産と学とでは、まるで正反対。これでは、産の側から「大学の研究者が加わると研究が目的から外れ発展性がない」と嘆かれ、学の側からは「目的が達成されると研究が終わるなんてなんと発展性がないことか」とそっぽを向かれるのも無理からぬことである。

○しかし、自然科学の発展史をみると、新たな学問領域誕生のきっかけは、社会的要請を反映していることが多い。

現代社会に多大な影響を与え続けている量子力学もその誕生のきっかけは19世紀ドイツを支えた鉄鋼業の高度化への要請だった。灼熱した鉄の温度をその色から測定する方法をブランクが「量子」という考えを用いることによって見出したことからはじまる。ブランクの後、シュレーディンガーをはじめ多くの大物理学者が量子力学を体系化する。完全に学問の世界である。

ところが、約半世紀を経て、この理論を基礎にトランジスタが生まれ、現在の情報化社会につながっている。大きな流れのなかで、産と学とは作用しあい、お互いを発展させてきたのだ。産学連携は一方通行ではない。

目的も価値基準も違う産と学が互いにメリットを得られる新たな融合化システムが待たれる

「産にニーズがあり、学にシーズがある。これをお見合いさせれば新しい産業技術が生まれる」とよく言われる。前段は真であろう。しかし後段は単純すぎる。産と学の、目的も価値基準も違うドメインを融合させるには、双方にメリットがあり、お互いのミッションを損なわず協働できる新たなシステムが必要である。

産学連携の具体的な課題の一つは、そのシステムがどのようなものであるか解明し、想像力を駆使してデザインし、作り上げることにある。

異なる基準を持つ産と学という二つの「社会」。これらの社会が協働する道を指し示すために、文理が融合した「産学連携社会学」とでも言うべき考え方の体系が待たれる。

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産学連携学事始め1

北大で産学連携の窓口を担当し、最近では、産学連携学会会長に就任した荒磯先生が日刊工業新聞に「産学連携学事始め」という連載を始めた(2005年6月7日から)。まずは、気になるところを紹介しておこう。

○「産学連携」という言葉が使われ始めたのは96年から。使う人によって異なっている。以下いくつかを紹介。

・野村総研「大学と産業界の間で、人材面や研究面などを中心とした広範な交流活動であって、具体的には共同研究、人材育成・交流、技術移転があげられる」と定義している。

・京大国際融合創造センターの澤田芳郎氏「産学連携の本質は、産学間の深い知的交流に基づく新しい価値の発見であり、その具体化である」と定義している。

・ある国立大のTLOサイト「現在の産学連携は奨学寄附金、受託研究、共同研究が3本柱です」と記している。

○「産」と「学」という目的も文化も違う二つのドメインが手を取りあって「こと」を進めようとしているのに、思い描いている産学連携のイメージがこうも違う。

・荒磯「科学技術を基盤とし、社会の文化と経済を活性化させる活動」と定義している。

・これでは、大学における科学技術の蓄積を「産」側に持っていくだけではないかと見られそうだがそうではない。「学」は放っておくと際限もなく専門化し、先細りになる傾向を持つ。一方、「産」の活動は人間の生活を豊かにするためのニーズの実現を抜きにしては考えられない。このニーズが黒船のように「学」に新たな科学の領域を形成するきっかけを与える。

・異なる専門分野が融合し、新たなイノベーションが「産」に貢献するとともに、「学」も新たな領域を発展させることができる。

○新たに生まれた技術を製品化につなげ、事業として成立させるためには、技術を知的財産として権利を確立するとともに、開発研究の資金、事業化への資金が必要となる。世界の産学連携の成功例をみると、ファンドが需要な役割を果たしている。

○さらに、以上述べてきた「産学連携」は、それを効率よく展開できる環境が整ってこそ初めて可能になる。これは、「官」の重要な役割である。

○産学連携の持つ範囲がここまで広がると、それを進めるための人材の育成が当然問題となる。

○これらを総合的に理解するうえで、図に示すような「産学連携学」とその構造を考えてみるのも一つの方法であろう。

○産学連携学の構造(図:図には矢印があるがここでは、項目のみあげておく)

・基礎産学連携論(①産学連携構造論、②比較産学連携論、③企業イノベーション論、④知的財産活用論)

・応用産学連携論(⑤産学連携教育論、⑥産学連携政策論、⑦産学連携システム論、⑧知的生産プロセス論)

産学連携学は、まさに「産学連携によって文化と経済を活性化させる」という目的を効率よく達成するにあたってのプログラムを考えることであり、人工物システム科学である。

産学連携というシステムを構成するのが上記の(とりあえず)8つの分野であるとして、この一つ一つについて、どのようなプログラムで現在動いており、それをよりよいプログラムにすることを考えていけばよいのだろう。

①産学連携の構造は現在どうなっていて、どのように動くようにするのが望ましいのか。担い手である産学官の役割分担やふるまいは、どのようであるのが望ましいのか。

②北大のA先生を巡る産学連携の仕組みと岩手大のB先生を巡る仕組みとに違いがあるとしたら、何が同違うのか。

③企業がイノベーションを起すにあたって、学がどのように関係すると最も効率が良いのか。

④知財はどのようにしたら、活用しやすいのか。

⑤どのような人材がいると、産学連携の効率が高まるのか。それはどうやって育てたらよいのか。

⑥産学連携の効率を高めるためには、どうような政策が必要なのか。切れ目のない支援をするにはどうしたらよいのか。上手いマッチングをどうやって可能にするのか。モード2の知的生産の場をどのようにつくりあげるのか。

⑦産学連携のシステムはどのようにあるのが良く、どのように動くのが良いのか。

⑧そもそも知的生産は、どのように行われ、どのような条件が揃うと、最も効率が良いのか。

・・以上の①から⑧は、荒磯先生があげた産学連携に関する部分的な論について思いつくままに内容を記してみたものである。思いつきなので、間違った場所に書いてあるかもしれない。荒磯先生のコラムのどこかに今後書かれるのかもしれない。修正することを前提に、とりあえず書いてみた。

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設計科学 その24

6.新科学論の科学史的意義

○科学史の用語法では、T.クーンの言う個別科学のパラダイム・シフト(物理学のパラダイム革新、生物学の・・等々)は、小文字・複数のscience revolutions(普通名詞)と呼ばれる。一方、17世紀中葉の古典力学の成立を契機とする近代科学それ自体の成立(科学総体の古代的・中世的学術からのパラダイム・シフト)は、定冠詞付き・大文字・単数のThe Scientific Revolution(固有名詞)と呼ばれる。

○そこで、17世紀における正統派近代科学の成立を「大文字の第一次科学革命」として総体化させるため、新科学論を「大文字の第二次科学革命」と名づけた。

設計科学でいう「設計」は、シンボル性・シグナル性の「プログラム設計」を意味している。そして、シンボル性・シグナル性の「プログラム設計」は、記号の集合として、「記号情報の一種」である。かくて、「大文字の第二次科学革命」の核心は、「非記号的・記号的情報」という進化論的「情報」範疇の導入へと収束する。新科学論が別称「知の情報論的転回」と名付けられた所以である。

○新科学論をめぐる上記の科学史的意義は、internal approachによるものであった。ここで、external approachの視点から新科学論の科学史的意義に言及する。主に社会的要請に基づく、各種各様のハイブリッド形態やクロス・オーバー形態が形成される。M.ギボンズらのいうモード2の知識生産もその一例である。

○だが、総括的かつ一般的な立場からすれば、「社会のための科学」がもっとも強く要請しているハイブリッド形態は、「物質的・生物的・社会的・精神的な全人工物」を対象にする「認識科学と設計科学」、すなわち「人工物システム科学」ではないのか。もちろん「精神的人工物」には、神や絶対者が含まれている。すべての科学領域の成果は、それ自体が有する固有の価値に加えて、「人工物システム科学」との直接的・間接的な関連を問われることになるにちがいない。いや問われるべきである。

○17世紀の大文字の第一次科学革命にはじまる科学の第一フェーズの基調が「科学のための科学」であったとすれば、20世紀後半の大文字の第二次科学革命に始まるその第二フェーズの基調は「社会のための科学」であり、「人工物システム科学」は、まさにその中核をなす学術形態である。すでにサステナビリティ・サイエンスは、「人工物システム科学」の一つの具現化である。

○物理学が大文字の第一次科学革命がもたらした科学の象徴であるとすれば、第二次科学革命がもたらす科学の象徴は「人工物システム科学」ではないか。

・・モード2にあたる、地域でのイノベーションが起こりやすい仕組みをどのようにつくりあげるのか、これが現在の私の課題であり、これは、まさに人工物システム科学の領域である。そして、まずは、現在の地域に働いているガバナンス(プログラム)を理解し、それをよりよいプログラムに書き換えていかなければならない。

++++++++

ちなみに、吉田民人氏のこの論文の要点は、日本学術会議のHPに掲載されている。学術会議のなかで開催されている「新しい学術の体系委員会」(吉田委員長)の報告書の内容をまとめたものという。http://www.scj.go.jp/ja/scj/taikei/index.pdf

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設計科学 その23

○「情報科学としての生物科学」にとっての物理科学、「認識型・設計型プログラム科学としての工学」によっての物理科学・生物科学・人文社会科学などは、当該の科学領域によって必要不可欠な「支援/制約科学」ないし「基盤科学」と名づけられた。

○新科学論によれば、生物科学は、「認識型プログラム科学」として人文社会科学と同類であり、「プログラム作動が物理科学法則に従う」という意味で物理科学と同類である。換言すれば、生物科学は、物理科学と人文社会科学の間を架橋する「両棲的科学」である。

○ゲノム科学の登場以降、すでに自然科学の内部で「法則科学としての物理科学」と「非法則科学としての生物科学」(認識型プログラム科学)が分裂していたが、自然科学と人文社会科学の二分法は崩壊し、物理科学(物質層の科学)・生物科学(生物層の科学)・人文社会科学(人間層の科学)という三分法に席を譲る。新科学論は、旧科学論と違って、生物科学の「シグナル性情報科学かつシグナル性プログラム科学」という物理科学にも人文社会科学にも還元できない独自のアイデンティティを承認するからである。

工学は「物質的・生物的人工物」を認識・設計するプログラム科学であり人文社会科学は、政策科学や規範科学にとどまらず、設計科学一般にまで拡張させるとすれば、「社会的・精神的人工物」(家族や企業や都市や国家、慣習や制度や法律などの社会的人工物、ならびに文学や音楽や絵画、倫理や宗教や科学や価値観などの精神的人工物)を認識・設計するプログラム科学である。

すなわち、両者は、その対象が理系人工物か文系人工物かの相違はあるが、したがって、またその支援/制御科学(基盤科学)にも相違があるが、「人工物の(認識型・設計型)プログラム科学」として同類である。「工学」と「人文社会科学」が同類の学問だというのである。新科学論がもたらしたこの種のまさに意外な知見は、伝統的な学問体系に大きな変革を迫るものではなかろうか。

○こうして学問の現行の制度的構造に拘泥することなく、新科学論に依拠する単純明快な科学の基本体系を構築するとすれば、科学の全域を(1)物質層を対象にする物理科学、(2)生物層を体操にする生物科学、(3)人間層を対象にする人文社会科学と三分し、それぞれを(A)認識部門、(B)設計部門に分類すればよい。現代科学は、すでにこの種の潜在的構造を実現しているといえるだろう。基本体系の構築は、それを顕在化・自覚化させるにすぎない。

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設計科学 その22

○「常識的知識と文脈要因とによる相互行為の達成」および「達成された相互行為の常識的知識と文脈要因とによる説明」というH.ガーフィンケルが創始したエスノメソドロジーは、「シンボル性プログラムと境界条件とによる社会システムの構築」と「構築された社会システムのシンボル性プログラムと境界条件とによる説明」というシンボル性の一次の自己組織理論と同型である。

○なぜなら、常識的知識が包含するプログラム集合は、シンボル性プログラム一般の中核を占めているからである。エスノメソドロジーは、当初アメリカ社会学会で「科学的社会学の放棄・解体」と猛反発されたが、じつは「科学の否定」ではなく、反法則主義の「新しい科学の形態」を提唱したのである。まさしく、「法則」科学からプログラム科学へのラディカルなパラダイム転換-自覚的であったとはいえないにせよーを意味していた。命名はなくとも洞察は洞察である。「プログラム」範疇を「常識的知識」という概念で代行させた洞察である。

○エスノメソドロジー以外にも、現象学的社会学やシンボリック相互作用論など、吉田氏がかつて「意味学派」と総称したすべての社会学的思考には、このパラダイム・シフトの潜在的可能性ないし機会が与えられていた。だが、プログラム科学の立場と実質的に等価な理論的・形式的枠組みに到達したのは、エスノメソドロジー唯一つである。それほど、汎法則主義の呪縛は大きかった。

○学問体系の一環として、新科学論の知見を複合的な学術形態を持つ「工学」に適用してみよう。

○工学は、いわば「工学Ⅰ」と「工学Ⅱ」に分かれる。「工学Ⅰ」は、物質的・生物的人工物のプログラムの解明を目指す「認識型プログラム科学」であり、「工学Ⅱ」は、物質的・生物的人工物のプログラム創出を目指す「設計型プログラム科学」、つまり理系の設計科学である。

○日本の大学のカリキュラム編成からすれば、かつて前者は「卒業論文」の主題であり、後者は「卒業設計」の主題であった。

○人工物のプログラム解明という「工学Ⅰ」は、吉川広之のいう「自然物の理学」に対比される「人工物の理学」にほかならない。ここで「理学」は、認識科学の謂いであり、だからこそ「工学Ⅰ」は、科学の目的を認識に限定する旧科学論(「科学=認識科学」一元論)のもとで「理学部の卒業論文」(自然物の理学)と同格の「工学部の卒業論文」(人工物の理学)たりえたのである。

○新科学論による「プログラム範疇」と「設計科学」(「設計自体を目指す科学」であって「設計の認識を目指す科学」ではない)の提唱は、この事態を一変させる。人類の歴史と分かち難く結びつく「実学としての工学」の科学論的な復権である。いずれにせよ、工学は、「法則が書く」に支援/制約されているとはいえ、それ自体は「法則科学」ではなく、上述した二重の意味での「プログラム科学」、すなわち「理系人工物の認識型プログラム科学」(工学Ⅰ)と「理系人工物の設計型プログラム科学」(工学Ⅱ)である。

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設計科学 その20

5.新しい学問体系をめぐって

○新科学論の

第一の論点が「認識科学」に対置・並置される「設計科学」の提唱

第二の論点は、「物質科学」に対置・並置されるシグナル性・シンボル性の「情報科学」(「情報科学としての計算機科学」のみならず「情報科学としてのゲノム科学」や「情報科学としての人文社会科学」などをすべて含む)の提唱

第三の論点は「法則科学」に対置・並置されるシグナル性・シンボル性の「プログラム科学」の提唱である。

○「物質=エネルギー空間」の秩序原理を「法則」、「記号情報空間」の秩序原理を「プログラム」とする根本枠組みであり、物質科学と法則科学、ならびに情報科学と(認識科学としての)プログラム科学は、それぞれ前者が対象の「構成要素」に、後者が対象の「秩序原理」に着目した分類であって、同一の科学領域である。

プログラム科学は二分され、一つは「法則科学」に対置される「認識科学としてのプログラム科学」であり、もう一つは、「設計科学の別称としてのプログラム科学」すなわち「設計科学」そのものである。

○伝統的な学問分野との対応をいえば、物理科学は「物質科学、かつ法則科学」、生物科学は「シグナル性の情報科学、かつシグナル性の認識型プログラム科学」、そして人文社会科学は「シンボル性の情報科学、かつシンボル性の認識型プログラム科学」となる。

○現行の「情報科学」は、周知のように計算機科学に傾斜し、たとえば生物情報学や法情報学も研究手法に計算機(計算機をシミュレーションや計算機データベース)を導入したゲノム科学やタンパク質科学や判例研究と理解されることが多い。

○だが、新科学論の立場からすれば、「情報科学」は「物質科学」に対置・並置されるべき全学術の二大部門の一つだということになる。

○だが、残念ながら、科学の「学術的構造」と「制度的構造」との矛盾の克服は、歴史的スケールの時間を要するといわなければならない。

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設計科学 その19

⑤ゲノム解釈における「境界条件vsプログラム」

○ゲノム解釈における「境界条件vsプログラム」という対立は、分子生物学やゲノム科学の旧科学論的解釈と新科学論的解釈との対立の核心である。

○旧科学論は、ゲノムを生体内で作動する物理科学法則の境界条件と捉え、他方、新科学論は、ゲノムを惑星地球上に登場したプログラム(時空的設計図)なる秩序原理の進化史的原理と捉える。

○境界条件説は、生物科学における物理科学還元主義の立場であり、遺伝的プログラム説は、かつての有機体論や生気論の換骨堕胎的な新バージョンであると位置づけることもできる。両者はそれぞれのパラダイムの内部で整合的な解釈であり、その限りでは優劣つけがたい。T.クーンのいう異なるパラダイム間の通約可能性の一つの例題である。

○だが、議論のアリーナ、つまり論議域を物理科学と生物科学に限定・局所化するか、人文社会科学をも含む科学の全域にまで拡張・広域化・大局化するかによって、二つの解釈の是非は異なってくる。

○生物科学者や物理化学者は、人文社会科学を視野に収めず議論する。だが、これまでの論で明らかなように、新科学論は、科学の全域を視野(論議域)に収めて「境界条件説」と「遺伝的プログラム説」の妥当性を比較検討したのである。

○その結論は、「自然の秩序」の原理を「法則」一本に絞る、ニュートン以来300年にわたり科学界を支配してきた根本命題「汎法則主義」を放棄せざるをえないというものであった。

○崩壊して解体された近代科学の「法則」概念は、第一に、自然の三タイプの秩序原理、第二に、経験則、第三に、(経験的・非経験的な)秩序の数学的構造という三つの基礎範疇として再編成されるためである。

○新科学論でいう「法則」は、三タイプの秩序原理の一つとしての物理層の秩序原理、すなわち物理科学法則として、全自然の根底を支えるものの、局所化された位置づけを与えられるにすぎない。生物層・人間層のプログラム的秩序は、物理科学法則に支援/制約されるが、物理科学法則に還元することはできない。

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設計科学 その18

④「機械論vs有機体論」

○上記のメタファーは、旧科学論で馴染みのものである。生物を「分子機械」であるとする分子生物学の物理科学還元主義的解釈もこのメタファーを利用している。だが、新科学論は、このメタファーが根本的に失敗しているとみる。なぜなら、機械論のメタファーが機械の部品も、その部品の時空的配置も、その過程や機能も、ことごとく工学的設計図の産物であるという論点、すなわち「ハードウェア化されたプログラム(設計図)」という機械の特性を見出しているからである。

○機械と有機体の相違は(以下それぞれ前者が機械、後者が有機体)、(1)プログラムの外在性と内在性、(2)プログラムを構成する記号の進化段階の相違(数学的言語記号と遺伝記号)、(3)プログラムの創発様式の相違(自由発想と突然変異)、(4)プログラムの選択様式の相違(主体選択と自然選択)、(5)プログラムの選択基準の相違(目的合理的な最適化とW.D.ハミルトンのいう包括的適応度の最大化)など、すべてプログラムに関連する諸特性の相違に帰着する。

太陽系の構造と機械の構造と生体の構造と社会の構造を比較するとすれば、「法則により生成する構造」と対比される「プログラムにより構築される構造」という意味で、機械の構造は、太陽系の構造よりはるかに生体や社会の構造に近似している。

○「法則的に生成する構造」と「プログラム的に構築される構造」との理論的識別がない、つまり「法則」と「プログラム」の区別がない旧科学論は、この近似性・同型性を見抜けなかった。機械は、有機体に先立つプリ生命の存在者ではなく、人工物というれっきとしたポスト生命の存在者である。この明白な事実の理論的含意を旧科学論は、解き明かすことができなかったのである。

○だが、新科学論は、「プログラム不在型システム」と「プログラム外在型システム」と「プログラム内在型システム」を差異化することができる。

○物理科学的システムは、プログラム不在型システムであるが、機械は生物は社会と同様、プログラム不在型システムではない。だれ一人として疑うことのない旧科学論の「機会論vs有機体論」が、じつは失敗したメタファーだと断ずる所以である。

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設計科学 その17

○では、何故物理学出自の「法則的自己組織理論」が社会科学で受け入れられたのか。

○その理由は、「集権的・集中的(ときに加えて委任的)なプログラム的自己組織化」と対照的な位置を占める「分権的・分散的(ときに加えて参加的)なプログラム的自己組織化」が、時代の要請を反映するハイエク流の自生的秩序論と呼応しながら、プログラム範疇の欠如と相まって、物理学的自己組織理論とメタフォリカルに同定されたことにある。

○事実、社会科学や工学で自己組織性といわれるものは、自立分散システムをはじめとして「分権的・分散的(ときに加えて参加的)」なプログラムとその合成波及効果を対象にしている。その実質において、「複数エージェント型のプログラム的自己組織性」にほかならない

○だがプログラム的自己組織性には、ほかにも「単一エージェント型」と「複数エージェント型」が存在している。ここでも旧科学論が「普遍・不変の法則」と「特殊・可変のプログラム」という秩序原理の相違を範疇化・理論化していないために、問題の真の所在が気づかれていないのである。

○法則型とプログラム型という二系統の自己組織理論は、まさしく旧科学論と新科学論とが競い合う格好の場である。二系統の自己組織理論の区別は、旧科学論では不可能である。だからこそ、その区別を指摘する声が聞かれなかったのである。

○「適切な概念」がないから「適切な認識」がない。帰納主義と演繹主義の限界であり、ブレークスルーのためのアブダクション(abduction)が必要とされる所以である。プログラム範疇は、一つには、そのアブダクションの成果である。

・・アブダクション:仮説形成:大前提と結論から小前提を導き出す推論形式.

分からないのにコメントするのもおこがましいけど、ここから得られたことで、一つは、今悩んでいる地域における多様なプレーヤーの創発性やガバナンスの問題は、もしかするとここで言っている「複数エージェント」による「自己組織性」を扱っているのだけれど、現状、「望ましい結果を生みそうなプログラムが見えていない」ことによる。あるいは、「現在のプログラムが見えないので、設計しなおすにあたって、どのようにプログラムを改善したらよいのかが見えない」状況である。

それからもう一つ。昔、何のために勉強するのか分からずにいたときに、長銀の社員食堂で斯波さんと食事をしていたときに、ひらめいたのか、その前にひらめいたことを斯波さんにしゃべったのか忘れたけれど、「勉強するって、言葉を見つけることなんだ」と思ったことを記憶している。

「言葉」=「適切な概念」を見つけると、分からなかった混沌が分かるようになる=「適切な認識」ができる。・・・たぶん、これが分かったので、知識人のはしくれになりたいと感じたのであった!

ところで、吉田氏が言うように、これまでの学問を勉強しても、その中に適切な概念がなければ適切な認識ができない。そこには、大胆な仮説が必要で、仮説が適切な概念に光を当てる(概念を浮き彫りにさせる)ということなのだろう。

これはちょっと異なるが、以前、地方自治体の人が研修を受けて、現在の問題からやるべきことを見つけ出せといったら見つけられず、こうありたいというビジョンからはじめたら、現在の課題が見えてきたというのと相通じるのではないだろうか。

今の私に引き戻せば、現在のプログラムは見えないのだが、こうありたいという姿から考えると、望ましいプログラムが見えてきて、それには、現在のプログラムをこう変えなければならないということが見えてくるのかもしれない。

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設計科学 その16

③自己組織性

自己組織性もまた「法則的組織性」と「プログラム的自己組織性」とを峻別する必要がある。

物理学出自の自己組織性は「法則(たとえば散逸構造の理論)による自己組織化」であり、そこで話題にされる「情報」-たとえばゆらぎから形成される秩序(一定のパターンや情報)-は「非記号情報」すなわち「物質の差異/パタン」一般であって、「記号情報」ではない。

だが、社会学出自の自己組織性は、「記号情報が有する認知・評価・指令の三大機能」を基盤に据えた「プログラムによる自己組織化」である。

○「変容不能な法則」ではなく「変容可能なプログラム」を秩序原理とするプログラム的自己組織化は、「所与のプログラムによる自己組織化」を扱う「一次の自己組織理論」と「当該のプログラム自体の形成・維持・変容・消滅」を扱う「二次の自己組織理論」をともに必要としている。

○生物層の自己組織化については、生体内で物理科学法則が直接関与するために物質層の「法則的自己組織化」と生物層の「プログラム的自己組織化」が共存している。

○だが、物理科学法則の直接関与も社会法則も存在しない人間層で「法則的自己組織化」を見出すことは不可能であろう。

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設計科学 その15

○この点は複雑系科学についても妥当する。法則的複雑系の普遍・不変の法則とその数学的構造は、同時成立して等価であるが、プログラム的複雑系の数学的構造は先行するプログラム選択(むろん数学的に表現されたプログラムを含む)によって決定され、その逆ではない。プログラムが変われば、秩序の数学的構造も変わる。

○とくに工学的なプログラム的複雑系の場合、その非線形性が望ましくないと評価されるなら、それを解消・克服するようなプログラム的介入が設計されることになる。

○こうした問題の所在が自覚されていないのは、結局のところ、「汎法則主義」のもとで「法則」と「プログラム」の秩序原理としてのラディカルな相違(前者の普遍=不変性と後者の-対象内在的記号による被構築性に起因する-特殊=可変性、つまりメタファーでいえば設計図的性格)が気づかれず、したがってまたそれが根本範疇化されていないからである。

秩序の数学的構造の解明は、法則的秩序とプログラム的秩序とでその意義を異にするというべきであろう。

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設計科学 その14

②秩序の数学的構造

秩序の数学的構造は、「非経験的秩序」の数学的構造(純然たる数学的秩序)と「経験的秩序」の数学的構造とを区別する必要がある。

○後者は、(1)法則的、(2)シグナル性プログラム的、(3)シンボル性プログラム的、そして(4)経験則的な、すべての経験的秩序に妥当する。

○「数字で書かれた自然という書物」の解読というガリレオ以来の数学的科学観は、「経験的秩序の数学的構造」一般を「法則」と誤解させがちであった。

○だが、新科学論は、「法則」と「経験的秩序の数学的構造」とを分離し、両者は別のコンセプトであるとする。所得税プログラムは、数字式で表現されるが、それは「シンボル性プログラム(的秩序)の数学的構造」であって「法則(的秩序)の数学的構造」ではない。「規則」であって「法則」ではない。数学的に表現されているからといって「法則」であるとは限らないのである。

複雑系科学の台頭は、「線形的な数学的構造をもつ経験的・非経験的秩序」から「非線形的な数学的構造を持つ経験的・非経験的秩序」へのパラダイム・シフトであり、それ以上のものでも、それ以下のものでもないのではないか。

○「法則的な複雑系」(非線形力学や気象学)もあれば、「プログラム的な複雑系」(金融工学)もあれば、「純数学的な複雑系」(任意に構築された複雑系ゲーム)もある。複雑系理論は、この三つのタイプを識別する必要がある。

○計算機シミュレーション一筋の研究生活を過ごした人にとっては、物質界の法則とチェスの規則との区別は不必要であろう。

○「非線形性」という数学的構造は同一であるが、それぞれの「秩序原理」が異なる。「秩序原理の進化」というパラダイム・シフトと「複雑系科学」というパラダイム・シフトは、まったく別のものである。

前者はニュートン以来の「汎法則主義」から「秩序原理の進化」へのシフトであり、後者は、「秩序の数学的構造」というガリレオ以来の数学的科学観を継承した上での「線形性から非線形性」へのシフトである

○「秩序原理の進化」という視点からすれば、数学的秩序の非線形性という問題よりは、「プログラム的秩序とその数学的構造との関係」が「法則的秩序とその数学的構造との関係」とはあり方を異にするという指摘の方が重要である。

○社会科学の中でもっとも法則主義的な近代経済学を例にとれば、たしかに経済合理的プログラムとその数学的構造は、法則の場合と同様、同時成立している。だが、それは「ホモ・エコノミクス」というプログラム選択の合理的基準を前提とした上でのことであり、この基準の論理的・経験的先行性や先所与性に気づけば、経済法則なるものの数学的構造が、物理科学法則のそれとは違って、あくまで人間による「選択の結果」であることに気づくはずである。

○こうして問題は、経済合理的選択を動機づける価値観や市場構造の解明へと移行することになる。

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設計科学 その13

理解していないものを書き写していて、少々嫌になってきたけど、せっかくなので、続けます。

4.「自然の秩序」をめぐる新旧科学論の比較対照

○「設計科学」と「非記号的・記号的情報」と「秩序原理の進化」という新科学論の三つの提唱は、この順序でそのラディカル性、つまり、旧科学論との断絶が著しいものになる。

○「秩序原理の進化」との関連で①経験的一般化ないし経験則、②秩序の数学的構造、③自己組織性、④機械論vs有機体論、⑤ゲノム解釈における「境界条件vsプログラム」という「自然科学の秩序」をめぐる新旧科学論の五つの見解を検討し、新科学論の提唱をより具体的に描くことにする。

①経験則

○全自然と全学術にあまねく見出される経験的一般化命題(以下「経験則」と表記)は、汎法則主義の用語慣習の一環として経験法則と呼ばれてきたが、原理的には、物理科学法則・シグナル性プログラム・シンボル性プログラムおよびそれぞれの境界条件(時間的な初期条件と空間的な狭義の境界条件を含む広義の境界条件)の適宜の組み合わせからなる「ハイブリッド説明項」から導出される。

○この「秩序原理と境界条件」に基づく経験則の導出という目標を新旧科学論は共有している。

問題は、優位する秩序原理のタイプによって経験則の妥当する領域/期間が異なるという論点である。

○物理科学法則とその境界条件が優位する経験則は、法則が普遍・不変であるから、それが妥当する領域/期間は境界条件の相違(たとえば、地表重力のもとで成立する経験則との相違)にのみ依存し、一般に広範囲の領域/期間で妥当する。

○だが、シンボル性プログラムとその境界条件が優位する経験則では、境界条件ばかりでなくプログラム自体が変容可能であるから、妥当する領域/期間は著しい制約を受ける。制度Xのもとで妥当する経験則が制度Yのもとで妥当するとは限らない。

○したがって、人文社会科学の経験則については、つねにその妥当領域と妥当期間に自覚的でなければならない。ジェンダーが関与する経験則は、その好例であろう。既成のジェンダー関連プログラムを前提にする経験則は、当のプログラムが変われば変わりうるのである。女性の社会参画に関する経験則は、女性の社会参画プログラムの如何によってどのようにでも変化しうる、と捉えるのが法則科学と異なるプログラム科学の立場である。

そこで新科学論は、旧科学論の実証主義を「法則基盤の実証主義」と定義し、新たに「プログラム基盤の実証主義」を提唱する。とりわけシンボル性プログラム優位の経験則は、境界条件の制御という手立てを除けば「所与としての経験則」なる色彩の強い物理科学的経験則とは違って、「人間の手で構築すべき経験則」だという科学論的理解が是非とも必要である。

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January 01, 2006

設計科学 その12

3.「経験的因果関係」を説明する三タイプの「理論的因果関係」

○これまで論じてきたことにより、「法則的因果論」一色だった正統派科学の「理論的因果論」は、物質層の「法則的因果論」と生物層の「シグナル性プログラム的因果論」と人間層の「シンボル性プログラム的因果論」との三分されることになった。

○生物層でいえば、遺伝子型とその細胞内外・生体内外の境界条件が「原因」となり、その表現型が1対1、1対多、多対1あるいは多対多で「結果」する。

○人間層でいえば、「3アウト・チェンジ」という野球のルール(規範的プログラムの一例)は、通例の境界条件では3アウトを「原因」とし、チェンジを1対1で「結果」する。

○いずれも「法則的因果」とは別種の「理論的因果関係」である。その際、シグナル性プログラム的因果は、法則的因果を支援/制約条件とし、シンボル性プログラム的因果は、法則的因果およびシグナル性プログラム的因果を支援/制約条件にしている。

○だが、逆に、オゾン層の破壊(物質層)は、シンボル性プログラムの作動結果としての、物理科学法則の境界条件の変容に起因し、交雑育種や分子育種はシンボル性プログラムによるDNA性プログラムへの直接的介入である。

○こうした人間層による物質層や生物層への影響に先立って、生物進化の結果それ自体、たとえば光合成による有機化合物やミミズによる土壌形成が物質層に介入し、その変容をもたらした。すなわち自然の三層の間には、下層から上層へ、上層から下層へという相互関連が観察される。

○「人間による約束事としての秩序」(たとえば、3アウト・チェンジや法律的秩序、単純なケースなら個人間の面会や会合の約束)という生活者にとって日常茶飯の秩序のあり方は、正統派科学論の「汎法則主義」のもとでは理解のしようがなかった。実定法の学が科学でありえなかったゆえんである。

○だが、プログラム範疇の導入により、人間的秩序は生物的秩序との連続(プログラム的秩序としての同一性)と非連続(物理科学的に構築されるシグナル性プログラム的秩序と表象媒介的に構築されるシンボル性プログラム秩序との異質性)の解明をも含めて解明されることとなった。

○「シンボル性プログラム的因果関係の経験的妥当性」が取り立てて殊更問題にされるのは、違背不能の物理科学法則や、物理科学的に作動し、原則として違背のないシグナル性プログラムと異なり、表象媒介的に作動するシンボル性プログラムの場合、原則として、そして現にしばしば違背が起こりえるからである。

○新科学論は、因果関係を「理論的因果関係」と「経験的因果関係」に二分し、理論的因果関係を上述のように法則的、シグナル性プログラム的、シンボル性プログラム的な因果関係へと三分したのである

○「人間界の約束事としての秩序」は、「物質層の法則的秩序」および「生物層のシグナル性プログラム的秩序」と並ぶ「人間層のシンボル的プログラム的秩序」として、つまり「秩序をめぐる進化論的構想」の最後の一環として、史上初めて「自然の科学像」のなかでの居場所を得たのである。・・ニュートン以来の「汎法則主義」の崩壊である。

○新科学論は、シグナル性・シンボル性の「記号情報」とシグナル性・シンボル性の「プログラム」、すなわち生物層・人間層に「固有の構成要素」ならびに生物層・人間層に「固有の秩序原理」という二つの科学的構成概念が「汎法則主義」の代替提案たりうると訴える。

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設計科学 その11

○いわゆる「経済法則」なるものは、ホモ・エコノミクス(理想的な経済人)に仮託された「経済合理的プログラム」や「その合成波及効果」、とりわけその「数学的構造」を「法則」と誤認したものにすぎない。

人間層の一切の「合理的プログラム」は、一切の「慣習的プログラム」と同様、シンボル性プログラムであることに変わりはない。

○「ゲーム理論」や「合理的選択理論」は、「法則科学」ではなくて「プログラム科学」に属するものだ。

○法学なかでもその中核をなす法解釈学は、旧科学論の汎法則主義のもとで「科学」であることを断念ないし拒否し、自らを「技術学」と位置づけてきた。だが、いまや社会科学を代表するプログラム科学だということになる。

○人間層の問題解決に資する法律(法的プログラム)は、物理層の問題解決に資する生物工学的プログラムとまったく同様「技術」であるが、その技術の内容は、すべて何らかの「シンボル性・シグナル性のプログラム」である。

○要するに、物理層の法則は、「変容不能かつ違背不能の秩序原理」、生物層のシグナル性プログラムは「変容可能かつ違背不能の秩序原理」、そして人間層のシンボル性プログラムは、「変容可能かつ違背可能の秩序原理」であり、自然の秩序原理の進化は、秩序原理のこの意味での自由度の増大をもたらしたのである。

○自由への人間的希求の背景には、この「秩序原理の自由度の増大」という進化史的趨勢が控えている(もっともこの主張は、科学的命題ではなくて、思想的命題である)。「汎法則主義」のもとで困難であった「意思の自由」や「主体性」や「実存的人間」の「旧科学論」的位置づけは、すべて擬似問題として棄却され、「シンボル性プログラムの選択様式の在り方」という認識課題(記述的課題)および設計課題(規範的課題)として新たな局面を迎えることになる。

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設計科学 その10

(3)「プログラム」範疇の提唱

全自然の唯一つの根源的な秩序原理とされる「法則」を物質層に限定し、生物層と人間層に固有の秩序原理として「プログラム」なる新範疇を導入する。

○その進化史的原型である「DNA性プログラム」に始まり、感覚/運動性プログラムや言語性プログラム、そして「科学技術化されたプログラム形態」としての計算機プログラムに至る「プログラム」は、自然の生物層と人間層とに内在する何らかの進化段階の「記号」によって構成される秩序原理、メタファーを使えば「時空的な設計図」である。

○新科学論は、生物層の「ゲノム」の発見を、物理層の「物理科学法則」から人間層の「慣習的・法律的な規則」へ至る「秩序原理の進化」のミッシングリンク(系列完成上欠けているもの)の発見であったと解釈するのである。

○その結果、人間層の慣習的・法律的秩序や契約的秩序など「約束事としての秩序」は、「秩序をめぐる自然学的構想」の一環として、人類の学問史上初めて「自然の全体像」の中での居場所を得ることになる。

○「人間界の約束事としての秩序」は、これまで人間界における意義は問われたが、全世界や全宇宙におけるその意義を「科学」の立場から問われることはなかった。問われたとしても「科学」では答えようがなかった。だが、「社会システムの時空的設計図としての規則」に先立ち、すでに「生体システムの時空的設計図としてのゲノム」が現存したのである。まさしく「秩序原理の進化のミッシングリンク」の発見であった

○自然の秩序原理に関する「法則一元論」から「秩序原理の進化論」へのラディカルなメタ・パラダイム転換である。

・・ここは、分かりやすい。うなづきながら書き写せた。

○何らかの進化段階の記号によって構成される「生物層・人間層の時空的設計図:プログラム」は、「記号の集合」として「記号情報」の下位概念の一つである。

○したがって、第一に、記号で構成されるがゆえに、プログラムは、変容不能と指定される秩序原理:法則と違って、変容可能な秩序原理である。

○第二に、DNA性プログラムや感覚/運動性プログラムなど、指示対象と物理科学的に結合するシグナルで構成される「シグナル性プログラム」は、物理科学的に作動して、誤動作(たとえば、内分泌撹乱物質、通称環境ホルモンによる誤動作)を除けば、違背はない。

○だが、建築設計図や慣習・法律などの映像性・言語性プログラムは、表象に媒介されてしか指示対象と結合しないシンボルで構成され、その結果、解釈の多義性や違背(逸脱)の可能性は当然のこととなる。

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設計科学 その9

○「物質と情報」二元論は、厳密にいえば「本源一元論的派生二元論」である

○「本源一元論」とは、「質料としての物質」とその「差異/パタンとしての非記号情報」との「不可分の統一体」が物質層の唯一の構成要素であり、生物層・人間層もその物質層を不可避・不可欠の基盤として構築されるという自然哲学の謂いである。

○それに対して、「派生二元論」とは、生物層と人間層にのみ固有の「物質と記号情報」との二元性を意味している。

○一元論的な物質的自然が生命の誕生とともに二元論化する。つまり意味するものと意味されるものとの分化ーという進化論的哲学である。

○一元論的な物質層から派生する生物層と人間層に固有の二元論の内実は、抽象化すれば大筋つぎのようなものである。

○すなわち、「記号」としての「物質の差異/パタン」が認知・評価・指令の三大情報機能ないし三モードの情報機能により「指示対象」としての「物質の差異/パタン」を指示・表示・決定し、翻って「指示対象」としての「物質の差異/パタン」が何らかの選択過程(前述した経験的自己言及)に媒介されて「記号」としての「物質の差異/パタン」を直接・間接に決定するという循環的関係である。

○具体的事例でいえば、人間の認知・評価・指令的なシンボル性情報空間が人間的現実を決定し、人間的現実が事前・事後の主体選択に媒介されてシンボル性情報空間を決定するという循環関係、あるいは生物の遺伝子型が表現型を決定し、表現型が自然選択に媒介されて遺伝子型を決定するという循環関係である。

○タンパク質は、遺伝情報(指令性記号)との関係では、その指示対象であるが、酵素タンパク質は、それによって触媒される化学反応(指示対象)との関係ではその指令性記号である。

○因みに旧科学論は、たとえば、ゲノムによってコードされた(DNA情報を設計図とする)特異的な酵素タンパク質の存在を、生体内化学反応の境界条件と位置づけるのである。

認知・評価・指令の三大情報機能は、物質層には内在せず、記号情報が内在する生物層と人間層に固有の機能である。原初的な高分子性情報処理においてもすでに認知・評価・指令の三大情報機能が観察される。

○たとえばタンパク質の合成は、DNA情報の「指令機能」の結果であり、酵素タンパク質による基質の化学認識(鍵穴と鍵の関係で実現されるchemical recognition)は、「認知機能」、そして酵素によって触媒される生体内の合成・分解反応の結果による「酵素の触媒活性」と「酵素自体の合成」との調節は、自然選択の結果獲得されたと推定されるDNA情報の「評価機能」ではないか。

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ほとんど全文掲載なので、著作権法が心配なのだけど、理解を超えているので、抜書きできない。・・分からずに書き写しているので、一行飛んだり、二度書いてしまっているところがあるかもしれない。

ともかく読み進めて、それから解釈してみたいと思っているのだが。

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設計科学 その8

○続いて記号情報である。

○DNA情報をその進化史的原型として言語情報やデジタル情報にまで進化する記号情報は、生物層と人間層に固有の構成要素であり、「記号として機能する物質の差異/パタン」(内記号及び外記号)とその「意味として機能する物質の差異/パタン」(指示対象及び意味表象)との物理科学的結合または表象媒介的結合と定義される。

記号物質の差異/パタンを例示すれば、DNA情報はAGCTなる情報素子の線形配列パタンであり、法律は印字されたアルファベット(音素を表す文字の体系)なる情報素子の線形配列パタンである。DNA情報の変異がAGCTの線形配列パタンの変化であるとすれば、法律の改定は印字アルファベットの線形配列パタンの変化である。

○その差異/パタンが記号として機能する物質、すなわち「記号物質ないし記号担体」は、高分子、神経細胞、各種の生体外物質などさまざまであるが、「記号形態」は生物層で創発したシグナルから人間層で創発したシンボルへと進化した。

遺伝記号(DNA記号)や感覚/運動信号などの「シグナル」は、「記号とその指示対象とが物理科学的に結合してかならず指示対象を持つが、なんら意味表象を持たない記号形態」、またはイコンや言語ほかの「シンボル」は、「記号表象と意味表象とが、学習の結果、脳内で物理科学的に結合してかならず意味表象を持つが、指示対象を持つとは限らず、持つとしても意味表象に媒介されてしか指示対象と結合しない記号形態」と定義される

○自然の構成要素に関する「物質」一元論から「物質と情報」二元論へのメタ・パラダイム転換である。

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設計科学 その7

(2)進化論的「情報」範疇の提唱

全自然の根源的な構成要素である「物質およびエネルギー」に付加して「非記号情報および記号情報」なる構成要素を導入する。

○「非記号情報」は、物質=エネルギーと同じく全自然を貫徹する構成要素であり、物質=エネルギーの時間的・空間的、定性的・定量的な「差異/パタン」と定義される。

○非記号情報、すなわち「差異/パタン」は、物質の「属性や特性や特徴や特質や特色や性格や性質」等々として、旧科学論の物質範疇に、それと気づかれず、またそれと指摘されることなく包摂されていた基礎範疇である。

○新科学論は、その差異/パタンを明示的に析出し-物質の差異/パタンは生物の情報機構と無関係に自存するものではないにせよ-、全自然を貫徹する根源的な構成要素に格上げするのである。

○この格上げが、「非記号情報」と区別される「記号情報」の範疇を物質層から導出するために欠かすことのできない理論的布石となる。

○非記号情報の定義に採用された「差異/パタン」のうち、「差異」は、言語学者ソシュールの言語学の枠を超えた汎情報論的洞察を継承し、「パタン」は計算機科学の「パタン認識」にいうパタンを拡張・一般化したものである。

○「差異とパタンとの同時成立」、すなわち差異はパタンを根拠にして成り立ち、パタンは差異を根拠にして成り立つ。つまり、「差異化とはパタンの差異化であり、パタンとは差異化されたパタンである」というトートロジックな概念構築である

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設計科学 その6

2.新科学論による三つの代替提案

○吉田氏は、1967年に「記号進化論」というのを発表しているらしい。これは、DNA記号から神経記号をへて言語記号までを扱っている。この記号進化論を淵源とする吉田氏の理論が新科学論で、前の記事に整理した近代科学の三大命題を次のように修正しようと提案してきたとのことである。

(1)「設計科学」の提唱

(2)進化論的「情報」範疇の提唱

(3)「プログラム」範疇の提唱

写しながらでないと、とても読み込めないので、以下、一つづつ読み込んでいきます。

(1)「設計科学」の提唱

○「自然の認識」を目的とする科学を「認識科学」と再定義し、理系の工学と文系の規範科学・政策科学などを統合かつ拡大する「設計科学」と名づけられた新しい科学形態を導入する。

○自然の「ありたい姿」と「あるべき姿」の設計である。

科学の目的を「自然の認識」から「自然の設計」にまで拡張し、人類の歴史とともに古い「実学の伝統」に科学知の一形態としての権利を付与する道を開く。

近代科学の目的における「認識」一元論から「認識と設計」二元論へのメタ・パラダイム転換である。

○設計科学とは、「設計に関する認識科学」ではなく、「設計それ自体を目的とする科学活動」である。

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